「越前君、今回だけ俺とダブルス組んでもらえます?」
財前に話しかけられてリョーマは振り返った。
話の展開上、そうなる気はしていたものの、あまり乗り気ではない。そもそも彼らのダブルスを認めたつもりはないし、自分が他の誰かと組む姿も想像できないままでいる。
ダブルスは好みではない。成り行きとはいえ悠介だからこそ組んだのだ。
初対面であり、他校の生徒であり、心情が読めない財前と協力するのは乗り気になれなかった。
「コシマエ君って言わないんだ」
「あれは遠山がわかりやすいと思ってっすわ。気分害したんやったらすいません」
「別にいいけど。なんでそこまでやりたいの? 俺はあんたと組む理由ないから」
判断材料にしようと思ったわけではない。ただ興味本位で聞いてみたくなった。
彼が悠介に興味を持っているのは明らかだがその理由が知りたい。
問われた財前は一瞬だけ考え、普段ならば語ることを面倒に思う傾向が強かったものの、この時ばかりは素直に話そうと決める。彼も変わろうとしていたのかもしれない。
「俺がテニスを始めたんは、ただ部活やからです。中学に入ってなんとなく、ただ友達に誘われたからやってみようかと思っただけで、正直全国がどうとかあんまり意識してないっすね」
「ふーん。それで?」
「でも、今日の宮瀬君の試合を見た時、初めて熱くなった。なんでかは知らんけど、もっと強い人なら見たことがあるのに、あんな体験は初めてやったんすわ」
確かに、そう言われても納得できるものを見たつもりだ。自身も初めての体験をして、今度はその光景を俯瞰的に見ている。
悠介が発するオーラは常人が扱えるものとは思えなかった。使用者は居る、という意見はあるものの多いわけではないだろうと思う。
知りたいと思うのは当然。その意見自体は不思議に思わない。
冷静で熱意などという言葉とは無縁そうな財前の態度だけがやけに印象的だった。
ここは引けない。そんな強い意志を感じて、リョーマは面倒そうに嘆息する。
「俺は多分、彼みたいになりたいんでしょうね。初めて感動を覚えた人で、初めて目標にしたいと思ったプレイヤーなんです。だから俺は、あの人の今を知っておきたい」
「別の学校の生徒でしょ。一緒にはやれないっスよ」
「一緒にプレーしたいわけやないんすわ。宮瀬君と勝負をして勝ちたい。それが俺がこれからテニスを続けるモチベーションになりそうな気がする」
クールに見えて意外に我が強い。四天宝寺の他の生徒と実は似たり寄ったりだ。
断るのも面倒だと考えたリョーマは仕方なさそうに了承する。
ちょうど、一度くらいは敵としてあの力を体感しておいた方がいいとも思ったところだ。目覚めたばかりの今の内に相手をしておくのは悪くないかもしれない。
「ま、いいっスよ。一球だけなら」
「どうもありがとう」
「それで……あいつは強いんスか?」
悠介とオーラで繋がった金太郎に目を向けて尋ねる。
一年生で背丈は同じくらい。性格は真逆。テニスの腕前はまだわからない。
リョーマの言葉に反応した財前は小さくため息をつき、静かな口調で語った。
「現状、うちで一番強い奴っすわ。ちなみにテニス始めてから半年経ってないらしいっす」
「一年なのに? 四天宝寺って強いとこじゃないんスか?」
「結構強いと思うんすけどね。あいつの場合、才能がどうとかそんなもん一切無視して、バケモンじみた身体能力で勝ったっちゅう感じっすわ」
説明が必要だと思ったのだろう。聞かれる前に財前が言い出す。
「それまでうちで一番強かったんは白石部長やった。入部当初から注目されてたらしい三人の天才に対抗して、テニスの基本を極めて人外じみた努力だけで勝った、凡才の星みたいな人なんすわ。時間かかったけどきっちり実力で勝って一番強いと言われるようになったんです」
誰かさんみたいだな、とリョーマは思う。
凡才だ、自分は特別じゃない、などとのたまう先輩なら一人だけよく知っている。その彼はまさにその一番強いと言われている人物と言い合っている。
「ところが、入部してきたばっかりのあいつがまた才能の有無とかガン無視するフィジカルのバケモンで技術なんかいらん強さを持っとる。試合した経験もテクニックもほとんどないのに、単純なパワーとスピードだけで部長に勝ってしもた。だからうちで一番強いとされとるんすわ」
「ふーん。それもある意味才能だよね」
