絶えぬ炎と赤い糸   作:ふみどり

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「まったく、愛ほど歪んだ呪いはないね」

 

 怖い怖い、と首を振った最強と名高い呪術師。あの百鬼夜行の後たまたま顔を合わせた彼の言葉を、何故このタイミングで思い出すのだろう。

 無様に地面に伏せる愛しの許嫁の姿を見て、そう思った。

 

 

 ***

 

 

 それは、確か一年ほど前のことだ。

 花房の家は、基本的に呪術界の権力闘争になど興味はない。それは早々に母の後を継ぎ当主となった私も同じことで、禪院との縁がなければ上層部の会合などにも参加することはなかっただろう。禪院家のご当主に適当な言い訳をして、古めかしい屋敷のなかをゆるりと歩く。

 上層部の会合は定期的に開かれるが、毎回たいした議題があるわけでもない。それぞれの近況の報告と、あとは醜い権力誇示。日々塗り変わる勢力の動向を確認するためだけのもの。何て時間の無駄だろうと心から思うけれど、心底嫌そうな顔を隠しもしない「最強」すらも一応出席はしているのだからその重要性はわかるというもの。

 さて何か暇つぶしは、と思ったところで小さな鞠を抱えた幼い少女の姿が目に入る。拗ねた顔をした可愛らしい彼女は、おそらくはこの屋敷の主人の血縁。呪術師(クズども)の目に入らないよう奥にいろと言われたけれど、退屈が過ぎて抜け出してしまったというところだろうか。

 女性を大事にする花房の主として、ぶすくれた少女を放っておくわけにはいくまい。そう自分に言い訳をして、私は鞠つきをして遊ぶ少女に声を掛けた。

 これでしばらく時間を潰し、術師どもの顔を見ずに済む。そう思っていたのだが、少しばかり私の見通しは甘かった。

 

「―――あら、あら。これは五条の方、大変失礼いたしました」

 

 少女と一緒に鞠遊びをしていた最中、明後日の方向に飛んでいってしまった赤い鞠。その鞠を拾ってくれたのは、まさかまさかの「最強の呪術師」だった。

 

「これ、君の?」

「いえ、この子のです」

 

 どう出てくるかと思いきや、想像していたよりも毒の少ないひとのように見えた。はい、とわざわざ目線を合わせて少女に鞠を返してやり、お礼を言われれば「どういたしまして」と軽い一言。

 ほかの呪術師であれば最低でも眉をしかめるなり雑言を飛ばすなりのところだと思うのだが、はて、高専の教師になってから少しだけ丸くなったという噂は本当だったか。まあ丸くなったはあくまでも「丸くなった」であり、「まともになった」とは聞いていないけれど、そこは呪術師なので。

 探しに来た女中の足音に焦って去って行く少女に手を振って、改めて今世の「最強」―――五条悟に向き合った。

 

「この家のお嬢さんやそうで。今日はお客さんが多いから奥にいなさい言われたのが退屈やったみたいなんです」

「ああ、それで。にしても君、わざわざ遊んであげるとか女に甘いってのは本当なんだ?」

 

 向けられた眼は、まるで宝石のような。

 私の中に在るおひいさんまで見通されているのだと思うと、さすがに少し居心地の悪さはある。けれど、それを表に出すようでは呪術師など務まらない。

 あら、と少しわざとらしく驚いて見せた。

 

「うちのことご存知なんです? 五条の方に覚えて頂いているなんて光栄やわぁ」

 

 そう言うと五条悟はわずかに口角をあげる。

 他家に感心などなさそうなのに、さすがに花房のことは知っていてくれたらしい。花房紅緒だと名乗ってみれば、呼び方は「ちゃん」なのか「くん」なのかと確認される始末。妙に気をつかってくれるものだと首をひねると、五条悟はわずかに苦い笑みを浮かべ、生徒が恩人と呼ぶ相手なら少しは気にする、とまともが過ぎる言葉が返ってきた。

 

「あの家で手を差し伸べられたのは後にも先にもあれだけだったって。十年くらい前のことらしいけど、覚えてる? 禪院真希。高専で今僕が担任をもってる」

「まあ、真希ちゃんの!」

 

