夜は、思いのほか寒かった。
ヘアーの巣の中で、彼の翼と体の間に入る。
ためらわれたが、促されて座ってみると暖かかった。
「このあたりは寒暖差が激しい。お前のように肌を剥き出しにしていれば、途端に死んでしまうぞ」
頭の上からヘアーに言われ、少女は膝を抱えて俯いた。
「私は、どうしてここに……」
「さてな。嘘をついている訳ではなさそうだが……その体でここまで登って来れるとも思えん。何者かに落とされたのかもしれん」
「何者か……?」
「知らぬ。だが、そうとしか解釈がつかぬではないか」
ヘアーはそう言って、周囲をふわふわとたゆたう蛍に目をやった。
黒塗りにされたかのように広がる夜闇に、蛍が舞っている。
その幻想的な光景を目に、少女は小さな声で言った。
「そう……ですね」
「だが、どうするのだ。儂以外のワイバーンは、お前のような奇妙な者をよく思わない奴らも多い。ましてやここは、ワイバーン族のテリトリーだ。即座に焼き殺されてもおかしくはない」
脅しのようには聞こえなかった。
唾を飲み込んだ少女に、ヘアーは続けた。
「運が良かったな」
「ありがとう……」
「記憶を無くしているのか……頭などは痛くないのか?」
「全然痛くないです。でも……」
グゥ、と少女のお腹が鳴る。
腹を押さえててから、彼女は言った。
「ちょっと、お腹が空いたかも……」
「赤子のようだな。自分で採って来れば良いだろう」
「採ってくればって……でも……」
「普段は何を食しているのだ?」
「普段……うーん……」
「まさかそれも忘れてしまっているのか?」
「…………」
考え込んで、暫くしてから頷く。
「……そうみたい」
「何と……」
流石に困った様子で、ヘアーは巣の脇を見た。
「儂らの様に水晶を食しているようにも見えん」
巣の隅には、山積みに、虹色に煌めく水晶が置いてあった。
「綺麗……あれは何?」
「儂らワイバーン族が体内でつくりだす、プライマルクリスタルという水晶だ。普通の水晶より柔らかく、赤子に与えるものだ」
「食べられるかな……」
「どうだかな」
立ち上がり、ヘアーの体を抜け出してプライマルクリスタルに近づく。
そして小さな欠片を手に取った。
夜だというのにキラキラと発光している。
意を決して口に入れる。
ガリリッと歯が鳴った。
慌てて口から吐き出した彼女を、呆れたようにヘアーは見た。
「やめておけ。その様子だと、ベリーあたりが妥当なところだろうな」
「ベリー?」
「少し下の方にメジョベリーが茂っている筈だ。空腹が強いようだな。寒さを我慢できるなら連れて行ってやろう」
お腹を押さえて、少女は頷いた。
◇
ヘアーに言われたように、彼の背によじ登り、背中の鱗にしがみつく。
不安で仕方なかったが、彼はゆっくりと輝く飛膜を広げ、上下に振った。
空気が周囲に巻き散らかされ、巨体が浮く。
「きゃ……」
小さく悲鳴を上げた少女を乗せて、ヘアーは一瞬で上空に飛び上がった。
輝く月。
蛍。
すべてが夜空の下で輝いていた。
少し離れた眼下には、巨大な青い水晶が見える。
転々と水晶が地面から生えて点在していた。
様々な色をしていて、まるで宝石のようだ。
ヘアーはゆっくりと崖から海沿いの方に下降すると、茂みのある森の中に降り立った。
そして地面を踏み、体を下げる。
「……まだ乗っているか?」
問いかけられ、少女は飛び出しそうに脈動する心臓を呼吸で落ち着かせ、答えた。
「は……はい」
「そうか。ゆっくりと降りるが良い」
「分かりました」
鱗をはしごのようにして地面に降りる。
ふらついてからしっかりと立った少女を、心配そうにヘアーは見ていた。
「ベリーはそのあたりの茂みによく生えている筈だ。自分で採ってくるが良い」
「ありがとう……!」
「儂からは離れるでないぞ。夜はお前のような動物には危険だ」
「はい……!」
しかし、お腹が空いていた。
指示されたように、ヘアーの脇の茂みを手で探る。
紫色の果実が鈴なりに実っていた。
食べられるのかな……?
