テニスの王子様の言うとおりっ   作:ヘビとマングース

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36 ようやく覚悟ができたよ

 大汗を掻いて、重くのしかかるような疲労感に包まれ、大の字になって倒れていた。

 空は青く、肌を撫でる風が心地いい。前にも感じたことがある。もう嫌だと思うくらいには疲れているのに妙な爽やかさがあって、この瞬間だけは嫌じゃないと思う。

 はぁ、と息を吐いて、何をするにも億劫でただぼうっと空を見ていた。

 

「宮瀬! 休んでる場合じゃねぇぞ!」

 

 やけに元気な声に反応して、面倒だったが首を動かして視線を向ける。

 高い気温も影響して大汗を掻き、朗らかでテンションが高い桃城が笑顔で語りかけてきた。

 よくそこまで元気を保っていられるな、というのが素直な心境。厳しい練習の後で休憩を必要とせずに自主練習へ突入できる人間は限られているだろう。その一人と仲が良いものだから誘われるのも珍しくない。

 

「コツを掴んだ気がする! 俺の強みは反射神経とジャンプ力! パワーで勝つ!」

「チッ、うるせぇ。テクニックがなきゃ意味ねぇだろうが。勝つのに必要なのは粘りと精神力だ」

 

 元気な桃城に声をかけたのは海堂だ。入部当初からなぜかそりが合わないらしい桃城には常に対立し続けており、今回も敵対しようというつもりもなく、ただ本心を明かしただけで途端に緊迫した空気が流れ始める。

 すぐさま二人はどちらからともなく接近し、至近距離で睨み合った。

 

「なんだとコラ。やんのか?」

「ああ? 上等だ。コート入れよ」

「こらお前ら! 喧嘩するな! 休憩中はちゃんと体を休めろ!」

 

 喧嘩代わりに試合を始めようとした二人を止めたのは大石だった。普段は温厚で優しい彼だが後輩への注意は躊躇わない。考えなしに動き続けようとしているなら尚更だ。

 体を休めることにも意味はある。常日頃から無暗に練習を続ける桃城と海堂を止めると、心配されていることを知るためか大石の言動には逆らえない。二人は渋々という態度で離れていった。

 

 やれやれと首を振る大石があちこちで手を止めた部員を見回す。

 3年生や2年生の大半は平気そうで思い思いに過ごしているが、1年生は予想を超えたハードな練習メニューでぐったりしている者が多く、座り込む者は少なくない。

 

「みんな、午後の開始までゆっくり休んでくれ。水分補給は忘れずにな。竜崎先生からの差し入れも部室にあるから」

「あぢー……アイス食いてー。先生そっち差し入れしてくれたらいいのに」

「こら、失礼なこと言うな。わざわざ準備してくださったんだ。何であっても有難いだろ」

 

 大石の隣では暑さに参っている菊丸が舌を出して肩を落としている。練習の疲労よりも夏の気候の方が彼にとっては辛いらしい。

 気遣う大石が彼の頭にタオルを被せ、ドリンクを渡す。菊丸は礼を言いながら素直に受け入れてがぶがぶと一気に喉を潤し始めて、落ち着いて飲めと大石に叱られていた。

 

 彼らのやり取りを横目に見ながら悠介は倒れ込んだまま動かない。

 疲れているのも理由の一つとはいえ、もう動けないというほど余裕がないわけではない。ただ横になっているのが楽で、ぼんやりとまどろむのが心地よかったのだ。

 

 頭上から影が差して誰かが来たことに気付く。

 逆光で顔が見えず、ドリンクを差し出されて声をかけられたことで相手がわかった。

 

「お疲れ様。水分どうぞ」

「あっ。すいません……ありがとうございます」

「ふふ。今日は珍しく倒れてるね」

 