 久しぶりに聞いたお気に入りの名前に、ついつい声が大きくなる。

 話を聞いている限り、真希ちゃんはこの男のもとで順調に成長しているらしい。家の対立や性差などのつまらないことに囚われる人間には見えなかったが、なるほどこれは予想以上の。普通に嫌味も投げてくるあたりやはり性格に難はあるようだが、真希ちゃんを庇護してくれるならこの程度。

 たとえ彼には彼の思惑があるのだとしても、その結果として私のお気に入りを大事に育て守ってくれるというのなら何の文句があるだろうか。私のことも、もちろん「花房」だって、好きなように利用すればいい。かわりにこちらも存分に利用させて頂くだけのこと。

 ならば、とりあえず恩でも売っておくことにしよう。私にとってはどうでもいい、けれど彼にとってはきっと重要な甘い甘い毒の餌。

 

「お近づきの印にサービスしましょ」

 

 花房のネットワークは多岐にわたる。特に呪詛師に関わる情報など、調べようとしなくてもいくらでも聞こえてくるのだ。

 

「ぼちぼち動きますえ、貴方の()()()()()

 

 

 *

 

 

 その「オトモダチ」について改めて彼と話したのは、その全てが終わった後のことだった。

 東京だけでなく京都でも行われた「百鬼夜行」、その掃除には残念なことに花房家も駆り出された。ホンマ面倒やなあと思いながらも、禪院家を通しての要請となれば一応は動かなければならない。

 次々と湧き出る雑魚を燃やし尽くすのはひどく退屈だった。五条悟の後輩だという術師の「黒閃」や、真希ちゃんの先輩にあたるという学生が一応味方の術師をボコボコにしていたこと、学生の割には見込みのある筋肉達磨の常識外れの戦闘なんかを見るのは少し面白かったが、せいぜいがその程度。やってられるかと適当に燃やしているうちに、東京の方で片がついたという情報が回ってきた。

 五条さんのお友達の「大義」は、彼の生徒の「愛」の前に敗れ去ったらしい。

 

「五条さんの周りには素敵な術師の方が多くてええですねえ。他はもう、退屈も退屈で。早々に帰らせて頂きました」

「あーそうそう、紅緒ちゃんてばいけないんだ~。呪霊が残っているのにいつの間にかいなくなってたってウチの後輩がブチ切れてたよ」

 

 そのしばらく後にあった会合で、五条さんはいつものように飄々と笑っていた。かつての親友を殺した悲哀など、わずかほども感じられない。

 くすり、と零れた笑みを袂で隠した。今日の羽織には、鮮やかな赤い彼岸花の刺繍が施されている。

 

「オシゴトはちゃあんとこなしましたえ? 二級以上の呪霊がいなくなるまではたぁくさん燃したったんやから、残ったもんくらいは他のひとらで何とかして頂かんと」

「ま、向かうだけ向かってろくに役に立たなかった術師もかなりいるみたいだし、それは同感だけどね」

 

 普段ふんぞり返って偉い顔をしているクズが、実際の戦闘で役に立つとは限らない。態度に見合う実力を示した者が、さて何人いたことだろうか。当然、命を失ってしまった術師もそれなりに多い。しばらくはまた上層の責任の押し付け合いで呪術界が荒れるかも知れないが、まあ花房には何の関係もない話。

 真希ちゃんの怪我も癒えたようで良かった、とだけ零せば、そうだねと五条さんも軽い調子で頷く。

 

「僕の生徒は優秀だよ」

「ええ、まさかホンマに貴方の『お友達』相手に生き残ってくれるやなんて」

「そういや紅緒ちゃん、真希助けようとかしなかったね?」

「必要なかったでしょう。真希ちゃんは強い子ですから」

「そりゃ真希は強いけどさあ」

 

 ひょっとして、と全てを見通すような瞳がこちらに向けられた。

 

「真希は殺すなとか、アイツと『約束』でもしてた?」

 

 その言葉に、つい小さく肩を揺らす。絶対にそんなことは有り得ないとわかっていながら言うのだから、やはりこの男は性格が悪い。オトモダチがどれだけ「大義」に拘っていたか、よくよくわかっているだろうに。