そう不安になったが、柑橘系の美味しそうな匂いに負けて口に入れる。
甘酸っぱい芳醇な香りが口の中いっぱいに広がった。
「おいしい……!」
「ここのメジョベリーは、地脈の影響もあり大きい。儂は好きではないが、美味いらしいな」
「いくらでも食べられる!」
「沢山あるだろう。急ぐでない」
メジョベリーを口に運んでいる少女を、ヘアーは複雑な表情で見下ろしていた。
その目は、どこか悲しみを持っていた。
◇
少女がお腹をさすって、ヘアーの足元に座り込む。
「お腹いっぱい……」
「満足したか?」
「はい。ありがとう、ヘアーさん!」
笑顔を向けられ、ヘアーは戸惑ったように視線をそらした。
「い、いや……満足したのなら良い」
「……?」
「念のため、少し採っておくと良い。仕方がない。儂の巣に戻るぞ」
「うん……!」
頷いた少女を見て、そしてヘアーは、彼女の後ろの茂みが小さく揺れていることに気がついた。
彼が、息をついて口を開く。
「何をしている?」
「え?」
「お前ではない。後ろの小心者に言うたのだ」
ガサッ、と少女の後ろの茂みが揺れた。
少女が悲鳴を上げて、ヘアーの足にしがみつく。
そこで、キンキン響く高い男性の声がした。
「ちょ、ちょ、ちょ、待ってくださせえ! ここらはあっしらのナワバリですぜ。入ってきたのは旦那の方だ!」
「別にお前らに許可を取るせんもない」
「め、滅相もない! 分かりやした。出ていきますから、怒らないでくだせえ!」
茂みからちょこん、と頭が丸く、体が細い、黒色の肉食獣が出てきた。
小さな両腕を神経質そうに動かしている。
挙動不審になっているようで、落ち着きなく足踏みもしていた。
「トロオドンだな」
「何て夜だ! 小腹が減って狩りに出てきたら、よりにもよってワイバーン! しかもヘアー様と来たもんだ!」
「…………」
「な、何でしょう旦那……? 何かあっしらがしましたでしょうか……?」
不安げに言われ、ヘアーは息をついて首を振った。
「そうではない。別にお前らに用は何もない」
「へ?」
「メジョベリーを採りに来ただけだ。すぐにここを去ろう」
「え……? はぁ、そうですか。旦那がメジョベリー好きだったとは……」
「儂ではない。そこの者の食事をな」
「そこの者って……そうそう!」
トロオドンはキンキン声で言った。
「何でこのギガントピテクスはつるっつるなんでしょう! 小さいし細い! 病気ですかね?」
興味津々に言葉を投げつけられ、少女は完全に萎縮してヘアーを見上げた。
翼竜は困ったように少女を見てから、トロオドンに視線を戻した。
「ギガントピテクスのように見えるが、どうも違うようだ。あまりにも弱すぎる」
「どこで拾ったんで?」
「さぁな……」
ヘアーは息をついてから、トロオドンに続けた。
「ついでだ。お前に問う。この者の所在を知りたい。仲間を集めてはくれぬか?」
「所在って?」
「何も覚えていないようなのだ。儂も困っておる」
「へえ……? ま……まぁ、旦那がそう言うなら、家内達を連れてきますわ」
素直にヘアーの言うことを聞き、トロオドンは闇の中に消えた。
少女が不安そうにヘアーを見上げて言った。
「あの……あれは……」
「トロオドンだ。小さいが、この一帯を仕切っている。あいつの仲間が、お前のことを知っているかもしれんと思ってな」
ヘアーは小さく喉を鳴らした。