データ上では知っていて、自分の目で試合を観戦したこともある。
知っている気になっていた。それでは足りなかったのだと改めて思った。
試合が始まり、コートを見る悠介は驚きで唖然としていた。
「ハイハーイ!」
「ヘイヘーイ!」
「ハイハイハーイ!」
「ヘイヘイヘーイ!」
とにかくうるさい。声掛けをするのは何よりだが特に意味もなく大声が響き渡っていて、観戦しているのも少し恥ずかしくなってしまう内容だった。
プレー自体は上手い。思わず感心してしまって見るだけで学ぶ点が多いと思うほどだ。
ただうるさい。審判が注意しないかとハラハラしてしまって気が気ではないほどだ。
「ハッハハッハハハハーイ!」
「ヘーヘヘヘーヘヘヘーイ!」
「いやうるさっ!」
「ほんまうるさいわ。転んで膝擦りむいて多めに血ィ出たらいいのに」
「いや二人とも、一応先輩だし仲間なんだから……」
豪快に笑っている金太郎とは裏腹に、財前は汚物を見るような目で先輩たちを見ていた。気遣う悠介が声をかけても二人の態度は変わらない。
確かに同じ学校に通っている先輩であろうと呆れてしまう姿だろう。苦々しい顔をする財前の気持ちがわからないでもない。あれで彼らなりのコンビネーションが発揮されているのかもしれないがなんとも言えない気持ちになった。
カウントは今のところ大きく動く気配がない。
ラリーが長く続いて1プレーが長い。どちらも良い動きをしているのだが、それでも、あの二人にしてはやけに落ち着いているなという印象だった。
「へぇ。意外と様になってるじゃないスか、あの二人」
「お前……俺を見捨てたくせにさらっと入ってきやがったな」
「すいません。うるさかったんでちょっと離れました」
「俺がどれだけ苦労したと……」
「誰? 誰?」
「宮瀬君の後輩や」
観戦する悠介の隣にふらりとリョーマがやってきた。一度は見捨てた相手だが試合を見ていると気になることでもあったのか、自らの機嫌次第で近寄ってくる。
金太郎が興味を持ったらしいのだがぐっと財前に頭を掴まれ、せめて試合が終わるまではと制止された。話があることもわかっていたのだろう。
「相手はうるさいけど、うちの先輩もやるじゃないっスか」
リョーマは桃城と海堂のダブルスを見ながらそう呟く。
初めて聞いた時、悪い冗談だと思ったものだが、実物を見てみれば意外と形になっている。この日のためにかなり練習したそうだがその成果は出ているようだった。
そう思って悠介の意見を聞いてみようと思ったのだが、ちらりと表情を窺って気分が変わる。
悠介は難しい顔をしていた。同期の二人を見て機嫌が良くなってはいない。
意外な反応ではあったものの、だからこそ何かしら理由があるのだろう。わざわざやってきたのは彼の意見を聞くためだ。リョーマは悠介へ意見を問うた。
「どうかしました?」
「いや、なんて言ったらいいか……遊んでるわけじゃないと思うけど、金色先輩と一氏先輩はまだ本気でやってないような気がして」
「チューニングみたいなもんでしょ。今言うた通り遊んでるんすわ。ちょっとでも長引かせたい思てわざとラリーしてますよ」
悠介の疑問に答えるために財前が面倒そうに呟いた。悠介が面倒なのではなく、またああいうことをしているな、と先輩たちに思うのである。
自然と悠介とリョーマの視線が彼へ集められ、気付いた財前がはぁと息を吐いた。
「悪い癖なんすわ。気になる相手の時、最初の1ゲームはわざと長引かせるんです。どれくらい動けるか見極めて、どれくらい楽しめるか感じ取るために」
「マジで? でも、それってなんか感覚派みたいな……金色先輩ってデータテニスとかやる人なんじゃないの?」
「全然。聞いたことあるでしょ? あの人のテニス」
