テニスの王子様の言うとおりっ   作:ヘビとマングース

14 / 58
14 本気でやろう

 圧倒される、という感覚を知っている。

 公式戦に出場した経験なんてないけど三人覚えがあった。

 

 一人目は部長の手塚先輩。

 初めて見た時から目が離せなくなるくらい驚いて、この人は物が違うって感じた。対戦してみると余計にそう思って疑いようがなくなる。才能とかセンスとか努力とか、色んな言葉がくだらなく思えるほど絶対的な存在。

 天才ではなく“怪物”と呼ばれている理由がすぐにわかった。

 この人には勝てない。

 負け犬根性丸出しでまず最初にそう思ったのを覚えてる。

 

 二人目は越前南次郎さん。

 元プロで“サムライ”って呼ばれてたらしいこの人は、ちょっと理解が追いつかない。

 明らかに本気ではない態度で、遊ばれているのがよくわかった。それでも打球はちっとも自分の思い通りにならなくて、最初から最後まで掌の上で遊ばれていただけ。

 手塚部長を超える衝撃。本気にならなくたってあの人はあまりにすごすぎる。

 

 どっちも俺なんて足元にも及ばないプレーヤーで、有難いことに認知してくれてるけど、テニスの力量だけで言えばひょっとしたら俺なんて気付かれないくらい矮小な存在なんじゃないか。そんな風に思ってしまうくらいすごい。

 でも正直に言うと、その二人よりも俺はあの人の方が怖いと思う。

 

 最後の一人が不二先輩だ。

 俺にテニスを教えてくれた人で、多分一番近い存在なのだと思う。

 あの人のことを怖いと感じる瞬間があるのは、それでもわからないからだ。

 

 手塚部長のプレーには、センスや才能だけじゃなくて、並々ならない努力やクールな顔に似合わない意外な熱意を感じる。

 南次郎さんのプレーは無邪気な子供が遊ぶみたいに、自由でわがままで、けれど他人を惹きつける魅力があるように思える。

 不二先輩は、わからない。底が見えなくてどう動くのかちっともわからない。

 

 手塚部長は不二先輩に勝ってるし、きっと南次郎さんの方が強いんだろう。

 それでも俺にとっては不二先輩が一番怖い。

 

 今日は調子がいい。

 今までと変わらないことをやってるつもりだけど内容と結果は今までよりずっといい。

 だからといって不二先輩に勝てるとは思わないし、勝ちたいと思っているかと言われたら微妙なところではあるし、奇跡に頼りたいわけじゃない。

 ただ、期待してくれた人たちに結果を出して応えたいのは確かだった。

 

 

 

 調子が良いのは間違いなかったが、不二は勝負を楽しんでいるように見えた。

 ラリーが長引くのは攻め手に欠けるからではない。相手の力を利用するカウンターを得意とする不二が珍しく攻めていて、悠介は時として防戦一方になり、必死に足掻いてチャンスを窺っている状況であった。

 

 2ゲームを先取された後、しばらくは急激に動きが良くなった不二の攻撃によってポイントを連取されていたとはいえ、取り戻そうと躍起になる悠介は辛うじて喰らいついていた。

 勝負の決着は誰もが薄々感付いている。これまで悠介が不二に勝てたことなど一度もない。

 それなのに今日ばかりは違った。

 二人とも様子が違うことには気付いていて、もしやと思ってしまうのだ。

 

 一打ごとに悠介の集中力がますます高まっていく。

 余計な思考が消えていき、視線は鋭さを増して、コートの全体を正確に把握しようとする。

 まるで不二が導いているかのようだ。余裕のある微笑みはコート上を支配する強者に見える。

 

 「ゲーム宮瀬! 3-4!」

 「……入ったな」

 

 ノートを開いて観戦していた乾が呟いた。

 立て続けに4ゲームを取られた後でようやく1ゲームを取り返した状況。周囲でようやく反撃が始まったと歓声が上がっているのに彼は淡々としていた。

 あまりの光景に絶句していた堀尾、カチロー、カツオは目敏くその呟きに反応し、彼らと並んで見ていたリョーマも耳を傾けた。

 

 「入ったって、何のことですか?」

 「ああ。宮瀬はたまにああなることがあるからね。あまり頻発はしないし今回は不二が手伝ったように見えたけど、一度入るとすごく強い」

 

 確かに悠介の様子は普段と違って見えた。朗らかで笑顔が印象的なのだが今はにこりともせずに目つきを鋭くし、雰囲気はまるで別人のように感じられる。

 あれもまた彼の一面なのか。初めて知る者は驚きを隠せずにいた。

 

 「これは俺の教えの弊害でもあるんだが、宮瀬は考えながらプレーをする。常に相手を分析しながら動くから一定の結果は出す一方で、気分的にあまりノレないせいか、勢いに乗った相手に呑まれる傾向がある。桃や海堂なんかは天敵だな」

 「だからレギュラーになれなかった……ってことですか?」

 「相手が悪かったこともあるだろうけどね。だけどその宮瀬が考えなくなった時、妙に強くなることがある」

 

 ごくりと息を吞む一同を確認し、小さく頷いて乾は説明を続けた。

 

