33 お楽しみ
振り返ってみれば予想と違って、ここへ漕ぎつけるまでに大変な苦労があった。
話のきっかけは大会の噂を聞いた時のこと。氷帝学園の跡部は実力があるとはいえ基本的に調子に乗っているような傲慢な男で、何を始めても不思議ではないのだが、今回ばかりは大事だなと感じたのである。
ここは一つ、奴の宣戦布告に乗って参加してみようではないか。
そう思ったのが始まりだった。
ダブルスに限定された大会ということでまずはパートナーを探す必要がある。しかし迷うことはなかった。個人主義の強い立海において自分と彼は何度かの試合で固定ペアとして認識されている節があって、その考えに文句はなかった。
声をかけるならまずは彼だろうと迷わずに誘う。
「ダブルスの大会? ん~めんどくさいな。俺はパス」
まさかと思ったのだがもう一度尋ねても答えは同じで、聞き間違いではなさそうだと理解する。
確かに公式の大会ではないのだから参加する義務はない。だがペアを組んでいる相手から誘われたら断られないだろうと高を括っていただけに愕然としてしまった。
他の人間と組むのは気が進まないが、嫌だと言い出して説得を聞くはずがなかった。ブン太にその気がないのならその意見は梃子でも覆らないのだ。
仕方ない。別の人間を誘うしかないと考えて、そこが苦難の始まりだった。
では誰がいいだろうと思案して、深く考えることもなく同じテニス部員へ目を向ける。
立海大付属中学校は運動部の活動が盛んであり、中でもテニス部は全国大会は常連、大会二連覇を果たしてもいる。その中のレギュラーなどは文句のつけようもなく実力者だ。
ダブルス経験の有無という要素はあったが自分が慣れている。それ故に、まあなんとかなるだろうと考えて、誰か一人適当に捕まえればいいと思い、声をかけてみた。
「はあ? ないっスね。シングルスならともかくダブルスとか全ッ然燃えねーっス」
確かに適正はダブルスよりもシングルス。2年生で唯一レギュラーの座を取るくらい技術は優れているものの、協調性があるかどうかは別問題。それでも試しに本人の意思を聞いてみれば、なんだかイラっとする感じの返答だったので拳を握ってしまった。
思い切り拳骨を振り下ろしたい気分だが、近頃はパワハラだとか周囲の目が気になる。それはやめておこうと拳を解いて、思い切りデコピンする程度に抑えた。
「大会ですか。申し訳ありませんが、今回は遠慮しておきます。あまり興味がありませんね」
彼はシングルスのみならずダブルスにも適正がある。しかし立海テニス部の中で組む相手は基本的に一人であり、その相手は自分ではない。断られるのは致し方なし、とは予想していたものの、興味がないとまではっきり言われると少し傷ついてしまう。何も考えずすぐに興味を持った自分が馬鹿みたいだ、とは誰の前でも口にしなかった。
「プリッ」
重苦しい沈黙に耐えられず、逃げるように彼の前から去ったことで交渉は終わった。
「その大会なら俺も行くつもりだ。挑発に乗って多くの参加者が集まるだろう。改めて情報を集めるには良い機会だ」
冷静沈着で成績が良く、空気も読める彼が話を理解できなかったとは思えない。ならば確実に誘われていることを理解した上で断ったのだ。
忙しいなら仕方ない。ただ、はっきり断られるのも辛いが、はっきり言われずにやんわり断られるのもそれはそれで辛いものだと改めて知る結果となる。
「悪いが、俺はシングルスで勝負を挑みたい。ダブルス限定というなら今回は遠慮しておこう」
シングルスでリベンジを果たしたい相手が居るのは周知の事実で、ダブルスに興味を持てないのは自分の力を高めて一対一で勝負を挑みたいからだろう。真面目で真っすぐ、それと同時に頑固な性格でもあるため、そう簡単に自分の考えを変えられなくても不思議ではない。
断られるのは予想できたとはいえ、やっぱりか、と肩を落とさずにはいられなかった。
立海テニス部には他にも部員が居る。しかしここまで立て続けに断られた事実が意外にも重くのしかかっていて、このまま断られ続けたら立ち直れないかもしれない、と思う程度にはメンタルに影響を与えていた。
それだけは避けたい。こうなれば是が非でもパートナーを見つけて参加しなければ。
ジャッカル
あちらもこちらも曲者ばかり。正攻法ではどうしようもない。
こうなったら仕方ないと、考え得る限り確実な方法を取ることにしたのである。
「おい赤也、お前に貸した金まだ返してもらってなかったよな?」
「ええっ⁉ そうでしたっけ?」