 微笑む不二からドリンクを受け取って、普段ならばすぐに起き上がるのだが、今回ばかりは自分が思う以上に疲れていたようで体を起こせない。

 寝転んだまま、隣に座る不二の姿を見上げていた。

 

「最近頑張ってるから、その反動が出ちゃったかな?」

「うっ……すいません。ちゃんと休んで無理してないつもりだったんですけど」

「桃や海堂に引っ張られちゃったんでしょ? 彼らも無茶するからね」

「もう限界ってわけじゃないんですけど、なんか、こうしてるの気持ちいいなーって」

「そっか。じゃあ僕もやってみようかな」

 

 そう言って不二が隣に寝転ぶ。

 温和で優しく、一方でどこかミステリアスだと言われがちだが、実は結構ノリがいい。悠介は驚くこともなく彼の行動を受け入れる。

 

 蝉の声が響く夏。燦々と照る太陽。青い空に、談笑する部員たちの声。

 妙に明るくて視界が開けているせいか色んな情報が入ってくる。

 青春っぽいな。そう思う。

 疲弊した体から力を抜いているだけで心地よく感じられ、微弱な風が体に触れることでより拍車をかけていた。

 不二が隣に居る安心感で悠介はふうと息を吐く。

 

「平気か?」

 

 本人たちは心地いいと感じていたが傍から見れば動くことすらできないほど疲れて倒れていると思われたのだろう。仏頂面の手塚が顔を覗き込んできた。

 不二がにこりと微笑んで反応した一方、ハッとした様子の悠介はついつい表情を強張らせ、脱力していたことさえ忘れて動揺を見せる。

 

「元気だよ。こうしてると気持ちいいんだ。手塚もどう?」

「遠慮しておく。宮瀬、問題ないなら構わないが汗は拭いておけ。体は冷やすなよ」

「は、はい」

 

 心配されているのだろうが彼と接する時はどうしても緊張感が拭えない。先輩の中でも一際目立つ存在であり、近付き難い雰囲気を放っている。

 起きるべきか否かを迷っていた悠介は指摘を受け、一息に体を起こすと流れっぱなしだった汗をタオルで拭う。

 相変わらずの態度に手塚は何の反応も見せず、不二はくすくす笑っていた。

 

「手塚は顔が怖いから、もうちょっと笑ったら? 一年生が近寄り辛いよ」

「怖い顔をしているつもりはない」

「笑顔がないっていうのがちょっとね」

「いや、あの、不二先輩。別に怖がってませんから。そういうことを言われると下の人間も色々と気を使っちゃうんで……」

「あぁ、そうか。ごめんごめん」

 

 見るからに気まずそうにする悠介を見ても不二はにこにこ笑っていた。

 天然なのか、意識的に言っている愉快犯なのか、彼の場合は判断がし辛いが、親しい相手には悪戯を仕掛けることもあることを知っていると後者のような気がしてならない。

 相変わらず表情が動かない手塚をちらりと確認して、多分怒っていないだろうと確認し、悠介はおずおずと彼へ話しかけてみる。

 

「あの、手塚先輩」

「なんだ」

「先輩は、試合の時って何考えてますか?」

 

 悠介が先輩と関わっているのは珍しくない。が、口数の少ない手塚と話す人間は部内においても珍しかった。

 なんとなく話し掛け辛い雰囲気があって、ただ近付いただけですら周囲の視線が集まるくらいには特別視されているのだ。

 今もそうだ。悠介が質問をしただけでちらちらと気にする部員は多い。

 近くに居る不二だけが楽しそうに、邪魔しないように眺めている。

 

「試合の時……試合中のことか?」

「はい。や、えっと、参考までにというか。俺ももっと強くなりたいなーって思うので、先輩方が何を考えてるんだろうって、その」

 

 緊張した様子で悠介がまごまごしていると、隣に居る不二が寝返りを打って彼に背を向け、口元を手で押さえていた。肩がわずかに震えているのを見ると笑っているのだろう。憧れている先輩とはいえじろりと睨みつけ、後で文句を言おうと決める。