 とはいえ、ひとつ見抜かれたことは認めてやるとしよう。

 

「あら、あら。貴方のお友達がうちに接触してきたことは認めますが、そんなん言うても頷かんお方なのは貴方の方がご存知でしょうに」

「やっぱ花房にも乗り込んでたのかよアイツ。よく殺されずにすんだね、紅緒ちゃん」

「ふふ、お話のわかる方でしたよ」

 

 袈裟姿の呪詛師が花房家に乗り込んできたのは、五条悟と接触した数日後のことだった。前触れもなく乗り込んできた無礼を彼は軽く詫び、話をさせて欲しいと朗らかに宣う。

 供も連れずひとりで来た彼の手には、菓子折すらあった。

 

「ホンマ、殺そうとする相手の家に和菓子片手てどういう神経してはると思います? それがまた美味しいんです、どこのお菓子か聞いても教えてくれへんくて」

「食べたんじゃん」

「美味しゅう頂きました。特級の方に命狙われるなんて初めてでしたし、最期のお菓子くらい味わっても構へんでしょう」

 

 彼の狙いはわかっていた。百鬼夜行で五条さんの生徒から特級呪霊を奪おうとしたように、私の中に在る《おひいさん》を手中に収めること。その察しがついた時点で、つい袂が口元に寄った。

 よくもまあ、ただの男の分際で《花房》の呪霊(ちから)をモノにしようなどと。

 

「うちを殺しても無駄やとお話ししたら無礼を詫びてお帰りくださいました」

「へえ。無駄なの? 呪霊操術でも?」

「女性のために在るという《縛り》は、花房(うち)だけでなく呪霊の力の底上げもしてるんです。呪霊操術でその《縛り》を無理矢理破らせても、結局は呪霊の格が落ちるだけ。うちの中にいる間は特級に等しい力をもちますが、《おひいさん》があの方の下で同じ力を発揮できるとはとてもとても。何ならうちみたいにオトコを捨ててから試してみますかと尋ねたらあの方、もう笑うしかないご様子で」

 

 夏油傑への印象は「ちぐはぐ」だった。妙に軽薄な態度で振る舞うくせに、その口が語る「大義」は妙に重い。私を殺して《おひいさん》を奪うためにやってきたと言いながら、多くの女性術師を救ってきた花房家を褒め称えてもみせた。もっとも、術師でもない女性までも助けてきたことには苦言を呈されたのだが。

 

『私は呪術師の楽園を築きたい。それだけなんだ』

『そのために君の呪霊の力を借りたかったのだけれど、それは無理なようだね』

 

 ならば花房は花房のまま協力をしてくれないかと問われたが、それも同じこと。

 花房の術師は呪霊と同様、「全ての女性」のためにある。手を差し伸べる女性を術師か否かで選り分けようものなら、花房は破滅の道を辿ることだろう。だから「大義」に協力は出来ないが、どうだろうとかわりの言葉を投げた。

 

『花房は助ける女性を選びません。貴方の身に何かあったとき、貴方のご家族の女性がうちに助けを求めることがあれば、全力でお守りいたしましょう』

 

 結局花房が見逃されたのは、この《縛り》があってのことだ。もっとも、うちに身を寄せる彼の「家族」など、今のところひとりもいないわけなのだけれど。

 まったく可笑しな方ですねえと、彼の「親友」の前で微笑んでみせる。

 

「ご大層な『大義』を語るには、どうも生温(やさし)すぎたようで」

 

 もっと手段を選ばなければ、もっと酷薄であれば、もう少しは足掻けただろうに。

 五条悟は私の言葉にくくっと笑い、そうかもね、と小さな声で零した。実際、彼のもつ呪霊全てを東京に集めて京都を捨て石に使えば戦況はまた違うものになっていただろう。

 乙骨憂太と特級呪霊「里香」の愛の前に夏油傑は敗れたなどと五条さんは言ったが、結局のところ彼の敗因は、おそらく。

 

「『大義』やなんて大仰な言葉で飾らんでも素直に自分の大事なモン守りたかっただけや言うたらええのに。夏油さんて実は結構ええかっこしいやったりします?」

 