「そうやろうけど、なまじうちの部活全体がノリだけで事を決めるし、先輩らも優しいから、それが問題視されることはなかった。そのせいかあいつもちょっと退屈してたんでしょうね。こっちに来るっていう話もいの一番に乗り気やったし」
「単にそういう性格なだけじゃないの?」
「ま、それもありますわ」
改めて二人の姿を見る。
オーラを纏った彼らがどれほど強いのか。少なくとも片方は四天宝寺で最も強くて、もう一人はダブルスにおいて真価を発揮するプレイヤー。想像するだけでも驚異的ではある。
「ただダブルスの経験はほぼ皆無。やっても数回でかなりあかんかったんでシングルス専門に決まるんは早かったっすわ。でもうちで一番強い実力は嘘やないし、小技は苦手やけど異常なパワーとスピードとスタミナは三年のどの先輩よりすごいっす」
「それって、かなり面倒だよね……あの人と組むなら特に」
確認すると改めて嫌なイメージが脳裏によぎる。
おそらくリョーマも財前もわかっていた。
もしかするとその組み合わせが最も凶悪なのではないか? そんな想像をして、非常に厄介そうだなと思いながらもラケットを持ってコートに立ったのである。
コートに入った時、悠介は金太郎へ声をかけた。
一球のみの勝負。今はもう負けていいなどとは思わない。勝てなくても仕方ない、などとは考えないようにしなくても頭にはなかった。
自分と組んだ金太郎を勝たせる。そう決意することが自分の強さになる。
悠介は自分とオーラで繋がっている金太郎へ、敢えて声を出して語りかけた。
「金ちゃん、俺のこと信じられる?」
「ん?」
「俺が一方的に金ちゃんを想ってるだけじゃ多分だめなんだ。俺を信じて力を預けてくれるなら、ダブルスが得意とか苦手とか関係なく、俺が金ちゃんを強くしてやれると思う」
あの時は確かそうだったと思い出して、それはすでに自信に近い状態で自分の中にあった。
問いかけてみて金太郎はきょとんとしていたが、真剣に聞き入れて表情を変える。振り返って視線を合わせたかと思えば迷う暇もなくにっこり笑ったのだ。
「わかった! ワイはゆーすけを信じる。ワイの力、思う通りに使ってくれ」
「そんなあっさり……」
「だってできるって知ってるもん。そのためにわざわざ頼んだんやから」
そこまで信用されてしまうと戸惑いを覚えるとはいえ、悪い気はしなかった。
頷いた悠介は笑顔で頷く。
彼らの精神がオーラに影響を及ぼし、優しく穏やかな光はゆっくりと洗練されていき、輝きを増しながらもとても柔らかで、突き刺さるような光とは異なった。
自分の意思で試したことで確信に近付く。
一方的に繋げる“
先程に比べて得られる情報が格段に多くなると、悠介は思わず喜びを露わにした。
「うわっ、マジか……!」
「どうしたん?」
「いや、金ちゃんがめっちゃ強いことがわかったのと、俺たちができるプレーが無限かってくらいめちゃくちゃイメージできるっていうのがすごくて……」
気付けば悠介の目は輝いているかのように歓喜に満ちていた。
今までとは全く違う。少し想像しただけで、今の自分自身に期待せずにはいられない。
「この力使ったら、俺たちめちゃくちゃ強いんじゃないか?」
「おっ、ええなそれ。ほんならはよやろ! ワイもう待ち切られへんわ!」
「あのさ、一球だけじゃなくていいよ。何回かやろう」
唐突に悠介が提案したことで数人が驚いた。
金太郎が喜色満面で振り返り、リョーマと杏が驚きを見せ、財前が考える前に頷く。
いつになく没頭して楽しんでいるらしい彼は、無意識的に自分の顔に手を当て、頭の中を駆け巡るイメージの一つ一つを鮮明に捕まえようとしていたようだ。
「これ、ちゃんと使えるようになったら、俺は……」
「ええですよ。やりましょか」
「よっしゃー! やったるでゆーすけ! ワイもなんかめっちゃ強なった気分やわ!」
「ちょっと、宮瀬君? あなたが気絶したの何時間か前のことなんだからね?」
「そうですよ。無理しないでくださいね」
「あ、はい」
やる気になるのは結構だが無理をさせるわけにはいかない。妙にテンションが上がっている様子の悠介に杏と菜々子が注意する。多少の効果があったとはいえ、金太郎につられているようですぐに目の色が変わった。
早くこの力を試したい。これまでの彼には見られなかった強気の態度があった。
オーラがぐにゃりと柔らかく揺れる反面、厚さと力強さを増す。
静かながらもテンションが上がっていたのは彼らだけではなかった。財前もそうだ。
いつになく集中し、テニスに熱中して、能動的に関わろうとしている。
