テニスの王子様の言うとおりっ   作:ヘビとマングース

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34 詐欺師の遊戯

 異変にはすぐに気付いた。

 プレーが始まり、互いにボールを打ち合う。その瞬間、その感触で、彼が本気でないことはなぜか疑いようもないほど伝わってしまった。

 

 どこか楽しげな仁王はしかし、ポイントを取るために打っていない。かといってあからさまに手を抜いているわけでもないのだが、ほぼ間違いなく自分の強みを生かしていないであろう、当たり障りのないプレーをしている。

 こんなはずではない。彼は明らかに本気を出していない。

 それでいて何かを狙っている様子が感じられる。

 

 不自然なほどにリョーマへは目を向けず、仁王が意識しているのは悠介。

 観察するようであり、誘うようであり、予想をしても謎めいていて真意が読み取れない。

 対峙したせいか悠介は早くも悪寒を覚えていた。凄く嫌だ。できればこの人とは、まだ戦いたくなかった。それが本音である。

 

 返球の大半はたとえ自分が近くともジャッカルに任せて、さも手を抜いていますと言わんばかりの態度でコートに立ち、じっと悠介ばかりを凝視している。

 この男は読めない。おそらく本気のプレーを見ても。

 きっと自分の苦手なタイプだ。

 不二に近いようで全く違う。データが手に入らず、事前に聞いた噂では、意識的に相手の裏をかく行動原理不明の“コート上の詐欺(ペテン)()”。

 

 観察しているのか、待っているのか、いまだ動きはない。

 そうであったとしても安心できないのは彼の一挙手一投足に何かを感じるからだ。

 油断は禁物。そして隙を見せてはいけない。

 

 こちらも様子を見るか、はたまた序盤から攻めた方がいいのか。不気味に笑う仁王を目にして考えがまとまらない悠介はプレーの精彩さを欠く。

 迷っている暇はない、とわかっていても、何を決定しても裏をかかれる気がして仕方ない。

 それでも動かなければならないと断じて攻めに転じた時、異変は起こった。

 

 悠介の打球へ仁王が追いつき、余裕を持って打ち返せるタイミングでボールを見送った。

 ミスではない。わざとだ。

 ポイントが取られて観客席がざわつく一方、その時ばかりは任せようとしたジャッカルが目を剥いて絶叫し、よほど予想外の行動だったのだろうと感じさせた。

 異様な空気の中、それでも視線を外さない仁王と悠介が目を合わせる。

 

「ゲーム宮瀬・越前! ゲームカウント1-0!」

「つまらん」

「おい仁王ッ! お前何やって――!」

「だから言っただろ? お前はマジメ過ぎる。せっかく色々覚えたのにさぁ、なんでもっと上手く使わないんだ?」

 

 他人が聞けば一体何を言っているんだと思われるだろう。現にジャッカルはそんなことはどうでもいいと言いたげに怒りを滲ませている。しかし指をさされた悠介は、これが真剣な指摘なのだろうと瞬間的に悟った。

 不満そうな顔を見せた直後、今度は一転して上機嫌に、友好的な声と態度で語りかけてくる。

 

「せっかく選択肢が多いのに、それじゃバレバレ。もっとわかり辛くしたらどうだ?」

「え、っと……」

「例えばさぁ」

 

 ジャッカルの発言は無視して早速プレーを始めようとしている。待ち切れないと言うかのような態度は非常に珍しい。それだけ上機嫌だということだろう。

 楽しんでいるように見えた。気付いたのは日頃から親交のあるジャッカルと、彼に目をかけられているらしい悠介だけだ。

 

「ほい行くぞ」

「おい、ちょっと、俺の話を……」

 

 ジャッカルの声は敢えて聞き流して、彼にボールを持たせた仁王がサーブを急がせた。

 待つつもりはない、という素早い行動は否が応でも試合展開を早くさせ、気まずい雰囲気は拭えないがサーブを打たれた以上は見送るわけにもいかず、正面で迎えた悠介が打ち返す。

 

 動き出すのが早かった。

 先程と今ではまるで別人。走り出しのたった一歩でそれが伝わる。

 意気揚々とボールの下へ走った仁王は、左手に持ったラケットをユラ~っと揺らし、その挙動を見た悠介が表情を変える。

 