 そう言ってみれば、今度こそ五条さんは噴き出した。紅緒ちゃん大正解、と大笑いされるが、うちはそんなにおかしなこと言うたかしら。

 ひとしきり笑った五条さんは目元の涙をぬぐい、改めて渡すを見た。そしてにんまりと笑いながら、言う。

 

「まったく、愛ほど歪んだ呪いはないね」

 

 左様(さよ)ですか、と首を傾げた私を見た最強の呪術師は、また肩を震わせて目を伏せる。

 長い睫に縁取られた空色の宝石が、妙にきらきらと輝いていた。

 

 

 ***

 

 

 愛とは呪いだと、彼は言った。

 五条悟ほどの呪術師が言うのなら、きっとそうなのだろう。私が知らないそれは、ひどく歪で厄介な呪いだという。

 男の身体でありながら花房の呪霊を身に宿した私は、ほかの花房の術師よりもいくらか《縛り》が多い。そのひとつが、この身から男としての機能を失うこと。それは別に構わなかった。自分自身、自分の性別なんてものにとんと興味はない。私はただ「花房紅緒」である、それ以上のことは必要なかった。

 もうひとつの《縛り》は、そう、呪霊との同調を強くするために、呪霊の逸話に限りなく寄り添わなければならないこと。―――より簡潔に言えば、《安珍》と定めた人間以外に愛を抱くことが出来ないこと。

 ボロ雑巾同然で地面に伏せるコレ以外を愛せないなんて、何て非道い呪いだろう。まあコレ以外を愛せないだけで、コレを必ずしも愛さなければならないわけではないことがせめてもの救いだろうか。

 微かに聞こえる虫の息同然の呼吸に、一応生きてはいるようだと安堵の息をつく。

 

「……如何しよ。なぁ、《おひいさん》」

 

 真希ちゃんは私を見ても特に驚く顔を見せなかった。やっぱり来たのか、という顔にすら見えたような気がする。

 火傷の痕が残る彼女の眼は、痛々しくも覚悟に溢れていた。

 

『そのボロ雑巾、譲ってくれへん?』

 

 逃がすようなヘマはせんから、と笑って言えば、少し考えた真希ちゃんは頷いて私に背を向ける。

 紅緒、と私を呼ぶ声は平坦だった。

 

『真依、死んじまった』

 

 知っていた。そうでなければ、この強さは有り得ない。

 渋谷で起きた異変、それによる勢力図の変遷、そして禪院家の動向。もともと京都にいた真依ちゃんとはたまに連絡を取る仲だった。嫌な予感がして真依ちゃんに連絡を取ってみれば、彼女はこれから実家に戻るという。花房は、私は彼女に手を差し伸べた。いい加減意地を張るのをやめて花房に来なさい、と。

 けれど彼女は、それを拒んだ。

 

『ありがと、紅緒さん。……でもアナタ、私がその手を取ったら私のこと見損なうんでしょう?』

 

 頑張る子が好きだものね、と柔らかい声で紡がれた言葉。それが最後の言葉だった。

 痛いのも怖いのも嫌いな臆病な子だった。何度も涙を流し、いやだいやだと嘆きながらも結局は逃げない子だった。自身の半身を恨みながら、ひたすらに愛し想っている子だった。術師には不釣り合いな確かな優しさをもつ子だった。

 無理矢理でも連れ去れば良かったのかもしれない。けれど、私は女性の意に沿わないことをするのは許されない。

 

『……真依ちゃんは、最期までうちの手を取らんかった』

 

 私みたいな美人振るなんてホンマいけず、と言ってみれば、少しだけ真希ちゃんの肩から力が抜けたような気がした。けれど、彼女が纏う気配に一切の変化はない。

 そのまま無言で歩き出した彼女の背は、すぐに見えなくなった。彼女がこれから何をするのか、それを邪魔するつもりは一切ない。

 真希ちゃんは真希ちゃんのやりたいように。私は私の許嫁(ケジメ)にしか興味はない。

 

「とはいえ、……このままただ燃すのも、退屈やね」

 

