大石秀一郎と菊丸英二。
この二人のダブルスは昨年度に全国大会を経験しており、青学は二回戦で敗退してしまったが、そこまでの公式戦の戦績は無敗。シングルスが強いことで知られていた強豪校に突如として現れた唯一にして負けなしの固定ペア。
一年生の頃にダブルスを組むと決めた二人は、各々がシングルスの力量を上げながらも、あくまでもペアとして結果を出すために練習を重ねてきた。
誰が呼んだか、彼らは青学の“
奇想天外、神出鬼没、まるで猫のような軽快な動きで相手を翻弄する菊丸英二。
その彼を完璧にサポートし、時にはコントロールして、地味だが的確なプレーの大石秀一郎。
阿吽の呼吸で魅せるダブルス。青学名物の一つだ。
その二人を前にして勝てなかったとしても誰も笑わない。結果は目に見えていると青学テニス部の部員なら誰しもが思っていた。
いざ始まってみて、部員たちは予想外の光景を目にし、驚愕して声すら出せずにいる。
「え、越前、お前……ダブルスは壊滅的に下手なんだな」
誰もが思っていたことを、真っ先に言ったのは桃城だった。
リョーマは冷静な顔で沈黙し、しかし確実に頭に来ているだろうと、最も近い位置で彼を見ていた悠介だけは理解していた。
越前リョーマはテニスが上手い。中学一年生とは思えぬ技術を持っているのは誰の目にも明らかで疑いようがない。難癖をつけても意味がないとほんの数分間でわからされてしまった。
それほど上手い彼が、ダブルスになると別人のように点を取れない。
いくら初めてだと言っても限度がある。そう思う程度には下手だった。
「危なっ!?」
「あれ?」
「あーまたお見合い……」
「なるほど。守備範囲が広過ぎるのと反応が良過ぎるから、本来届かないはずの打球へ追いつけてしまうわけだ。シングルスで優秀な弊害だな」
動き自体は悪くない。むしろテニスプレイヤーとして優れ過ぎているほどだ。
反射神経が良いから動き出しが早い。判断力があるため打球の着地点に素早く入れる。度胸があるため迷いがない。走るスピードが速くほとんどの打球に追いつくことができて、腕は細いが大抵の打球を打ち返せるパワーは備わっているらしく、フォームはきれいで無駄がない。
年齢も小柄な体格も関係ない。即戦力の選手だろう。
その一方で、優秀過ぎるが故にチームプレーを苦手としていることが早くもわかった。少なくとも乾の見立てでは確実に向いていないと判断している。
経験がないせいでダブルスの定石や基礎を知らないのは仕方ないとしても、常人では反応できない打球に悉く反応している。しかも判断ミスではなく実際に打てる状況まで持ち込めているのだから一概にそれが悪いとは言えない。
ただし協調性はない。自陣のコート内に居る悠介の動きは判断できておらず、彼が居るところにも迷わず突っ込んでいる。そのせいでどちらもボールを取れなくなって、何度も顔を突き合わせてきょとんとしているのだ。
個人技が凄くともチームプレーができていない。
ダブルスにおいてはそれが致命的。プレー全体がぎくしゃくしてくる。
やがて個人技まで鈍っていき、ラリーは極端に短くなり、1ポイントさえ取ることができない。
一切のストレスなく、わざわざ目を向けずとも相棒がどこに居るのかを認識しながら、言葉を交わさずともプレーの意図を察して動く。流れるようなテニス。
阿吽の呼吸の大石・菊丸とは明らかに違っていた。
あまりにももどかしいプレーの連続に桃城は熱くなって拳を握る。
「う~んやきもきするっ。下手じゃないのに下手なこの感じ。何やってんだあいつら」
「先輩なんでそんなとこ居るんスか?」
「俺じゃない! 俺が居たとこにお前が頭から突っ込んできたの!」
「個性がぶつかってるって感じだね。悠介もまだ掴み切れてないみたいだ」
「宮瀬なら問題ないだろう。味方の個性が強いほど上手くいく。さしずめ猛獣使いってとこか」
何度目かのプレーで苛立ちを隠せず、もはやボールを拾う気もなくリョーマが悠介に激突した。接触の直前に肩を入れたところを見ると明らかに攻撃の意思がある。
ぎゃあと悲鳴を発した悠介はすかさずリョーマの顎を片手で掴んで視線を上げさせた。
「わざとやってない? っていうか最後のだけはわざとだろ。俺を潰そうとしてきただろ」
「わざとじゃないっス」
「いーや絶対わざとだ。俺への殺意を感じたもん」
「ダブルスって難しいっスね。自分のコートでちょろちょろされるとボールぶつけたくなる」
「あるよねぇ殺意が!? 俺初対面の先輩なんだけど! 俺のこと嫌い!?」
