テニスの王子様の言うとおりっ   作:ヘビとマングース

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40 光

 会場の熱気が高まっていた。

 プレーは長引かずにあっさりとポイントを奪取されるも、一つ一つの動きが常人の予想など遥かに超えてしまい、攻撃の激しさは増す一方。

 

 疲れを知らないのではないかと疑ってしまうほど、全力で駆け回ってなお動きの精彩さを失わないリョーマは汗を飛び散らせてはいたものの、攻撃の大胆さと迫力、決定力は試合開始時に比べて格段に増しているように見えた。

 対する仁王は余裕綽々。多少汗を掻いているとはいえ、試合開始時とさほど変わらない態度で平然と動き続けており、疲れを見せないどころかいまだに実力の底を見せていない。そのせいか理解不能の不気味な恐怖を感じさせる。

 

 ディフェンスに徹するジャッカルと、サポートに徹する悠介の前で、殴り合いのような技の決め合いが繰り広げられている。

 もはや常人では触れることすら叶わず、彼らでさえ簡単には返せない。

 リョーマが取ればすぐに仁王が取り、交互にポイントを取り合って終盤へもつれ込んだ。

 

「5-5!」

「辛そうだねぇ悠介。もう終わる? 終わらない?」

「ハァ、ハァ、いや、終わらせる……! もう、限界だ。だから、ここでっ」

 

 内側から鉄の塊で頭蓋骨を殴られているかのような、激しい頭痛に襲われていた。左手で頭を抱える悠介は俯きながら仁王を睨み、立ち向かう。

 すでに限界を超えている。だが力を注ぐのはこの試合だけでいい。それがわかっているのなら、多少の無茶はできる。

 

 優先するのは何よりもこの試合での勝利のみ。

 彼らが纏うオーラがさらに厚く濃くなる。

 悠介の目に狂気を見て仁王は笑った。

 

「越前……気なんか使わなくていいよ。思いっきりやれ。今の実力もセンスも才能も、俺よりお前の方が全部上なんだ。だから」

 

 息も絶え絶えに、どう見ても危うい状態だというのに倒れず、迫力が増している。

 悠介の目を見てリョーマもまた震えた。

 

「好きにやっていいよ。後ろは全部見てやる。お前が本当にその気になれば」

 

 ふうと息を吐き、コートを眺めて、彼は呟いた。

 

「俺にはもう、結果が見えてる」

「いいよ。気なんか使わない。思いっきり好きにやってやりますよ」

 

 改めてリョーマも覚悟を決めたようだ。

 目つきが変わり、勝利への意志が限界突破して突き抜けると、彼を覆うオーラに大きな揺らぎが生まれた。感情が高ぶったことで少なからず影響が出ているのだ。

 

「覚悟が己の心身を鍛え、理想を超えさせ、常人の理解が及ばない奇跡を起こす」

 

 仁王がぽつりと語っていた。

 その声を聞く悠介とリョーマは高まった戦意を保ったまま油断を見せない。

 

「オーラは覚醒の前段階。限界を超えられるか?」

 

 悠介と仁王の視線が交わる。ほんの一瞬の出来事だ。

 

「俺にも結果は見えてるぞ。宮瀬悠介」

「ハァ、変えられませんよ……今更何をしようが俺が居る」

「フッ。別に変えたいとは言ってないけど」

 

 弾かれたように背を向けてプレーに戻る。

 ボールを持ったのは悠介。これまでと変わらないフォームでサーブを打つ。

 ネットを越えて、サービスコートに落ちたボールは強い回転により、一秒にも満たないほんの一瞬だけそこに留まり、ぎゅっと沈み込むような挙動の後に本来とは逆方向へ跳ね上がる。リョーマが得意とするツイストサーブだ。

 

 右利きのジャッカルの顔面を狙ってボールが飛び掛かった。彼は冷静に反応し、素早い身のこなしで回避すると同時にラケットを振るう。

 この試合の中でも何度か見ていた。打ち返す動作に迷いはない。

 

「うらぁっ! 舐めんなァ!」

「そっちこそ」

 

 ポーチに出たリョーマがジャッカルの返球を捉えた。一瞬にしてスピードに乗った結果、あまりにも速いその打球を止められる人間は決して多くないだろう。

 仁王には反応できた。ジャッカルでもよかっただろうが、自らの意思で攻勢に転じたいがために走って取りに行く。

 

「決める……!」

「まーだだめだァ!」

 

