テニスの王子様の言うとおりっ   作:ヘビとマングース

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39 発展途上

「ゲーム仁王・桑原! 6-6!」

 

 試合は両者のゲームが並んでタイブレークに突入する。

 互いにサーブを打ち合い、先に7ポイント取った方が勝利。だが6-6になった場合、その後は2ポイント差がつくまで試合が続けられる。

 

 長期戦となり、これまでの試合も合わせて疲労感は拭い切れない。今回の試合だけでも相当な負荷がかかっていて体力が削られていた。

 それでもリョーマは幼少期からひたすら父親と試合をし続けた経験により、並外れたスタミナを保有しており、怒涛の攻撃で汗を流し、息を切らしながらもまだどこか余裕がある様子に見える。

 

 ついに最後。ここが正念場。

 警戒している様子の対戦相手を見ながらリョーマが口を開いた。

 

「あっちも本気になったみたいだし、気は抜けないね。でもここまでやっといて負けるってのはあり得ないっスよね。先輩――」

 

 振り返った時、リョーマの視界には、膝から崩れ落ちた悠介の姿があった。

 言葉を失う。

 大粒の汗をボタボタ垂らして、俯いて前髪が顔を隠すため表情は見えず、ただ開かれたまま慌ただしく呼吸する口元と、自分の意思とは無関係に震える体を見れば事情はわかった。

 

 連戦それ自体よりも、原因は発現した直後から常時使い続けていた初めての技。格上の相手を読み切るために酷使し続けた目と脳。彼はすでに限界を超えていたのだ。

 もはや精神力だけでは動かせないほどに体は疲弊し切っており、本人がどういう気持ちで、ブルブル震える手で足を叩こうとも立ち上がれずにいる。

 まさかと思う姿にリョーマだけでなく、会場全体が絶望感を味わっていた。

 

 もう少し。あと少し。せっかくタイブレークまで戦ってきたのに。

 初めて心底悔しそうな顔を見ることとなり、彼が心から勝利を求めているのは声を聞かずとも痛いほどによくわかった。

 

 きっとこれこそが彼にとっての初期衝動。

 求めていたものを手にした瞬間。だからこそ諦めたくないと強く思う。

 驚愕し、思考が消し飛んだのなどほんの一瞬。決断は素早く、迷いなどまるでない。

 彼へ歩み寄ったリョーマは腕を掴んでぐいっと引っ張り、悠介の顔を覗き込んだ。

 

「大丈夫。俺が居るから」

 

 絶望して表情を歪めていた悠介が、一転して驚いた顔をする。

 初めて聞く声色。そして力強い言葉。いつもとは違う感情を受け取った。

 

「この試合だけでいい。あんたじゃなきゃダメなんだ。俺を勝たせてよ」

 

 彼にしては珍しい真っすぐな表現。皮肉めいた言い回しや茶化す意思なども介在しない。言い切ると改めて彼の手を握って力を込める。

 一人でダメでも、二人なら。

 初めからそれが自分たちの形だったはずだ。

 

 何も言わずに目を閉じ、今一度集中する。

 悠介の体からふわりと音もなくオーラが出現し、ゆったりと動くそれはリョーマの体へ伸びて、優しく触れると包み込んでいく。

 

「ここで勝ったら、先輩もただのヘタレじゃないっスよ」

「はは、わかってるって……そのために来たんだから」

「足は貸します。その代わり、点取るために全部ください」

「よし……信じるぞ」

 

 足に力が戻る。コートをぐっと踏みしめてようやく立ち上がった。

 これこそが真価。繋がった二人の感覚が意識的に共有されようとしている。

 オーラの流れは緩やかに二人の間を循環し、穏やかな外見とは裏腹な強い力が巡る。強制的に繋げるだけの“連結(コネクト)”が、リョーマの応えによって感覚の“連結(リンク)”を可能としたのだ。

 二人の視線が相手コートへ向けられて、対峙する二人と向き合った。

 

「お前も俺を信じろ。この試合が終わるまでは、もう倒れない」

「疑ったことないっスよ」

 

 悠介が拳を差し出し、リョーマがコツっと当てて応えた。

 

「ここに全部賭ける。勝つぞ」

「了解」

 

 戦闘準備は整った。

 一連のやり取りを止めずに見守っていた仁王とジャッカルはそれぞれ異なる表情をする。彼らの青臭さを認めている仁王とは裏腹に、ジャッカルは神妙な面持ちだった。

 

