着替えている間に他のプレイヤーによる試合は終わっていて、彼らと顔見知りだろう杏が声をかけて了解を取ってくれた。
準備を終えた悠介とリョーマはラケットを持ってコート脇に立っていた。
「新人さんだよー。泉さんと布川さん、相手してあげてよ」
「いいぜ。ルールは聞いた?」
「あ、はい。大丈夫です」
「サーブはあげるよ。一球ずつ交代だから、どっちでも好きな方からどうぞ」
ぽんと軽くラケットで打たれたボールがやってきて悠介が受け取る。
軽く頭を下げて挨拶をした後、泉と布川という男子中学生がコートに立つ。
ボールを手渡すためにリョーマへ近付き、対戦相手を確認した悠介が小声で呟いた。
「泉と布川……玉林中の人だ。確かダブルス組んでたはず」
「なんでそんなこと知ってんの?」
「乾先輩のデータで見たんだよ。うちは乾派閥のデータ班が居るから、当たりそうな相手はとにかくデータ掻き集めてるんだ」
「ほんっと気持ち悪いですよね、そういうとこ」
「気持ち悪いって言うな! 俺だけならともかく先輩の特技だぞ!」
「一歩間違えればヤバいですよ。盗撮とかやめてくださいね」
多少は自覚があったのか、ぐっと言葉に詰まった悠介がたじろいだ。
あまり長引かせない方がいいと判断して話題を変え、ボールを渡しながらリョーマに言う。
「一球ずつ俺とお前で交互にサーブ打つ変則ルールだ。組み立て考えれば四球で勝てるぞ」
「してないよね? 盗撮とか」
「バカ、してるわけないだろ」
「なんで動揺してんの」
「それはほら、俺映像班じゃないから……」
意図的に視線を逸らされる態度が気になるが今はどうでもいい。そもそも根掘り葉掘り聞きたい話でもない。
それよりも気になるのは彼の発言だ。意外にも自信が感じられるかのようだった。
リョーマは動揺を見せる悠介の額をべちんと叩き、正気に戻してから改めて発言する。
「四球で決めたいっスね」
「あぁ、そう? ……俺の提案に乗る?」
「乗る」
迷いを見せずにすかさず頷いた。
そこまで迷いがないと逆に不安になってしまいそうになる。
動揺したが苦笑して心情を隠すと、悠介はリョーマにボールを譲って最初のサーブを託した。
「じゃあ、やってみるか。物は試しだ。多少はデータがある相手だし」
「勝ちますよ」
「はいはい」
「そういうとこですよ。責められるのは」
ぐふぅ、と情けない声を出しながら前衛になるため悠介がポジションにつく。
二人のやり取りを聞いてはいないが見ていたのだろう、杏が楽しげにくすくす笑っていた。
何が起こっているのかわからない泉と布川だけがきょとんとしていて、リョーマが位置について地面にボールを弾ませるまで状況を理解できずにいたようだ。
最初の指示は簡潔だった。
いつも通り思いっきり。
そう言えば何を選ぶかはわかりきっている。
右手にラケットを持ち、何度か左手でボールを地面に弾ませた後、ぴたりと止まる。ボールを上げてサーブのモーション。強いインパクトで放たれた。
ネットを越えて地面に落ちると、強烈なスピンでほんの一瞬時が止まる。
打ち返そうと待ち構えていた布川は意味もわからないまま驚く。違和感を持って表情を変えた直後には、急に跳ね上がって顔面に向かってきたボールを思わず避けてしまった。
「おわぁっ⁉」
「な、なんだ? 今のサーブ……」
「すごーい……!」
虚をつくことに成功した。
珍しくもないリアクションだったためリョーマは平然としている。表情一つ変えないクールさは相手からすれば生意気に見えることだろう。
注目は彼に集まった。ボールを持った悠介は思考する。
「今ので動揺してるはずだから、前よろしく」
「ウーッス」
簡単な指示だが伝わったはず。
位置についてやるぞと意思を見せ、相手の準備が整ってからモーションに入る。
悠介がサーブを打った。しかし普段と違うそれはぽこんと間抜けな音がして、まるで打ち損じのようにへろへろで、力のない打球が山なりに飛んでいく。
さっきの打球と比べてあまりに違い、泉は驚きながらも前へ出た。
「おっそ……さっきの見たら余計に」
戸惑いながらも迷わず打ち返して、それからぎょっとした。
悠介へ打ち返そうとしたのだがそこにリョーマが飛び込んでくる。ポーチに出てネット際で打ち返され、反応が遅れる二人の間を打ち抜く。
「なっ……⁉」
「くそっ、このためか」
「ナイスナイス」
「どーも」
泉と布川は確実にリョーマを意識していた。
こいつは上手い。彼を見る目は雄弁に語っている。
再びリョーマのサーブ。
四球勝負。とはいえ、虚をつくのなら変化は欲しい。
ボールを受け取るリョーマへ、悠介がこそりと声をかける。
「多分かなりツイスト意識してるから、まっすぐ打ってみて。その代わり全力でコーナー狙い」
「ウス」
ダブルスを組む際、リョーマは悠介の指示には逆らわない。たまにイラっとした際には肩を入れてぶつかっていくものの、基本的には彼の作戦に従う。
これまで青学テニス部の部員としか対戦経験がなかった。だが相手に合わせて作戦を変え、逐一プレーを変える彼のスタイルは相手のリズムを崩すのに役立ち、その上でリョーマの攻撃を最大の戦力として利用する。
