絶えぬ炎と赤い糸   作:ふみどり

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 全国に別邸は数あれど、やはり落ち着くのは京都の本家だった。

 湯浴みの支度は出来ております、と気を利かせてくれた《花》に礼を言って、気に入りの座椅子に身を預ける。ゆっくり息を吐けば、少し離れた庭の鹿威しが耳についた。

 幼い頃から全国を飛び回っていれば出張なんて慣れたものだが、こうも連続すればさすがに骨も折れる。湯浴みよりも先に茶でも煎れてもらおうかな、とふすまの外に声を掛けようとしたとき、騒々しい足音が屋敷に響いた。何を、とか、お待ちください、とか、うちの可愛い《花》たちの慌てふためく声が聞こえる。その下品な足音は迷うことなくこの部屋にまっすぐ向かっていて、なるほど彼が来たのかと思わず苦笑を浮かべた。

 やれやれと座椅子に座り直し、そのふすまに向けて姿勢をただす。洋服の上に羽織った艶やかな羽織を払うと、畳の上に鮮やかな花車が踊った。

 足音の主は、一切の躊躇なくふすまを一気に開けた。すぱん、と空気が破裂したような音に、もう笑うしかない。

 

「やあ《許嫁》殿。夜半の訪れとはずいぶん情熱的だ」

 

 金を乗せた黒い髪、彼の家系特有の鋭いながらも整った顔。わかりやすくそこに不機嫌を乗せた彼は、やっぱ帰っとるやん、と低い声で呟いた。

 若、と困り果てた顔の《花》たちに下がるよう手を振って、傍の座椅子を彼に勧める。彼女たちが部屋から離れたことを確認して、呆れたように座椅子にふんぞり返る彼に目をやった。

 

「まったく、うちの《花》たちをいじめるのはよしてくれないか。可哀想に、あんなに困らせて」

「わざわざこの俺が足を運んだったんに、『若は不在です』の一点張りで追い返そうとするからやろ。殺さんかっただけ優しない?」

「ふふ、冗談でも聞きたい言葉ではないね。彼女たちは例外なくこの花房(はなぶさ)家の《花》だ、手出しは許さないよ」

「せやからしてへんやん。いちいちうっさいわ」

 

 ここ茶も出ぇへんのと傍若無人を崩さない彼、禪院直哉とはもう長い付き合いだった。この最低最悪のクズっぷりもどこかで矯正されるだろうかと期待してもう十年以上、彼は少しも変わることなく。術師という名のクズの坩堝のような禪院家においても、彼はひときわ目立って性格が悪かった。いやはや、何故私に目を付け、私が目を付けてしまったのが彼だったのか、運命の悪戯にしてはタチの悪い。

 花房家の当主たる母に連れられ、禪院の本家に足を踏み入れたのが十のころ。禪院家の当主、禪院直毘人に連れられた彼と目が合ったと思ったら、無遠慮に歩み寄られて顔を覗き込まれて。ぱちくりと目をしばたたかせると、次の瞬間には勢いよく両手を取られた。

 

『君、俺のヨメな!』

 

 この傲慢過ぎるプロポーズが、直哉との縁の始まり。このとき腹を抱えて笑い転げた直毘人さんと、袖で口元を隠し必死に笑いを堪えていた母のことはよく覚えている。

 もちろん私は「嬉しい」と返した。「是」でも「否」でもなく、「嬉しい」と。そして手を握り返したときの、幼い直哉の嬉しそうな顔といったら。

 今思い出しても抱腹絶倒、死ぬまで笑ってやれるネタと言えよう。

 

「……何にやにやしとるん? きしょ」

「おやご挨拶。それで、今日はどうしたの? 来るなら一報入れてくれれば、私もそのつもりで待っていたのだけれどね」

「連絡入れたわアホ。取り次がんかったんはソッチ」

「ふふ、直哉ときたら本当に嫌われてるね」

 