「お前に振り回されたせいでここまで長引いた。余計なことしなきゃさっさと勝ててた相手だろ。もういいんだな? 本気でやって」

「ああ、問題ない。もうちゃんと勝てる」

 

 苛立ちか、それとも迷いか、不安か。厳しい顔をするジャッカルはサーブをするために定位置へつこうと移動を始める。

 背中を向けた後で、仁王はぽつりと呟いた。

 

「俺が手を貸さなくてもな」

 

 悠介に続行可能か否かを確かめた後、改めて審判が状況を動かす。

 ボールを握るジャッカルは深呼吸して意識を研ぎ澄ませてからモーションに入った。

 

 これが最後の勝負。

 大声を出して緊張感をぶち破り、強烈なサーブを打ち込む。

 主にパートナーに振り回され、相手の成長をまざまざと見せつけられ、心が落ち着かない気持ちの悪い試合だった。それもようやく終わらせられる。

 

「オラ行くぞォ! ファイヤー‼」

 

 ドカンと強い音を伴って打球が飛ぶ。

 迎え撃つ悠介はしっかりと地面を踏みしめ、タイミングを見計らってスイング。危なげなく返して中央へボールを送った。

 

 やはり動いたのは仁王だ。全身から“道化師のオーラ”を発して、きらびやかな光を纏い、ミステリアスでもあって、思考を読むことはできない。

 不可能だと確定したのなら固執する必要はないだろう。悠介の意識は相手の分析よりも自分たちの動作を連携させることに注力し始める。

 リョーマを操り、コート内の状況を思うままに整理して、確実にチャンスを拾う。

 目覚めたばかりのこのオーラなら、限界を超えた体でも実現可能だ。

 

 様子を見るため、というより誘うための仁王の返球に大した力はない。

 きっと罠なのだろう。だがこの局面で飛び込まないという選択肢はなかった。

 意思が伝わり、迷わず地面を蹴る。思い切りよく駆け出したリョーマはボールへ飛び掛かってスイングをし、空中で捉えた。

 

「一気に決める……!」

「それは嫌だ」

 

 振り切ったラケットからボールが離れた直後、まるで瞬間移動したかのように、一瞬にして眼前へ仁王が現れる。打ったばかりのボールは彼のラケットに捉えられて、リョーマの脇を抜くようにして打ち返された。

 瞬時に視線が絡み合い、激しく感情をぶつけ合う。

 リョーマは怒気を込めて睨み付けていたが仁王は親しみを込めていた。

 

「邪魔だなぁ。そこどいてよ」

「いいぜ。通行料払いな」

「ウザっ。絶対抜いてやる」

 

 仁王の打球には悠介が反応した。

 相手コートはオーソドックスな形。仁王がネット際に立ち、ジャッカルは逆サイドのライン際を守っている。

 空いているのは仁王の背後。バックハンドのスイングで悠介がボールを上げる。

 

 両者が眉を動かして驚きを表した。悠介が放ったのは見るからに“ムーンボレー”。明らかに本来のフォームとは異なるスイングで形にしている。

 まさか、仁王の強みを模倣したのか。自分のものにしようという考えが見て取れる。

 不安を覚えながらも打球に追いつくことは問題ではない。ジャッカルが走って腕を伸ばし、正確にライン上へ落とされたボールを打ち返す。

 

 ネット際に居たリョーマが跳んだ。

 同時に仁王も跳ぶ。

 再び空中、正面で対峙した二人は視線を交差し、ボールを挟んでオーラを煌めかせる。

 

 大きな違いは二つ。

 リョーマが纏うオーラは悠介が発したものであり、悠介の力とイメージが流れ込んでくること。

 仁王が纏っているのは彼自身のオーラであり、他者の意思が混在しないこと。

 そして大きな誤算は、超ド級の負けず嫌いであるリョーマの勝ち気が読み切れなかったことと、悠介のオーラが影響したことにより、彼自身の力が目覚めかかっていたことだ。

 リョーマの攻撃はいとも容易く仁王の想像を超えた。

 

 ほんの一瞬、オーラがぶわっと大きくなった。

 腕に溜めたその輝きが後押ししたのか、打ち出されたボールはあまりに速く、すでに常人離れしているはずの仁王が反応できない。虚を衝かれたジャッカルも同じくであり、見送ることしかできずに打球がワンバウンドの後コートを割って外へ出た。