 やはり愉快犯だ。間違いない。わざわざ顔を隠して笑うところが怪しくて仕方ないのである。

 

 数秒黙った後、手塚は真っすぐに悠介を見て答えた。

 その時にはまずい姿を見せては後が怖いと思い、すでに不二を睨むのをやめてきりりとした目をしている。

 

「質問の答えになっているかはわからないが……一年前、俺は当時の部長からこの部を託された。試合の前も後も最中も、テニス部を全国へ導くことを考えている」

「全国……」

「今は全国制覇のことしか頭にない。受け継いだ夢だが、必ず実現させると誓った」

 

 ただひたすらに先輩の背中を追いかけているだけの少年には想像すらできない世界だ。

 手塚はぽかんとする悠介へ真剣に伝える。

 

「強くなりたいと願うなら目標を持ち、覚悟を決めろ。自分の意志で決断するんだ。そしてお前の本気を疑うな」

 

 その時は意味がわからなかったかもしれない。しかしあの手塚が意味のないことを言うはずがないと考え、頷いて胸の中に留めておくことにした。

 彼は日頃から口数が少ない。言葉だけでは伝えにくいものがあるだろう。

 満足そうとは言えなかったが、それだけ言うと手塚は言葉で語るのをやめてその場を離れる。

 

「水分はきちんと取っておけ」

「あ、はい。ありがとうございます」

「ううん、シャイだなぁ。もうちょっと教えてあげればいいのに」

 

 相変わらず寝そべったままの不二が名残惜しそうに手塚を見送る。

 途端に悠介が厳しい視線を送るものの、当の本人はまるで気にした様子もなく、視線に気付いていながらにこりと笑いかけた。それで許してもらえると思っていそうで、事実彼に世話になっている悠介は許しそうになっている自分に嘆息する。

 

「楽しそうですね」

「うん。とっても」

「ハァ……でも、全国制覇。手塚先輩は本気なんですよね」

「だと思うよ。本当に、呆れるくらい真っすぐにそこだけを目指しているからね」

 

 言われなくてもわかる。彼の存在は部にとって特別だ。

 背中で語るというのはこういうことを言うのだろう、と入部して早々に感じ取った。わざわざ語らなくても彼が本気で邁進している姿を見れば得るものはある。

 

「手塚は大和部長に認められて変わったと思う。悠介もね、誰かのために頑張る方が性に合ってるんじゃないかな。本気で勝つとか、覚悟を決めるとか、いつかわかると思う。君が心からそれを望む日が来れば」

 

 意味深な言葉だ。不二はすでに何か掴んでいるのだろうか。

 考えてもわからなかった悠介はようやくドリンクを飲もうと口に含む。

 その瞬間、激臭と異様な味に襲われ、目を白黒させると体が跳ね、明らかに肉体が飲むのを拒否してどろりとした液体を吐き出してしまった。

 

「うぉおおおええっ⁉ まっっっず! なんっ、なんですかこの地獄の味は⁉」

「おっ、宮瀬。乾汁バージョン3.0を飲んだのか。地獄とは失礼な奴だな。これは2.0よりも飲みやすさと疲労回復効果を向上させてあるんだぞ」

「あ、ごめん。僕が飲むのと間違えちゃった」

「ちょっとぉ⁉ いっちばん間違えちゃだめなやつでしょ! クッッッソまずいですよこれ!」

 

 あははと気楽に笑う不二と、わかっていないなと含み笑いをする乾。二人を並べて見るとどうしても拭い切れない腹立たしさがあって、いくら世話になっている先輩だからといって我慢できるものではなかった。

 今まで静かだったのに一転して元気になり、悠介が騒ぎ出したことで部内が一気に過熱する。

 乾汁に文句がある者たちが立ち上がり、作った張本人である乾へ詰め寄ったのだ。

 