 “スネイク”の予備動作だ。必要不可欠というわけではないが、海堂の癖としてよく知られた特徴的な動作であり、彼から学んだ悠介もそのまま真似して習得したものだ。

 大会の中で、試合の中で今日だけでも何度も見せた。どこかで見られていたのなら、ほんの数度見ただけで完璧に真似できたとしても、彼であれば不思議ではない。

 瞬間的に全身に力が入って身構えた。打ち返そうという強い意思を見せたのである。

 

 反応した悠介を嘲笑うかの如く、仁王の打球は軽々と彼の予想を超えた。

 “スネイク”の軌道を想像して待ち構える悠介の前へ、ドンッと大きな音を立ててインパクトした打球が、直線的に飛んで襲い掛かってくる。

 咄嗟に体の正面へラケットを構えたのはほとんど偶然だった。右腕に痛みとも思える凄まじい衝撃が走り、両足が浮いてひっくり返る。ボールは辛うじて返せたようだが、確認するのも容易ではないほど悠介は動揺していた。

 

 今のは悠介が習得して披露した河村隆の“(おとこ)(だま)”だ。

 見慣れたスイングから、あり得ない打球が来た。辛うじてボールを弾き返したとはいえ、思わず尻もちをついてしまい、座り込む悠介は愕然とした表情を隠せない。

 

「は⁉ なっ――!」

「よいよい。まだ俺のターンぜよ」

 

 高く上がって力なく落下してきたボールを待ち受け、再び仁王がスイングする。

 その構えはわかりやすく、やはり悠介が習得し、試合の中で使用したもの。

 “つばめ返し”だ、と察した悠介が素早く起き上がって、ボールが打たれるだろう軌道の先で待ち構えようとした。想像通りなら正面から来るはず。もし違うのなら、自分の予想が確信に変わる瞬間に違いない。

 

 仁王がラケットを振ってボールを打った。本来の“つばめ返し”とは異なり、今度こそ先程予想したはずの大きな弧を描いて“スネイク”が放たれる。

 ぎょっとした悠介が咄嗟に飛びつき、ダイビングボレーで危なっかしく拾った。

 

「んで、そのスイングで……⁉」

「さあさ、考えんしゃい。頑張って行きまっしょい」

 

 再び無防備に上がってしまったボールを待って、仁王が軽く跳ぶ。身軽な動作でぐるりと回ってラケットを振り回し、的確にスマッシュを打ち込んだ。

 その動作、今日だけでなく普段から悠介が使ってこそいないがよく知っている技である。

 仁王は楽しげに彼を見下ろしていた。

 

「仁王ビームだぞっと」

「えち、ぜん!」

 

 体勢を崩していた悠介は慌てて飛び起きるも、間に合わないと判断してリョーマを呼ぶ。

 フォローを任されたリョーマは一足飛びで悠介に近付いて、敢えて彼の傍を狙って打ち込まれたスマッシュを迎え撃ち、一度地面を弾んだボールを冷静に打ち返す。

 

 反応するのはまたしても仁王だ。リョーマは敵のコートを見やり、冷静沈着に状況を判断して、空いたスペースに打ち込もうとしていた。だが素早い動作であっという間に追いつき、素早い打球の威力を軽やかに殺して受け止めたのである。

 悠介の目はつぶさにフォームを観察しようとしていた。

 そのせいか、予想を裏切る攻撃は何度でも彼を驚愕させる。

 

 カラカラとラケットのフレームを地面に引きずって音を鳴らし、振り上げるスイング。

 ボールが高く上げられてライン上へ落とす“ムーンボレー”の予備動作だ。

 本来であればその技が繰り出されるはず。そう考えるが、不安に苛まれて心が揺らぐと、今までに感じたことのない緊張が体を固くする。

 

 スパンと軽い音を立て、ドロップショットが放たれた。それ自体は大石がやらなくもない選択肢の一つ。“ムーンボレー”の予備動作はフェイントに利用するために実行する動作でしかなく、絶対に必要なものではない。そこから相手の動きに合わせてネット付近にドロップショットを落とすことも十分にあり得る。

 ただ、気になるのはボールにかけられた強烈なスピンだ。

 嫌な予感がした時には遅く、飛び込もうとした悠介が間に合わずに地面に触れる。

 

 強烈なバックスピンでネット際まで転がっていった。

 手塚の代名詞と言える“零式ドロップ”だ。

 明らかに異なるスイング。本人のそれとしか思えない結果。悠介はひどく混乱した。

 

