テニスの王子様の言うとおりっ   作:ヘビとマングース

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29 似て非なる者

 意識するのは目だ。

 ラケットを握って身構えた悠介は自分へ言い聞かせる。

 

 ゲームを支配する。自分にできるとは思っていないが心に深く響いている。自分が目にしたそのままの姿が完成形とは思わない反面、確実に自分が目指す方向にある強さだと理解していた。

 跡部を意識して、真似をして、盗む。自分の力にする。

 今がちょうどいい場面だと感じ取って、悠介の表情は緊張感を保っていた。

 

 前に立つリョーマがちらりと振り返ってきた。

 視線を合わせ、問題ないと伝えるべく小さく頷く。

 やれやれと言いたげな彼は深く息を吐き、わざとらしく苦笑して言ってきた。

 

「気負いすぎてミスんないでよ」

「お前最近タメ口率高くない?」

「気のせいっス」

 

 いつも通りのやり取りで冷静な状態を保てる。

 普段は悠介がリョーマをフォローして面倒を見ている印象が強いのだが、中々どうして、試合を前にするとリョーマが悠介の精神状態をコントロールしている節があった。

 

 自覚はある。意識しているのかいないのか、リョーマが顔色を見ているのは確かだ。生意気で頻繁に敬語を忘れるが意外にも悠介の変化は見逃さない。

 気合いを入れられて試合に集中する。

 リョーマの言葉で悠介は不服ながらも落ち着き、静かな呼吸と共に意識が研ぎ澄まされた。

 

「約束通りひねり潰してやる」

「よっ、よろしくお願いします! あっ、いえ、ひねり潰すとかじゃなくて試合を……!」

 

 ボールを持ったのは亜久津だった。

 最初のサーブを行うためサービスラインより後ろに立ち、ラケットを持つ右手を掲げて異様な構えを取る。長い腕がその姿勢を不気味に感じさせていた。

 

 緊張の一瞬。

 今大会で早くも鮮烈なデビューを飾った悠介とリョーマの二戦目。

 対するはこちらも一回戦で異様だと注目を集めた、常識知らずのプレーで圧倒的な勝利を手にした亜久津仁、下手で頼りないが亜久津をフォローしようと必死に動く壇太一のペア。

 果たしてどちらが勝つのか、否が応でも期待値は高まっていった。

 

 左手に持っていたボールが放り投げられた。

 思わず息を飲み、観客が静まる。

 しんとした空気の中、亜久津が右腕を振り上げ、ラケットで打つ。

 強烈なインパクト。空気を切り裂いてコーナーへ、正確な狙いで真っ直ぐ突き進む。

 

 言うだけあって強烈な打球だ。反応した悠介は素早く絶好のポジションへ入って打ち返す。腕にわずかな痺れが走るが、河村に比べればどうということはない。

 さあ、どう来るか。

 悪い癖だ。まずは様子を見ようと考えてしまう。

 振り返れば柳沢・木更津ペア戦も序盤は同じで相手の出方を気にしていた。スロースターターと言われる大きな要因でもある。

 

 亜久津は序盤から動いた。徐々に調子を上げるなどという考えは一切ない。

 返す刀でコーナーを狙った打球へ、スライディングしながら追いつき、その勢いを利用して低い姿勢のまま打ち返してくる。通常ならばあり得ない姿勢。それでいて打球は素早く力強い。決して無理をした動きではなかった。

 観客がおおっと声を漏らす一瞬、驚きながらも悠介は反応した。

 

 亜久津仁。

 以前から聞いていた、二年の終わりに山吹中学校テニス部に入部した異質のプレイヤー。

 ダブルスが有名な学校の中で際立ってシングルスが強く、逆にダブルスの経験はなし。素行が悪くて練習にも試合にも参加しなかったらしい。

 入部したのは顧問の先生がどうしてもと誘ったからのようで、実力はあるらしいがデータは限りなく少ない、だが警戒した方が良い選手なのだと青学データ班は言っていた。

 自分が対峙して、目の当たりにして、瞬時に理解する。

 この人は強い。そう思った途端に目つきが変わった。

 

