俺は、凡人だ。
才能ってやつはきっと存在するんだと思う。
碌に辞書も引かないから正しい意味は知らないけど、生まれた時にはもう持ってるもの。反射神経が良いとか、視力が良いとか、記憶力が優れてるとか。努力で伸ばせるものとそうでないものがあって、多分頑張ったって手に入らないものってあるんだろう。
天才ってやつは、その中でも少しだけ特別秀でている。才能がどうとか選民思想がどうとか色々言われるけど、事実人間には違いがあってそういうものなのだと思う。
俺には天才の気持ちがわからない。
何を以て天才かって言われると難しいけど、ただ一人だけ、この人は“天才”なんだなって思った人が居る。俺はその人に憧れて、誰よりも先に頭を下げた。
その人みたいになりたくて、色んな事を教わった。テニスの基礎はもちろん、学校の勉強だってわからなければ質問したし、日常生活の些細な疑問を口にしたこともあって、何かと面倒を見てもらったとても有り難い存在だ。
俺は天才か否かを置いといてもその人が好きだし、今でも尊敬している。
一方で、近くに行けば行くほどわからなくなる。
誰よりも観察して、話して、真似して、一番近くに居るはずなのに、それでもわからない。
隠したいわけではないのだと思う。でもたまに意図して隠したりもする。どっちだ。
俺とは絶対的に違う存在。
一番好きなはずなのに、時折、本当に突然、一番嫌いになったりもする。
俺はきっと凡人だ。だから天才のことはあまり好きではないのかもしれない。
また、そんな感覚に陥る。
どうして前しか見ないんだ。ここに俺が居るだろう。
ああもうっ。ちゃんとこっちを見ろ!
「帰り道どっちですか?」
結局、部活終了時刻を過ぎているのにそう長々と活動できるはずもなくて、最後までゲームを完遂するほどの時間があるはずもなく、スミレの鶴の一声で中断された。
さあ急いで片付けて急いで帰れと尻を叩かれた後、クールダウンの時間も満足に取れず、慌てて着替えて、さあ帰ろうというタイミング。
悠介はリョーマに捕まり、しっかりと左腕を掴まれていた。
「えーっと……」
「まあどっちでもいいんですけどうち来ません? コートあるんで」
「え、家にテニスコートあるの? 金持ち……っていうかそんなことよりもどっちでもいいって方が引っかかったんだけどどういう意味で言ってる?」
「家にっていうか、家の裏にある寺にあって、知り合いの坊さんのもんなんで」
「そんなことより俺軽んじられてない?」
「じゃ、行きましょっか」
「あれ? 聞かれてない。もう決まってるんだこれ」
異様に強い力で握られたまま強引に引っ張られる。やだ、男らしい、などと冗談っぽく思っている間にもどんどん連れていかれていた。
これは逃げられそうにない。強引な相手ならすでに付き合いがあって知っている。きっと少々抵抗しても無理やり話を進められるやつだ。
初めての後輩。想像と違ってかなり強気だ。しかもクールな外見とは裏腹な熱を感じる。
疲れは隠せないが放っておけないのも事実だった。
よほど信用がないのか、腕を離してもらえない事実に驚きながらもいつしか状況を受け入れる。
「多分だけどさ、ストレス溜まってない?」
「溜まってますね。そもそも俺がやりたかったことと違うんで」
「怒ってる?」
「怒ってないっス」
「でもイライラはしてるでしょ」
「してる」
「えー正直だ……」
見た目通りに気難しそうな相手だなと思いながらも付き合うのは、悠介が人との関わりを好んでいたからだろう。同じ部でありクラスメイトでもある気難しい人間との関係で慣れもある。後輩でクールで生意気という新たな刺激を楽しんでもいたようだ。
沈黙が辛かったわけではない。それでも当然のように声をかけて話そうとする。
「先輩もう異常に疲れてるんだけど。どっかで買い食いでもして普通に帰らない?」
「やだ」
「奢ってあげるよ」
「じゃあまた今度」
「いや今日だけの特価なのよ。次からは奢ってあげないぞ」
「いいじゃないスか別に」