きっとこれが自分にとっての始まりになる。全ては言わないが大きな期待を抱いていた。
「ほんなら行きますよ。最初から本気で」
ボールを上へ放り投げた財前がサーブを行う。
無駄のない美しいフォームだ。中学からテニスを始めたという話が本当なら、彼が天才だと言われた理由がわからないでもない。必要な分だけ力を入れて無駄な体力の消費がない、最善で理想的なフォームをいち早く習得し、必死に頑張った経験がなくとも試合に勝ってきた。
彼がテニスに熱が入らなかったのは、ちょっと考えてやってみただけで結果が出て、周囲の人間に天才だと褒められ、どこかつまらなさを覚えていたからなのだろう。
鋭い打球が飛んできて悠介がリターンの体勢に入った。
試合が始まる。
状況をわかっていないらしい菜々子は詳しいことをわからないまま見守っていて、その隣に居る杏は幾分心配そうな顔をしていた。
危なげなく悠介が打ち返して、すかさずリョーマが動いた。
悠介がリョーマを知っているように、リョーマも悠介を知っている。相手のフォームや癖をいちいち分析して予想しなくても、どこを狙って打ち返してくるのか、体感的に読むことができた。
さっさと決めて終わらせる。それくらいの気持ちで攻め込んだ。普通なら決められるであろう自信のある一打であった。
ボールは予想よりもずっと早く返ってくる。
ネットを越えた直後、油断していなかったリョーマが反応できない速度ですぐ傍を通り過ぎて、気付いた時には地面にバウンドしていた。彼が振り返った時にはすでに財前がラケットを振るってボールを捉えている。
気は抜いていない。だからこそ驚かざるを得なかった。
暗闇を千切る優しい光。
眼前にはオーラを纏った金太郎が居て、勢いよく跳んできたかと思えば、着地と同時にびょんと跳んでまた離れていく。
常人より反射神経が優れているはずのリョーマを置き去りに、一瞬の内に打球へ追いついた。
「うはっ」
思わず出た小さな声には素直な喜びが含まれている。
今、彼はかつてないほどに自由を感じていた。
これまでにも自分勝手に、思うがままにテニスをプレーしていた。
そのつもりだった。それが好きなのだと思い込んでいた。
それなのに今ここにあるものはなんだろうか。
自分の体を包んでいるオーラは全く知らない概念。自分が持っていた常識をあっさりと覆して、これまでとは比較できない更なる自由を与えて、もっとわがままに飛び回れと言っている。
いつになく体が軽い。自分でも驚いてしまうほどよく動いて、いつも通りに足にぎゅっと力を入れて跳んだつもりが、あまりにも速過ぎてスイングでミスをしてしまったほどだ。
金太郎独自のフォームも相まって異様な光景だった。
知っているはずのテニスというスポーツを破壊されてしまうような、ひどく奇妙なものを見る。
「なんだよ、それ……」
「なんやねん、これ!」
リョーマが呆然と呟き、金太郎が弾む声で叫ぶ。
どちらも驚いていたのだが心情は正反対であった。
財前が冷静なストロークでラリーを続けている一方、自分を制御できていない金太郎だが嬉しそうに駆け回り、リョーマは思わずネット際を離れて観察しようとする。
一足飛びで軽々と前宙をして、着地する前に空中でボールを打ち返すのだ。洗練されたフォームとは面白いほどに対照的。金太郎の動きは野生児のそれで、これまで一度たりとも見たことがないスタイルだった。
それでいて確かにフィジカルは異常な強さ。走る必要もなく一度地面を蹴るだけで速い打球に追いつくスピード。的確に捉えさえすれば腕を痺れさせる強烈なパワー。そして優れた動体視力と野性的な勘まで持っており、野蛮とも言えるスタイルとは裏腹に冷静に相手の打球を予想して動き出しが早かった。
ほんの数秒で理解する。
話に聞いた通り、四天宝寺で一番強いと言われても嘘ではないと思える。
それだけでなく今は悠介のオーラを纏っていた。まずいと悟ったのはその効果を知るリョーマだけでなく、直に彼の打球を受けた財前もだ。
それは誰の目にもわかりやすい結果として見せられる。
数度のラリーで慣れたのだろう。自分で跳んだ勢いやスピードなどなんのその、瞬時の判断により空中で姿勢を整え、金太郎がフルスイングでボールを捉える。
先読みしていた財前が打球に触れると、堪える暇さえ与えずにラケットが吹き飛ばされたのだ。
「ぐっ……⁉ こんの、馬鹿力……!」
「すっげ~! すごいなこれ! ゆーすけェ!」