「オラァ! なんだこのへなちょこボールはァ!」

 

 亜久津のプレーは瞬く間に人を惹きつける。

 バネのある動きで軽やかに跳び、最短距離でボールへ追いつくと、長い腕を振り回して豪快かつ強烈なスイング。細い見た目に反して強いパワー。しなやかな動作は動物を思わせ、如何なる姿勢であろうと軽快にボールを打ち返す。

 奇跡的なボディバランス、高い身体能力、そして天性のテニスセンス。

 見る者が見れば一目でそれとわかる、名前を知らないのが不思議なほどのプレイヤーだった。

 

 荒々しいが打球のコントロールは悪いどころか優れている。豪快な体の動かし方とは裏腹に緻密で狙い通りの位置へ向かっているようだ。

 何度か打ち返した後、悠介はその感触を覚える。

 腕が微妙にぴりりとする感覚。パワーはある。見てから動いてボールに追いつくスピードも、思い通りに打球を動かすコントロールも。そして大きな武器であろう、スライディングや異様に低く這いつくばった状態でもボールを打ち返せるボディコントロールもある。

 わがままで自分勝手。だから強い。知られていないが彼はカリスマの強者だ。

 

 どうやら狙われているらしい。悠介が力のないボールを上げた。

 見るからに遅い打球が頭上から降ってくる。

 にやりと笑う亜久津は軽やかに跳び、豪快なスイングで迎え撃つ。

 

「ハッハァ! そんなもんか!」

 

 強烈なスマッシュがコートに叩きつけられ、得点が入る。

 たったの1ポイント。それでも観客は何か重大なものを見た気がしてならならい。

 亜久津自身もそうだ。生意気なチビよりも先に明らかに凡人に見える悠介に狙いを定め、集中的に攻撃を仕掛けて確かめた。

 

 結論は、やはり凡人。退屈な相手だ。

 見下すつもりにもなれずに亜久津は舌打ちをする。

 太一が心配そうにきょろきょろする一方、亜久津は悠介を見て言った。

 

「クソつまんねー。こんだけ打てば大抵わかるもんなんだよ。お前センスねーな」

 

 心底つまらないという顔で言われて、悠介は苦笑して小さく会釈をした。

 何も言い返さない。それは予想できたが、気になることもあってリョーマが尋ねる。

 

「なんで返さなかったの?  無理じゃなかったよね」

「や、まだ1ポイントだし、重要な局面じゃないと思って」

「わざと落とすのとか好きじゃない」

「お前時々怖い顔するよね……」

 

 リストバンドでぐいと顔を拭い、ふーっと深く息を吐いてから悠介が体の力を抜いた。

 一試合を終えてすぐに次の試合だ。これまでに経験がない出来事である。ただでさえ試合経験が少ないのに苦しくなりかねない状況だった。

 そんな中で落ち着いている顔に見えて、ひとまずリョーマは安堵している。

 

「あの人、わかりやすい性格してそうだし、ムキになってやり合うのはよくない。冷静な状態だと多分俺の技にも反応できるだろうし」

「演技すんの?」

「そこまでじゃないけど、序盤は今まで通り。お前が主力でエースだ。頑張れ」

「ふうん。まあいいけど」

 

 次はリョーマのリターン。ラインの外へ移動しようとする彼に悠介が言う。

 

「それにあの人、ダブルスは不慣れだ。穴はあるよ」

 

 珍しく自信を感じる声色だった。

 適当な返事をして顰蹙を買いつつ移動する。

 シングルスはともかく、ダブルスについては相応の自信を持つ男だ。今日は他人に影響されてやけに強気なのが気になるものの、嘘を言っているようには思えない。ひょっとするとこの1プレーで何かを掴んだのか。勝機を見出したのかもしれない。

 

