46 リスタート
俺は、自分のことを凡人だと思っていた。
青学に入ってからそれなりにあった自信がどんどん失われていって、自惚れてただけで、本当は全然大したことなかったんだって思った。
気付いた時にはそこそこ恥ずかしさを覚えたし、それ以上に、自分は特別じゃないんだなって理解した途端、自分自身への失望感でいっぱいだったのを覚えている。
練習する度に、一日経つごとに、足下が少しずつ崩れていくみたいな感覚。
かなりショックで、下手したらもう二度とテニスができなくなるんじゃないかって考えもした。初めはそれが嫌だったけどいつの間にか慣れてしまって、なんとも思わなくもなっていた。
もしかしたら。そんな風に思えたのはあの大会に出たからだ。
今まで重かったはずのみんなの期待にやっと応えられたような気がする。
俺一人じゃ無理だった。俺より強い後輩の力を借りてようやくって感じなのがやっぱり情けないんだけど、一応、注目されるくらいの結果は出せたんだと思いたい。
素直に認めよう。越前が来てくれたから俺は変われたんだ。
多少腐ってたのは事実で、諦めなくてよかったと今なら思う。なんだかんだで練習メニューは変えてなかったし、その効果はきっとあったはずだ。
ようやく自分を認められるのかもしれない。
自分が成長したことより、みんなの嬉しそうな顔を見るのが嬉しかった。
俺のこの力は、自分以外の誰かのために使うものらしい。
詳しいことは感覚的に理解してる気がする一方、理論的にはまだよくわからないから誰かに説明するのが難しかった。ただ少なくともこれが俺の力であることだけは間違いない。
みんなのおかげで手に入れた“調和のオーラ”。
青学のみんなの影響で地盤を固めて、跡部さんに導かれて、仁王さんにいじめられて、財前君に名付けてもらった力。越前のためになることだけを考えて形になった。
この力を得たことで、ダブルスなら、きっと俺はみんなの役に立てる。
自信満々ってわけにはいかないけど自分でそう思えるだけ前よりはずっとマシなんだろう。
「そういうとこで浮かれないのが先輩がヘタレたる所以ですよね」
相変わらず後輩が攻撃的で可愛くないが、一方で妙に機嫌がよさそうなのが気になる。俺の成長を喜んでくれていると信じたい。これでなんか、俺をダブルスで役立つ道具みたいに思ってるとしたら結構なショックだ。
流石にそれはないだろう。大会じゃお互い信頼し合ってたんだし。
生意気でもこれで意外と可愛いところもある後輩なのだ。
それはそれとしてイラっとしたからほっぺたは引っ張っておくけど。
「痛いっス」
自業自得だ、生意気小僧め。
大汗を掻きながら頭を振り、
普段の彼を知る者からすればこの程度で疲れるはずがないと思う程度の時間。プレーの内容はいつにも増して素晴らしいものの、見ているだけで疲労感が伝わってくる。
青春学園中等部のテニスコートで行われる練習は普段と違っていた。
多くの部員が信じ難い光景を見て、自分の練習を忘れたかの如く手を止めて見入っている。
悠介が発したオーラは一年生の
ダブルスが苦手なはずのリョーマが生き生きとプレーしている。日頃から彼は一年生とは思えない技量で圧倒的な実力を見せていたとはいえ、今日はその比ではない。
大会で見せた試合は伊達ではなく、開いた口が塞がらないほどの衝撃を与えている。
自ら相手役を買って出た
一辺倒とすら言えるほど防御を考えずに攻撃を仕掛けるのだが、これが非常に厄介で、ダブルスを学び始めたばかりとはいえ部内で上位の実力を誇る。だがその二人が弄ばれている。
嬉々として駆けるリョーマが次々に得点し、ゲームは一方的な展開を見せていた。
「だぁ~クソっ⁉ 届かねぇか!」
「チィ、おい桃城っ! てめぇ突っ込み過ぎなんだよ! 少しは考えて動きやがれ!」
「なにぃ⁉ お前だってフォロー遅ぇだろうが! だから俺が助けてやってんだろ!」
「そもそもお前が――!」
「お前の方が――!」
どうやら彼らのペアは上手くいっていないらしい。
胸倉を掴んで言い合いを始める桃城と海堂に、まさか殴り合いになるのではないかと心配した部員たちがわっと殺到する。普段は気性が荒いことで知られている荒井ですら彼らを止めるためにいの一番に駆け付け、腕力で強引に引き剥がそうとしていた。
ちょっとした騒ぎになったことでプレーが止まる。
物足りないと言いたげなリョーマはやれやれと肩をすくめた。
わざわざ深く関わろうとは思わず、ネットの向こうで行われる騒動をただ眺めるに留める。
ふと後ろへ振り返った。
状態は理解しているつもりでいたが、目で見ると改めて不思議に思う。
「大丈夫?」
「や、結構……グッてくるな、これ」
ふっとオーラが消えてしまって、二人は同時にあっという声を漏らす。