「嫌いじゃないっス。好きですよ。うろちょろしなければ」
「やっぱわざとじゃん!」
流石にプレーが中断する。
やれやれと嘆息する者も居たが対戦相手の大石と菊丸は笑って見守っていた。
あーだこーだと言い合う様子にダブルスを組んだばかりの頃を思い出す。そもそもは敵意と対戦があってから組むことを決意した間柄だ。思わぬタイミングで不意に懐かしさを覚えた。
「お~い。もうやんないのー?」
「まあまあ英二、ちょっとだけ待ってやろう。話し合えばきっとよくなるから」
「大石は甘いな~。いくらダブルスやる奴が少ないからって」
「いやそういうつもりじゃあ……」
そう言いながらも大石が悠介を目にかけているのは明らかだった。
特別扱いはしないが、シングルス志向の強い青学テニス部においては貴重な人員。特に個性を生かして自由に動くのではなく味方のフォローができるのは珍しい。その姿勢は大石のプレースタイルに近いものがあった。
そういった意味でも、副部長として部の全体を見守りつつ、密かに彼を応援しているのは実は周知の事実である。
しばし見守っていると悠介からリョーマへ語り掛けているようだった。
やはり動いたとわかって、彼を知る先輩たちはにやりと笑う。
「ふう。大体わかった。窮屈そうに動いてるのも、俺を先輩だと思ってないのも」
「思ってますって。多分」
「その件は後で話し合うとして。こうなったら俺たち二人のルールを決めよう。じゃないといつまで経っても同じことの繰り返しだ」
おや? と不思議に思ったリョーマは、真剣な顔つきになって雰囲気が変わった悠介を見る。
「さっきの、いや最後のやつ以外、取れると思ったから取りに来たんだろ?」
「もちろん」
「最後のは?」
「わざと」
「お前……!」
「あ、ずるい。真面目な顔したくせに」
「ああもういいっ、わかった。一旦俺が泣いとく。とにかく本気で取れるならそれでいいんだ」
どうやら本気で何かを変えるつもりらしい。
ため息をついて頭を抱えながらも彼はすでに思いついているようだ。
「俺たち二人の間のルールだ。ダブルスの基礎とか、常識とか、そういうのは考えなくていい。取れると思ったボールは全部取っていいよ。お前に取れないボールを俺が取る」
「いいんスか? そんなので」
「だってお前ダブルス経験ないし、定石とか基本とか多分嫌いだし」
「そうっスね。やりたいようにやりたいんで」
「ほら見ろ。だから乱暴かもしれないけど、基礎を教える時間はないし、覚えようとしたところで多分上手くいかない。即興でも強引に合わせるしかないだろ」
ぽんとラケットのガットで軽く頭を叩かれた。或いは撫でられたのかもしれない。
リョーマは抵抗もせずにじっと彼の顔を見上げる。
いつの間にか笑みが浮かび、驚くほど穏やかな表情をしていた。
「とにかく思いっきり、好きにやっていいから。どうせ言わなくても平気だろうけど俺に気を使わなくていい。自由に思うままやんな」
「そんなこと言って平気?」
「うちはじゃじゃ馬多いのよ。だから慣れてる。でもあれだ、意図的に俺に怪我させるの禁止」
「ウーッス」
二人が離れてそれぞれ位置につく。
大石はにこりと笑い、菊丸が手首の上でラケットを回した。
「ん。良さそうだね」
「そうだにゃ~」
準備が整い、大石のサーブでゲームが再開される。
危なげなくリターンしたリョーマはすかさず前へ走った。
反射神経に優れ、スピードがあり、思考もプレーも非常に攻撃的。攻めると決めたリョーマの動きは異様に速い。対峙する大石でさえ心配してしまうほどの大胆さだった。
パシッと軽い音を立てて、大石がロブを上げてリョーマの頭上を越えようとする。前へ出るならおそらく上手く落ちるはず。
そう思って届かないギリギリを狙って打った、つもりだった。
ギュッと大きな音が聞こえるほど強く地面を踏み締めて踵を返し、リョーマが走った。敢えて同じコートに居るパートナーに任せようとせず自ら取るため急ぐ。
やはり彼は足が速い。見れば陸上部が欲しがることだろう。
あっという間に追いついて、背を見せたまま跳び、ラケットを上手く操って返す。
軽やかにロブを上げた。前衛の頭上を越えて大石に返すつもりだ。
「ぶーぶー。生意気だぞー」
「あはは。そうだな」
素早く落下点へ入った大石が軽く跳び、スマッシュを打つ。
強烈な打球はネットを越えてコートへ叩きつけられようとした。その前に、リョーマがネット際まで飛び込んできてボレーで返す。
スピード、パワー、並びに行動の大胆さ。どれを取っても一級品であり、常人ならば驚かずにはいられず、事実見ていた部員の大半があんぐり口を開けている。