 試合は始まったばかり。問題はない。

 再び亜久津のサーブで試合が動き出す。

 リョーマが冷静にリターンをして、すかさず前へ出た。

 

「好きにやっていいぞ。あともうちょっと俺のこと敬ってほしい」

「気が向いたらね」

 

 これまでずいぶん負けてきて負け慣れしている彼とは違い、リョーマは負けず嫌いだ。挑発されればすぐに乗るしたとえ1プレーであったとしても負けることは許したくない。

 パートナーのことなど微塵も考えずに得意とするネットプレーのため前へ走る。

 颯爽と太一の前へ現れて、激しく動揺する彼へ笑顔を見せた。

 

「うわわわっ⁉ 越前君!」

「どーも。あんた誰?」

「もっ、申し遅れました! 山吹中一年、壇太一と申しますです!」

「あっそ。俺、越前リョーマ。負けないから」

 

 地面を強く踏みしめるギュッという音がやけに大きく聞こえた。

 リョーマは豪快に飛び出し、ボールへ飛びつき、太一が驚いて肩を跳ねさせる。

 

「わあっ⁉」

「あとあんたの先輩より強いよ」

 

 亜久津が打ったボールをネット際で捕まえ、空いたスペースへ強烈に打ち込む。誰もが驚く早業に唯一反応できたのは他ならぬ亜久津だった。

 驚くほどでもない。彼は冷静に追いつく。

 コーナーギリギリを狙う打球へ滑り込むようなスライディングで追いつき、相手のコートの状況を一瞬で把握し、点を取るために打ち返す。

 亜久津の行動は全てが攻撃だった。防御するなどという考えは一切なく相手を攻める。

 

「こんなもんか! ぬるいんだよ!」

 

 誰もが驚く正確で強力な攻撃だった。

 その打球へ再びリョーマが飛びついて事も無げに打ち返す。

 亜久津が走ったことで空いたスペースへ打ち込み、念のため後ろへ下がっていた太一が触れられないスピードで、正確に二人の間を抜いた。

 会場が静まり返り、亜久津が初めて目を丸くする。

 

「なんだ、大したことないじゃん。うちの先輩の方がよっぽど強いよ」

 

 不敵な笑顔で堂々とした挑発。ご丁寧にラケットで亜久津を指している。

 あからさまな態度で観客はきょとんとしてしまい、あまりの物言いに緊張感すら生まれている。柄の悪い亜久津にそんなことを言えばどうなるか。

 

 亜久津は言葉を失っている様子だった。これまでにも彼に対して挑発を行った人間は居た。口先ばかりで苦戦することすらない雑魚ばかりだったと記憶しているが、口先だけならなんとでも言えるのだから不思議ではない。

 それよりも問題は、自分が取れない打球で得点されたという事実だ。舐めてこそいるがテニスに関して絶対の自信を持つ亜久津から点を奪い、彼はわざわざ挑発までしている。

 

 先輩とやらが誰を指すのかは知らないが、亜久津は笑った。

 初めての体験に感情が爆発するように、声を高らかに響かせて大笑いする。

 

「ハーッハッハッハッハァ! 小僧……そりゃあ面白いなァ」

 

 意外にも一触即発とはならずか。

 そう思った人々が安堵したのも束の間、亜久津は笑顔のままリョーマを睨みつけ、まるで悪魔のような形相に変わる。対峙するリョーマも不敵な笑みで眼差しは鋭く睨み返す。

 

「潰す」

「それしか言えないの? どうせ無理だろうけど頑張ってね、期待外れさん」

 

 亜久津の顔から笑みが消えるのは早かった。はっきりと怒りを示して形相が変わり、離れて見ている観客までヒリヒリせずにはいられない雰囲気を感じる。それでもリョーマは一歩も退かずに笑みを浮かべたまま視線を外さない。