 ラケットが触れた瞬間、仁王が纏うどす黒いオーラがボールへ絡みつき、異様にインパクトの音が小さくなって飛んでくる。

 怪しげな黒い打球が悠介の前へ届けられた。

 逃げも隠れもしない。答えは見えている。右手にオーラが集まって膨張し、接触と同時、彼が纏うオーラがボールに纏わりつく黒いオーラを掻き消した。

 

 スパンと軽い音。地味な見た目の印象とは裏腹に打球は速い。

 わずかにボールが光っているように見えた。

 技術を盗まれたのかもしれないと考え、嬉々として動く仁王が再びボールへ向かう。

 

 体に纏うオーラが左腕にのみ集められる。

 正面へ来た打球を捉えて打ち返す瞬間、全く音がしなかった。ボールは独りでに飛んだかのように空を進み、ネットを越えた時、オーラが破裂すると同時に無数のボールが四方八方へ飛散した。

 信じられない光景に観客から驚きの声が漏れるが仁王は悠介にのみ注視する。

 

「さーて、どれが本物――」

 

 高速で襲い掛かる数十個のボールを前にして、悠介は一歩も動かなかった。じっと前だけを見つめてラケットを構えたまま立っている。

 仁王は思わずアハっと笑い声を漏らした。

 ボールが地面にバウンドした途端、幻想のボールが消えてしまって本物だけが跳ねる。

 

 ここまで見切っていたのだ。

 練習通りという迷いのないスイングで悠介がボールを打つ。

 今度ははっきりとボールにオーラが纏わりつく。煌めいて飛び、真っすぐ仁王へ向かった。

 

「気持ちいいなァ、悠介!」

 

 仁王がラケットを振りかぶる。その瞬間、打球は迫るラケットを避けるように落ち、地面に触れると強烈なスピンで素早く転がっていった。

 敵の反撃を許さない一打必勝。“つばめ返し”によく似た、カウンターとは異なる攻撃だ。

 

 見えていると言った仁王に驚きはなく、その光景ですら見えていたのかもしれない。

 そして対峙する悠介もまた、彼の態度に違和感や驚きは感じなかった。

 

 ポイントは6-5となり、悠介とリョーマがリードする。

 あと1ポイント。彼らが取れば試合は終わる。

 サーブ権が移るとボールは仁王が握っていた。彼ならばおそらくどんなサーブでも打てる。しかしこの期に及んでわからないことは恐怖にはならない。

 

 大きく息を吐き、足が動かず、ついに限界かと思われる姿勢で悠介が頭を垂れた。

 俯いたまま動かない彼にリョーマが駆け寄ろうとして止められる。

 左腕を伸ばし、一本だけ指を立てていた。それを見てリョーマは理解する。

 

「わかった。それで決める」

 

 仁王のサーブでプレーが始まった。

 試合の切れ間とは裏腹に悠介が危なげなくリターンし、相手コートへボールが戻る。

 

 ここが勝負だと互いに理解していた。それ故に動くのは全くの同時。

 速攻で試合を決めに来たリョーマに対し、先んじて読んでいた仁王は正面から挑みかかる。

 “道化師のオーラ”は奇想天外。理屈を無視して、理論を嘲笑い、他者の先読みを許さない。あり得ない光景をこそ実現化させる力。

 

「この球、消えるぜ」

「知ってるよ」

 

 インパクトの瞬間、リョーマの体を覆うオーラが一気に大きくなった。

 おそらく一秒すら経っていない刹那の中で、仁王は感覚的に悠介の体からオーラが消えていることを認識して、残る全ての力を彼に譲渡したのだと気付く。

 

「あの人が全部見えてるから」

 

 ラケットから離れた直後には、ボールはリョーマのラケットに受け止められていて、そのまま力を加えて振り切られる。

 確かに、見た。

 全身を包んだオーラの内側から湧き出る新たな光。それはきっと彼自身の力。

 この瞬間を待っていたのだろう。絶対に返せない攻撃を待って決着をつけるつもりだった。

 

 まるで一筋の光。

 反応しようとしたジャッカルを置き去りにして、打球はコートを両断する。

 

 仲間を高めるための奉仕に、秘められたままだった力が引き出され、誰もが予想しなかった一打を打ってみせた。

 一瞬の静寂。観客は押し黙り、何が起きたのかを理解できずにいる。

 やがて審判が手を上げて宣言した。

 

「ゲームセット! ウォンバイ宮瀬・越前ペア! ゲームカウント7-6!」

 

 爆発するような歓声が会場を包み込む。

 力を失ったオーラは霧散していき、リョーマは喜ぶ前に後ろへ振り返った。

 体を震わせ、辛うじて立っていた悠介はもう一歩も動けそうにない。そんな状態で、全てを託して勝利を待っていたのだ。

 リョーマの顔を見るとわずかに微笑み、倒れた。

 