 そうやろ《おひいさん》と問いかければ、肯定するように腹の底で熱が巡る。

 二枚舌のクズ野郎、この薄汚れた薪を燃やし尽くすのは当然としても、気を失っている間に死んでしまうなんてそんな、全くもって面白くない。鐘の中で恐怖し苦しみながら死んだであろう安珍のように、直哉だってもっと無様に苦しんで死ぬべきだろう。

 遠く響くつんざくような悲鳴を聞き流しながら、さてどうしたものかとぼんやりと割れた顔を眺めていれば、ひくりと痙攣した血まみれのクズ。あら、と思わず胸が躍る。虫けらのように地面を這う直哉は、私に気づくそぶりすら見せない。もはや周囲に気を払う余裕すらないらしい。

 

「あ、の……クソ(アマ)ァ……!」

 

 獣のように興奮しきった息づかい。それは生への執着か、はたまた自身が見下す女にやられた屈辱か。どちらにせよこれ以上なく見苦しい。

 ずり、ずりと血の轍を残しながら進む芋虫を愉快に眺めていると、ふとこちらに近づく気配に気づいた。呪力は感じられないが、はて、いったい誰が。

 反射的に地面を蹴り、近くの瓦礫に身を隠す。

 

「……あら、」

 

 その姿を捉えたとき、あまりに意外すぎて思わず声を漏らした。見覚えのあるその顔、厳格で知られていた禪院扇の妻。

 首元から流れ落ちる血は彼女に残された時間が残り少ないことを示していた。足下をふらつかせながら懸命に進む先には、禪院家筆頭のクズ野郎。

 彼女の手に握られた刃に、その真意を理解する。

 

「……《おひいさん》、なあ、うち決めたわ」

 

 直哉がもっとも屈辱に震える最期。それはきっと、私に燃やされることではなく。もっともっと、あのクズには堪えられない終わり方がある。

 私はそっと、その終わりに炎を添えてあげることにしよう。間違っても直哉の穢い魂が、呪いとなることのないように。

 

「降霊術《般若》、―――いでませ《清姫》」

 

 花房家の相伝の術式は降霊術、その身に飼う呪霊を自身の肉体を媒介に顕現させてその力を借りる。

 ちり、ちりり、と髪の先から燃えるように色が変わる。全身に纏う呪力はまるで炎のように熱が滾り、吐いた息はまるで熱風の。伸びた爪は毒々しいほどに朱く染まり、頭蓋には鬼のような角が二つ。自分の目から見えるほどに伸びた舌の先は、二股にわかれてちろりと揺れた。

 愛しの《安珍さま》を焼き殺した大蛇は、逸話のごとく炎と熱を操る。

 

「……ああ、違うんよ《おひいさん》、自分で燃やしたい気持ちはよぅくわかるんやけど」

 

 手を下すのは、彼女。私はその刃に呪力(ほのお)を添える。

 ゆらりと包丁をもつ彼女の背後に立ち、その両手に手を添えた。もはや直哉しか目に入っていない彼女は、私になど気づかない。普通ならば手を離してしまうほど熱い呪力(ねつ)を、彼女の手から刃へと送り込む。じわ、とその刃先が熱で赤く光った。

 堪忍な、貴方の手のひらも焼けてしまうけれど、と心の中だけで謝るが、やはり彼女はその熱にすら気づかない。

 

「……最期に、最期やから、ここに来たんやね。貴方がずうっと抱えてきた呪いを、自分の手で祓いに来たんやね」

 

 さすがはあのふたりのお母上と言ったところだろうか。

 ええやろ《おひいさん》、このひとになら譲ってあげても。心の内で呟いた言葉はどうやら《おひいさん》にも届いたらしい。その人の手に添えた呪力に、さらなる力が込められる。

 さあ燃や(ころ)しましょう、貴方の心に秘めた「愛」のもとに。

 

「べ、に……!」

 

 ようやく私に気づいた直哉と目が合った。そう、私はずっとその顔が見たかった。驚愕と屈辱、そして絶望に満ちたその顔が。

 

「……直哉、うちな、貴方を愛したいと思ったときもあったんよ」

 

