テニスの王子様の言うとおりっ   作:ヘビとマングース

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52 不公平だろ

 去年の不動峰中テニス部は最低の環境だった。

 クソみたいな環境。クソみたいな顧問。クソみたいな先輩。

 誇れるものなんて何もなくて、全国で見ても最低の部活だって思ってた。

 

 体育会系とかって風習は誰が考え出したんだろう。年功序列とか言ったりするけど、正直俺はクソみたいなものだと思ってる。

 何のつもりか知らないけど、去年のテニス部はまさにそれで、1年は2・3年の奴隷。3年が威張るからストレスを溜めた2年は1年に当たる。何も悪いことなんてしていない俺たちが、そんな必要なんてないのにひどい扱いを受けていた。

 

 当然、入部してすぐに1年の多くがやめていくし、数が少なくなると俺たちの負担が増える。

 それでも残ったのはただ単純にテニスがしたかったからだ。全国大会だとか将来プロになるとかそんなことを考えてるわけじゃない。テニスに興味を持ったから、ただ楽しめればいいなと思って始めて、自分の予想以上にプレーが上手くできたから簡単に諦められなくなった。

 

 最悪な環境で練習なんかほとんどさせてもらえない。1年だからってひたすら球拾い。

 最悪な顧問は全部見て見ぬふり。何が起きたって何もしない。

 最悪な先輩がすぐ暴力を振るって、俺たちは何度も怪我させられたけど、事件にすらならない。

 

 全部、全部嫌いだった。

 俺を取り巻く全部が嫌いで、あいつらを刺し殺してやろうと思ったことだってある。神尾たちが止めたからやらなかったけど、犯罪がどうとか、倫理がどうとか、そんなのどうでもよくなるくらい追い詰められてたのは事実なんだから。

 ひどいストレスだった。思い出すと今でもムカつく。

 これはもう理屈とかじゃなくて、俺の全身に刻まれた最悪の思い出だ。

 

 少しずつ変わっていったのは間違いなく橘さんが来てからだった。

 九州から来た一年先輩の転校生で、テニスが上手くて自信家で、俺たちから見れば革命家だ。

 テニス部が最悪な環境にあるのを一目で見抜いて、やる気のある俺たちを引き抜いて、新しいテニス部を作ろうとした。それがきっかけでひと悶着あったとはいえ、ムカつく顧問を引き摺り下ろせたから後悔なんて一切ない。

 

 橘さんが来て全部が変わった。

 ムカつく大人たちに頭を下げさせて、環境が良くなって、思う存分テニスができる。

 優しくて強い、初めて素直に頼ってみようと思えた素晴らしい先輩。

 橘さんが来てくれたから俺たちは地獄から抜け出せた。

 

 あの人を全国に連れていく。それが俺たち後輩全員の想いと決意。

 あんなにすごくて優しい人はもっと多くの人に知ってもらうべきなんだ。そのために俺たちは、命を懸けて全国大会まで勝ち進む。

 

 なんでお前ら笑ってるんだ?

 なんの苦労も知らないみたいに、なにへらへらしてるんだよ……。

 

 

 

 体から噴き出すようにして、一瞬にして全身を覆った青黒いオーラ。

 不気味で、静かで、物音一つ立てずに荒れ狂うその様は得体の知れなさを感じさせる。あれは良くないと一目見ただけで思った。

 爆発するように発散するのではなく、今まで内に溜めていた感情が外へ漏れ出したと言いたげな様子に怯え、会場に居た多くの人間が息を呑んでいる。

 

 潜在能力の覚醒。一つの到達点であるオーラに目覚めたのだ。

 その瞬間を目の当たりにした大勢が言葉を失い、固まってしまう中、悠介は冷静に見ていた。

 先程までの静けさはこの時を待っていたのだろう。本人が意識して目覚めたとは思い難いが何らかの衝動があったことは予想できる。彼も成長したいと思っている時に目覚めたからだ。

 

 たったそれだけで状況が変わる。プレーが始まるよりも前に理解できていた。

 深司が放つオーラが威圧感を与えて、すでに空気が違っているのだ。

 ここから先はさっきまでとはまるで違う。そう思ってプレーしなければならない。

 

 サーブの権利が一巡し、改めて深司がボールを持つ。

 戸惑っているのは神尾も同じだが、同時に喜んでもいた。深司が化けたことを肌で感じているからだろう。

 まだ慣れていないダブルスを勢いで始めてしまった。だが自分たちには勝機がある。ようやく流れを手繰り寄せられそうだと察していた。

 やる気を滾らせる神尾が、状況を整理しようともせずにプレーを開始させようとする。

 