 「まあこれは宮瀬だけの話じゃない。“フロー”、或いは“ゾーンに入る”とも言う。普段があまり自信がないせいか、振り幅が大きいってだけだよ」

 

 聞いたことのある話だった。確かに彼だけの特別なものではない。

 試合に視線を戻す。

 別人のようなのは一目瞭然で間違いない。しかし、それだけで、という気もする。

 

 試合中、悠介は常に思考しながら動く。感覚派である不二の弟子だと思われているが彼のようにはなれないと早々に諦めた。教え方がふんわりしていたのも関係しているだろう。そこでデータに基づいて理性的に動く乾にデータテニスを教わったのである。

 彼にとっての基礎は早々に出来上がった。そこに多くの技を積み重ねた。

 

 極限まで集中力を高めた時、思考は薄れて、感覚に任せて考えずとも体が動く。

 プレーから迷いが消え、最善手のみを叩き出す。

 そもそも読み合いでは敵わない相手だった。スネイクにはつばめ返しがある。河村よりパワーが劣る漢球(おとこだま)では上手く力を殺される。不用意にネットプレーをしようと前へ走れば足元を狙われ、ベースラインでプレーするからムーンボレーで頭上を越えることはできない。

 悉く選択肢を潰されて、我武者羅に実行してみればやはり予想通りの結果になった。

 思考を投げ捨ててプレーするのは言うなれば仕方なくだ。普段は滅多にやらない。

 

 必死で動くという経験は多くなかった。

 珍しい姿に部員たちが思わず応援してしまっている。

 不二先輩に勝てと、相手にも聞こえるというのについつい声を大きくしてしまった。

 

 「ゲーム宮瀬! 4-4!」

 「ハァ。あっつい……」

 

 動き回って大汗を掻いていた。

 悠介は手で顔を扇ぎ、体の力を抜いて大きく息を吐く。集中力は途切れていない。だがその瞬間はいつにも増してぼけっとした表情だった。

 

 (相変わらず見えない、けど)

 

 ちらりと不二の様子を見る。汗こそ掻いているが、疲労の色は見られない。悠介の視線に気付くとにこりと微笑む余裕まである。

 思わず苦笑してしまった。

 手は抜いていない。が、敢えて悠介の調子を上げるために長期戦にしているのは意図的だろう。

 

 不二の本気はきっとこんな程度ではない。

 それを引き出すための長期戦でもあるのかもしれない。

 一緒に行こうとでも言うのだろうか。その甘い態度は以前と変わりない。

 

 「もしくは、今の俺じゃまだ本気になれないのか」

 

 天を仰いで目を閉じ、深く深呼吸する。

 心を落ち着け、前を向いてゆっくりと目を開いた。

 自分の意思で“入れた”感覚がある。今回だけ特別かもしれない。それでもよかった。

 わざわざ先輩がお膳立てしてくれたのだ。

 互いに気分屋でスロースターター。これでようやく準備が終わったところだと理解しているのは当人二人だけなのだろう。

 

 「もういいでしょ?」

 「悪い人だなぁ」

 「そう? いい結果を出すためだから大目に見てほしいな」

 「俺は慣れてますよ。気まぐれな天才は」

 

 不二がボールを握る。

 思えば最初に試合をしたのもこの人だった。それなりにあった自信を粉々に打ち砕かれて、それでもまだ本気ではなく掌の上で遊ばれていたのだと知って愕然とした。

 今もまだ状況は変わっていない。

 変わったと言えるのは、彼の支配から逃れて勝利した時だ。

 

 今日見せたばかりのアンダーサーブ。顔つきが違っていた。スピードはさっきに比べても明らかに速く、地面に弾んでからさらに速くなる。

 そして急激に軌道が曲がって視界から消えた。

 

 見えてはいない。だが想像はしている。

 やはり前へ踏み込んだ悠介は変化し始めの打球を叩き、打ち返した。

 今までで一番きれいにネットを越える。部員から思わずおおっと声が漏れた。見るからに速くなっている打球に初見で反応したことで、もはやどちらが凄いかわからなくなる。

 

 試合の展開が早くなっていた。

 動きが素早くなり、狙いはより正確に、打球は疲労を感じさせずに速くなる。

 多くの部員が口をあんぐりと開けたまま固まって、もはや軽率に応援できなくなった。

 

 「やれやれ。どっちもこれがいつもできればな」

 「まだまだだよ」

 

 呆れて呟く乾にリョーマが言った。

 こんな程度ではないと言いたいのだろう。意外な態度に堀尾たちが驚き、侮ってはいなかったが乾も反論せずに口を噤む。

 その後、リョーマは踵を返してその場を離れようとした。

 

 「あ、あれ? リョーマ君、最後まで見ないの?」

 「俺もこれから試合だから」

 「あっ、そっか。応援するよ! 頑張ってね!」

 「どーも」

 

 そう言ってリョーマは振り返りもせずに行ってしまった。咄嗟に声をかけたカチローは、応援するとは言ったがこのまま不二と悠介の試合を見ていたい気持ちもあって、すぐには動き出せずに三人で話し合いを始める。

