「すっ……ごかったですね!」
興奮した面持ちの芝砂織が言い出す。
校内ランキング戦は終了し、片付けをする部員たちがわいわいと話題が尽きぬ様を見て、彼女もまた落ち着けそうにはなかった。
隣に立っていた井上守が頷き、テニス部顧問の竜崎スミレに振り返る。
「今年はさらにレベルが上がったように感じましたね。宮瀬君がまるで別人のようでしたし、河村君は必殺技を携えて逆襲を果たして、何よりあの一年生。越前リョーマ君は今後新たな主戦力になりそうです」
「さあて、どうだろうねぇ。何にしてもアタシは大したことなんてしちゃいないさ。練習も試合もあの子らは自分の意志でやる。アタシは近いとこで見させてもらってるだけさね」
「またまた。あなたが見ていればこそですよ、彼らが自由にテニスができるのは」
フッと笑うスミレは気分を害するわけではなかったが喜んでもいない。
ニヒルな感じに驚きながらも、好奇心を抑えられないという表情の芝が前へ出てくる。
「中学生のテニスってこんなにすごいものなんですか? 正直初めて見ましたけど、下手なプロより迫力があるっていうか」
「おい、滅多なことを言うもんじゃない」
「あっはっは! 素直でいいじゃないか」
「すいません……」
「それにこの学校は特別だ。手塚君を筆頭に、本当に全国を目指せるチームだからな」
わくわくした様子を隠せない井上はよほど入れ込んでいるらしいことがわかる。以前から中学テニス界が熱いと目をつけ、集中的な取材を行っているのだが今日は特に目つきが違った。
その理由は隠すわけでもなく本人から明かされ、正直にスミレへ疑問がぶつけられる。
「ところで竜崎先生、一つ確認したいことがあるんです。まさかとは思いますが、今日ランキング戦に参加していた越前君、あの越前南次郎の息子……なんてことはありませんよね?」
「ノーコメント」
「ええっ⁉ そんな⁉」
「あんたはずいぶんあいつに入れ込んでるんだねぇ。今はもう覚えてる人間だって少ないただの過去だよ。そこまで拘らなくてもいいんじゃないかい?」
「いやぁ、はは、お恥ずかしい。単に私がファンなものでね」
以前の会話でも聞いていたためスミレは驚かなかった。
井上は“サムライ”越前南次郎の大ファンであったらしく、今もまだその存在と活動的なプレーが忘れられないようで、同じ苗字を見て思わず反応してしまったのだろう。
スミレは真実を知っている。
黙っていてもいいが、たまにはあのちゃらんぽらんを巻き込んでやるのも面白いかもしれない。そんな風に思う程度に“伝説”は近しい存在なのだ。
「そんなに気になるなら本人に聞いてみたらどうだい? あいつがプロテニスプレイヤーの南次郎を知ってるかどうかはわからんがね」
「プロの……ということは、つまり⁉」
「ま、あのへそ曲がりが真面目に答えるとは思わんが。傍に宮瀬が居るなら別だろうけど」
「行きましょう井上さん! 不二君の弟子も気になりますし、っていうか新レギュラー陣にインタビューは良い記事でしょう!」
「こ、こらっ、調子に乗るな芝! みんな疲れてるんだから無茶を言うんじゃない!」
「少しくらいは構わないよ。元気なんか有り余ってる奴らだ。いいか悪いかは本人に聞きな」
「ありがとうございます!」
深々と頭を下げてお礼を言い、怒られる前に芝が部室へ向かって駆け出した。
流石に放っておくわけにはいかない。失礼を行う前に制さなければ。
井上もスミレに頭を下げ、慌てて芝を追って駆け出した。
校内ランキング戦を終えて、参加した部員はクールダウンを行い、今日は十分に体を休めるようにとのお達しがあった。
心境は様々。早々に着替えて学校を後にしようとする者も少なくない。
とにかく激動の一日だった。改めて青学テニス部のレベルの高さが浮き彫りになり、自信を失う者も居れば次のランキング戦を目指して早速動き出す者も居る。