「ハハッ、いいじゃねぇか! 行くぜ深司! 今日は思う存分ぼやいていいぞ!」

 

 気持ちが乗った鋭いサーブが地面に弾み、すかさず悠介が打ち返した。

 気付けば普段と同じように深司がぶつぶつ何かを呟いている。あらゆるものに対する不平不満を自分なりに吐き出していて、誰に聞かせるためでもなく、言い聞かせるわけでもなく、考える前に半ば勝手に口から出ていた。

 いつもの癖だ。ようやく調子が出てきたのだとわかる。

 ボールはおそらく狙われて深司の正面へ。オーラを揺らす彼は驚かずに打ち返す。

 

 変化は明らか。

 深司が纏う青黒いオーラがボールを覆い、嫌に遅いスピードで飛んでいく。

 ネットを越えて、こちら側に来た、その瞬間を狙ってポーチに出たリョーマがボールを狙った。これまでと変わらずガットの中央で捉え、相手が反応できない場所へ打ち込む。

 

 その時、ボールを覆っていたはずのオーラが、気付けばリョーマの左腕に纏われていた。気付いた途端にリョーマが腕を振るが、剥がれる気配はない。

 ラケットで触れた影響なのだろうと推測。悠介はリョーマの名を呼び、迎撃に集中させる。

 

「いいよなぁ……心配してくれる先輩って」

 

 誰に聞かせるつもりもなく、事実正確に聞き取っていた者など居ない。

 ぼやきながら深司がボールを打つ。

 体に纏うオーラの一部が、再びボールを覆い、大抵の人間が追いつけるだろうスローボールを相手コートへ送った。しかしそのボールには強烈なスピンがかけられている。

 

 奇妙であることは理解しているが見逃すわけにはいかない。リョーマは左腕に青黒いオーラを纏わせたまま、自らがボールを打ちに行く。

 そして打球をラケットで捉えた瞬間、左腕に違和感を覚えて、ラケットが弾き飛ばされた。

 

「それ、当たり前だと思ってる? クソみたいな先輩なんて知らないでしょ。骨折られて部活やめた同級生とかさ……それでも当たり前に登校してくるクズなんて知ってる?」

 

 なぜか会場は静まり返っていた。それでも深司のぼやきは聞こえていない。

 あまりに不自然な光景に驚きを隠せず、多くの人間が何が起きたかを理解できていなかった。

 リョーマ自身も不思議そうな顔をしていて、違和感を覚えた左腕を軽く振って確認するのだが、今は特に異変など感じない。やはりオーラを纏ったあの現象が原因なのだろうか。わからないままラケットを拾う。

 

「平気か?」

「一応。でも変でしたね」

「ほら、すぐ来てくれる。怪我してたら試合やめろって言ってくれるんでしょ? 君、ずいぶん恵まれてるよ……1年なのにさぁ。ずるいよね」

 

 プレーが止まっても深司のぼやきは絶え間なく続く。

 リョーマに駆け寄った悠介は彼の左腕に触れ、簡単に状態を確認した。とはいえ、専門的な知識を持つわけではない。多少動かしても痛みは感じていないようで、ひとまずプレーの続行に危険はなさそうだった。審判に軽く報告し、定位置へ戻ろうとする。

 その間際、平気な顔をしているが不思議そうなリョーマへこっそり言った。

 

「両腕使えるだろ? 両方で打ってみてくれ」

「なんかヤバそう?」

「ヤバいのは間違いない。でも、対応の仕方もちょっと考えてみたいっていうか。ボールの回転はよく見といて」

 

 簡単に忠告してあっさり去っていく。心配されているのかそうでないのか、やれやれと言いたげに左手を軽く振った。

 視線は再びオーラを纏っている深司に向かう。

 こうなっては常人以上のスピードを誇る神尾への関心は薄れてしまい、そういえば居るんだなどと思いながらどうしても青黒いオーラを警戒していた。

 

 神尾もまた、この状況を理解できていない。

 前々からそうだが面倒な性格のあの男を制御できるだなんて思っていない。

 ただ、これが自分たちにとっての明らかなチャンスであり、この流れを自発的に断ち切ってはいけないことだけは正しく理解していた。

 

「いいぜ、このままどんどん行くぞ! 集中切らすなよ!」

「誰に言ってんだろ……自分こそ何も考えないで走ってるだけのくせに。考えないで勢いだけでテニスするからこういうことに――」

「相変わらずうるせぇなぁ⁉ ほら行くぞ!」

 