 貴方だけしか愛せないなら、どうにかその魂を愛しくは思えないかと。この花房の術式(のろい)に打ち勝ちたいと思うくらい愛することは出来ないかと。

 今にして思えばそれが本当に私の心だったのか、それとも《安珍》を一途に想う《清姫》の()いだったのか、もはやわからないけれど。

 それでも確かに、直哉を恋い慕う未来を夢見たことも一瞬くらいはあったのだ。残念なことに、それは叶わぬ夢だったけれど。

 

「さよなら、うちの愛しい《安珍さま》」

 

 そっと彼女に添えていた手を離すと、彼女の身体はもつれるように倒れ込む。しかしその手に握られた刃は、しっかりと直哉の身体をつらぬいていた。

 汚らしい直哉の最期の言葉は軽く聞き流し、ふたりの命が消えていくのを見守る。

 

「……ふふ、」

 

 愛ほど歪な呪いはないとあのひとは言った。愛なんてものを知りもしない自分には結局のところ理解しようがない。

 しかし少なくとも、この呪力ももたない女性は母の「愛」によって禪院家筆頭の呪術師を見事呪い殺して見せた。産んでよかったと言い遺して果てた彼女の手は、死してなお包丁を強く握りしめていた。

 

「……ええなぁ」

 

 自分の口からこぼれ落ちた言葉に、自分で驚いた。いったい私は何を羨ましく想っているのだろう。こんなに歪で理解もできない《呪い》、抱えているだけ厄介だろうに。

 包丁を握る彼女の指をひとつひとつ丁寧に外す。全てを外し終えると、そっと彼女を抱き上げて比較的綺麗な畳の上に横たえた。瞼を閉じさせ、申し訳程度に身なりを整える。この状況で出来ることは少ない。せめてと思い、死に顔を隠すように手巾を広げた。

 それが済むと直哉のところに戻り、うつぶせになっていた身体をひっくり返す。この身体は別に丁寧に扱わんでもええやろと適当に庭に放り捨てた。その傍らに下り立ち、半分潰れたその顔をじっと見つめる。禪院家特有の綺麗な顔をしていたが、こうなってはもはや見る影もない。

 膝をついてその両頬に手を添えた。事切れて間もない遺体にはまだ温もりが残っている。その中途半端な体温に思わず眉をひそめた。嗚呼死んでいるのだ、と改めて理解する。まあ、そんなことはどうでもいい。

 身体を傾けて、血に濡れた唇にそっと口付けた。直哉の血の匂いがゆるゆると肺を満たし、血塗れの直哉に抱きしめられているような心地さえ覚える。

 数秒経って、唇を離した。

 

「……やっぱりうちにはわからへん」

 

 うえ、と苦々しい気持ちで舌を出す。直哉に口付けても、この心はほんの僅かも揺らがない。

 頬に添えた手から呪力を送る。一瞬で直哉の肉体を満たしたそれは、一気に朱い炎をあげて燃え上がった。この炎は対象を燃やし尽くすまで消えはしない。赤から黒へ、黒から白へと変わっていくソレを最後まで見届けることなく背を向ける。

 きっと今、私の唇は直哉の血で紅く彩られているのだろう。それが気持ち悪くて、思い切り袖で拭いとる。やれやれ、折角の綺麗な刺繍が直哉のせいで汚れてしまった。ホンマに最期まで面倒を掛けてくれる。

 本懐を遂げて昂揚する《おひいさん》の熱に反して、私の心はひたすらに冷えていた。

 

 

 ***

 

 

 真依ちゃんの遺体を箒をもった少女に預け、先に進もうとした彼女の前にふらりと立った。にこりと微笑みかけても、真希ちゃんの表情はぴくりとも動かない。

 

「真希ちゃん、この後どうするん?」

「……」

「今日外に出とる禪院(ひと)らの居場所、花房(うち)ならすぐにわかるえ」

「……!」

「今の真希ちゃんなら残穢も残らんやろけど、一応それ以外の痕跡も消しとかんとね。まだ騒がれるには早いやろ? 任しとき、この屋敷もそのひとらも綺麗に燃してあげる」

「……紅緒、お前、」

「真希ちゃん」

 

 愛ほど怖い呪いはないなぁと、確かに呪わ(あいさ)れている彼女に微笑みかけた。

 




お付き合いありがとうございました。
この話のテーマでアリサブタイトルは「恋を知らない赤い糸」だったりします。
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