地区予選から始まって、都大会、関東大会と続き、その果てが全国大会。
一度でも負ければ終わりの団体戦で勝ち続け、目標とする全国制覇は全国大会で優勝すること。
ついにその第一歩を踏み出す日が来て、会場に集まった中学生の多くが緊張していた。
中でも一際目立つ存在がある。
地区予選程度ならば優勝は当然。全国大会への出場経験があり、特に近年は集った生徒によって評価が高まっていて、今年こそ全国制覇もあり得なくはないとの評価を得ている。
青春学園中等部テニス部は注目の的であり、堂々と歩く青いジャージ姿の一団を見掛けただけで多くの選手が畏怖を覚えていた。
シード権を得ている青学は二回戦からの参加となる。
試合は概ね予定通りに進んでいて、彼らの出番が近い。
今年も青学優勝は確実なのか。他校の生徒に当然の如く注目される中、一所に集まった彼らは初戦のためのミーティングを行っていた。
「え、シングルス……っスか?」
まさか、全く予想していなかった、といった様子で越前リョーマが呟いた。
普段から表情の変化が乏しく、冷静沈着でツンとしている彼であるが、今は珍しく困惑しているのが伝わってくる。
大会はダブルス二戦とシングルス三戦で行われ、先に三勝した方が次へ勝ち進める。
初戦の相手は玉林中。
オーダーが発表された途端、何も考えず真っ先に目を向けたのがダブルス2だった。しかしそこに自分の名前はなく、あれ? と思って視線を下げるとシングルス3で見つける。
あの大会は何だったのかというのが正直な気持ちだ。
戸惑うリョーマを見たのだろう、オーダーが書かれた用紙を持つ乾貞治が口を開いた。
「地区予選では極力手塚を温存したいと思ってね。データを取られる恐れがあるし、体調の不安もあるようだ。ここくらいは俺たちだけで勝ち上がりたい」
「それはいいっスけど」
「それに宮瀬は初の大会だ。緊張しているだろうが不二を与えておけば問題ない。今後のためにも初戦で勢いをつけておきたいところなんだよ」
リョーマはちらりと隣を見る。
説明を聞いて並び立っている宮瀬悠介と不二周助が顔を見合わせた。不二が微笑むと悠介が嬉しそうに頬を緩ませて、すでに効果があるらしいことが全部員に伝わる。
「よろしくね」
「はい。お願いします」
「いずれはと思ってたけど本当にその時が来たんだ。感慨深いよ」
「俺もいつかできればいいなって思ってたんで……足引っ張らないように頑張ります」
「ふふ、緊張しないようにね」
「そう思うなら言わないでください……!」
何やらいつになく楽しそうに見えるのだ。
緊張していないわけではないだろうが、多少の余裕がある。呑気に笑っている姿を見て、呆れた態度で冷ややかな目をするリョーマが不意に悠介へ声をかける。
「なんか平気そうじゃん」
「そうだな。亜久津さんとか仁王さんと戦った甲斐があったかな。あれに比べればまだ」
「むしろ嬉しそうなんだけど」
「そりゃ、不二先輩と組めるし」
なんとなく納得し難い気持ちもあるとはいえ、ふーんとだけ言っておく。
オーダーについて語りたいのだろう。説明をすべく乾が続けた。
「越前は元々シングルスしかできないし、宮瀬はシングルスだと調子の差が激しいがダブルスなら誰と組んでも出来が良い。越前が来たことでシングルスは盤石。相手によって組み合わせは変更していくとはいえ、まずは確実性が高い宮瀬と不二だ」
「俺も初めてなんスけどね……大会」
「お前は肝が据わってるから心配ないだろう」
「ちょっと待ってください。俺の悪口に聞こえる」
「他意はないんだ」
心中が複雑なのは間違いないがまあいいかと思うことにする。
元々シングルスに出場するつもりだった。別の選択肢も提示されたとはいえ、当初の予定通りであることに違いはない。
リョーマはそう納得したためすでに不満はないつもりだった。だがほんの少しとはいえ自ら質問して食い下がったのは部員にとって珍しかったらしい。
このチャンスを逃してはならないと目を光らせる人間が居る。
