テニスの王子様の言うとおりっ   作:ヘビとマングース

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13 本気でやろう

 青学テニス部においては有名な話だった。

 大石と菊丸の黄金(ゴールデン)ペア。海堂と桃城の犬猿の仲。そして不二と悠介の師弟関係。

 入部した当初から悠介は不二に教えを乞い、多くの技を授かった。その関係は部内においてはよく知られていて、悠介が尊敬する不二の後ろを金魚のフンのように付いて回っていたのは飽きるほど目撃されていた。

 

 二人の対戦経験は多い。指導を除いても対戦数は部内で互いが最も多く、最も深く理解し合った関係であると認識されている。

 見慣れた光景ではあったがやはり注目せずにはいられない組み合わせであった。

 

 その日の校内ランキング戦はいつもと様子が違っていた。

 一年生から唯一参加した越前リョーマ。レギュラーを取るために密かに牙を研いでいたであろう河村隆の活躍。異様に調子が良い宮瀬悠介。

 波乱はすでに起こっており、前回とは違うのだと誰もがわかっている。

 Bブロックの試合を見るために生徒が集まり、歓声が上がっていた。

 

 「ゲーム宮瀬! 2-0!」

 「うおおっ!? すげぇ宮瀬!」

 「不二先輩から2ゲーム先取した! どうしちまったんだよお前!」

 

 集った部員たちが大騒ぎしていた。特に同期の活躍を喜ぶ二年生の声が大きく、一年生はそこまで熱狂する理由をわかりかねていたようだが、まさかの展開に三年生は動揺していた。

 青学テニス部において不二が敗北した相手など部長の手塚しか居ない。どれほど調子が悪くとも彼は勝利を手にし、それを誇るでもなく穏やかに微笑んでいたのだ。

 まさか弟子が2ゲームも先に取るとは。今日は何かが違っていた。

 

 今回は行ける。そう思って悠介を応援する部員が多い中で、本人の表情は優れなかった。

 いつになく集中している自覚はあった。良い調子だ。数試合した後でも集中力は途切れずに本来のプレーができている。

 その反面、表情には出さないが彼の心境は穏やかではなかった。

 

 (ヤバい。まずい気がする。不二先輩は……見えない)

 

 悠介は焦りを覚えていた。着実にポイントが取れていて、結果として2ゲームを先取したというのにちっとも安心することができない。

 不二は調子の善し悪しでカウントがまるで変わる。最後には勝つとはいえゲームを先取される状況があり得ないわけではない。それだけならば特別視するものではなかった。

 

 今日は雰囲気が違うと、弟子と称されて最も近い場所で過ごした悠介は理解していた。

 決してプレーが悪いわけではない。試合前の会話を思い出しもする。

 嵐の前の静けさと言うべきか、この後が怖いのだとその時を迎えて実感したのだ。

 

 悠介は主に先輩から教えを受けて多くの技を習得した。それらを用いて彼は独自の戦法を得ようと試みて、集中している今日は特にその成果を出している。

 乾から教わった選手の分析、不二が言う直感、これらを掛け合わせて相手の動きをなんとなく予想して自身が思い描いた通りのゲームが作れている。未来予知とは違ってあくまでも予想だが、これまでの試合ではほぼ満足のいく形で予想通りのゲーム展開になっていた。

 

 今回だけは違う。

 不二は悠介よりも正確なデータを取る乾ですら分析できない相手。本当の実力がわからないのだと以前から幾度となく嘆いていた。

 全く以てその通り。不二のプレーはなぜか予想できずに悠介は苦心している。

 

 (ここまではごり押しでなんとかいけたけど、先輩の打球だけ予想できない。あんまりノッてないのにこれならもしも本気になったら――)

 「悠介」

 

 名前を呼ばれてびくっと震えた。

 驚いた様子の悠介に不二はいつものように微笑みかける。

 

 「もう大丈夫。行くよ」

 

 それは彼なりの気遣いだったのか、それとも宣戦布告だったのか。どちらにせよ悠介にとっては死刑宣告のように感じられた。

 間違いない。本気で来る。

 ようやく準備が整ったようで普段との違いに気付いた悠介が緊張した。

 

 (いや、大丈夫! 分析ができなくても、なんとなくやるっていう感覚派の不二先輩をずっと見てきたんだ。予想せずに見たまま考えずに動くってことを実践すれば)

 

 集中力を高めるためにつらつらと思考を続けていた悠介がふと表情を変えた。

 サーブ権を得た不二がボールを手にしているのだが見るからに普段と構えが違う。

 

 (アンダーサーブ? そんなの初めて見る)

 

 嫌な予感がした。

 彼には驚かされてばかりだ。試合の中で試してみた技が賞賛され、そのまま彼の必殺技となった経緯を間近で見ている。もしやまた何か始めるつもりなのでは。

 

 不二は左手に持ったボールを落とす。その際、手首を回してボールにスピンをかけて、落ちてきたところを狙い違わずにラケットで打つ。

 速いと思うほどのスピードではない。十分に落ち着いて拾える。

 警戒しながらも悠介は前へ出て、迎えに行くようにスイングをした。

 

 (かなりスピンかかってる、けど、打てる!)