 一体どうなってしまうのだ。そんな危機感が一気に周囲へ広がっていく。

 中でも際立って空気が悪かったせいか、それぞれのパートナーは人一倍気を使う。先に悠介が太一の傍へ歩み寄って頭を下げ、彼もまた慌てて同じ動きをした。

 

「うちの一年がすいません。根は悪い奴じゃないんです。ただ生意気盛りで自分を制御できないとこがあるからあんな感じで、あと負けず嫌いがひどいだけで」

「あ、いいえ、こちらこそすみませんです。亜久津先輩はあれで意外と優しいところがあるんですが喧嘩が強いのでついつい暴力で解決を急いでしまって……」

「太一ィ! 余計なことくっちゃべってんじゃねぇ! 俺の足引っ張るんじゃねぇぞォ!」

「は、はひっ! 頑張りますです!」

「ちょっと、何喋ってんの。言っとくけどこれで負けたら飛ばすから」

「えっ、な、何を?」

 

 状況は複雑で、ダブルスの内片方が一触即発で、もう片方は温厚で気遣いがありそうだ。

 亜久津は大声を出して太一を叱り、敵とは一言も喋るなと言いたげに会話を遮った。そしてもう一方のリョーマは呑気な顔をする悠介の脛を軽く蹴り、彼が蹲る理由を作っている。

 

 気付けば早々にハラハラする試合になっていた。確かに注目度は高いが、どうなるのか見ていたいような見たくないような、複雑な心境で観客席がざわつく。

 試合が再開される時には応援の声をかけていいものかどうか、悩む者は多かった。

 図らずも会場は静かになってしまったが当人たちはまるで気にせずに始める。

 

 亜久津がサーブを打ち、悠介が打ち返す。

 頭に血が昇っているのは明らかだ。今度はリョーマに集中攻撃を仕掛け始める。迎え撃つ彼も逃げずに正面から打ち合い、挑んでいた。

 慌てながらも太一はもしもに備えてフォローする位置へ走り、縦横無尽に、身勝手に動き回る亜久津のペースに合わせようとしている。秀でた個性は見えないが健気なのは確かだ。

 激しいラリーが行われる最中、悠介は彼らのプレーを俯瞰的に見ていた。

 

 なんとなくわかるような気がする。

 意識するだけで今までとは違っていた。これまでにもなんとなく相手の動きや次のプレーがわかる瞬間があったとはいえ、集中力が高まり、偶然を待つしか体感する機会がなかった。それが今なら意識的にできる気がする。

 まだ完璧ではない。だが可能性は感じられて気分が高まる。

 

 ぶわっと内から湧き上がる衝動を感じた。

 自分が興奮しているのがわかる。今までの自分から変わろうとしている。

 思わぬ高揚感に体は気付けば動き出していて、驚いたリョーマが咄嗟に足を引いて退いた。

 

 ほんの一瞬の判断でボールを迎え入れた悠介がムーンボレーを放つ。大きく弧を描く軌道で相手の頭上を越え、コートのライン上に落とされた。

 反応は素早く、考えもせずに走った亜久津が後方へ走って追いついていた。

 まさかこれが作戦か。にやりと笑う彼が全力を込めて力強くボールを打ち返す。

 

「ハッハァ! おらどーした! この程度――!」

「遅いよ」

 

 亜久津の返球を、ネット際まで素早く駆けたリョーマが捉え、鋭い打球を敢えて彼の足元へ突き刺した。勝ち誇ろうとしていた亜久津の足元を抜き、笑い声が止まると同時に表情が変えられる。

 太一が唖然として、亜久津が固まる一方、対峙する悠介とリョーマはこれが当然と言いたげな態度で立っていた。

 

「あれ? 拾えなかった?」

「お前……あんまりそういう、スポーツマンシップをガン無視する発言やめなさい」

 

 いつにも増して挑発的な態度のリョーマに若干引きつつ、悠介が呆れた顔をする。

 態度はいつも通り。しかし確実に変わろうとしている。

 彼らの強さを感じ取って、亜久津と太一の表情が変化しようとしていた。

 

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