 

「1-0! 宮瀬・越前リード!」

「へぇー……よくやったな忠犬エース。ご主人様になでなでしてもらえるぞ」

「うっさいよ能面ピエロ。俺がご主人様だから。自慢のその仮面、絶対割ってやる」

「おおこわっ。でもな、そう簡単には壊れんぜよ」

 

 やり取りを終えると二人同時に弾かれたように振り返って背を向ける。

 その時、悠介は背中を丸めて大きく息継ぎをしていた。

 まだ扱い切れていない実感がある。だが使いようはあるのだと感じられて、たとえ辛くてもまだ戦うことができる。

 

 続いてボールを握ったのは悠介だった。

 激しい息遣いで落ち着かないが、休んでいられる時間などない。

 思い切ってサーブを始め、小細工をせずに力いっぱい真っすぐ打ち込む。

 

「ったく! 想像よりずっと厄介だぜ、お前ら!」

 

 ジャッカルが全力で打ち返し、思い切りのいい打球が返ってきた。

 すかさずリョーマが反応するのだが、待ち構えていたかのように仁王が動き、彼の返球を見ると右手で顔を覆ってオーラの色を変える。

 変幻自在。これが彼の大きな武器。読めないだけでなく多種多様の攻撃を可能にする。

 

「“火”ד火”ד火”דドライブB”――!」

 

 楽しそうに、子供が積み木を積み上げるかのように、嬉々として呟く仁王は一瞬にしていくつもの技を重ねて撃ち放った。

 威力を増した打球にはリョーマですら反応できず、すぐ傍を通り過ぎるのに手を伸ばしても触れることができない。

 そこまで計算通り。仁王の狙いは初めから悠介だ。

 

 目覚めたばかりで情報が少ない。それが功を奏したのか、相手が知らない情報がある。

 自身は疲れ切っていても、リョーマの目を借りた悠介には繊細な動きが見えていた。

 猛然と襲い掛かってくる凶弾ですら予想した通り。そしてちょうど、自分たちの“連結(リンク)”の使い方がわかってきたところだ。

 

 オーラが片方へ流れ込み、悠介の右腕を覆う光が強くなる。

 一度目のバウンド、Bを描く二度目のバウンドを狙ってラケットを振った。

 もう何度も見た技だ。使用者と繋がってもいる。見逃すわけがない。

 

 悠介のラケットが的確にボールを捉え、明らかにコートの外でアウトになるだろうという方向へボールを打つ。意図的だと察したのは一旦外へ出て、大きなカーブを描いて戻ってきた時だ。異様に変化の大きい“スネイク”で仁王を回避しようとしていた。

 彼は避けてもジャッカルが居る。野性的な走りで素早くボールへ追いついた。

 

「チィ、大したもんだが……! 仁王ォ! もう手加減しねぇぞォ!」

「あいあい」

 

 逃げていこうとする打球へ追いつき、敢えてコートの外へ出るまで待ったジャッカルは明らかな大振りでボールを捕まえた。

 “スネイク”とは異なる大きなカーブを描く打球。それは一旦コートの外へ出て、ネットの外側を通って再び相手コートへ戻ってくるポール回し。披露することがほとんどないジャッカルの秘めた得意技だ。

 

 これなら確実に予想できずに決められる。そう思うジャッカルがしかし顔を歪めた。

 全身に纏うオーラが強くなり、素早く駆けて風を置き去りにする。

 リョーマの動作に一切の無駄はなく、驚きもせずに余裕を持ってポール回しを迎え撃つ。

 

「あの野郎……⁉ 待ってやがる!」

「全部見えてんだよ。うちの先輩には」

 

 美しいフォームから繰り出される、完璧とも言えるスイング。英才教育を受けたのだろう、無駄を省いた自信のある動作でボールを受け止めた。

 強烈な返球。待っていた仁王が即座に動く。

 跳び上がった勢いを利用してラケットを振り下ろし、渾身の一打を繰り出そうとしていた。

 

「“火”ד火”דダンク”דレーザー”דスネイク”ד零式”――!」

 

 これならどうだと面白くなるほど重ねて紡ぎ、仁王がスマッシュを打つ。

 間髪入れず悠介が受け止める。

 対スマッシュ用カウンター“羆落とし”。ではなく、両手でグリップを握り、まるで野球のスイングのようにラケットを大振りして、ガットにボールを滑らせるようにして受け入れ、打球の威力を殺してから自分の力を込めて打ち返した。