 やれやれと嘆息し、慌てるわけでもなくリョーマが歩み寄っていく。

 悠介は安堵した表情で気を失っていて、凛々しかったさっきとは一転して普段の間抜け面だ。

 うるさいほどの歓声に包まれながら、リョーマは傍らに座り、穏やかな顔で笑っていた。

 

 

 

 試合が終わってすぐに、観戦に来ていた立海大附属テニス部の集まりの下へ向かった。

 興奮冷めやらぬ会場の中では彼らの存在もまたヒーローであったが、当人たちの表情はそれぞれ違っており、声をかけても反応は乏しい。

 

 到着するとそこは異様な雰囲気に包まれていた。

 仁王は上機嫌に笑顔だったが、ジャッカルは気まずそうな顔で合流する。

 なぜか二年生エースの切原赤也が地面に正座させられている状況で、レギュラーメンバーが一斉に振り向いて二人を迎え入れる。

 

 しばし重苦しい沈黙。原因は当人たちにはわかりきっていただろう。

 赤也が正座する目の前、ベンチに座る男に笑いかけられ、二人は反応した。

 

「負けちまったぁ」

「す、すまねぇ……」

「お疲れ様。試合、見てたよ。赤也も一緒にね」

「すいませんでしたぁ! 私が寝坊して遅刻したばっかりに先輩方にご迷惑をお掛けしました! 本当に申し訳ございませんっ‼」

 

 正座したまま体の向きを変え、勢いよく土下座をした赤也がらしくない態度で謝罪を始める。

 ここに来るまでに相当叱られたのだろう。でなければこの生意気な男が素直に謝るはずがない。事情を悟ったジャッカルはもういいと言いたげに手を振った。が、地面に額を擦り付けた状態で動かない赤也には見えていなかった。

 

「まあ、赤也の責任追及の話は終わったし、ペナルティのことは真田と柳に任せよう」

「えっ⁉ お、俺は、これ以上まだ何か罰が……?」

「ん? 何か問題でも?」

「いいえっ! ジャッカル先輩、本当にすみませんでしたぁ! 仁王先輩も代わりに出場していただいて本当にありがとうございます!」

「気にすんな。俺は出たかったから出ただけだ。と言っても、負けたのは仁王雅治じゃなく切原赤也だけどのう」

「あぁっ⁉ ずっりぃ⁉ ちょっと待ってください、これで負けペナルティは俺とかなしっスよ! そりゃ遅刻した俺が悪いですけど出たのは仁王先輩の勝手であって――!」

「赤也、少し静かにできる?」

「はいっ!」

 

 取り乱して騒がしくなった赤也がぴたりと静かになる。

 重々しい空気の原因は、やはりそういうことなのだろう。

 穏やかな気質の少年がにこりと笑いかけ、二人に意見を問うてくる。

 

「試合はどうだった?」

「楽しかったぜ。予想以上のもんが見れた。あれは勝てなくても仕方ないぜよ」

「嘘は良くないな」

 

 当事者の一人であるジャッカルがびくりと震える。自分に向けられた言葉ではなく、ほんのわずかですら変化していない優しい声色なのだが、なぜか恐ろしいと感じてしまう。

 他のメンバーも同じなはずだ。個性が強く実力のあるテニス部員でありながら、軽い気持ちでは口を挟めなくなって重々しい沈黙を保つことしかできない。

 そうした空気の中で飄々としていられるのは仁王雅治だけだった。

 

「君がその気になりさえすればいつでも勝てたはずだ。確かに終盤は素晴らしかったよ。彼らの成長と連携には心が躍ったしついつい応援したくなった。でもそれとこれと話が別だ。たとえ君が一人だったとしても負ける相手じゃない」

「今日はダブルスの気分じゃなくてね」

「気分だ、気分じゃないで試合結果を決めてもらっちゃ困るんだよ」

 

 声色それ自体は変わっていないのに、ひやりとした感覚が全身を襲う。

 首筋に刃を突き付けられているかのような、或いはそれは殺気と呼ばれるのかもしれない。

 周囲の人間には「余計なことを言うな」と思う者も少ないものの、仁王はわかっているのかいないのかわからない態度で、笑みを崩すことなく答えていた。

 

「立海が掲げる“常勝”は“勝って当たり前”という意味じゃない。“敗北を許さない”という意味だ。これは前にも伝えたと思うけど」

「ああ。ばっちり覚えてる」

「たとえ野良試合でも外部の大会でもそれは同じ。意味はわかるよね?」

「もちろん」

 

 話す態度は変わらない。だが確実に表情が変わった。

 笑みを消した彼は真剣な目で仁王を見据える。

 