「なんだよ、それ……!」

 

 前から知っていたとしても、見ただけの技を即座にコピーできるとしても、それはあり得ない。

 本物に酷似したフォームとスイングから、全く違う人物の異なる技が繰り出される。スイングと打球が合っていない。理屈や理論をまるで無視した、何がどうなって実現化されているのかわからない攻撃。ただ真似するだけではない、意図的にスイングから予想できなくしている。

 

 あり得ない、と悠介は衝撃を覚えるのだ。

 部員の技なら誰よりも知っている自負がある。頭を下げて個別に教えてもらったからだ。

 理論的に、感覚的に、体感的に、他人が知り得ない細部まで理解している。それ故に、理屈を無視したその光景はまるで悪い夢のようで信じることができなかった。

 頭の中が真っ白になり、思考が吹っ飛んだ。信じ難い状況が彼のメンタルを揺るがす。

 

(あのスイングで、あの打球……あり得るわけない、けど、現実としてやってるわけで。あれじゃフォームを見てても先が読めない。意図的に読ませないためかっ。俺のプレースタイルがわかった上で攪乱してきてる……!)

 

 視線を向ければ仁王がにやりと笑ってこちらを見ていた。何を考えているのかさえ読み取られている気がしてならない。

 背筋に悪寒を覚える。

 以前から知っていたのか。ここまでの二試合を見て分析したのか。それともたった今、ほんの数度のプレーで全て読まれたのか。

 無意識的に思考が動いて考えてしまい、雑念を振り払うために悠介が頭を振る。

 

「越前、わかってると思うけど」

「あの人でしょ?」

 

 リョーマに声をかけると指摘する前に確認された。

 頷いた悠介は彼の隣に立って声を潜める。

 

「幸か不幸か、なぜか俺が意識されてるらしい。お前がノーマークなら、今の内にできるだけ仁王さんを避けてお前が攻撃の決め手に――」

「それでいいの?」

「え? いや、勝つための作戦で」

「逃げるんなら勝っても今のままだよ。狙われてるなら尚更、あいつに勝たなきゃ」

 

 それが当然と言わんばかりに言いのけるリョーマに対し、悠介はぽかんと呆気にとられた間抜けな顔を見せた。

 好戦的で血の気が多いのは熟知していたが、今回ばかりは素直に呑み込めない。狙われているのは悪目立ちする彼ではなく自分なのだ。

 いつもの弱気はすぐには消せないのか、すでに跡部の言葉の効力もない。

 慌てる悠介は反射的に手を横に振っていた。

 

「いやアホかっ。俺とお前は違うんだぞ。全く別物。そもそも身体能力違うし、あんなわけわからんスイングされたらもうすでにパニックで……」

「戦わなかったら今までのままじゃん。本当にいいの?」

 

 珍しく、嫌に真剣な態度だった。

 じっと見つめてくる目を見て言葉を詰まらせてしまう。適当に、普段と同じ返事をしてはいけないと思った。

 試合へ戻るきっかけを作るためにリョーマはにやりと笑い、軽快に彼へ背を向ける。

 

「平気っスよ。なんとかするでしょ」

「は? それは、俺が? おい、なんか無責任な……」

「ほら、続けるよ」

 

 ラケットで位置を指されて、無礼な奴だと思いながら素直に移動する。

 どうやら期待されているようなのだが、素直に喜ぶ反面、無遠慮で生意気な発言には相変わらず呆れずにはいられない。一体何を考えているんだ、というのが素直な反応だ。しかしプレーが始まれば後輩への愚痴を言語化していられる余裕など一瞬で失せる。

 

 もはや待つつもりなどない。仁王が早速動いた。

 嬉々とした笑顔は一目でそれとわかって、まるで獲物を定めたかのように悠介を見る。

 ジャッカルが迷惑そうな顔をしたところで微塵も気にしない。打球を横取りして、彼を押しのけてまでボールを拾う。

 素早くキレのあるスライディングで現れた時、目を疑った。

 ついさっきの試合で見た亜久津の挙動だ。

 

「なっ……⁉ また、そういう……!」

「正面ぜよ」

 

