「説得……?」
予想だにしていない言葉だったのか、青白い翼竜は目をしばたたかせてヘアーに言った。
「気でも触れたか?」
「儂は正気だ。よく見ろ。その眼は飾りか?」
ヘアーがそう言うと、ライトニングワイバーンは鼻先を彼の鼻に勢いよくぶつけた。
少女が小さく悲鳴を上げて尻餅をつく。
そのまま顔面で押し合い、ライトニングワイバーンが息を殺して囁くように言う。
「……俺には、関係がない話だ……」
「左様。しかし、儂には関係がある話なのだ」
「知った事か」
「儂の正気を疑う前に、自分の耄碌(もうろく)加減を知った方が良いのではないか?」
「何を……!」
「逃げて来ている動物達を見て怪訝には思わぬのか? ここに、お前を頼って避難して来ている者達を見て、何も感じぬのか?」
ヘアーに言葉を投げつけられ、彼は発しかけていた言葉を止めた。
そして数秒考えてからそっと一歩退く。
彼は少し離れた場所に腰を落ち着けると、ヘアーを見た。
「……俺を謀(たばか)っている訳ではないようだな。聞こうか……『話』とやらを」
◇
ヘアーからいきさつを聞き、ライトニングワイバーンは吐き捨てるように言った。
「ブラッドなど全滅すれば良い。奴らは血の気が多すぎる。要らぬ犠牲を好む凶悪さもある」
「ブラッドのオス一頭一頭にもつがいがおる。子供もいる。オスが全滅したら、メスと子供しか残らん。その先にはお前が言う本当の『全滅』がある」
「…………」
「一族としてのブラッドクリスタルワイバーンが、この地域からいなくなる。そうなればどうなる? 新しく力を持つ者が支配を始める」
「それが今回のアルファだとでも言うのか?」
「そうだ」
「可笑しな事を言う。アルファは知性がある殺意の塊だ。手を出さない限り襲っては来ない。支配など考えるわけもない」
「お前は、今回のアルファを見たことはあるのか?」
「…………」
黙り込んだライトニングワイバーンに、ヘアーは続けた。
「儂は……実は対峙したことがある」
少女は不思議そうにヘアーを見上げた。
彼は、アルファを見たことがないようなそぶりをしていた。
しかし、実際は戦ったことがあったらしい。
ヘアーは真っ青な目を暗がりに光らせながら言った。
「随分前になるが、火山でヤツと対峙した。その頃はまだ子供だったようだ。だが、既に巨大だった。儂はヤツと戦い、火山に落とした。ヤツが溶岩に飲み込まれていくのをこの目で見ている」
「では今回のアルファは、別のアルファだろう」
「そのアルファは、ブラッドクリスタルワイバーンではなかったのだ」
ヘアーの言葉に、はじめてライトニングワイバーンが驚いたように顔を上げた。
「何……?」
「今までの歴史で、ワイバーン族から出現するアルファは、ブラッドしかおらんと聞かされていた。だが、儂が戦ったあヤツは、血の煙ではない。確かにか炎を吐いてきたのだ」
「…………」
「儂はこの事実を、今まで誰にも話さずにいた。儂の思い違いだと思っていたからだ。しかし、生き残ったブラッドクリスタルワイバーンに話を聞き、確信した。あの時のワイバーンだと。溶岩に飲み込まれながら生きながらえ、更に成長するまで様子を窺(うかが)っていたのだ」
「……強いのか、そこまでも?」
彼の問いかけに、ヘアーは頷いた。
「儂よりもな。あの時は辛くも今まで培った経験で勝ったが、今は確実に負けるだろう」
「成程な」
小さく笑って、ライニングワイバーンは続けた。
「クク……衰えた貴様が助力を請うほどだ。さぞや歯ごたえがある相手だろう。だが……」
横目で少女を見て、彼は言った。
「その猿が言う『話し合い』とやらは知らん。俺は殺しは好きだが、それ以外の戦う術など持ち合わせてはいない。勝算はあるのか?」
「…………」
黙り込んだヘアーを横目で見てから、ライトニングワイバーンは少女に顔を近づけた。
そして生臭い息を細く吐き出す。
「貴様に聞いているのだ……」
「しょ……勝算、ですか……?」