疲弊した様子の悠介は部室の前でぐったりと座り込んでいた。
これまでにも校内ランキング戦には参加していたが、今回ばかりは結果が違う。
果たして、嬉しいのかそうでないのか。
目的を達成した後になってぼけっとしていたのは考えていたからだ。
「俺レギュラーになったよ」
「知ってますよ。おめでとうございます」
「うん……」
何はともなく同じく帰り支度を済ませたリョーマが隣に座っていた。
彼もまた初めてのランキング戦でレギュラー入りを決定したのだが表情は優れない。理由は考えずとも思い当たる気がして試しに指摘してみた。
「越前もレギュラーだな。おめでとう」
「どうも」
「でもあんまり嬉しそうに見えないんだけど」
「別にいいじゃん」
「手塚先輩に負けたの気にしてるんだろ」
そうに違いない。そう思ってズバリ切り込んでみれば、リョーマがぐるりと首を回し、何も言わずに見つめてくるため悠介が逃げるように視線を外した。
どうやらあまり機嫌が優れないらしい。
度を越えた負けず嫌いであることはすでに知っている。相手が強かったから、初めてのランキング戦だから、そうした言い訳は通用しない。相手が誰であれただ負けたことが気に入らないのだ。クールな彼が最も感情を見せるのがその瞬間だった。
ちょっと面白いかもしれない、なんて不用意に触れてみたのが間違いだったかもしれない。
否定できないほどその通りでフラストレーションが溜まっている。それまでの数勝よりもほんの一敗が気になって仕方ない。彼が何かを考えていたのは確実だった。
またしても巻き込まれそうだったためか、悠介は微妙な顔で地面を見ていた。
「先輩、疲れてます?」
「つ、疲れてます。もう歩くのも難しいくらいで、だからまだここに居るわけであって」
「でも喋るくらいの元気はありますよね」
「まあね。喋るだけなら付き合うよ」
「じゃあその元気使えばまだできるでしょ」
「それすら奪う気⁉ ちょっと待ってよ、今日はもういいだろ!」
いつものようにコートへ連れ込んで勝負を挑むつもりだったのだろう。慌てて拒否する悠介の態度にリョーマがチッとつまらなそうな顔をする。
何かとテニスで決着をつけようとするのは彼の困ったところだ。
体を休めるのも大事だぞ、と悠介が言い聞かせるのだが反応は思わしくない。素っ気なく顔を逸らすリョーマはまだ諦めてはいない様子だった。
「今日の試合、今までと違ったね」
「あぁうん、そうかも」
「本気でやれました?」
「多分……やれたと思う。でもあれは不二先輩が導いてくれた気がするから、自力でどうにかできたわけじゃないんだけど」
「でももうわかったんでしょ? 自分も本気でやれるって」
悠介が小さく頷いた。
数えるほどとはいえ以前にも一瞬で予想以上の時間が進んでいるような集中状態があった。だが自分の意思で操れないそれに頼ることはできなくて、自分にとっても新たな発見である。
自分も必死になることができる。
普段は冷静さを褒められていたものの、いつもとは違う自分に少なからず感動もあったのだ。
「そういえば、俺が勝てたのは越前のおかげかもしれない」
「ん?」
「俺、シングルスはちょっと苦手意識があって、ダブルスの方が気楽っていうか。や、それも言い方悪いんだけど、とにかく集中しきれないのは確かにあったんだ」
毎日一緒に居て会話する間に、シングルスよりもダブルスの方が得意だという話は聞いていた。しかしそう言われるとは想像していない。
優しく微笑む彼がお礼を言ったことでリョーマは驚いてしまう。
「最近はシングルスで勝負ばっかりしてたから、苦手意識がなくなったんだと思う。越前効果なんだってさ。だからありがとう」
「まあ、別に……俺も練習にはなったんで」
「あれ? 照れてる?」