「お前にはしょっちゅう奢ってもいるしな。どうせ金では返ってこねぇんだろ。なら体で払ってもらおうか」
「うわ……ダッセェセリフだしそんな趣味っスか」
「違ェよ! 俺とダブルス組んで大会出ろって意味だよ!」
「ちょっと勘弁してくださいよ。ジャッカル先輩と俺が? マジで悪い冗談っスね。そう言われて全ッ然心躍らねぇのはなんでだろ」
「うるっせぇ! こうなったら引けるか! とにかくやるぞ! 申し込むからな!」
「これ十分パワハラっスよー先輩。どうせなら柳先輩とかの方がよかったな~」
隠そうともせずにぶーぶー文句を言う赤也にデコピンをかまし、ジャッカルは宣言通りに大会参加の申し込みを行った。
ここまで断られては出ないわけにはいかない。何がなんでも出てやる。
そうした気概で準備を進め、当日を迎えたのだ。
当日を迎えて、ジャッカルの表情は曇っていた。
切原赤也が寝坊して遅刻。さらにバスの乗り換え失敗により間に合いそうもない。それだけでも頭を抱えてため息が止まらなかったものだが、それだけでは終わらなかった。
仁王雅治が代わりに出ると言い出し、切原赤也だと偽って出場を決意したのである。
「何がどうなってこうなってんだ……」
「そうしょげるな。試合には出られるだろ」
「思い通りにいかねぇなぁ……」
「人生は苦難の連続だ」
誰のせいで、とは思ったが言う気力もなくて口を噤む。
なぜかは知らないが仁王の潜り込みは成功してしまって運営から止められる気配がない。このまま試合が始まってしまうのなら、たとえ望んだ状況でなくても集中しなければ。
立海が掲げる旗には“常勝”“王者”と記されている。たとえ個人で出場する大会であっても負けは許されない。
コートへ入り、挨拶のためにネット際へ立った時、なぜか仁王は上機嫌だった。普段は他人に感情を読ませない彼が、今回ばかりは喜んでいるのがわかる。
仁王が狙って対峙し、自ら手を差し出したのは不安そうな顔をする宮瀬悠介に対してだ。
「やあやあ、どうもどうも」
「はあ、どうも」
珍しいほど友好的な態度で笑いかけている。こんな仁王は見たことがない。
仲が良いのか、などとは思わない。同級生であり同じテニス部員として彼をよく知るジャッカルは何らかの思惑があるのだろうと悟っていた。
あの仁王が、ただ単に誰かと仲良くなろうとするはずがない。
悟っていながら敢えて指摘はせずに、ジャッカルはリョーマと握手をする。
「調子はどうだ?」
「万全です。ちょっと疲れはありますけど、まだ全然」
「そりゃよかった。んじゃ、遊ぼう」
「あの、その遊ぶっていうのはどういう……」
「習ったままやってるだけじゃお前のポテンシャルは生かせない。もっとラフに考えて、お前自身の強みを生かすんだ」
握った手を離されず、悠介は覗き込むように前傾姿勢になる仁王の笑顔を見た。
本音がわからない相手だが、少なくとも今、彼が期待しているのは事実。
ぞくりと背筋に悪寒を感じる一方、視線を外せない悠介は胸が高鳴るのを感じていた。
「俺はお前に期待してるんだ。お前はもっと面白くなる」
「や、えっと、そう言われると結構プレッシャーなので、できればほどほどで……」
「嫌だね。俺の期待は俺が決める」
パッと手を離すと、後ろに数歩下がって改めて見つめられる。
思わず悠介が息を吞み、彼の姿から言いようのない迫力を感じた。
「遊ばせてもらうぜよ。準備はいいか?」
「全然良くないです」
「プリッ」
返事は聞き入れずに仁王は背を向け、位置につくため離れていく。
不安に苛まれる悠介が表情を歪めて立ち尽くしていると、傍にやってきたリョーマが対戦相手の二人を見ながら声をかけてきた。
「立海って強いとこでしたっけ?」
「うん。元々強豪なんだけど今年の3年は特に凄くて、全員が全国レベル。あの二人も手塚部長と同じくらいだと思っていいよ」
「ふーん。よく知ってるね」
彼らの試合は映像だけでなく自分の目で見たことがあった。乾のデータ整理を手伝った際にも気になって集中的に確認している。
知らないからリョーマは平然としていられるのだろうか。そんなことはない。知っていたとしても彼はきっと平然していただろう。
知らないだろうリョーマのため、悠介は対峙する二人について簡潔に伝えようとした。
「スキンヘッドのジャッカルさんはダブルスが得意でディフェンス能力が高い。それと異常なスタミナがあるから“四つの肺を持つ男”って呼ばれてる」
「なにそれ。フツーに気持ち悪くない?」
「おいやめろっ。異名ってのは大体そういうもんなんだよ。なんとなく雰囲気掴めてればそれでいいんだから」