「変態テニス……」
「別に性癖の話やないんすわ。そう思てる人は多いでしょうけど」
時折、黙って観戦に集中する瞬間がある。
桃城と海堂のプレーは悪くない。
それでも中々試合が進展しない。
1ゲーム目のデュースで試合が止まってしまい、どちらかが取ればすぐさま取り返す。そんなやり取りをひたすら繰り返している。桃城と海堂は連続して得点しようと躍起になって攻めかかっていくのだが、元気に大声で応じながらも小春とユウジが食らいついて譲らず、時にはラッキーのようなプレーも加えて確実にポイントを取り返す。
金色小春の変態テニス。
もしもこれが全て計算通りだとしたら。悠介はぞっとした。
「もしかしてわざとやってる?」
「この辺はずっとね。でももう十分やったでしょ」
「いやー入りました! 感涙です! まだテニスができますぅ!」
「ナイスやでー小春! ナイス食らいつきやでー!」
「くっ、うるっせぇなぁ……!」
晴れやかな笑顔と共にハイテンションで声を出し続ける小春とユウジの態度に、桃城と海堂が苛立っているのは顔を見れば一発でわかった。本人たちがおそらく意識できていない状態で、攻撃を急ぐあまり少しずつプレーが荒くなっている。
隙が増えれば決めるのは容易い。
ついに小春が連続して得点を決め、1ゲーム取ったことで若干空気が変わった。
「あの二人、ダブルス初めてですか?」
「え? あぁ、多分最近は練習してたけど、元々シングルス専門でほとんど経験ない」
「もう無理っすわ。うちの鬱陶しい先輩らの勝ちっすね」
つまらない、とでも言うかのように、財前がさっきよりも冷たい声で言う。
ぎょっとした悠介が目を丸くする一方、リョーマはさほど驚かずにそう言った彼を確認した。
「確かに鬱陶しいけどあの人らかなり後輩の面倒見いい方なんすわ。うるさいけど教えるんも上手いしよう見てるから個別の指導もできる。金色先輩のケツばっか触ってる一氏先輩ですら後輩指導に定評あるぐらいですからね」
2ゲーム目から明らかに展開が変わっていた。
桃城と海堂の顔が曇るのは対戦相手がうるさいからではない。明らかに違うと肌で感じて、冷静になろうとしても点が取れなかったからだろう。
「シングルスはそこそこかもしれんけど、自分の武器の使い方も知らん奴に、その道の専門家が倒せるわけない。あんなもん同じコートに立つんも失礼なくらいや」
おそらくそれは、彼なりに先輩への敬意を持っていたから出た発言なのだろう。そう違わない態度で退屈なのか金太郎が大きなあくびをしている。
そう感じた悠介は、実のところ似たような感想を抱いていた。
自分と越前が組んでも今の桃と海堂にはまず負けない。それが素直な分析だった。
とにかくボールを拾わなければ話にならない。桃城は必死に走り回って打球を打ち返していた。
パワーはそれほどないのだが優れたコントロールで的確に嫌なところを突いてくる。特に小春との打ち合いになってから自分の苦手コースが読まれたかのように正確に狙われていた。おかげで力の入った球が打ち返せずに押し切れない。
なんとか雰囲気を変えなければと焦り、助けを求めるように海堂の姿を確認する。
キュキュッと靴音を響かせ、海堂は正面に陣取るユウジを振り切ろうとしていた。
右へ動けば右に動き、左に動けば左に動く。フェイントを入れてフリーになろうとしてもその男は正確についてきた。
まるで鏡を見ているかのよう。苛立つ海堂はついに感情を隠せずに口を開く。
「「お前おれの真似してんのか?」」
全く同じタイミングに揃えて発言してきた。地声こそ違うが声色を変え、口調もテンションも滑舌まで同じでよく特徴を捉えている。
