あれから二ヶ月、季節は春。
進藤ヒカリ、中学三年生。
中学生最後の年、人生一度きりのこの時間。
学校での思い出や受験。将来を考えないといけないこの時期に、私は……進藤ヒカリは人生の分岐点にいた。
「ヒカリ、本気なの?」
「うん」
夕飯の後、ダイニングに座る私の前にはお母さん。そして、お父さんもいた。
「はぁ、いつか言い出すんじゃないかと思ってたけど。まさか、こんなに早いなんて」
お母さんは、やれやれと頭を抱える。
今現在、私は両親に進路について自分の考えを伝えていた。
「お父さん、お願いします」
そして、私は二人に向けて頭をさげる。
「今年のプロ試験が終わるまで、囲碁の勉強に集中させてください」
そう、私は今年高校受験を受けないと直談判していた。
「ヒカリ、分かっているの? 今年を逃すということは、周りの子たちよりも一年遅れる事になるのよ。言葉にするのは簡単でも実際は大変なの」
お母さんが心配そうな表情を浮かべる。
「でも、お兄ちゃんだって高校には行かなかったよ」
「確かにヒカルも最初のプロ試験で合格したけど。あの子は二年生の時に受けたのよ。三年生になって、しっかり中学も卒業して。でもヒカリは……」
「うん、分かってるよお母さん。でも私、本気なの。お母さんもプロになる事は応援してくれてる。そうでしょ?」
お母さんは、私が院生になってからずっと応援してくれている。それは、私自身が一番分かっていた。
「そうよ、でも……。高校に行きながらじゃ駄目なの? 高校に行きながらプロを目指してる子だって。いいえ、プロの中でも高校に通っている子はいるんでしょう?」
「ヒカリは、もし今年受からなければどうするつもりなんだい。受かれば高校には行かずにプロとしての生活を送るんだろう?」
お父さんは真剣な眼差しで私の答えを待つ。
「……その時は、来年受験して高校に通うよ。一年遅れても頑張るから。中学もちゃんと卒業する。我儘なのも、迷惑かけちゃうのは分かってるよ。でも……」
「プロの碁打ちとして生きていきたい……って事だね」
「うん。私は、少しでも早くプロになりたいの」
自分の気持ちを素直に吐き出す。
プロになりたい。高校には行かずに、プロとしての一歩を踏み出したい。
それが、私の理想だった。
実際、手応えはある。院生になってからの今の私の戦績に黒星はないのだから。
「……分かった」
「お父さん!」
「いいじゃないか、ここまで本気なら。それにヒカリの人生だ。好きにさせてあげたい」
「…………はぁ、分かりました。本当にお父さんはヒカリに甘いんだから」
お母さんも、最後は諦めたように首を縦に振ってくれる。
「でも、約束よヒカリ。今年受からなかったら、ちゃんと高校には行く事。もし在学中にプロになれたとしても、ちゃんと高校は卒業しなさい」
「お母さん。ありがとう!」
私は、勢いよく立ち上がってお母さんに抱きついた。
家族が応援してくれる。それが、本当に嬉しかった。
「もう。これじゃまるで、プロ試験が受験みたいじゃない」
私の頭を撫でてくれる。その手は心地よくて、すごく暖かかった。
両親に認められてから、最初の研修日。
私は今日から、院生一組に上がる。
「おはよう、進藤さん」
「福井さん。おはようございます」
私の前には、一組で先月の成績も一位だった福井さんがいた。
「ようこそ、一組へ。今日はよろしくね」
私が一組になってから最初の相手。それが、この福井雄太さん。
お兄ちゃんが院生の頃からの仲みたいで、同様に、私にも気さくに接してくれていた。
「はい、よろしくお願いします」
いきなりこんな人が相手なんて、篠田先生も意地悪な事するなぁ。
周りの他の院生たちも、そんな私たちの様子を碁盤を前にしながら窺っていた。
「なぁ、進藤って先月も負けなしだったよな」
「うん。今のところ全勝みたい」
「けど、あの福井さんが相手だぜ? 二組と一組とじゃ全然違う」
「二組の身としては、勝ってもらいたいって気持ちもあるけどね」
聞き取れないくらいの小声の会話が私たちに向けられている。
「ヒカリちゃん! 次の研修日の手合いは私とだよね。楽しみにしてるね!」
「蒼葉さん……」
隣に座る蒼葉さんは、はっきりと聞こえる声で私に言う。
先月も蒼葉さんの戦績は、黒星は一つだけ。相手は福井さん。
蒼葉さんもまだ、福井さんには偶にしか勝てないらしい。
「うん、私も楽しみにしています」
そんな彼女との対局は、次回の研修日に予定が組まれていた。
「みなさん、それでは対局を始めてください」
『お願いします』
準備ができ、篠田先生の号令で一斉に対局がスタートした。
(私が先手。行きます、福井さん)
私は、プロになる為全力を尽くすと決めた。
そのためには、福井さんも超えなくてはならない壁である事に変わりはない。
そして、私は一手目を繰り出した。
十七の四、右上隅……小目。