突然ハッとしたジャッカルが振り返って視線を送ってくる。聞こえてはいないはずだが何か感じ取ったのかもしれない。慌てて悠介が頭を下げて、リョーマはじっと毛髪のない頭を眺める。
渋々ではあったが仁王に話しかける彼を見て胸を撫で下ろし、悠介がもう一人に注目するとつられるようにしてリョーマもそちらを見た。
「あっちの銀髪は仁王さん。乾先輩でもデータが取れなくて謎めいた人だよ。プレーのスタイルもこれって一つに言い切れないから、ついたあだ名が“コート上の
「犯罪じゃない?」
「コート上だけだから大丈夫……多分。とにかく次の行動が読めない相手で予測ができない――」
言っている途中で言葉を詰まらせ、表情が曇った。
リョーマが確認すると悠介は苦しげな顔をしていて、はっきりと困惑が見て取れる。
「俺の苦手なタイプだ。やばい、かな」
「へぇ」
自信がないだけなら驚かないが、苦手なタイプ、という発言はあまり聞いたことがない。
ダブルスを得意とするオールラウンダー。器用な立ち回りと技の多さで誰が相手でも一定の結果を出せる彼の力量を考えれば意外で、そこで初めて相手を気にする。
興味を持ったらしいリョーマだったが負けるつもりがないのは変わらない。今日の悠介は前向きで実力を発揮できており、自信を持とうと意識的に強い言葉を使っているのはわかっている。
恐れることはない。むしろ、王者だ常勝だと言われてやる気が漲り、意識的に自分を変える必要もなくリョーマは負けん気を見せていた。
今日の仕上がりなら問題はない。リョーマがあっけらかんと答えを出した。
「平気でしょ。先輩がヘタレなきゃ勝てますよ」
「お前はどういうつもりでそういうことを」
「今日はいつもよりキレてるし、やる気十分だし、何より俺が居るでしょ?」
自信満々に笑いかけられてうっと言葉を詰まらせてしまった。
確かにそうなのだ。個人技では勝てない相手でも、リョーマを主力にすれば勝てると亜久津との勝負で明らかになった。シングルスでは彼に勝てる可能性は低かっただろうが、ダブルスならばまるで話が違う。自分たちは余裕を持って勝つことができた。
ダブルスなら。淡い期待が自信に変わろうとしているところで、大きな力になっているのは間違いなく隣に居る越前リョーマの存在なのである。
「勝ちますよ。それ以外認めないから」
「わ、わかった。弱気禁止。虚勢でも、自分の理想を言葉にする」
「そ。俺も期待してますよ、先輩」
「うっ、応えられるように頑張りまーす……」
深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着け、顔つきが変わった。不安は滲み出ているが悠介は変わろうとしていて、彼の状態を見るとすでにリョーマは心配していない。
問題はない。今回も勝つ。
優勝よりも目の前の試合で勝つことを考えて、二人は定位置へ移動した。
彼らを見たまま、仁王がジャッカルへ声をかける。
作戦会議はしていない。一応決めようと訴えるジャッカルに対し、必要性を感じない仁王が全く応じなかったためだ。
確かにそれでも負けるつもりはないが、せめてペアとして一定の会話くらいはしたい。
そう考えて、断念して嘆息するジャッカルに、仁王が口元に笑みを浮かべて言う。
「ジャッカル。あいつらを勝たせろ」
「あ? 何を突然……はあっ⁉ お前今なんつった⁉」
「この試合はあいつらに勝たせるぜよ。ただし、思い切り追い詰めた後でだ。ここで終わらせるより先に進ませたい」
「お前っ、また急にわけのわからないことを……! 俺の話は碌に聞かなかったくせに!」
「お前の話はつまらん。聞いても仕方ない」
「うおおおおおっ⁉ ちくしょう! やっぱり赤也を待つべきだった!」
絶叫するジャッカルのリアクションはまるで気にせず、仁王は楽しげだ。
「化けさせたいな。殻を破ってやる」
「お前がそこまで言うとは……なぜだ? そんなに有望か?」
「さあ? ただの勘だ」
飄々としていても目の色が変わったのはわかった。今日はやけに感情が表に出ている。
珍しい姿に驚きながらも、ジャッカルは気合を入れ直す必要があると判断する。
ここまで本気になっているとわかりやすい仁王は滅多に見られない。むしろ入学してから初めて見せたのかもしれない。
もしミスをすれば何を言われるかわからない。
今までにない緊張感を感じたせいでジャッカルは本気になり、しかし相手を勝たせるにはどうすればいいのだと困り果て、そもそもなぜ勝たせなければならないのだと混乱し始めた。