最強と花房
一応とは言え当主をしていれば、さすがに逃れられない会合くらいある。
こんなもんわざわざ僕が来るほどのもんじゃないだろうに、と着慣れすぎた和装を身につけて古くさい日本家屋を歩いた。今日は御三家を中心に、主だった呪術の家が集まる会合が行われている。といっても特に何を話し合うでもなく、情報交換なんて名目で変動する勢力争いの結果を確認するためだけのもの。どうせ僕がいる限り一番上は揺らがないのだから、地べたでの争いなんて僕抜きで勝手にやっていて欲しい。
そういうわけなので、最強の僕はジジイどもの相手なんて端からする気がない。する必要がない。適当な口実をつけて会場を抜け出し、その辺の廊下を適当に歩いた。顔を見せただけ感謝しろってんだ腐ったミカンどもめ。
もうさっさと帰っちゃおうかな、と思ったところで、足下に何かが転がってきた。とん、とんと軽い音を立てて弾んだそれは、鮮やかな細工の手鞠だった。この時代にまだこんな古くさいものが、と思ったところで、軽やかな声が耳に飛び込んだ。
「あら、あら。これは五条の方、大変失礼いたしました」
六眼にうつる、毒々しいほどに真っ赤な呪力。それを腹の奥に秘めたそいつは、呪力と同じ艶やかな着物を纏っていた。緩く結われたおさげ髪はたおやかなはずなのに、どこか不気味にも見えた。
たぶん、顔を合わせたのは初めてじゃない。だが、相対して話すのは初めてだった。
「これ、君の?」
「いえ、この子のです」
もじもじと絢爛な着物の後ろに隠れる小さな影。五歳かそこらの少女だが、こちらは知らない顔だった。
足下の手鞠を拾い、その小さい影に視線をあわせて鞠を差し出してやる。女の子はこわごわとしながらもそれを受け取り、小さな声で「ありがとう」と呟いた。
「どういたしまして」
「ちゃんとお礼言えて偉いなぁ。……ああ、お女中さんいらしたよ」
少し離れた場所からぱたぱたとせわしい足音。ぴゃっと慌てた女の子は、ぱっと頭を下げて駆けだした。途中で思い出したように足を止めて、多分遊んでくれていたそいつに笑顔を向ける。ありがとお、と声を残して、その影は屋敷の奥に消えた。
「この家のお嬢さんやそうで。今日はお客さんが多いから奥にいなさい言われてたのが退屈やったみたいなんです」
「ああ、それで。にしても君、わざわざ遊んであげるとか女に甘いってのは本当なんだ?」
そう言ってみれば、あら、と柔い垂れ目が少し見開かれる。
「うちのことご存知なんです? 最強と名高い五条の方に覚えて頂いてるなんて光栄やわぁ」
袖で口元を隠し、鈴が転がるように笑うそいつ。なるほど、確かにこれは男には見えねーなと少し口角を上げた。
他家にさしたる興味のない僕でも、さすがに知っている。呪術界で唯一の、女系の術師の家系。そして少し前にその頂点に立った史上初の男の術師。どこをどう見ても女にしか見えない術師だが、その実力は折り紙付き。男の身でも女性を守る「花房」の信条は変えることなく、虐げられた女性には無条件で手を差し伸べているという。
頭の堅い呪術界の重鎮には軽んじられることも多い家系だが、それでも潰されることなくここまで生き残ってきた実力は本物だ。何故だか今は禪院家の庇護を得ているようだが、おそらく本来はそんなものも必要ないほどの。
『禪院家の人間ですら、何で花房がウチとつるんでるのかわかんねーってのが本音だよ』
自慢の生徒のひとりの言葉を思い出し、目の前の毒々しい呪力を見て確かに、と内心で頷いた。これは、かなり面倒なものを飼っている。
「えーっと、花房、……なんだっけ」
「花房紅緒と申します。お話させて頂くのは初めてですね」
「そうそう、紅緒ちゃん。……ちゃんでいいの? くん?」
「ふふ、お好きなように。何や、変なところ気にしてくださるんですねぇ」
すこし意外です、とゆるく首を傾げる彼。彼と表現していいのかもわからないが、この様子だと本当に自分の性別に関心がないらしい。
僕は軽く肩をすくめて苦笑してみせた。
「生徒が恩人だって呼ぶ相手なら、僕だって少しくらいは気にするよ」
「恩人、ですか?」
「あの家で手を差し伸べられたのは後にも先にもあれだけだったって。十年くらい前のことらしいけど、覚えてる? 禪院真希。高専で今僕が担任をもってる」
「まあ、真希ちゃんの!」
ぱあっと花開くように顔を輝かせた彼。その目元には確かな慈愛が感じられ、さきほどまでの仮面のような笑顔とは全く違っていた。
「話は聞いてたんです、真希ちゃんの入学のこと。高専なら寮にも入れるし、腕も磨けるし、ホンマに良かったと思てて。そうでしたか、真希ちゃんの御担任を……真希ちゃん、元気にしてますやろか。強い子やけどすぐに無茶してしまいそうで、心配もしてたんです」