自分の出番を待ち侘びていた菊丸はしかし、微塵も驚かずに突然彼の目の前へ現れた。
「は?」
「なんじゃらほいほい」
全身が完全に地面と水平になる横一直線の姿勢。どうやって着地するんだと思うような姿で飛び込んできて勢いを殺さずにダイビングボレー。しかも着地は完璧で、柔らかく地面に降り立つとすぐに起き上がって姿勢を整えた。
打球はリョーマの横を抜けてコートを跳ねる。
振り向いた時、そこにはすでに悠介の姿があって、仲間であるリョーマが驚愕した。
パシッと軽いインパクトの音。大石がそうしたように軽いロブが上がる。
視野が広く、悠介の行動が見えていた大石はすでに走り出していて、スマッシュこそ間に合わないが危なげなくバックハンドのスイングで打ち返した。
「ヤバ。これは長引くやつ」
嫌そうな悠介の呟きは鮮明に聞こえていたが、反応していられる余裕はない。
必死にボールを追うリョーマは、ネットに張り付いて自身を追ってくる菊丸を確認し、距離も近くてよく目が合った。
楽しげな笑顔を見ながらボールを返すと、彼の手によってすぐにまた返ってくる。
「俺は抜けないよん」
「にゃろう……」
またも悠介が打ち返してくれたためポイントは取られずに済んだ。しかし彼の行動も大石に悟られているようでポイントは取れない。
リョーマは菊丸とネット越しに接近戦を繰り広げ、敢えて下がろうとはせず勝負を挑む。
試合は白熱しつつあった。
驚くほど短くなっていたはずのラリーが再び長くなり、作戦を決めた後、1ポイントも取れないままにボールがコートを行き来する。
皆の観戦する目が変わり、徐々に熱を帯びていく。
どちらが凄いとか、誰が優れているではない。そのゲームが空気を変える。
乾がノートに走らせるペンのスピードが上がっている。表情は変わらないが付き合いが長ければよくわかる。彼は楽しそうだ。
同じ熱を感じているらしく、桃城や不二も笑っている。
手塚だけは表情を微塵も変えずに腕組みをしたまま直立して動かなかった。
「なんか、なんていうか、すげぇっスね……」
「うん。あの話し合いで確実に変わったね」
熱を帯びた桃城の呟きに不二が冷静に返す。
乾の声はない。データの収集に忙しく、一片たりとも逃さないという気迫が感じられた。おそらく声をかけても今だけは聞き取れないはずだ。
確かに良くなった。しかしそれでも完璧ではない。
大石と菊丸のそれは、いまだ完成していないとはいえ完璧だ。
長いラリーの末に一つ、また一つと、ほんの些細なミスを突かれて得点される。圧倒的に劣っているわけではないのに大きな壁がある。その差はやはり個人技というよりチームワークによるものだったようだ。
ボールを打ち返す度にリョーマの動きはさらに良くなっていく。打球は鋭くキレてノビていき、単純なスピードとパワーがさらに上がっていく。狙いは正確なままコントロールが悪くならずに、どうしても抜けない状況に怒りを感じて小技を使うもミスがない。
疲れを知らないかのように良くなり続けている。ダブルスとしてはそれが問題だった。
ようやく掴んだリョーマのプレーが徐々に変化している。
悠介は必死に合わせようと彼を見るものの、リョーマが振り返る様子はない。本当に言われた通り自由気ままに動いている。
目立つほどの大きなミスをせずにラリーが続けられるのはパートナーが悠介だったからだろう。或いは“
ますます凄くなるリョーマのプレーは、徐々に悠介を置き去りにしようとしていた。
今日行ったどんな練習より集中力を要し、疲労が溜まる。
はあ、と悠介が大きく息を吐いた時、気付いた菊丸はぐりっと大きな目を動かす。
「ねぇおチビ。シングルスは多分俺らより強いだろうけどさぁ――」
声に気を取られて彼に目を向けた一瞬、姿が消える。
気付いた時にはすでに遅く、ネット越しの攻防、お互いにマークし合う勝負は呆気ないほど簡単に決着がついてしまった。
高く跳んだ菊丸がふわりと上がったボールを叩き落とし、スマッシュを決める。
「ダブルスなら俺らの方が強い。ぶいぶいびー」
楽しそうな笑顔でピースサインを決められた。
悔しさで燃えているが確かにそうだ。どうやらまだ届かない。
振り返ったリョーマは同じコートに居る悠介を見る。ようやくのその行動を見て、遅いと、彼は考えるより前に言っていた。
「俺が居るんだぞ。ちゃんと見ろ」
練習の時よりも汗を掻いて、必死に駆け回っただろう、厳しい表情をしていた。
今回ばかりは返す言葉もない。
リョーマは帽子を目深に被った。