「照れてない」
「またまたぁ」
「うるさい」
完全にそっぽを向いてしまう態度に肩を揺らす。
負けず嫌いで頑固ではあるが彼のおかげで変化の兆しを見ることができた。まだまだこれから強くなることができるはず。
珍しい態度にこれ幸いと悠介が頭を撫で始め、喜んではいなかったがリョーマは大きく嘆息し、抵抗はしなかった。
二人がそうして待っていると、部室から先輩が出てくるより先に記者がやってきた。
嬉しそうな顔で駆けてくる芝を見るとリョーマが嫌そうにするものの、彼女を止めようと駆けてくる井上を見て悠介が小さく手を振る。
「居たぁ~! そこの二人、ちょっとインタビューしてもいい⁉」
「こ、こら芝! 相手が中学生だからって馴れ馴れしくするな! 礼儀に気をつけろ!」
ああだこうだと言いながら走ってくる。
ちょうどそんなタイミングで部室の扉が開き、中から待ち人が出てきた。
「おっ、ユースケとおチビお待たせ~! んじゃ、タカさんも入れてレギュラー入りおめでとうの会やりに行こーぜ~!」
「そんな、英二、悪いよ。桃と海堂のショックも大きいだろうし、そんなに大事にしなくても」
「平気へーき! どーせあいつら落ち込むより先にトレーニングしてる頃だよ! だって真っ先に帰っちゃったんだぜぇ! 茶化してやろうと思ったのにさー!」
申し訳なさそうにする河村の肩を叩いて、上機嫌そうな菊丸が大声で笑う。
彼なりの気遣いなのだろう。河村と悠介とリョーマ、三人の新レギュラーを快く迎え入れてやりたいと思う傍ら、レギュラー落ちした桃城と海堂を腫物のように扱いたくはなかった。敢えて思い切り弄って落ち込まないよう気分を変えてやろうと思ったのだが、そんな暇すら与えずに珍しく連れ立って学校を出た二人はすでに前を向いているらしい。
徐々に騒がしくなりつつある。
すでに到着した井上と芝は相変わらず小競り合いを繰り広げていて、興味を持った菊丸が自ら飛び込んでいったことでインタビューが始まろうとしていた。
その間に二人の後ろから出てきた不二が覗き込み、乾がひょっこり顔を出す。
「こういうタイミングじゃなきゃみんなで遊びに行くこともないしね。お祝いしようよ。来れる人には声をかけてさ」
「すまないみんな、盲点だった。こんな時のためにお祝いドリンクを作っておけば……」
「いりませんよそれ⁉ なんで度々テロ起こしたがるんですかっ!」
隙あらばドリンクを自作しようとする乾に戦慄し、飛び掛かるようにして悠介が止めに入る。
何をしているんだと呆れていたリョーマの下には二人の少女が駆け寄ってきた。顔見知りで度々話しかけられるとはいえ友達というつもりもない。ただ知り合いではあって、周囲からは最初のファンだと認識されている。
「リョーマ様ぁ! 試合お疲れ様~! すっごいかっこよかったですぅ!」
「ご、ごめんねリョーマ君。疲れてるだろうから帰ろうと思ったんだけど……」
活発で表情がころころ変わる、まさにリョーマのファンといった姿の
一方でおどおどして自信に欠ける様子のおさげ髪の少女、
どちらも知らない相手ではないとはいえ、そもそも他人との会話を好んでいない。
リョーマは無視こそしないが面倒そうに嘆息する。
いつの間にか部室の前に人が集まって騒がしくなっていた。
楽しげではあるがもはや収拾がつかない。
部室を出ようと扉の前に立った大石が苦笑し、手塚は無表情で状況を確認する。
「やれやれ、こりゃ大変。今年もまた一筋縄じゃいかなそうだな」
「ああ。だが準備は整ったはずだ」
すでに覚悟を決めている様子の手塚に気付いて、真剣な顔つきになった大石が頷いた。
「行くぞ。全国へ」
メンバーは決定した。
後はただ突き進むだけだ。
手塚の目は静かに燃えており、少なくともこの場で気付いているのは大石ただ一人だけだった。