にやりと笑って菊丸と桃城が近付いてきた時、しまったと思うリョーマは小さく嘆息した。
「お~チビっ。そんなにユースケと組みたかったんだぁ~。なんだかんだ言って懐いてるぅ」
「そんなにいじけんなよ越前。大会はこの一試合で終わりじゃねぇんだ。まだまだこれから宮瀬と組む機会はあるからよ」
「懐いてもいじけてもないっス。触んないでください」
気安い態度の二人が嬉しそうに近寄ってきた。
菊丸英二がぺしぺし頭を叩くと同時に、桃城武は力を入れてぐりぐり頭を撫でてくる。
どちらも鬱陶しそうにするリョーマは迷わず抗議し、自らの腕で二人の手を薙ぎ払った。
「そういうわけだから玉林戦のオーダーはこれで決定する。桃が言うようにいずれ宮瀬と組む場面もあるだろうから、そうしょげるな越前」
「だからしょげてないですって」
「惜しんでくれていいんだぞ?」
「ないから。清々するよ」
「なんでだよ。それむしろ俺のセリフだろ」
余裕のある声で悠介が言うと、不満そうなリョーマがそっぽを向く。
扱いが難しい性格だとわかっていたが、最近は特に問題もなく付き合えていたと思った矢先に、またしても難しい態度になってしまう。やれやれとは思いながらも慣れたせいか、悠介は嫌がりも焦りもせずに苦笑していた。
「そろそろ時間になる。じゃあ先生」
「あたしからは特にないさ。部長から一言もらおうか」
顧問の
何も言わずとも彼らなら大丈夫だろう。特に初戦は気合いが入っている。
生徒を信じているからこそ彼女は笑って肩をすくめ、普段無口な
部員たちの視線が手塚へ向けられた。
口数が少ないからこそ彼の発言は毎度注目が集まる。聞き逃すわけにはいかないと集中し、誰もが静かになってその時を待った。
「初戦だ。緊張もあるだろうが浮足立たないよう、油断せず行こう」
油断せずに行こう。
彼がいつも自分にも部員たちにも言い聞かせている言葉だ。
初心を忘れず、どんな試合で誰が対戦相手であれ、自分のベストを尽くしてプレーする。聞き飽きるほどに言われた言葉だがその言葉を軽んじる者は居ない。部活中に見ることのできる彼の実力と真面目さがそうさせるのだろう、部員が一斉に「はい!」と返事をした。
いよいよ始まる。
たった一度でも負ければ終わり。三年生は部活引退を余儀なくされる。
部が一丸となって目指すのは全国制覇。出場だけでなく、頂点を取るのだ。
試合はダブルス2から開始される。いきなりの出番だ。
その時を待ちながらも悠介は心臓の音がうるさくなっているのを感じていて、しかしそれが嫌ではないことに気付く。緊張はするが自分を見失ってはいない。
傍に居る不二がぽんと背中を叩いてくれて、自分が少なからず高揚しているのを自覚していた。
今年の青学はヤバい。
噂は瞬く間に広まった。
以前から地区予選突破は当然のものとして考えられていたとはいえ、今年だけは違うと語られるようになったのは、単純に圧倒的な実力を示したからだ。
部長であり、全国レベルと称される手塚を温存したまま、その結果は衝撃的だった。
初戦を迎えた対
大会としては二回戦にあたるが青学にとっては最初の試合であるため、結果がどうであれ最後のシングルス1まで欠かさず行われた。
衝撃は最初の試合からあった。
コートに現れたのは青学No.2と名高い“天才”不二周助。まず最初に来たかと注目が集まる。
その隣に居たのは知る人ぞ知る選手であったものの、ストリートダブルス大会で一躍脚光を浴びた不二の弟子、宮瀬悠介。
果たしてどんな試合をするのか。
特に不二周助のプレーを見ようと多くの人がカメラを構える中、呆気なく終わってしまう。
「ゲームセット! ウォンバイ青学! ゲームカウント6-0!」
「うん。調子はいいみたいだね。ナイスゲーム」
「お疲れです。先輩こそ結構テンション高いみたいで」
「悠介のおかげだよ。ありがとう」
当然のように青学の勝利。だが驚くべきはそこではない。