「元気に毎日呪具振り回してるよ。どんどん強くなってる」
「何よりの知らせです。教えて頂いてホンマおおきに」
心から嬉しそうに眉尻を下げる彼の様子は、嘘には見えなかった。けれど、だからこその疑念も湧いて出る。ふうん、と思いながらストレートにそれを口にした。
「真希のこと気に入ってるくせに、禪院家には尻尾振るんだ?」
彼はきょとんと目を大きくして何度か瞬きを繰り返す。そして、堪えきれないというように笑った。
「ええホンマ、仰るとおり。禪院家と繋がりを作ったんは先代ですけど、何でそないアホなことしたんか私にも教えてくれへんくて。うちとしてはいつ縁を切っても構へんのですけど、愉快な玩具も見つけてしもたし、今縁を切るのも惜しくて……絶賛お悩み中なんです」
「愉快な玩具?」
「ああ、真希ちゃんもそこまではお話ししてないんですね。ええ、良い玩具がいてるんです。これまた八つ当たりに最適の、よう燃えそうな薪が」
いつか燃やし尽くすのがホンマに楽しみで、とどこか恍惚とした顔で言った彼に、あれちょっとこれヤバいやつではと認識を改める。いや待てよ、そういえば真希も言っていた。
『紅緒はヤバい。何がどうヤバいとかじゃなくて、とにかくヤバい』
いや呪術師なんて皆ヤバいもんでしょ、とそのときは深く考えもしなかったが、あ~こういう意味ね~これは確かにヤバいね~とちょっと引いた。ちょっと? いやかなり。
「今はまだ時期尚早なんです。いつかそれを綺麗に燃したら、禪院家との縁もそれまでやろか。そのときまでは適当に転がして遊んだろ思て」
「僕が言うのも何だけど、きみ頭大丈夫?」
「あら心配されてしもた。ご心配なく、すこぅしネジが緩んどるだけです」
「自覚あんじゃん。ウケんね」
顔を合わせて互いに軽く笑い飛ばす。禪院家の傘下なんて気にも留めていなかったが、なるほどこれは面白い。呪力のない真希に手を差し伸べたと聞いたときは、単純に「花房」として女性を守る家の《縛り》に従っているだけなのかと思ったが、話していればわかる。
花房紅緒は、自分の心にしか従わない人間だ。こういう人間は、仮に家の《縛り》に反しようとも筋は通す。心から真希を気に入っているなら、「禪院」も「花房」も、それこそ「五条」だって関係なく真希に手を貸すだろう。
僕に「一筋縄ではいかない」と思わせたこと、それだけで術師としての才覚は十分。何より、こういう人間は嫌いではなかった。
ごそ、と懐をさぐり、スマホを取り出す。そうでなくても「花房」は使い道が多い。日本各地で男を食い物にしながら生きる「花」のネットワークは決して侮れないと聞く。真希が繋いだ縁のひとつくらい、解かず結んでおくのは悪くない。
「ところで紅緒ちゃん、この最強のグッドルッキングガイにナンパされてみない?」
そうスマホを揺らしてみれば、あらあらと京美人は柔和に笑う。
「うち、一応禪院家に操を立てとる身なんですけど」
「今なら特別サービスに真希の近況報告も付けちゃおっかな」
「こない男前に誘われたら断れへんなぁ」
さっと取り出されたスマホに、肩を揺らす。この僕に敬意は見せつつも畏れは見せないこの態度。これが、御三家すらも鼻で笑って切り捨ててきた花房家の現当主。
嗚呼、面白いものを見つけてしまった。
「うちをナンパやなんて、五条の方も物好きやわぁ」
「そ? ていうか何、五条の方って。普通に呼んでいいよ」
「ほな五条さん。ふふ、せやけど真希ちゃんが強うなっとる聞いて安心しました。ああ五条さん、もし真希ちゃんが禪院家に帰りたくない言うたらいつでもウチに連れてきてくださいね。大歓迎や」
「紅緒ちゃんマジで真希気に入ってんだ?」
「もちろんです。男でも女でも、頑張り屋さんは
連絡先を交換し、彼は丁寧な手つきでスマホをしまった。頑張る子は応援したなるもんです、とあまりにも術師らしくなく繰り返す彼に、つい苦笑してしまう。
まあ、真希の味方でいてくれるなら何でもいい。
「ま、真希のことは任しといてよ」
「ええ。よろしくお願いします」
花が綻ぶように微笑んでいた彼は、ほな、とすっと笑みを消した。いや、笑みを消したわけではない。その口角は確かに上がっている。だが、先ほどまでの真希への慈愛に満ちた笑みはどこにもなく、そこにあるのはおそらく術師としての。
「うちには関係のないことですし、興味もなかったんやけど」
試すような、煽るような、酷薄というに相応しい表情。
呪術界をその才覚で泳いできた花房家の現当主は、お近づきの印にサービスしましょ、と恩着せがましい声色を袂で隠した。
「ぼちぼち動きますえ、貴方の
僕たちを探す誰かの声が、遠くに聞こえた。