「いいけどさー。さっき散々やったじゃん。もう本気で戦うような集中力残ってないよ」
「じゃあそれでいいから」
「意外なくらい押しが強いね、君」
表情の変化はあまり見られないものの、いくら初めてのダブルスだったとはいえ、本気で勝負して敗北したことが相当に悔しいのだろう。
わかりやすく負けず嫌いな彼の態度に思わず笑ってしまう。
途端に振り返るリョーマに見られて悠介はすかさず視線を外した。
「なんで笑ってんの?」
「いやなんかわかりやすい奴だなーって思って」
「ふーん……」
「怒ってる?」
「怒ってる」
「えー……」
遠慮のない態度に戸惑いつつ、あれこれと会話をしながら目的地へ向かう。
確かに機嫌が悪いらしいリョーマの態度はわかりやすいが、だからといって無暗に悠介へ当たろうとはせず、文句を口にすることもない。たまに冗談のように皮肉を言ってくることはあるが彼ならさらりと受け流せるような言葉ばかり選んでいたようだ。
意外にと言うべきか、気まずい沈黙を味わうこともなく到着する。時折黙ることがあってもどちらも平然としていて気にすることはない。
そうして連れていかれた場所は中々に衝撃が大きかった。
寺の境内に一面のテニスコートがある。
錆や汚れも見られずきれいな状態で、日常的に使用されている形跡があった。
なるほどと納得するのはリョーマの実力についてだ。日常的にここで自主練しているのならそこまで上手くなる理由もわかる。
感心する悠介を余所に、リョーマはそそくさと準備を始めていた。
「マジか。寺にテニスコート……なんで?」
「さあ? 変なおっさんが勝手にやったんでしょ」
「変なおっさん、あそこでいびき掻いてるんだけど」
「無視していいっスよ。めんどくさいんで」
テニスウェアに着替えてラケットを持つ。
コートへ入ろうとしたリョーマは悠介を見て、ぼけっと突っ立っている彼に厳しい目を向けた。
「先輩も」
「あ、やっぱりやる?」
「やりますよ。そのために来たんでしょ」
「俺は君とは違ってさ、なんていうかこう、闘争心みたいなものがあんまり……」
「早く」
促されて渋々準備をする。後輩だが少しとはいえ怖いと思ってしまった。そんな態度を隠すように手早く悠介も準備を整える。
コートに入って向かい合い、ネットを挟んで対峙した。
リョーマは燃えていた。ダブルスとはいえ敗北の事実を許せないようで勝利に飢えており、しかもようやく自らが望んでいた勝負ができそうでやる気になっている。
対する悠介はどこかしゅんとした様子を見せる一方、決して手を抜いてお茶を濁そうという態度ではない。何か気になることがあるのか、真剣に彼と向き合おうとしていた。
「本気でやってくださいよ」
「わかってるよ。本気でやらないとまた怒るだろ?」
「もちろん」
「一応ね? 先輩とかどうこうじゃなくて一人の友達としてだ。もうちょっと優しくしてくれてもいいんじゃないかって思うんだ」
「サーブあげます。どうぞ」
「俺のこと嫌い?」
「好きですよ。早く」
それはそれとして彼の態度には多少の不満を覚えながら、投げ渡されたボールを受け取る。
ぶちぶち文句を言いながらも悠介がサービスラインに立って構えた。
リョーマはすでに待っている。深く息を吐いて集中し、ゲームを始める。
小気味良いインパクトの音を聞いて眠っていた男は目覚めた。
作務衣姿で短髪の中年男だ。大きないびきを掻きながら鐘の下で寝ていて、目覚めるとすぐに顔の上に置いていたグラビア雑誌が落ちる。
眠そうな目でわずかに驚きながら辺りを見回し、誰かがコートでテニスを始めただけなのだと気付いて落ち着きを取り戻した。
大きなあくびを一つ。眠そうな顔をしていたが、そこに居る人物を見ると表情が変わる。
リョーマが初めて友達を連れてきた。意外に思ってにやりとほくそ笑む。
「おーおー……やってるねぇ、若人諸君」
プレーを見ればすぐにわかった。
珍しくムキになる息子と、無理やり付き合わされただろう見知らぬ友達を、横になったままなんとなく眺める。