ユウジの特技は“モノマネテニス”だ。相手プレイヤーの癖を掴んで、プレーだけでなく発言や性格までそっくりそのままになって再現する。まるでもう一人の自分が相手コートに居ると錯覚したプレイヤーも少なくない。
思う通りのプレーができずに苛立ちが募っていく。
桃城はパワーで押し切ろうとして、海堂は得意技の“スネイク”を惜しみなく使った。
そうした思考も的確に読まれているらしく、冷静に対処されて動揺させることさえできずに平然とボールが返ってきた。
「ほーらいくでユウジ~! かっこいいとこ見せたってやぁ~!」
「フシュー……」
小春の急加速するようなスピードボールが桃城の胸元を狙った。反射神経に優れる彼は驚きながらも咄嗟にラケットを胸の前で構え、辛うじて返す。
ボールが高く上がって落下してくる。
チャンスボール。ユウジが駆け込んできてラケットを振り上げた。
「くそっ、下がれ海堂! 来るぞ!」
桃城がそう叫んで二人でスマッシュを警戒する。しかしユウジの攻撃は違っていた。
グリップを手放すギリギリの位置で持って、大振りで振るうとボールに強烈なスピンをかける。スイングを見ればそれだけでわかった。
ぎゅんと空中で曲がってくる独特の打球は獲物に飛び掛かる蛇のよう。今までに何度も見たことがある海堂の得意技“スネイク”だ。
咄嗟に飛びついた二人だがもう少しのところで届かず、ボールはコートに触れて外へ出ていく。
「いや~すごい! よーやったユウジ! あんたは男や、雷様やぁ!」
「フシュー……うるせぇ」
「いや新鮮っ⁉ あの子の真似してる時めっちゃクールやん! これは新たな発見、っていうか! ユウジよりあの子の方がかっこええんちゃう⁉」
「なんやとコラァ⁉ お前俺の前で浮気する気かいっ!」
「てへっ♡」
「クッソ……! 可愛い顔しても許さんからなァ!」
やり取りは相変わらずでプレーが止まると力が抜けてしまう。
怒りがあるやら焦っているやら、二人の動揺は決して小さくなかった。
どうするべきか。どうすれば勝てる。
それぞれで黙って考える桃城と海堂に小春が話しかけた。
「いやー君らすごい技持ってるねぇ。それやったらアタシも一肌脱ごうやないの。おっと、とは言うてもほんまに脱ぐわけちゃうで?」
「エロい妄想すんなやっ!」
「全然してねーっスけど……」
「心配せんでええよ。アタシは宮瀬君と違って技なんかたった一つしかないから」
宮瀬という名前を出してきたことに驚きつつ、挑発的な物言いに警戒心が高まる。
「せっかくやから見せてあげるわ。ちゃんと見切って返せるかな~?」
「ま、返されへんくても恥やないけどな。当てただけで褒めたるわ」
わざわざ宣言した後でプレーに戻る。そういった態度も自分たちが舐められているのではないかと思ってしまうのだ。
相手は全国大会常連の四天宝寺中から来ている。強いことはわかっていた。だがここまでふざけたテニスを見せられて平常心ではいられない。
絶対に勝つ。どちらも何も言わずに桃城と海堂はそう決意していた。
「ほな行くでー!」
小春のサーブでプレーが始まる。
危なげなく海堂が小春の前へ打ち返して、さっきまでと同じフォームで身構えて待った。
パワーとスピードはそこそこ。コントロールだけは抜群にいい。
すでに小春のプレーを見ていた桃城は自分の前へボールを打たれても動じなかった。絶対に返すと決めて前へ走り、パワーショットを打つため絶好の位置を取った。
その時、ボールが異様なバウンドをして自分の前から逃げていく。
あっと思った時にはすでに遅く、姿勢が崩れても必死に取ろうと飛びついたが、タイミングが遅くてすでに届かない。
決して速くもない打球がぽんと地面を跳ね、あっさり得点が決められた。
「アタシが持つ唯一の技の名前は“
さっきまでと同じフォーム、全く違う打球。話す声色まで違って聞こえた。