動いた時間や動作に似つかわしくない量の汗を掻いて、らしくもなく疲れた顔を見せる悠介は呼吸を落ち着けようとしていたようだ。
彼は部内において上から三番目と目される程度には体力がある。異常なスタミナを誇る海堂の常軌を逸した自主練習を参考にしたからそうなったらしいのだが、それ故に普段の練習ではほとんど疲れた顔を見せずに平然としており、練習前や後も雑用をしていることが多い。
今日はどうしたことか、明らかに疲れている。しかし考えずとも原因ははっきりしていた。
オーラを使用するのはかなり体力を消耗するらしい。
そもそもそういう性質なのか。まだ慣れていないだけなのか。データが少ない現状ではまだ断定できていないようで、あらゆる可能性について考慮されている段階だ。
「およそ10分。プレーの内容は悪くないが大会の時より短いな」
データ収集に余念がない
ストリートダブルス大会を観戦していた彼は数多のデータを収集していて、それは後輩である彼らについても例外ではない。
大会の際と今、確かに違いがあるようだと気付き、肩で息をする悠介へ淡々とした声で言う。
「手を抜いていないならやはりテンションが影響しているのかもしれない。越前の身体能力が向上してチームワークが増しているのは間違いないが、持続時間が短いな。宮瀬、一旦休憩してくれ。次はテンションを上げてやってみよう」
「あの、結構、無茶を言ってるって自覚はありますか?」
「心配するな。すでに作戦は考えてある。倒れた時の準備もあるから存分にやってくれ」
「鬼だ……あの人は涼しい顔した鬼なんだ」
休憩だと伝えられて悠介は重い足取りでコートを出ていく。
一人で残っても仕方ない。リョーマもまた彼の後ろを歩いてコートを出た。
「お疲れ宮瀬。はい、汗はちゃんと拭いて、水分もきっちり取っておけよ」
「ありがとうごさいます……」
迎えてくれた
その彼からタオルを奪い取って、力は強いが汗を拭いてやろうとした
「やっぱり改めて見てもすっげーよなぁ~。すんげー疲れてるけどおチビが前よりすっげーやりやすそうだもん。ユースケ、アレって実際何やってんの?」
「痛い痛いっ! 力加減考えてくださいよっ!」
「にゃはは、わざとだよん」
「でしょうね! だから性質が悪い!」
「こらこら二人とも、喧嘩するな」
特に菊丸には手荒く扱われることが少なくないものの、当人は構ってもらえて嬉しいのか、それほど嫌そうには見えない。
質問された悠介はなすがままで汗を拭かれながら答えようとした。
「何って言われると難しいですけど……自分のイメージを言語化しないで伝えられるっていうか。微妙なニュアンスが思った通りそのまま共有できるって感じです」
「なにそれ? どういうこと?」
「えーっと、自分の想像を説明とかじゃなくてそのまま映像で伝えられるっていうのか……上手く言えないな。こればっかりはやってもらった方が早い気がします」
「ふーん、そっか。じゃあ俺はいいや」
タオルを首にかけてやってパッと手を離し、にかっと笑う菊丸に悠介が目を丸くする。
驚いてしまったが理由を聞けば彼はすぐに納得できた。
「俺は大石と組んでるからな。たとえユースケでも手助け無用っ」
「まあ、そりゃそうですよね。お二人のコンビネーションならこれも必要ないでしょうし」
「にゃはは。ま、気になるのは確かなんだけどさー」
パンっと手を叩いた菊丸は嬉しそうに提案する。
「そーだ大石! 次俺たちがユースケの相手してやろーぜ!」
「ちょっと待ってください。次って今日じゃないですよね? あれ結構楽じゃないんですけど」
「なーに言ってんだよぉ。まだ一回やっただけじゃん。乾がそんなんで許すと思う?」
「思いません」
「じゃー次って今日だよね」
「豪雨来ないかなぁ、今日」
思わず天を仰ぐ悠介の態度に、菊丸はからから笑って楽しそうだ。
かなり疲れるらしいことは伝わるとはいえ全く余裕がないわけではない。話している間に体力回復を試みているようで、嫌がる態度とは裏腹に諦めた様子は見受けられなかった。
彼らのやり取りを問題視しなかった大石はいつもの如く笑顔で見守っていた。
桃城と海堂の喧嘩も治まって、
悠介の下へやってくるところを見ると乾に何か言われたのであろう。
何も考えずに受け入れる当人とは違い、菊丸と大石は何らかの意図を感じ取っていた。
「悠介、もう疲れた? 次は僕とだよ」
「えっ」
「二人の話を聞いて、ベストな状態で使うためにはお互いの信頼関係が必要らしいよ。だから試しに僕と悠介で組んでほしいんだってさ」
不二はにこにこした顔で言っている。一見すると優しそうだが何を考えているかはわからない。
閉口して考える素振りを見せた悠介は、少しすると不満そうに呟く。
「まあ……ちょっとなら大丈夫ですけど。でも結構負担でかいんですからね。手塚部長にも釘刺されてるんで、無理はしませんからね」