 

 回転を操る“天才”の下で学んでいたのだ。今、リョーマの力を借りることができるなら、自らもまた自分の理想を体現することができる。

 即座の返球に驚きながらも、我を失うことは一瞬たりともあり得ず、すぐさまにかっと笑う仁王が反応した。迫る球を打ち返そうとして、ホップした打球が顔面に向かうと思わず避ける。

 

 ボールはライン上で高く舞い上がり、しゅるしゅると回転しながら落下してくる。

 “三種の返し球(トリプルカウンター)”の一つ、“白鯨”。

 ポイントを取るためにコートへ入るなら打ち返せる。ジャッカルが走った。

 

「入るぞジャッカル」

「わかってる! 十分間に合うスピードだ!」

 

 素早く駆け付けたジャッカルは落下地点で待ち構えて体勢を整える。

 狙うのはバウンドした直後。正確なディフェンスには正確な動作が必要不可欠。どんな軌道でどんな変な動きをしようと捉えられる自信があった。

 ジャッカルが間に合ったことで仁王も肩の力を抜いて見守る。

 

 落下してきたボールが地面に触れる。その瞬間、強烈なバックスピンで地面を転がり、一度も跳ね上がることなくその場に留まった。

 予想外の光景に二人が唖然として固まる。まさか、そう来るとは思わなかった。

 同時に視線を悠介へ向けた。息は乱れているが目は死んでいなくて、気分が高まって威勢のいい言葉が出てくる。それを聞くと仁王はぞわりと武者震いをした。

 

「2-0! 宮瀬・越前リード!」

「“白鯨”(プラス)“零式”だ。どいてろ偽物、どうやっても本物には勝てねぇよ……!」

「ハッ、やーだね。本物を超えてこその詐欺(ペテン)だろうが」

 

 見る見るうちに強くなっていく彼らを見るのは楽しい。親心とはこういうことを言うのだろうかと思ったほどだ。

 ただ、すんなり終わらせたのでは彼らのためにならないだろう。

 

「さしずめナメック星爆発寸前。もう少し壁を高くするぜよ。かかってきんしゃい」

 

 右手で顔を覆うとどす黒いオーラが噴出した。

 彼の真骨頂は変幻自在の戦法、分析不能の謎めいた力だ。

 二度目の悠介のサーブでプレーが始まり、迎え撃つ仁王がすかさず動く。唸り声を上げるような直線的なストローク。他者に理解させないだけで、その真っすぐには様々な力が混ざり合って存在しており、異様な迫力を感じさせる。

 理解できないことは恐怖だ。悠介は瞬時に「返せない」と悟った。

 

 回転を利用し、力を受け流す。脳裏に浮かぶイメージは数々の技を迎え撃ち、無効化してきた不二の戦法だ。静かで穏やかなラケットの振りを用いて打ち返そうとする。

 触れた途端にずんと重い感触が腕を支配して、体が思うように動かなかった。

 それでも無理に動かして押しやるようにボールを送り出す。

 

 理解させないだけでなく、想像を超える威力によって相手の動きを制限している。

 体勢を崩した悠介は咄嗟にリョーマに返球を頼るのだが、それさえ許されず、明らかに身体能力が向上した仁王が次の打球で鮮やかに得点を決めた。

 

 サーブ権が移り、仁王がボールを持つと空気が変わる。

 場を支配するのは一発でいいという言葉を、何も言われずとも思い出した。

 強烈なサーブから繰り出される鋭い打球。ただ速く力強いだけではない。突如、空中で規則性もなくぐにゃりと曲がり始めて、まるでボールが意思を持つかのよう。

 悠介が辛うじて触れると、あまりの威力にラケットが吹き飛ばされ、彼自身も地面を転がる。

 

「2-2!」

「ピヨッ」

「ハァ、クッソ……!」

 

 起き上がることすら難儀する。それくらいに悠介は疲弊していた。

 副作用か、単なる疲労か、今はまだ自分でもわからない。

 ゆっくりとわずかに、頭がズキズキ痛み始めていた。これ以上の使用は危ないと悟っても、悠介はオーラで繋がったラインを切ろうとはせず、リョーマの手を借りて立ち上がった。

 

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