気持ちよく打ってこい。彼と同じコートに立てばそう言われている気がした。
ダブルスは性に合わない。相変わらず好きではない。
それでも悠介とのペアが別物なのは認めている。
細かく指示が出ることもあれば攻撃を任されることもあって、信頼の表れは受け取っていた。
さっきよりも回数は少なく、二度ほどボールを地面について、素早い動作でサーブを打つ。
利き腕ではなかったが打球は鋭く速い。コントロールは抜群で狙った通りにコーナーの隅を叩いて外へ逃げていく。
先程の残像が脳裏にあったに違いない。てっきりツイストサーブが来ると思っていた布川は反応が遅れて、辛うじてラケットの先端に触れたが相手コートへは返らない。
これで三球。思い通りの展開。
信じられないという顔をする泉と布川とは裏腹に、悠介は笑顔でハイタッチを求め、クールな無表情を崩さないリョーマがぱしんと叩いて応じた。
予想以上にいいものを見せてもらっている。観戦する杏は上機嫌そうに笑っていた。
「最後の一球だよ」
「四球程度じゃ落ち着いて気持ちを入れ替える暇もない。試してみる価値はあるな」
何かやりそうだな、と気付いてリョーマは位置につくのだが腕を下ろす。身構えなかったのは悠介が決めるだろうと察したからであり、相手を挑発するためでもある。
たったの四球勝負。最初のツイストサーブでリョーマに注目を集めさせて、その次のポーチと、驚かせるためのスピードサーブ。相手にリョーマを意識させ続けた。
相手の弱点を突くデータテニス。
テニスを教えた師匠は不二周助だとされているが、その後のプレーを決定付けたのはもう一人の師匠とも言える乾貞治である。
(負けた相手のこと気にする割には容赦ない……変なやつ)
嘆息するリョーマは、彼が何度かボールを地面に弾ませた後、モーションに入るのを見た。
なるほど、よく出来ている。
放たれたサーブは泉の前へ落ち、険しい顔で警戒していた彼を目掛けて跳ね上がり、激突を恐れて思わず避けてしまった。
「うわぁ⁉」
「なっ⁉ あいつも⁉」
「うん。勢いじゃ劣るけど、奇襲程度なら使えないこともないかな」
結果を見れば宣言通りに四球で勝利。
やれやれと言いたげにリョーマは悠介へ歩み寄る。
「ほんとパクリは得意ですね」
「言葉が悪い。パクリって言うな。伝授だろ」
「しかもあの感じでよく勝つ気がないとか言えますね」
「いやそれはほら、沁みついた習慣みたいなのがあるから……」
1ゲームのみと短かったせいか、勝利の喜びもさほど感じられずにいつも通り会話する。
その態度を見る泉と布川は冷静ではいられなくなり、慌ててネットに駆け寄って声をかけずにはいられなかった。
「おいおい、なんなんだお前ら!」
「中学生なのか⁉ どこ中だよ!」
「あ、青春学園中です」
「青学⁉ マジのバケモン校じゃねぇか!」
「道理であのサーブ!」
プレーを見ただけでなく学校名を聞けばさらに反応は顕著だった。青学の名を知っている人間であればそう珍しい態度ではない。
何を考えるでもなく微笑を浮かべて、興奮した相手の質問をぶつけられる悠介を確認し、興味なさそうに置き去りにしたリョーマはコートを出る。
「すごかったね二人とも。もう終わっちゃうの?」
声をかけてきた杏に振り向き、まだ捕まっている悠介を確認してリョーマが答える。
「忙しそうなんでできないでしょ」
「それもそっか。ねぇ、君一年生でしょ? ひょっとしてレギュラー?」
「一応……それとあの人も今年から」
「なーるほど。それなら納得かな。いくら青学でも全員があんなのできないよね」
探る様子ではない。純粋に楽しんでいるようだ。
リョーマは興味こそ持たなかったものの、無下に扱うでもなく質問には答える。杏が自分たちに興味を持った様子なのは明らかだったからだろう。
「入学したばっかりだよね。ダブルス組んだの?」
「そんなんじゃないよ。単なるお試しってだけ」
「そうなんだ。良い感じなのに。っていうか一年生でレギュラーって強いね」
「強かったらなれるから。青学は」
「あはは、そりゃそっか。それが普通だよね」
杏の視線が泉と布川に捕まっている悠介を捉えている。
どういった視線か、リョーマは彼女をじっと見つめて考えていた。
「面白いと思うんだけどな。君たちのペア」
少しして、勝利したのは自分たちだが次の試合は譲って、泉と布川との会話を終えてから悠介がコートを後にする。
リョーマと杏が話していたらしいと気付いて、珍しいと驚いていた。
「越前が初対面の人と喋ってる……大丈夫か? 本物?」
「俺のことなんだと思ってるの」
「クソ生意気な後輩」
「言葉遣い」
「ふふふ。仲良いんだね」
杏に指摘されて二人の視線が動く。
よく言われる言葉だ。当人は楽しそうに笑っていて、悠介が苦笑した。
「仲良い、ねぇ。本当かな」
「違った? プレーも会話もそう見えるよ」
「いやまあ好きは好きだけど、たまにめちゃくちゃ嫌われてるんじゃないかって目ぇするし」
「先輩がめんどくさいからでしょ。気持ち悪いし」
「気持ち悪いやめろ」
「あははっ。面白いねー」
ベンチに座っていた彼女が立ち上がり、悠介に一歩近付いて笑いかけた。
「ねぇ、二人はダブルスの大会出るの?」