テニスの王子様の言うとおりっ   作:ヘビとマングース

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38 ハイテンション

 加速する。加熱する。

 進化の道筋はすでに理解した。

 まだ自分自身では足りない。それは前々からわかっている。しかし自分を超える最強の武器を手に入れたのもまた事実。

 

 もはや悠介は指示するために声を出す必要性は感じていなかった。

 自身のイメージは考えた通りの形で完璧に伝わる。言語化して伝える必要はない。余計なタイムロスなど皆無なこの一瞬、望んだ通りの結果が得られる。

 

 リョーマがボールに触れる。体はいつになくよく動いて、頭の中に流れてくるイメージは、最初こそ初めての感覚に気持ち悪いと感じたとはいえ、慣れてしまえば屁でもない。あらかじめ用意されていた形をなぞるかのように、自分の動きが如実に変わる。

 小気味良い音と共に打ち返すと、加速する打球はジャッカルを走らせ、コートの端で拾わせることに成功する。次の一手で低い弾道の“スネイク”を打てば、流石のジャッカルも間に合わず、必死に手を伸ばしてもう少しで届くという位置まで粘りながらも止められずに得点が決まった。

 

 思い返せばそうしたプレーが増えていた。

 前後左右に揺さぶられ、ここぞという決め球でおよそボール一個分だけ届かない。毎度決められているかのようにあと少しが届かないところで得点される。

 

 ジャッカルは嫌な予感を覚えていた。ここまで苦戦しているのは仁王が好きに暴れて、決して勝つなと言われているからとは言い切れない気がする。仁王が何を考え、どの程度まで力を出しているかは不明だが、何もかもが偶然や運の悪さだとは言い辛い。

 ディフェンスに集中するよう言われているからこそよくわかる。ボール一個分だけ届かない絶妙な距離感は、おそらく拾わせないための作戦で意図的に狙われているのだ。

 

 今や警戒すべき対象はどちらかではなく二人になっている。

 小柄だが強気で異常な強さを持つリョーマだけでなく、大したことはないと高を括っていた悠介まで試合の中で進化している。今になって最も厄介だと感じるのは現状の全てをコントロールしているらしい悠介だ。

 

「冗談じゃねぇぜ……外部の大会だろうが負けたらどやされるってのに。仁王の奴……」

 

 ジャッカルは恨めしげに仁王を見るものの、もう指摘は諦めて何も言えずにいる。

 仁王は、素性や過去の多くが不明で、本当の実力は仲間ですらわからない。“王者”立海大附属中テニス部のレギュラーになる実力は確かだとはいえ、本人の機嫌次第でプレーの内容はいとも簡単に変わってしまい、今日のように自分の興味が向けば勝敗以外の拘りを見せることは珍しくない。

 敗北を許されない集団の中で、行動の読めない不穏分子であることは間違いなかった。

 

 手を抜いているのだろう、という事実は彼を知る者ならば見抜いていた。それは敵対している悠介も同じである。

 理解した上で、本気ではない今こそがチャンスだと悟っていた。彼が本気を出しさえすればいつひっくり返されてもおかしくないという危機感が付き纏っていたからだ。

 

 悠介が攻め気になったことでリョーマのテンションは最高潮に達している。

 元々防御より攻撃を好む性格である。認められるだけでなく背中を押されたことでリミッターを外した実感さえあったようだ。

 

「ヤバっ。めっちゃキレる……」

 

 頭の中に流れ込むイメージをそっくりそのまま再現。他人の指示に従うのが嫌いな彼だが今だけは話が違う。再現できるのは自分だけ、実現させられればそれがそのまま最強になる。

 狙いは正確。技術は卓越しており、自慢のスピードで駆り、いつもよりいくらか増しているだろうパワーを用いて打ち出す。

 前に突っ込む“ダンクスマッシュ”が決まって、鮮やかに得点を奪った。

 

「今の俺、めっちゃ強いかも」

「当然。俺がいくらでも最強にしてやる」

 

 普段以上の体のキレが彼を調子に乗せ、プレーの精度を格段に向上させている。

 オーラは淀みなく流れていき、どの距離にあろうと二人を繋いでいる。

 効果を理解した時、彼らの動作に迷いはない。相手の力量がどれほどであろうと勝ちを掴み取れると判断していた。

 