「負けることが悪いとは言わないよ。敗北でしか知ることができないものはある。だけど“王者”には相応しくない。たった一度の敗北であったとしても」

「俺は案外嫌いじゃないがね。負けて辛酸をなめるってのも」

「何より気分が悪いじゃないか。他人に頭を踏みつけられるなんていうのはさ」

 

 再びにこりと笑うが、空気が緩むことはなく、誰も間に入れない。見知った仲間であるはずの部員たちが何も言わず、棒のように突っ立っているだけだ。

 ただし仁王だけは違った。突きつけられる言葉を聞き入れるわけでもなく、かといって聞き流しているわけでもない。相変わらず何を考えているかわからなかった。

 

「わかった。お前がそう言うなら気をつけるよ」

「楽しかったと言ってたね」

「ああ。それは嘘じゃない。心から」

「ふふっ。意外に素直な返事だけど今は許すよ。ただし、責任は取ってもらう」

「ペナルティかい?」

「いいや。負けを物ともしない君にはそれじゃ効果は薄い」

 

 使うならば効果的に。望むものがあるならば尚更。

 

「彼らは青学の選手だ。君の力で開花させた以上、君に摘み取ってもらう」

「へぇ……」

「柳の進言もあるし、今日あの二人を見てわかったよ。青学は必ず勝ち上がってくる。いずれ俺たちと戦う時は、君の相手は気にしている彼だ」

「ハッ。初めからそのつもりさぁ」

 

 にやりと笑う仁王が右手で自分の顔に触れる。

 謎めいた男であるだけに、ここまで楽しそうな姿は見たことがない。狂気じみたその笑顔は仲間たちですら背筋が凍える悪寒を覚えて、表情を隠したことでまた心情がわからなくなる。

 

「次は本気で遊ぶよ。今日はそのための準備だった。おかげでいい味付けができたぜ」

「期待してるよ。今日みたいなことがないようにね」

 

 ここまで異質な雰囲気は彼らにしか作れない。

 一応は終わったのだろうか。ジャッカルは密かに胸を撫で下ろした。

 

「それからジャッカル、動きが悪過ぎるよ」

「あえぇっ⁉ お、俺か⁉」

「いくら仁王が好き勝手やってたからって後手に回り過ぎ。仁王をコントロールして攻撃させる、無視して自分が攻める、他にも色々やりようはあったはずだ。指示があったにしてもそれに従い過ぎて自分の考えが見えない。あれじゃどれだけディフェンス能力とスタミナに優れててもコートに居るだけの木偶の坊だよ」

「ちょっ、おまっ、そりゃ流石にきついって……!」

「誰と組んでも一定の結果を出せないようなら、ブン太に甘え過ぎってことだよ。ポテンシャルと技術では勝ってたんだ。それなのに負けたのは驕りと迷いと油断のせいだ。次はもっとわかりやすい結果が欲しいね」

「ぬっ、ぐっ……!」

 

 ショックを受けて悔しがっているジャッカルを見ると、少し普段の雰囲気に戻った気がする。

 彼はラケットを手に取って彼らに背を向けた。

 

「さて、俺たちも試合の時間がある。浦山君、行こうか」

「は、はいでヤンス! 部長の邪魔にならねぇように頑張ります!」

 

 声をかけられただけで緊張する小柄な少年を連れて、二人は移動しようとする。

 出場するという話を聞いた時は驚いたものだが、今その並びを見てもやはり違和感が強い。これも後輩教育の一環なのだろうか。仁王は何を考えているのかわからないと頻繁に言われているが、こういう瞬間、彼もそう大差ないと思ってしまう。

 

「なぁ、なんでお前は一年連れて参加してんだ? さっきの俺と違わないと思うが」

 

 仁王に聞かれてフッと微笑み、彼は振り返ることなく答える。

 

「戯れだよ。違うのは俺はわざと負けたりなんてしない。勝つためにここへ来たんだ」

「プリッ」

「氷の皇帝が、叩き潰してほしいと言ってきたからね」

 

 ガタガタ震える一年生の浦山(うらやま)しい()を引き連れて穏やかに笑う。

 テニス部を率いる部長にして、化け物揃いと言われるレギュラー陣の中で最強の存在。

 “神の子”と呼ばれた三年の幸村(ゆきむら)精市(せいいち)

 幼少期の病気を克服した今、彼は中学テニス界最強として君臨し続ける傑物だった。

 

 彼を敗北させるプレイヤーは果たして現れるのか。

 試しに、自分が育ててみるなんてどうだろう。

 状況を楽しむ仁王は心から笑っていた。

 

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