 ええ加減スマホ持ちや、とジト目で見られるが知ったことではない。そのうちね、とだけ一言返して、小首を傾げた。

 私の無言の催促に、直哉は舌打ちをして懐から紙切れを取り出す。

 

「わかっとるやろ、仕事や。そいつの情報寄越し」

「およそひとにものを頼む態度ではないね、相変わらず」

「そないいけず言わんといてや、紅緒(べにお)ちゃん。長い付き合いに免じて頼むわぁ、教えてくれたらデートの一回くらい付き合うたるし」

「ふふ、直哉のその声は好きだよ。媚び媚びで可愛いね」

 

 あ、と低い声が出た直哉に構うことなく、その手から紙切れを抜き取った。

 そこに書かれていたのは、このところオイタが過ぎると評判の呪詛師の名前。なるほど、たいした呪詛師とは聞いていないが、直哉に仕事をまわされたところを見ると手を出してはいけない相手にでも喧嘩を売ったか。

 手を伸ばしてふすまの裏に控えていた《花》に紙切れを渡す。万事を心得た彼女は、すぐに下がった。

 

「私の耳にも入っている呪詛師だ。居所くらいはすぐにわかると思うよ」

「さよか。近場におってくれたら話は早いんやけどな。あ~めんど」

「特別サービスに足止めもつけてあげようか」

「紅ちゃんは優しゅうて可愛えなぁ。……ホンマ惜しいわ、」

 

 何でそのツラで男やねん、と嫌味ったらしく言われ、ふふふと私も肩を揺らす。

 生憎の諸事情で男としての機能が停止している私は、どうも男性には見えないらしい。といっても生まれたときからそうなので、私自身、男だ女だという意識に乏しかった。

 ただ確かなのは、私が少し笑いかければ男も女も頬を染めてしまうということと、私が女ばかりに囲まれて生きてきたということ。

 花房家は、極めて珍しい女系の術師の家系である。

 

「すまないね、男なのに君の初恋を奪ってしまうほど可憐な私で」

「とっとと忘れんかいドアホ。俺の人生でいちばんの汚点や」

「忘れられるわけないだろう? 私の人生でいちばんの愉快なできごとなんだから」

「そのお綺麗な顔叩き割ったろか?」

「ああ怖いね、やれるものならやってごらん。君の顔も火炙りしてあげる」

 

 数秒にらみ合い、先に目をそらしたのは直哉のほう。静かな部屋に響く舌打ちにすら愉快で仕方ない。小さく肩を揺らすと、またひとでも殺しそうな目で睨まれる。

 嗚呼、本当にからかいがいのあって可愛いこと。

 

「まあ、そう拗ねないで。君が私を見誤ったのも無理からぬことだよ、何せこの歳になっても私を即座に男と断定できたひとはいないんだから」

「そもそも男としては半端モンやもんな~紅緒クンは。男と言ってええんかもしらんけど」

「一応身体構造としては男なんだがねえ。いや全く、女として生まれていた方が何かと便利だったろうに」

 

 まあ、そうだったらきっと君なんて歯牙にも掛けなかっただろうけど。

 そう言おうとしたところで、ふすまの裏の気配が帰ってきた。そっと耳打ちされた情報に、ふうんと頷いて直哉を見る。

 

「まだ京都にいるようだよ。運がいいね」

「どこ?」

「祇園のあたり。どうやら間抜けにもうちの《花》に入れ込んでいるらしい。ふふ、彼女に貢ぐ金を荒稼ぎしていたのかもしれないね」

「なんや、芸妓遊びにでもハマったんか? カスやん」

「愚かで可愛いじゃないか。まあ、金ごときでうちの《花》を買えると思っているなら、随分と舐めてくれたものだと思うけれど」

 

 いくらかふすまの裏に指示を出して、さてと、と私は改めて直哉の顔を見る。

 花房は、女系の術師の家系だ。いや、もはや家系と表現するのも正しくないだろう。花房家を柱として、呪力がありながら行き場のない女性たちや、術師の家に生まれながら虐げられた女性たちを保護し、家族として受け入れてきた家だ。血の繋がりがあろうがなかろうが、私たちは花房の《花》たる家族を守るためにここに在る。何の因果か女系の花房の家に生まれながら男である私も、その心は変わりない。