 悠介が仁王の攻撃を受け続けて、リョーマが攻撃に転じ、圧倒的な決定力で確実に奪う。

 作戦とも言えないただそれだけのプレーを続ければ、面白いように空気が変わった。

 まるで世界が自分たちの物になったかのような錯覚だ。

 

「はっ、ハハッ。これがゲームの支配か……!」

 

 気持ちに余裕が生まれたのか、悠介を起点に反撃に転じた一瞬があった。

 イマジネーションが働く。思考は一点の曇りもなく動き続けて、無数の可能性を網羅し、最適解を導き出して最速で伝える。

 笑ってしまうほど気持ちいい。べっとりと張り付くような疲労を忘れて、足に羽が生えたかのような錯覚を覚えて、自分の物とは思えないほど体が軽くなっていた。

 想像した通りのプレーが実行できる。かつてない感覚に、これほどの快感はないとさえ思った。

 

「最ッ高に気持ちいい……!」

「へへっ。いいじゃん」

 

 彼の攻勢に反して仁王のプレーが地味になる。果敢にボールへ向かっていた時とは異なり、冷静に状況を見ようとしているかのような印象を覚えた。

 何を考えていたにせよ、仁王の攻撃が止んだだけでも好機と捉えられる。

 今度は悠介とリョーマが同時に攻め始め、手を抜く余裕もなくジャッカルが防御で迎え撃った。

 

 “ドライブB”を軸として、リョーマは数々の技を披露した。

 多くは悠介が習得した青学テニス部の技であり、時にはそれらを組み合わせ、相手の予想を裏切るための攻撃を仕掛ける。

 

 仁王の動きが小さくなったことでコート内の景色はまるで別物になる。動かないわけではないが守るつもりなどなさそうだ。

 自信はあった。いくらジャッカルのディフェンス能力が異様に高くても、今の自分たちを止めることなどできるはずがない。

 二人の精神に呼応し、オーラはさらに洗練され、輝きは増す一方である。

 

「ゲーム宮瀬・越前! 4-5!」

 

 リョーマの攻撃に巧みな回転が加えられたことで、ボールは地面に触れると同時に四方八方へ自由自在に跳ねる。ツイストサーブを得意としている彼ならでは、コツさえ掴めばイメージに頼らずとも扱えた。

 右へ左へ大きく揺さぶられ、走らされるジャッカルはいくら体力に優れていても、強引に隙を作られると拾えない打球を打ち込まれて得点を許してしまう。

 

 跳ねるならまだしも、接触と同時に転がられては為す術がない。

 合間に打たれる“つばめ返し”が厄介だ。リズムを狂わされるだけでなく、打ち返す術がないために確実にポイントを決められる。

 

「ゲーム宮瀬・越前! 5-5!」

 

 落ち着く暇さえなく、得点するごとにさらに動きが鋭くなって、攻撃が激化していく。

 勢いとは恐ろしい。仁王の言いつけを無視して、もはや本気になったジャッカルが恐怖に似た何かを覚えるほどだ。

 彼らを調子に乗せた結果、大変なことになってしまった。対処が遅かったせいで、今から本気を出しても挽回できるかは定かではない。

 

「ゲーム宮瀬・越前! 6-5!」

「おおおおしっ‼」

「あと1ゲーム‼」

 

 気付けば怒涛の猛攻で会場を味方につけ、観客の声援を受けて逆転されていた。

 まさか、こんなことになるとは。

 愕然とするジャッカルは流れが彼らにあることを理解しており、パートナーの仁王へ文句を言うことさえできずに、ただ言葉を失って立ち尽くした。

 

 このまま勝てる。本人はもちろん見ていた観客も含めて誰もがそう思っていただろう。

 しばらく反応が乏しかった仁王に変化があったのはそんな瞬間だった。

 初めに気付いたのはジャッカルだ。

 

 静かに、見ていたはずの誰もが気付かない一瞬、全身からどす黒いオーラを放っていた。

 右手で自分の顔に触れて、指の隙間から悠介を見る仁王の顔は、いつになく上機嫌に笑っているのだが、その姿は思わず寒気を覚えてしまうほど恐ろしい。

 味方であっても例外ではなく、ジャッカルは言いようのない不安を覚える。

 そう何度も見ていない。あれは、仁王が本気になった時にしか見せない状態だ。

 