あっという間に終わってしまって、1ポイントたりとも落とさなかったことだ。
疲れた様子も見せずに平然としている二人は軽くハイタッチをして、その事実を誇ろうともせずに対戦相手に礼儀正しく挨拶するのだが、自慢する様子などなく柔らかい笑顔で接しているのが逆に強者の余裕を感じさせる。
“天才”不二は健在。それどころか今日のプレーは出来過ぎなくらい優れていた。
自然とペアを組んでいた悠介にも注目が集まり、彼らが固定ペアであるのだとしたらなんとも恐ろしいという意見が早くも錯綜した。
彼らですらダブルス2なのだ。続くダブルス1は昨年に全国を経験し、一年生の頃からの固定ペアとして素晴らしいコンビネーションで“
大石と菊丸がコートに現れるとそれだけで空気が変わる。
特に菊丸だ。不二と悠介のプレーに触発された彼は珍しく開始時から本気になっていた。
やはり圧巻の一言。
試合はマイペースを貫いたダブルス2の試合よりも早く終わってしまう。
「ウォンバイ青学! ゲームカウント6-0!」
「どーだユースケ。俺たちもやってやったよん」
「こら英二、そんなところで張り合うんじゃない」
おそらく意図したのであろう、ダブルス2と同じく1ポイントも与えずに終了した。
的確なコンビネーションと両者の個性がプレーによく出ていた。いつにも増してハイテンションな菊丸が嬉々として動き回り、凄まじい攻撃力を見せたのである。激しいアクロバティックと素早いスピードで瞬く間に得点して見せ、大石がその全てをフォローし、時にコントロールする。彼らでなければ不可能な内容であっただろう。
ダブルスが唯一弱点だと囁かれていた青学の変化を如実に感じ、恐れた選手たちが静まり返る。
シングルス3になると会場がざわつき始める。
明らかに小柄で去年には見られなかった人物であり、一年生だと予想するのは難しくない。
流石にここくらいは、と思う者は多かったが、結果を見ると誰しもが驚愕した。
「ウォンバイ青学! ゲームカウント6-0!」
「フン、まだまだだね」
菊丸が本気になって最速で終わらせた試合よりさらに早く終了させる。やはり1ポイントも奪わせずに一方的に球を打ち込み、異常とも思える攻撃力で圧倒したのだ。
普段に比べてどこか不機嫌そうに見えるリョーマはそそくさとコートを後にする。
迎えた悠介に声をかけられてもツンとした態度は変わらなかった。
「お疲れ。すごかったけどなんか怒ってる?」
「怒ってないよ」
「俺にだけ敬語使ってないぞ」
「別にいいかと思って」
「思うなよ」
彼は勝った余韻を味わうこともなく当然と言いたげな顔をしていて、喜ぶ素振りが欠片も見られないばかりか、文句を言う代わりに先輩の脛を軽く蹴っていた。驚くと同時に痛がり、すかさず反撃としてほっぺたを引っ張られて、その姿を遠めに見る他校の生徒は混乱せざるを得ない。
よくわからない。が、とにかく凄いプレイヤーだ。
ストリートダブルス大会の噂もあって、越前リョーマの名が知れ渡るのはあまりに早かった。
本来であれば三勝した現時点で青学の勝利は確定されて試合は終わる。
この後の試合をどれほど頑張ろうと玉林中が勝つことはないのだが、せめて一矢報いようと気持ちを入れ替えようとしても衝撃は大きく、悲痛な表情に変化はない。
続くシングルス2で出てきた選手を見た時だけわずかに玉林中の表情が変わる。
体格は良いが表情から自信は感じられず、おどおどした人物が恐る恐るという様子で出てきた。
昨年度は出場していなかった河村隆だ。への字眉毛で辺りを見回し、緊張しているのは誰の目にも明らかだった。彼にだけは勝てるかもしれないと希望を抱ける。
「うぅ、緊張するなぁ……」
「大丈夫ですよタカさん。思いっきり行きましょう。はいラケット」
「ふぅ~……ありがとう宮瀬。頑張るよ。バーニングッ‼」
ラケットを受け取った瞬間、大声を発して顔つきが変わった。
観衆が何が起きたのかを理解するよりも前にずんずんと大股でコートへ入ってくる。