ラケットを振り抜いた状態で静止していた小春はゆっくりと腕を下ろす。
驚愕する桃城と海堂に向けて、たっぷりと余裕のある声で語る。
「孔雀が美しくて大きい羽をバサッと広げるように、アタシの攻撃もバサッと広げてどこへ飛ぶかわからへん。金色の方は、なんか、あの、アレやんか……アレっぽい感じがあるやんかぁ!」
「きれいやからやでー! 小春がきれいやからなんやでー!」
「いや、普通に名字とかけてるだけなんじゃ……」
呆れる桃城が思わず口を挟むものの、その声には普段と違って覇気がない。
追い込まれている自覚はあった。我武者羅にやって勝てる相手ではないとわかっていても冷静になるのは難しく、飛び抜けて上手いようにも見えないのに点が取れないのが不思議でならない。
焦る桃城は必死に思考を巡らせ、海堂もまた自然と黙り込んでいた。
「なーんか君ら、おもろくないねぇ」
小春がぽつりと呟く。至極つまらないと言いたげな口調だった。
流石にカチンと来たのか、返す刀で桃城が答えた。
「そりゃすいませんでしたねぇ。お二方みたいに面白くなくて」
「いややわぁ、そういうこと言うてるんちゃうのよ。別にアタシらも自信あるわけじゃないしな。お客さん引いてんのとか結構わかってるつもりなんやで?」
「ムード作れても爆笑は取られへんのよな、俺ら」
「そうやってカミングアウトされんのもちょっと複雑っスけど……」
「そういうことが言いたいんやなくて」
意外にも小春は真面目にアドバイスをするつもりだったようだ。
「なんか君ら、教えられた通り教科書通りって感じのプレーやなぁ。せっかくええもん持ってんのに全然使おうとせぇへんやんか」
「せやな。そっちのツンツンは高さと前後強いし、バンダナは横が速くて決め球のめっちゃええ必殺技持ってはるわ。あの技めっちゃかっこええなぁ。ちょうだい?」
「なんであれもっと打たせてあげへんの? あんなん打てる中学生滅多におらんで?」
「モノマネしたら俺も打てるけどな」
真剣な指摘だった。桃城と海堂は呆然と聞いてしまう。
対戦相手だというのにわざわざそんなことを言ってどうするつもりなのだろう。
そう思いながら、聞き逃してはいけない気がして真剣に聞き入れた。
「それに君ら、全然声掛け合わへんねんね。アタシらはよううるさいとか言われるけどこれって結構意味あると思うんよ。プレーの確認できるしやる気出るし、アタシらくらいうるさいと相手にも影響与えるからね」
「うるさぁてイライラしてたやろ。隠さんでええで。大体みんなそうや」
「信頼し合ってないペアを怖いとは思わんわ。ま、今日は勉強やな。思いっきり負けて帰り」
そう言った二人の姿は先程とはまるで違って見えた気がした。
固まってしまった桃城と海堂へビシッと指差し、小春とユウジは息を合わせて言う。
「俺らは片時も離れず全てを理解し合ったんや。おかげでガチになりました!」
「アタシらもっとめっちゃ強いでぇ~。個性の戦いご賞味あれ」
鮮烈な存在だった。何も言い返せないまま試合が再開される。
宣言通り、個性を武器にして戦う二人は優れたコンビネーションを見せつけてきた。時に遊んでいるかのように、時に隙を逃さない殺し屋のように、的確に大胆不敵に得点してますます相手を吞み込んでいく。
あらゆる手段で対戦相手の心を折って抵抗をなくさせる“変態テニス”。
桃城と海堂は1ゲームも奪うことなく敗退した。
見ろと言われたからでもある。だがそれ以上に興味深い試合だった。
片時も目を離さずに観察していた悠介の目に同校の同級生の姿はない。
顔つきと雰囲気が変わったことに気付き、リョーマのみならず財前までもが、本番になれば何かしらの変化がありそうだなと感じていた。