 休憩中だというのにひどく騒がしい。

 新たな乾汁をジョッキで取り出し、笑う乾と、明らかに怯みながらもこのままではいけないと文句を言う部員たち。

 相変わらずの風景に、離れていた手塚が頭を抱えていたのが印象的だった。

 

 不意に思い出す過去の情景。

 懐かしさと共に胸の奥へ仕舞っていた言葉を思い出した。

 

 

 

 大汗を掻いて、疲労感が体を包み、大の字になって倒れる。

 夏にはまだ早いがいつになく体が熱い。そう思っているのは自分だけなのだろうか。

 何気なく空を見上げて大きく息を吐き出す。

 会場の熱気や歓声とは裏腹に、今は不思議なほどに静かだった。

 

「まだ諦めてないよね?」

 

 手を差し出された。視線を上げると余裕綽々という顔のリョーマがこちらを見ている。そう答えて当然という顔が生意気だが頼もしくもある。

 呆れた様子でため息。悠介が手を取り、体を起こしてもらった。

 

 懐かしい感覚だ。久しく忘れていた、ただひたすら技術と強さを求めていた時期であり、先輩への羨望によって衝き動かされていた頃である。

 今も昔も変わっていない。自分はやはり誰かに引っ張られて動いている。誰かに憧れる力が原動力となって強くなろうとしてきた。

 

 ただ、今は状況だけが少し違う。

 後輩を持ってフォローしてやらなければいけない立場になった。特にこの手のかかる、実力があるのに協調性のない男は片時も目を離せない。

 誰かに引っ張られて、背中を追いかけるだけだった自分が、今度は誰かを引っ張ってやらなければいけなくなった。立場に強制されたとはいえ、それは大きな変化だ。

 

「ようやく覚悟ができたよ……先輩の言ってた通り、心からそれを望んだ時」

「何それ。むしろ今までできてなかったんだ」

「俺がお前を勝たせてやる」

 

 彼にしては珍しく強い言葉。挑発よりは彼らしいと思う。今まではとは明らかに何かが違って、覚悟を決めたという言葉も納得できる。

 拳を握って差し出された。

 それが覚悟の表れなのだろうか。鼻を鳴らして笑ったとはいえリョーマも手を上げる。

 

「俺が仁王さんに勝って、ジャッカルさんのディフェンスをお前の攻撃で突き崩せば、まだ十分に勝てる。得意だろ? とにかく攻めまくるテニスは」

「本当にできんの?」

「大丈夫。ちゃんと見てたから」

 

 意思を表明するように拳が合わせられた。

 途端、妙な感覚を覚える。不思議な安心感だ。なぜかはわからないがこれまでと違うその一瞬はリョーマを驚かせ、同時に、これなら勝てると思わせた。

 

「結局、俺にできるのは今までやってきたことだけだよな……」

「開き直った?」

「かもな」

 

 手を下ろして相手を見据える。

 にやりと笑う仁王は挑発するように悠介を見ていた。かかって来いとでも言いたげだ。

 彼を倒せば。超えることができれば。

 夢のような話だが、その光景を見たいと思う。

 

「全部読み切る。もう好きにはさせない」

「ほんとにできたら敬語使ってあげるよ」

「いやそれは使ってよ。忘れてそうだけど一応先輩だからね?」

「一応ね」

「こいつ……!」

 

 いつになくリョーマが楽しそうに笑って、傍から見ていても絶好調の状態なのだと伝わる。

 その理由はなんとなくわかる気がした。

 二人が拳を合わせた瞬間、ふわりと漂うように、彼らの体を柔らかなオーラが包み込んだのだ。あれが何らかの強化であることは間違いない。

 

 覚醒か、或いはその兆し。

 どちらにせよ面白そうだと思って、どうしてここまで放っておいたんだと引いた顔のジャッカルを気にせずに、仁王は嬉しそうに口角を上げた。 

 

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