完全に怯えながら、少女は声を絞り出した。
そして目の前のライトニングワイバーンをまっすぐに見る。
そこで彼女は気づいた。
ここで恐怖していたら、アルファに面と向かった時にも、腰を抜かしたままだ。
それは駄目だ。
自分を信じてくれたヘアーにも、申し訳が立たない。
彼に迷惑をかけて、死に追いやってしまう。
そんなのは嫌だ。
少女は唇を小さく噛んだ。
そして真っすぐ立ち上がり、ライトニングワイバーンの鼻先に立つ。
震える声で、彼女は言った。
「だ……大丈夫です。私が、アルファさんと話をして、暴れるのを辞めてもらいます!」
「…………」
ライトニングワイバーンが、きょとんとして目を見開き、固まった。
数秒後、彼は喉を鳴らしながら頭を引っ込めた。
そして腹の底から、おかしくてたまらないという調子で笑い出す。
「クク……ハハハハ……! ハハハハ! 何だこの猿! 馬鹿か?」
「……!」
自分を睨みつけた少女に、彼は嘲るように続けた。
「俺が貴様を一吹きするだけで、その小さな体は消し炭になるぞ! アルファと話す? 説得する? 馬鹿が! ハハハ! 近づくことさえも出来んわ!」
「出来ます!」
「無理だね! 賭けてもいい」
「なら儂は、この子がアルファを説得する方に賭けよう」
ヘアーが静かに言った。
笑い声を止めて、ライトニングワイバーンはヘアーを見た。
「……何を言っている?」
「聞いた通りの意味だ。儂は、この子の言葉に、命を賭けると言うているのだ」
ゆっくりとヘアーが言う。
ライトニングワイバーンは少しの間黙り込んでいたが、やがて体を起こして地面を踏みしめた。
「天下のエンバークリスタルワイバーン、ヘアーにそこまで言わせるとはな。これは一興だ。貴様が焼け死ぬのを見るのもまた愉悦。その光景を見せてくれるのなら、行ってやっても良い」
「ほう、儂が死ぬ方に賭けるか?」
「ああ。代償は……」
ニヤァ、と彼は口を裂けるほど大きく開いて笑った。
「俺の『介錯』だ」
◇
貴方が、あまりにも綺麗で。
そう、金色に輝くワイバーンは言った。
陽の光をキラキラとまばゆく反射しながら、彼女は声を詰まらせていた。
「オレが……?」
そんなことを言われたのは、生まれて初めてのことだった。
彼は、一人で生きてきた。
父親も、母親も、顔を知らない。
崖の下に赤子の時に墜落し、それから必死に、ガムシャラに生きてきた。
周りは全て敵だった。
一人で生きてこれたし、これからもそうするのだと思っていた。
だが、彼の心は大きく揺らいでいた。
「オレのことを言ったのか?」
問いかけると、彼よりも一回りも小さなワイバーンは頷いた。
「ええ。思わず声をかけてしまいました。迷惑でした……でしょうか?」
「いや……」
困惑した顔で彼……ヘアーは目をそらした。
そして語気を強くして言う。
「ここはオレの縄張りだ。去れ。殺すぞ」
「……す、すみません。怪我、してしまいまして……」
金色のワイバーンが小さく言ってから、慌てて起き上がろうとする。
しかしすぐに苦痛の声を上げてうずくまってしまった。
見ると、右足がおかしな方向に曲がっている。
「……着地に失敗でもしたか?」
問いかけたヘアーに、彼女は小さく笑って言った。
「……貴方には関係がありません。すぐに去ります……」
足を引きずりながら、彼女は離れようとしていた。
その様子をヘアーは見ていた。
そこに、幼い頃、怪我をしてボロボロになっても、誰も助けてくれなかった時の記憶が蘇った。
父も、母もいない。
誰も自分を護ってくれる者はいなかった。
そう。
自分のことを。
「綺麗」と言ってくれる者さえも。
「待て」
ヘアーは、気づくと彼女を呼び止めていた。
「……?」
「この奥にオレの巣がある」
「え……?」
「…………」
ヘアーは、しかし続く言葉を思いつけずに、苛立った様子で彼女に近づいた。
そして上から見下ろし、威圧するように言う。
「殺すぞ。黙って着いてこい」
それが、妻との出会いだった。