「タイブレークだ。まだ終わらんぜよ」

 

 仁王の異変には悠介とリョーマも気付いていた。少し遅れて会場を包む声が小さくなる。

 そう簡単に勝たせてくれる相手であるはずもなく、何ら不思議ではない。考えるのはどうすれば勝てるのか。それのみだ。

 ここまでのプレーを変えるつもりはない。とにかく攻撃あるのみ。

 ひたすら前へ出ようとする二人へ、ついに動き出した仁王は早速牙を剥いた。

 

 ガンッ、と異様に強烈な音を伴うインパクト。

 真っすぐ飛んだ打球は正面から悠介を襲い、目を見開いて驚愕した彼は反射的にラケットを構えて受け止めたものの、これまでとは明らかに違った挙動を見せる。打球の重さに押されて背中から倒されてしまい、辛うじて打ち返されたボールは仁王によって待ち構えられた。

 

「越前! 下がれ!」

 

 久々に悠介が指示する声を聞いた。その事実に驚き、全身を包んでいたはずの安心感が消え失せているのに気付く。

 驚愕したリョーマは瞬間的に意識を切り替え、自力で打球を受けるために目を凝らした。

 

 仁王のフォームは至ってシンプル。目立った癖はなし、一見普通のジャンピングスマッシュ。

 どう来るかわからない、と思うのはなぜだろうか。

 自分のものとは思えない強い不安感に苛まれながら、必死に自分を律して、いつでも反応できる姿勢でボールを待ち構える。

 

 強烈なスマッシュ。真正面から、本人を狙ったのではないかと思う軌道。

 一本足のスプリットステップで絶好の位置を捉え、迎え撃って打ち返そうとする。

 優れた反応速度と迷いのない判断力により、一瞬にしてリョーマは順応した。美しいフォームでスイングを行い、ガットの中央にボールを受け止める。

 瞬間、爆発するような衝撃が腕から全身へ駆け巡った。

 気付いた時にはラケットが弾かれて宙を舞っていて、リョーマ自身も勢いよく地面を転がる。

 

 想像を遥かに超えるパワーに、興奮と熱狂は一瞬にして打ち消された。

 ただ純粋に力でねじ伏せる言い訳の利かないプレー。会場は冷たい水をぶっかけられたかのように静まり返って、その多くが信じ難い光景を受け入れられずにいた。

 

「ふーっ……覚えとけよ宮瀬。本物は、1プレーでいい」

 

 仁王の体を包む、どす黒かったオーラの色が変わる。

 まるで虹。赤、青、黄、緑と、次々に変化して留まることを知らない。もしもそれが自然な状態でなく自分の意思で動かしているのなら一体何を意味するのだろうか。

 理解しかねる悠介はただ圧倒されるばかりだ。

 

コート(ここ)はもう俺のもんだ」

 

 支配者は俺だと、改めて言葉で伝えられた。

 ついさっき感じた悪寒がさらに大きなものとなって全身を襲う。

 悠介とリョーマ、二人を包んで繋いでいたはずのオーラが消えていた。ただ疲れた、限界を迎えたというわけではない。理由は悠介自身が理解している。

 今のプレー、仁王の行動が読めなかった。全神経を集中して見切っていたはずの動きが再びまるでわからなくなっていたのだ。

 

「俺の動きを読んだのは見事。でもまだ力が弱いな。仮面を着ければこの通り」

 

 仁王の右手がそっと顔に触れる。

 指の隙間から覗かれて、しっかりとぶつかった視線は、弱者を弄ぶ歓喜を含んでいる。

 

「お前はもう、また、俺が読めねぇぜよ」

 

 悠介のオーラは意図的に打ち払われたようだ。

 微細な癖や行動の傾向から次を予想し、未来予知と疑われてもおかしくないほどの精度で仁王の行動を読んでいたのに、色彩が変化する不気味なオーラにより包み隠された。様子が変わってからの彼の攻撃はまるで予想できずに、悠介は反応すら間に合わずに吹き飛ばされ、持ち前の人並外れたポテンシャルで反応したリョーマでさえも押し返されたのである。

 