その時には河村の表情は一変しており、自信のある顔つきで上機嫌に笑い、ネットを挟んで対戦相手と向き合うと我慢できずに大声を発した。
「よく来たな小僧ウェルカーム! お前が俺の相手か! よっしゃ燃えるぜバーニングッ‼ オラオラカモーン‼」
さっきまでの弱気な様子を見ただけにあまりにもギャップが大きい。怒っているわけでもなく恫喝されているわけでもなく、ただ大声で話しかけられているだけなのだが、思わずビビッてしまうくらいには迫力があった。
この試合もダメか、と思ったのはプレーが始まる前だった。
そしていざ始まった後でああやっぱりと思う。
ドンっと強いインパクトから繰り出されるパワーショット“
やはり青学はおかしい、と認識させるのも当然だった。
「す、すいません……棄権します」
何度ラケットを飛ばされただろうか。まともなプレーなどできていない。
仕舞いには選手の腕が痺れてしまって痛みまで覚え始めて、ラケットを握ることを拒否してしまうほど追い詰められてしまったため、最後まで続けることなく最速であったシングルス3よりも早く試合が終わってしまう。
「グレイトォ~! やったぜビクトリィー‼」
「すごいな。格闘技みたい」
「KO勝ちってあるんスね」
「あれができるのはタカさんくらいじゃないかな」
「あっ……ごめんね? 腕、大丈夫?」
棄権によってシングルス2は青学の勝利となり、もはや自分を奮い立たせることすらできない状態になってしまう。
それでも試合は続くため、最後のシングルス1が開始される。
「ウォンバイ青学! ゲームカウント6-0!」
「すまないが、君のプレーは解析が終わっている。データは嘘をつかないよ」
乾が得意のデータテニスで思うがままに試合の展開を作り、河村や越前ほどとはいかずともダブルス1と同程度のスピードで決着をつける。
蓋を開けてみれば青学の全勝。それどころか、全試合において1ポイントすら相手に取らせずに終わらせてしまった。
今年の青学はヤバい。
手塚を抜きにしても完成され過ぎている。
噂は瞬く間に拡散されていった。
シングルスとダブルスを器用に行う“天才”不二周助。
菊丸英二・大石秀一郎による完成度の高い阿吽の呼吸を誇る“
スタミナ・スピード・パワーを高めて“データテニス”を強化した乾貞治。
そして後ろに控える青学最強の手塚国光。
今年はそこに並外れたパワーを見せつけた河村隆、ダブルスを先導する宮瀬悠介、常識外れの攻撃力を持つ越前リョーマが加わっている。
試合を終えて、彼らは大袈裟に喜びはしなかった。
目指すは全国制覇。初戦の勝利などそのためのほんの一歩でしかない。先は長くて、浮足立って油断するわけにはいかないのだ。
地区予選突破まであと二戦。彼らは堂々と準備を始める。
「なんか、改めて冷静に考えると、みんな強過ぎません?」
「確かにね。タカさんなんて棄権させちゃうんだもん」
「い、いやぁ、謝りに行ったんだけど……恨まれてないかなぁ?」
「恨まれてるんじゃないっスか。手首壊したんだし」
「やめろお前。タカさんのメンタル壊す気か」
「あ、あはは、そうだよね……やっぱりもう一回謝ってこようかな?」
「それは流石にやめましょう。きりがないし何回も絡むと逆に煽ってるみたいですよ」
「それはそれで面白そうだね」
「なんで笑ってやがりますかあなたは」
呆れた顔の悠介の発言に、自分は違うとでも言いたげに不二がくすくす笑う。
苦笑する河村が頭を掻くのだが、残念ながら好印象は持たれていないに違いない。
普通ならあり得ないだろう。
件の試合を見ていてそう思ったリョーマは、自身にも奇異の目を向けられていることはまるで気にしていなかった。
「お前も注目されてたぞ。あの一年は普通じゃないってさ。関係ないみたいな顔してるけど」
「先輩は言われてなかったね。早速ヘタレがバレたんじゃない?」
たとえ指摘されても認めないばかりか軽口まで叩く始末。
またしてもほっぺたを引っ張られていた。