「うん、もちろん。楽しみだね」
「なるほど。これが作戦か」
「ユースケは不二には弱いからにゃー」
あっさり意見を変えた悠介を見やり、反応は様々。
予想がついていた大石と菊丸はそうこなくてはと笑っていて、すっかり見慣れた姿に呆れることもなく呑気に見守っている。
反対に、あからさまな態度にリョーマは言葉を失っており、冷たい視線で彼を突き刺していた。
関係性は聞いていたとはいえ、まさかここまでとは思っておらず、呆れて物も言えない。
「あれ? 何その目……なんで?」
「わかんないの?」
「特に身に覚えないんだけど」
「先輩って、結構気持ち悪いっスよね」
「なぜ⁉」
遠慮せずズバリと言われた一言に悠介が驚き、不二が思わず吹き出して笑う。
彼らの関係もまた今となっては周知の事実であり、ダブルスの大会に出た影響も含めて隣に居るのが当然のように扱われている。見守る部員たちの眼差しは優しい。
ふとした疑問。
直感に従って深く考えることなく不二が呟いた。
「ねぇ、今でもまだ
「また何を急に……」
「だって悠介は元々ダブルスの評価高かったし、自信を持てたみたいだから。今なら違った結果があるんじゃないかと思って」
「軽く言いますけどそんなに簡単とは思えませんよ」
唐突に何を言い出すのか。そうは思うが彼の特徴の一つであった。
優しくしてもらった恩義がある一方で、不二は発言を躊躇わずに思ったことを素直に言うため、度々ぎょっとするような発言がある。場をかき乱すためにわざとそうしているのではないかという疑念さえあって、心の内が読めない人物であるとの評価を確固たるものにしていた。
他の部員より付き合いが深い悠介は、絶対にわざと言っていると確信していた。彼が天然だとは微塵も思っていない。
おそらく面白いことが起きそうだと考え、焚きつけるために言ったのだ。
やはり反応は明らか。
不二の発言を聞くと菊丸が勝気に笑い、大石までもがその気になる。
「久々に勝負してみない? 乾はデータが欲しいらしいし、真剣なのはしばらくなかったよね」
「ちょっと……! 先輩、余計なこと言わないでっ」
「ほほーん? 面白そうじゃん」
「本来なら止めた方がいいんだろうけど、ダブルスのことなら聞き流せないな」
菊丸と大石はいとも容易くその気になった。
不二の思う壺なのだろう。にこやかに微笑む彼を悠介がじとりと睨む。
「ほらやる気になった。どうするんですか……」
「練習は必要でしょ? 頑張ろうよ」
「使うの俺なんですからね。結構疲れるってことをまず忘れないでください」
「限界を知ることもまた練習だから」
「他人事みたいに言うんだから、もう」
呆れながらも強くは否定しない。悠介はすぐに呑み込みながら嘆息する。不満を口にしながら彼を理解している様子だ。
こっちはこっちで問題だと、黙っていたリョーマは呆れて彼らを見る。
「それにね、悠介は平気そうだけど僕からすれば嫉妬もあるんだよ?」
「へ?」
まさかと思う一言で悠介が固まった。
我関せずという態度のリョーマだけでなく、これは面白くなりそうだぞと思った菊丸と大石が何よりも優先して二人を見る。
「君が大きく成長したこと、そのきっかけになったのが越前だったこと。自分だけ置いて行かれた気持ちになるし、なんとなくフラれた気持ちにもなる」
「あっ、や、別にそんな……! 俺は不二先輩を置いていくとかいうつもりなくてっ。むしろついていきたいから必死になってるわけでっ」
「フフフ」
悠介があたふたし始めると不二は楽しげに微笑んでいる。からかうようにも見えて、本心か否かは読めないが全てが嘘というわけでもないのだろう。
部内において師弟関係だなどと囁かれるほど、たった一年とはいえずっと傍に居たのだ。
彼の成長を見て思うところがあり、影響を与えられているに違いない。
「信頼関係なら僕だって負けないつもりだけど、どうかな?」
「はい! もちろんです!」
「少しでいいから。よろしくね」
「そういうことなら、喜んで」
あっさり意見を翻して、表情まで変わり、生き生きした様子の悠介はすでにやる気だった。
菊丸と大石は息を合わせて顔を見合わせると肩をすくめる。
「やっぱユースケは不二には甘いよなー」
「というより、掌の上で転がされてるというか」
「強くなってもそこは変わんねーんだにゃー」
「ま、変わってなくて安心したよ。師匠を超えるのはまだしばらく先かな?」
「一生上手く扱われてそー」
「いやぁ、それは流石に……大丈夫だよな?」
けらけら笑う菊丸に対して、にこやかだった大石の表情がわずかに曇り、困惑が見て取れた。
そこまでではないと思いたいが一抹の不安があるらしい。
やれやれと思わずにはいられないリョーマは帽子を目深に被り、面倒な事態には極力関わらないようにしようと、はしゃぐ彼らの傍から静かに離れた。