 立海テニス部の一部しか知らない、存在することしか理解できていない、本気の仁王。

 “道化師のオーラ”。

 ゲームをリードされるまで待って披露したのは、彼がこの試合をもっと楽しもうと考えていたからに他ならなかった。

 

「さあて、最終局面に行こうか」

「越前! 切らすな!」

 

 驚いていたのは同じ。先に起き上がったのは悠介だった。

 尻もちをついて仁王の言葉を聞いていたリョーマへ駆け寄り、手を掴んで引き起こす。その動作の最中に再び二人の体をオーラが包んだ。

 比べてみればより鮮明になる。仁王のそれと違い、柔らかで優しいオーラだ。

 

「もう読めなくなっても、お前が強いのは嘘なんかじゃない」

「そんなの、当たり前」

「俺と組んでる限りお前が最強だ」

 

 洗練され、力強さを増しても、緩やかに頭の先からつま先まで流れていく。

 強引に引き剥がされても再使用は可能だった。自信は失われておらず、決定権は自分にある。

 理屈ではなく感覚で理解した。

 強くなるための材料は目の前にある。挑み続けるしかない。

 仁王に勝った時、この力が自分のものになるに違いない。

 

 ただ、今はまだ一人では勝てないこともすでに正しく理解していた。

 悠介はリョーマの目を見て真剣に訴える。

 

「証明してくれよ。俺だってこのままでいいとは思わない。力、貸してくれ」

「ハッ……面白いね。いいよ。やろうか」

 

 二人が肩を並べて仁王に対峙する。

 彼はあくまでも楽しげに笑って、自分が優位であることを示すように余裕を失わない。圧倒的な実力とカリスマ性をその姿に見た。

 

「ジャッカル、もういいぞ。本気でやってくれ」

「はぁ? お前、今更……大体今日はなんだってんだ。自分勝手にも過ぎるぞ」

「ライバルってのはさぁ、近い実力じゃなきゃ戦っても面白くねぇだろう。だからセルは悟空が修行するのを待ってたんだ。わかる?」

「ドラゴンボールはまだ読んでねぇ。ネタバレすんな」

 

 いつになく上機嫌。そのせいなのか、今まで知らなかった狂気を感じる。

 呆れるジャッカルだが仁王の本気を見てメンタルが整い、冷静さを取り戻していた。

 本気でやれと言われるなら望むところだ。元来立海テニス部は敗北が許されない。勝つために戦うのは当たり前で、負けるために戦う方がおかしいのである。

 

 目付きが変わって雰囲気が変わる。しかしダブルスとしてはどうなのか。今日の仁王の態度を見ている限りは負けるつもりなどない。

 プレーが再開される。さらに激しい戦いになる、というのが観客の大半の予想だった。

 

 できないと言われても次の行動を読み切ろうと考えていた悠介が目を見開く。

 仁王の返球はあまりに速く、そして力強い。全く別人を相手にしている感覚であった。辛うじて打ち返せたとはいえ先程までと違ってあまりにも難しい。

 単純なパワーとスピードの向上。他人の技を盗み取るテクニック。他者の分析や模倣を許さない秘匿性。そして、本領発揮を目の当たりにする。

 

「モノマネが得意な奴は、モノマネしたい相手の癖を見抜くのが上手いんだ。意味わかる?」

 

 話しかけられた悠介に返答する余裕はなく、次の瞬間、目を剥いて驚愕した。自身の足元に突き刺さる超高速弾に反応すべく咄嗟に自ら体勢を崩し、倒れ込みながらラケットに当てる。

 反応できるギリギリ。予想されていたのだとしたらまずい。

 ボールは情けなくも力のない様子でふらふらとネットの向こうへ渡っていった。

 

 ラインは繋がっている。リョーマに託せばまだチャンスはある。

 視線を上げる悠介だったが、思考することを許されない速攻。倒れ込む彼の傍を鋭い打球で一息に抜かれて、リョーマのフォローも間に合わず、あっという間に得点された。

 

「相手の動きを読めるのは、お前だけじゃないってこと。おわかり?」

 

 自分の強みは相手の強みでもあった。

 ここまで隠していた仁王に絶望感を覚え、しかし落ち込んでいる暇はないと奮起する。

 すぐに悠介が立ち直った様子を確認すると、仁王は心地いいとばかりに笑い声を発した。

 

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