財前を吹っ飛ばして得点した。
その途端、迷わず振り返った金太郎が全力で走り出し、自分でもその速度に驚きながら悠介へ飛びついて勢いよく抱き着く。オーラの影響か、そうでなくともパワーとスピードが桁違い。受け止められなかった悠介は彼を抱きとめようとしながら地面に倒れた。
「あぶなぁ⁉ しかもいってぇ⁉」
「ごめん! でもなんなんやこれ⁉ こんなん初めてやわ! びっくりしてもうていつも通りできへんかったもん!」
「や、すごいのは金ちゃんだって……」
押し倒されて腹の上に座られたまま、痛みを堪えながら悠介が苦笑した。
初めての体験なのは間違いない。興奮冷めやらぬといった様子で目を輝かせる金太郎は心底不思議そうにしているが、驚いているのは悠介も同じである。彼がすごいという言葉に嘘はない。
良く言えば純粋無垢。悪く言えば単純。偽ることなどできないだろう彼の性質は一目見ればそれと伝わり、実際に繋がってみればやはりその通りの人物なのだとわかる。
どうやら悠介のオーラは彼の意思さえあれば誰に対しても一方的に繋げることができるらしい。しかし真価を発揮するにはパートナーからの信頼が必要。でなければパートナーの強化を施すことはできても悠介自身が強化されることはない。
金太郎は、繋いだその時から一点の曇りもなく悠介を信じていた。
抑えることを知らない彼の力はその瞬間から溢れ出し、悠介に流れ込むと詳細を理解させる。
持て余した力の使い方さえ覚えれば、これほど強いプレイヤーは居ないのでは。そう思わせるほどに彼のポテンシャルは凄まじく、そして自分なら、この力を扱い切れると思った。
「やっぱりそうやった。ゆーすけと一緒やったらもっとおもろなると思ってん」
「ん?」
「ワイが知らんこと知ってるんやもん。今日はいつもより楽しくなりそうや!」
本当に嬉しそうに笑う。だが、ふと気になることがあった。
笑みを消した悠介は少し心配そうな様子を見せ、腹の上に座って見下ろしてくる金太郎を見つめ返すと質問する。
「いつもは楽しくないの?」
「そんなことないで! テニス部のみんなおもろいし、優しいしな。白石の毒手は怖いけど、それさえどうにかなったら一緒におるんは楽しいんや」
「テニスは?」
「うーん……ようわからん。白石に勝った時はめっちゃ嬉しかったけど、実は練習ってあんまり好きやないねん。おもろいなって思う試合もあんまりしたことないし」
「そっか。でも、まだあんまり知らないからなんじゃない?」
彼がテニスを始めてから数ヶ月だという話は本人から聞いていた。
そう言った悠介はにこりと笑い、後輩に見せる顔になって彼へ問いかけてみる。
「ひょっとしたらこの試合で伝えられるかも。テニスの面白さ」
「ほんま? 今はもう十分おもろいけどな!」
「いやーでもこれは俺が居なきゃできないだろうし。金ちゃんは今のままでめちゃくちゃ強いけど知らないこともたくさんある。だから、できることを増やそうよ」
体を起こしても金太郎はその場を動こうとしない。
妙に顔が近くなってしまったが気にしていられるような状況ではなかった。
至近距離で見つめ合い、悠介はオーラではなく言葉で伝える。
「きっとこれからもっと面白くなるよ。楽しくやろうって言ってくれただろ? そうしよう」
「……そやな! そうしよう!」
オーラが流れてイメージが送り込まれる。
頭の中でとはいえ、すでに自分が知らない世界を万華鏡の如く見せられた。様々な映像は彼が考える自分と金太郎の能力から実現できるプレーのイメージであり、ただの夢想ではない。自分たちの力を合わせればできることが、判別できないほど無数にあるということらしい。
見せられたところで簡単に理解できるものではなかった。だが手始めにこんな世界があるのだと教えてもらって、尚更わくわくが止まらなくなる。
金太郎は勢いよく悠介の顔を見上げて、後輩にそうしているであろう優しい微笑みを確認した。
「とりあえず実践あるのみだ。今からここでやってみよう」
「おおぉ……! おっしゃあ~!」
感情的に金太郎が跳び上がる。
そのジャンプですら常人ではあり得ない高さに到達してしまって驚かずにはいられない。
小春とユウジがわざとらしく大声を発して驚いて、杏と菜々子がぽかんと口を開けて何も言えなくなる一方、南次郎とオサムは花見の最中かのようにけらけら笑っていて、リョーマと財前は何も言わずに二人をじっと見ていた。