 口を噤んだ乾も何かを思案していた。

 決断を促すかの如く、歩み寄った海堂が声をかける。

 

 「先輩。俺らも試合っスよ」

 「ああ、そうか……もう少し待ってもらえないか? せめてこの試合が終わるまで。あの二人のデータが取れる貴重な機会なんだが」

 「無理に決まってんでしょうが」

 「やっぱりそうか……」

 

 珍しく残念そうな声と表情で感情を露わにしていた。

 海堂は我慢せずに舌打ちをして、一年生がびくっと震えるのも気にせず冷たい声で言う。

 

 「言っとくが、俺はあんたに負ける気はねぇ」

 

 明らかな宣戦布告だった。

 言うだけ言って海堂は踵を返して歩き出し、恐怖で震える一年生は一瞥もせずに去る。

 真剣な表情になってその背を見送る乾は、届かないと知りながら呟いた。

 

 「ああ。わかってるよ」

 

 答えた乾も試合のためにコートへ向かった。

 堀尾たちは静かに見送り、離れた後でふーっと深く息を吐き出す。

 

 わっと一際大きな声が上がる。

 反射的に視線を戻すと甘い球が上がっていた。

 前へ走り、勢いに乗って跳んだのは悠介だ。上から叩きつけるようなダンクスマッシュでコートの隅を打ち抜こうとした。

 パワーでは桃城に敵わなくてもコントロールなら。しかし不二は微塵も驚かなかった。

 

 正確にライン上を狙ったスマッシュに追いつき、下へ潜り込んだ。ラケットのスイートスポットでボールを受け止め、体の勢いは止めずに右足を軸に半回転する。

 “三種の返し球(トリプルカウンター)”の一つ、“(ひぐま)()とし”。

 全身で生み出す遠心力でどんなスマッシュでも柔らかく受け止め、勢いを殺した後ロブを上げて相手の頭上を越えて背後に落とす。スマッシュを返すための技だ。

 半回転する内に勢いを殺し、背を向けると同時に腕を跳ね上げて、ボールを高く上げた。

 

 当然ながらその技は知っている。

 着地と同時に悠介はすでに走っており、不思議と今回は目視しなくても位置がわかる気がした。

 ネットに対して背を向けたまま跳び、その後でようやくボールを見上げて空中で打つ。

 

 図らずも浅い位置に落ちる高いロブが上がった。

 さっきとは逆の状況になる。部員の多くが当然状況を察して、そっくりそのまま逆になって同じプレーになるのだと察していた。

 素早くコートの中央へ駆けた悠介は不二のスマッシュを待つ。

 

 「み、宮瀬先輩って確か不二先輩の弟子で……」

 「同じ技教えてもらったとかじゃなかった?」

 「ってことはスマッシュは――!」

 

 いつになく不二が高く跳ぶ。

 華麗さを感じさせながらも普段とは違う、力強いスイングでスマッシュが放たれた。しかし彼から“三種の返し球(トリプルカウンター)”を習った悠介はすでに待ち構えていた。

 

 右足を軸にぐるりと回転しながらラケットにボールを受ける。狙い違わずにスイートスポット。動作にもまるで問題がない。

 返せる、と思った瞬間だった。

 勢いを殺すために遠心力を利用して受け止めたはずだ。だがボールにはこれまで体感した覚えがないほど強烈なスピンがかけられていて、ぎゅるりと動いてガットの上を走る。

 違和感に気付いた悠介は自身のラケットから逃げていくボールを目の当たりにした。

 

 「は?」

 

 わかりやすく信じられないという顔をしてしまった。

 ボールは力なくコートに落ちて転がる。

 怖くなってしまうほど辺りが静まり返っていた。誰もが信じられないという顔をしている。特に事情を知る二・三年生に走った衝撃は大きい。

 

 羆落としはスマッシュを返すための技。他ならぬ不二が編み出したものだ。

 他の技ならいざ知らず、悠介は初めに覚えた三種の返し球(トリプルカウンター)は本人にも引けを取らないレベルで習得している。少なくとも本人も周囲もそう思っていた。

 

 初めて羆落としが破られる姿を見た。破ったのは作った本人である不二だ。

 喜ぶわけでも驚くわけでもなく、彼はいつもと同じで微笑んでいた。

 

 「あは。上手くいったね」

 「また……思い付きじゃないですよね」

 「ん? 悠介のスマッシュを受けて思いついたかな」

 「この人は、もう……」

 

 これがいつものことだ。不二の“なんとなく”ほど恐ろしいものはない。

 落ち込んでいる暇などなかった。

 集中力は切らさず、悠介がすかさず構える。その様子を見て期待したのだろう、不二がにこりと笑ってすぐにプレーが始まった。

 

 一年生にとっては衝撃的な試合となった。

 漠然と強いと知っていた不二が、今日は異様に調子が良くて最高のプレーをし続ける悠介を当然の如く手玉に取っている。

 青学テニス部に入ったからには大半の部員が直面する問題だ。

 上には上が居る。

 当然かつシンプルな状況に言葉を失い、その中でも穏やかに微笑む不二の姿が印象的だった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。