 

 そう思ってスイングした悠介は、見事に空ぶった。

 理解が遅れて驚愕してしまう。

 間違いでなければ今のアンダーサーブ、打とうとしたボールが目の前から消えた。フッと音もなく姿を消したからラケットに当たらなかったのだ。

 消えるわけがないと思いながらも相手が不二ならあり得なくはないと思ってしまう。

 驚愕したのは悠介だけでなく離れて見ていたはずの部員たちもだった。

 

 「今……まさか、ボールが」

 「消えた?」

 

 穏やかに微笑む不二を見て、彼が想像した通りの展開になったのだと察した。

 だめだとは思いながらも悠介が大きく嘆息する。

 おそらくはまただ。練習したのかどうかすら定かではない技を本番で成功させてみせた。今の一打だけで流れを掴み、騒いでいた部員が固唾を呑む。

 

 「いつの間にそんなのを……」

 「越前のツイストサーブを見て触発されてね。僕も何かあった方がいいんじゃないかと思って」

 「おぉ。まさかぶっつけ本番じゃないですよね?」

 「まさか。ちょっと練習したんだよ。みんなを驚かせたくてさ」

 「ちょっと、ですか」

 

 簡単な説明を聞かされても悠介は納得し難い想いを抱いていた。

 リョーマに出会ってまだ一ヶ月も経っていない。口ぶりからしても苦労して編み出したようには思えなかった。一日もかからず数時間で誰もがあっと驚くサーブを会得したに違いない。

 

 不二にはこれがある。理屈の通じない感覚派。“なんとなく”の極致。優しい人格だがどこかミステリアスで心中を悟られない強みがある。

 付けられた異名はシンプルに“天才”。

 簡単に見えてしまうほど短時間でオリジナルの技を作り出して、相手の力を利用するカウンターテニスで冷静にゲームを支配する。容姿まで含めてその姿を美しいと称する声は多かった。

 

 (落ち着け。集中しろ。気を抜いたらマジでこのままストレート負けもある)

 「悠介は、あまり集中できてないみたいだね」

 

 気合いを入れ直そうとしていた悠介に不二があっけらかんと告げる。

 思わずきょとんとしてしまうが、失礼にあたっては申し訳ないと悠介は咄嗟に否定した。

 

 「い、いや、そんなことは……!」

 「また色々考えてるでしょ」

 「そりゃ、考えますよ。本気で勝とうとしてるからです」

 「悠介はね、もっとすごい時があるよ。色々考えて考えて考え抜いて、ぷつってどこかで思考が途切れてすごく集中する瞬間がある。あれがきっと本気でやるってことだと思うんだ。結構スロースターターだから中々見られないんだけどね」

 

 くすりと笑って言いながら不二がサーブのために構える。

 

 「僕は今日、勝ちに拘るよ。だから悠介も思いっきり来て」

 「は、はい……」

 

 そうしているつもりなのだが、何かが足りないのかもしれない。

 再び不二がアンダーサーブを行う。ボールを上げるのではなく落として、掬いあげるようにして打ち込んだ。先程よりわずかに速い打球がネットを飛び越えてやってくる。

 

 一歩前へ踏み込んでスイング。やはり視界から一瞬にして姿を消す。一度地面をバウンドしてから手元に来ると急激に曲がって逃げていくのが見えた。

 左手でボールを落とす際に手首を回してボールに回転を与えている。さらにそこへ回転を加速させるスイングを当て、接地直後に急角度をつけているのだろう。

 理屈がわかっているかは不明だが完成した姿は確実に見えていた、不二の新たな武器だ。

 

 全く同じ軌道を二度見ても打ち返せず、次こそはと気合いを入れる。

 その反面、悠介は動揺してもいた。

 まだ本気じゃないはずだと指摘されて、そんなことはないと思うのだが、自分の本気がわからないのも事実。思考が鈍るとつられてプレーまで精彩を欠いた。

 

 結局四度の消えるサーブであっという間にゲームを取られてしまった。

 呆然とする悠介はじっと不二を見つめる。

 

 確かに覚えはある。

 余計な思考が一切消えてプレーだけに集中できる異様な状態。考える前に体が動いていつになく良いプレーができた瞬間があった。残念ながらその時の対戦相手が部内最強を誇る手塚であったため当然のように負けたが、自分を褒めてやりたくなるほどのプレーだったことは間違いない。

 覚えてはいても数が多くないのも知っている。

 仮にそんな状態になれたのなら不二と対等に渡り合うことも可能なのだろうか。

 

 (集中力がまだ足りないってことなのかな。でも自分じゃどうすればいいかわからないし)

 

 サーブ権が移って、自分がボールを握りながら思案する。

 本気で来いと言われてもちろんそうしたいと思う。しかし実際にやろうと思えば難しく、自分のことながら何が何やらわからない。

 不二は何かを掴んだ様子だった。だから導くようにして悠介を誘っている。

 また先に行かれた気がして、嬉しい気もするが複雑な気持ちでもあった。

 

 (そういえば南次郎さんも言ってた。無我夢中。考えるな、感じろ。よく聞くようなセリフだけどもっとテニスを楽しめって)

 

 気持ちを整え、準備を終えて、サーブの動作に入る。

 集中力が高まっている実感があった。完璧とは言えないが確実に進歩しているはず。

 そう思う悠介を嘲笑うように、不二のプレーはさらに進化を見せる。

 

 サーブを打ち返してさらに悠介がボールを打った時、彼にとっては見慣れた構えが取られた。

 判断は素早く、咄嗟に前へ出ようとする。

 

 (あ、つばめ返し――)

 

 対処法は知っていた。地面に触れる前に打ち返そうと前へ走るのだが、予想とは違った展開に目を見開いて反応できない。

 以前に見た時とは比べ物にならないほどのスピードボール。気付いた時にはボールは地面に触れていて、凄まじい回転を利用して全く弾まずに転がっていた。当然素早く転がるそれを打ち返せるはずもなく、悠介は行き先を確認することもできずに呆然と立ち尽くす。

 

 「ふふふ……今日は本気でやれそうだ。最後までよろしくね」

 「あ、はは……やっぱりお手柔らかに」

 

 上手く笑えずにぎこちない表情のまま、悠介は必死にそう答えることしかできなかった。

 

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