 飛び込むようにして前傾姿勢でラケットを振るい、強烈なインパクトでボールを打ち返す。自分が倒れることなどお構いなしという姿勢だ。

 宣言通り悠介の正面へと飛んでいく。

 回転はどうだ? 目を凝らして一瞬で判断しようとした。集中力は高められ、冷静に見切れた自分に驚く余裕すら失くして、それだと察した。

 

 後ろへ跳ぶと同時、正面の地面にボールが落ちる。

 ぎゅるぎゅると強烈なスピンで一瞬そこに留まったかのように見えた。

 直後、跳ね上がる。本来ならばあり得ない軌道。だが悠介はその跳ね上がりを知っている。見飽きるほどに後輩から打たれた。

 

 対処法なら、すでに知っている。ただタイミングとスイングがあり得ないだけ。むしろよく知る者としては絶好球にすら感じられる。

 顔面を狙って跳ね上がったツイスト回転の打球を、悠介は怯まず打ち返した。

 

 これが“コート上の詐欺(ペテン)()”。

 相手を欺くためなら初めて見た他人の技さえ我が物のように扱う。

 

 仁王がラケットでボールを捉えた時、違和感を覚えた。

 ドンッと爆発したように錯覚するインパクト。ネットを越える打球は大きく弧を描き、異様な迫力を伴ってやってくる。

 敢えて取らせるために体の傍へやってきて、無視できるはずもない悠介は愕然とする。

 

 微妙なブレを伴うパワーショット“漢球”と、ボールが描く軌道は“スネイク”。言わば二つの複合技とでも言うのだろうか。

 見知った技が組み合わさり、知らない技となって目の当たりにすることになった。

 

「ふざっ、け……!」

「あははァ」

 

 手元に来た打球を、両手でラケットを握って迎え撃ち、型を考えない大振りで強引に打ち返そうとする。普段のフォームが崩れてしまうほどに余裕がなかった。

 ガットに触れた瞬間、突き破られそうな強い衝撃を感じる。それでもなんとか受け止め、腕を振ることで強引に返すことができたが、自分の想像とは違って打球にまるで力が入らずふらふらと危なげなスピードでネットを越えていく。

 

 チャンスと見たのか、それとも戯れるように技を披露しようという考えだったのかもしれない。

 前へ走ってきた仁王が跳び、ネットを越えた直後のボールへ猛然とラケットを振り下ろす。

 悠介は眼を見開いて集中していて、分析と予測を続け、身構えて対応しようとした。

 

 フォームは“ダンクスマッシュ”。流石にスマッシュは小細工なしでそれだけで来るか? いつでも動ける姿勢で視界を広く保ち、思考は絶えず動き続け、集中力はさらに高まる。

 仁王によるインパクト。ボールが打ち出される。

 スマッシュを待っていた悠介の予想を裏切り、打球は彼の頭上を越えた。

 

「越前! 落ちるぞ!」

 

 流石にこれはアウトだ。誰もがそう思った。

 そう思わなかった悠介が叫んだ時、見送ろうとしたリョーマが急いで走るものの、ほんの一瞬とはいえ動き出しが遅過ぎた。

 

 コートの外へ出ていく特大ホームランだろうと思われた打球は、ある地点まで来ると急降下してライン上を叩き、Bを描く軌道で素早く二度地面に触れる。

 越前リョーマが得意とする、今日はたった一度だけ見せた“ドライブB”。

 全く違うスイングから、それとしか思えない結果を出してくる。確信を得た。この男の次の打球を読むのは不可能だと。

 

「よくわかったじゃん。でも一々落ち込むんはやめんしゃい。テニスはメンタルが結果を左右する競技だぞ」

 

 甘く見ていたと言わざるを得ない。舐めていたつもりはないとはいえ、噂や数少ないデータで、なんとかなるのではないかと思い込んでいた。

 とんでもない。これが“王者”立海の一人。ただ強いなどというものではなく狂気の沙汰だ。

 ぞくりと嫌な感覚が全身に走り、棒立ちになる悠介は何も言えずにいる。

 静かに伸ばされた指が彼を捉えた。

 

「まだまだだね」

 

 圧倒的なカリスマ性。今、生まれて初めて大きな壁が立ち塞がったのだと思う。

 率直に、素直に、本当にこの人に勝てるのか、と意志が揺れる。

 前途多難な展開に精神は呆気なく揺らぎ、視界がぐにゃりと歪んだ気がした。

 

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