 だからこそ、この時代錯誤の男尊女卑クズ野郎が花房の《花》たちに死ぬほど嫌われる理由も、まあよくよくわかるのだけれど。

 私は苦笑しつつ、仕方ないかと息をついた。

 

「私も同行してあげよう、直哉。いつ向かうんだい?」

「なんや、話が早いな。今や今、早よ支度し」

「私はついさっき出張から帰ったばかりなんだけど?」

「祇園ならすぐやろ。どうせ花房のオンナは俺の言うこと聞かへんし、紅が来んと情報提供の《花》、俺がいじめてまうかも」

「ふふ、クズ野郎。そのカスのついでに燃やしてあげようか」

「紅緒たってのオネダリやから、今までどんだけ腹立っても《花》には手ェださんといてやったんやで? 俺のオネダリも聞いてくれるやろ?」

 

 にーっこりと両手をあわせてみせたクズに、ふふふと軽く笑ってみせる。

 そもそも女性蔑視の気がある禪院家とはいつ縁を切っても良いのだけれど、敵に回したら回したで面倒なのが御三家だ。今のご当主、直毘人さんはまだ会話の成り立つひとだから母も上手くうわべの付き合いをしていたけれど、次期当主候補筆頭がこれなのだから困ったもの。

 一応花房の次期当主と目される私としては、少しは上手く付き合って、可能ならその性格の矯正も、と思っていたけどまあ無理は無理。残念ながらこのクズ、骨身の随まで腐っている。

 しかしその直哉とある程度対等な関係を築き、花房家の有用性まで認めさせたのだから、いっそ褒めてほしいというのが正直な。

 

「紅緒?」

 

 なあ、と甘ったるくも毒々しい、気色の悪いその言葉。

 いやまったく本当に、何故この男が私の《縁》。ねえ私の《おひいさん》、もう少しマシなひとはいたでしょう。そう私の《中》にいる彼女に声を掛けて、綺麗さっぱり無視された。いやまったく、これだから《女》は意地の悪い。

 

「……ところで、デートの一回くらい付き合うと言った言葉に相違はないね?」

「何や、行きたいとこでもあるん?」

 

 めんどくさ、という顔を隠しもしない自己中野郎に、私は袂の裏で小さく笑う。私が逢瀬に誘ってみれば、喜ばぬひとはないというに。かつては私に見とれたこのクズ野郎、今は興味を示さない。

 これだから少しは構ってやろうという気になるのだと、直哉に言ったことはないけれど。

 

「君のためにスマホを買ってみようと思ってね。付き合ってくれるだろう?」

「……しゃーなし。とにかく祇園を片付けてからや。行くで」

 

 はいはいと立ち上がり、薄暗い廊下に歩み出た。

 直哉よりいくらか背の低い私には、直哉の歩みははやすぎる。少し小走りになって、その隣に並び出た。ちんまくて可愛いなぁ、と鼻で笑われ、三歩後ろから刺してあげようかと笑い返す。こわいこわいと余裕で笑うその顔、灰になるまで燃やしたいとこれまで幾度思ったことか。

 せやけど、とそのクズ男は気色の悪い猫撫で声でこう続ける。

 

「俺の隣を歩くことを許可したったんや、泣いて喜んでもええんやで?」

 

 これを本心から言っているのだから、どこまでも救えない。禪院家の跡継ぎ教育はいったいどうなっているのだろう。脳裏に浮かんだ爆笑する直毘人さんを燃やし尽くし、それはそれはと袖で口元を隠した。

 

「こんなのが許嫁とは、まったく私も運がない」

 

 いや許嫁ちゃうけど、と即座に言い返されたその声は、笑って聞こえないふりをした。

 

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