 深司が打ったサーブが素早くネットの上を通り過ぎる。

 リターンしたリョーマは敢えて深司に向けて打ち返した。

 サーブはオーラに覆われず、スピードもある。回転も特別なものではなかった。

 逃げるつもりはない。わからないが、それはおそらく相手も同じ。真っ向勝負を望む彼はすかさず前へ走って自分がボールを拾おうとする。

 

「やる気あるのはいいけどさぁ、それだけじゃどうにもなんないでしょ」

 

 いつもと変わらずといった態度で打ち返す深司は、本人がそう意識しているのか、青黒いオーラを纏わせた上でボールを飛ばす。

 あちらの狙いもまた図らずもリョーマ。1年ルーキーを潰そうという考えなのかもしれない。

 

 強気で打ち返すとオーラが腕に移ってくる。

 返っていくボールは何事もなく、再び深司が打つと青黒いオーラに覆われた。

 何かまずい気がする。言われた通り、左腕がオーラで覆われたリョーマは、咄嗟にラケットを右手に持って打ち返した。そうすると今度は右腕がオーラに覆われる。

 両手が塞がれた、そう考えればいいのだろうか。悠介からの指示はない。

 

 尚も変わらず深司がボールを打ってくる。

 何度打とうとも、体を覆うオーラの一部がボールに移って飛んできている。

 回転は見ていたつもりだ。1球目がトップスピン、続いてスライス、再びトップスピン。

 嫌な予感を覚えたリョーマはすかさずラケットを左手に持ち、打ち返そうとした。

 

 ボールに触れた途端、腕がずんと重くなる。そこにかかる重力だけ一気に増加したかのような、急激で強烈な変化。自分の体とは思えないほどの重さに目を丸くする。

 それでも辛うじて打ち返すことができたとはいえ、再び深司が打とうとしていた。

 

「左で打て!」

 

 再びスライス。

 悠介の声を聞いたリョーマはラケットを持ち替えず、左手で打球を捉えた。

 ビクッと左腕が違和感のある動きをした。ラケットは手の中から強引に弾き飛ばされ、勢いよく地面にぶつかると派手な音を立てて滑っていく。

 

「ひょっとしてさぁ、もう気付いたの? 嫌だなぁそういうの。先輩としてはいい人なんだろうけどさぁ、戦う方はたまったもんじゃないよね」

「お、おい。今更だけどお前それ、大丈夫なのか?」

「知るわけないじゃん。俺だって何が起きたのか知らないんだし。ただまぁ、なんでか気分は悪くないけどさぁ」

 

 ぶつぶつぼやき続ける深司にようやく神尾が声をかけた。

 ちょっとしたプレーの切れ間。どうやら彼は予想以上に上機嫌らしいと知る。それでいて湧き上がる不満は止まらず、ダウナー状態で愚痴り続ける。

 

 ラケットを拾ってやり、悠介は改めてリョーマは尋ねた。

 さっきのは明らかだった。体感した当人も見ていた観衆も状況を理解し始めただろう。

 

「どうだ?」

「トップスピンとスライスが交互。打ったら腕が動かなくなります。終わったらすぐになんともなくなるっスけど、さっきは二回続けてトップスピン打ったらめちゃくちゃ重くなった」

「どういう原理かよくわかんないけど、あのオーラを相手の体に与えてデバフかけるって感じか。打ち返すことができなくなるっていうのは厄介だな」

 

 ラケットを手渡しながら、悠介は深司のオーラを眺めて思考する。

 数度のプレーで全貌はわからずとも危険性は理解できる。リョーマがラケットを落としたのが何よりの証明だ。言うなれば二打必殺。トップスピンとスライスの組み合わせで腕に異常を与えることが可能だと予想する。

 

「触れるだけでまずい打球だな。腕は平気か?」

「今のところは。で、どうすんの?」

「手立てがないわけじゃないけど……もう少し様子を見たいな」

 

 真剣に考えてそう結論付けたらしい悠介に、リョーマはふうんと素っ気なく答えた。

 

「どれだけ負担になるかわからないけど、どう?」

「いいっスよ。無理なら無理って言うし」

「だな。しばらく様子を見る。多分、前から使えたわけじゃないと思うから必ず限界は来る。結構テンション上がってるみたいだし、俺もそうだったからわかるよ」

「待つの?」

「ちょっとだけな。でも大丈夫。試してみたいことがあるんだ」

 

 いつになく自信を感じる一言だった。

 大会の時と比べても何かが違っているように感じられる。リョーマはじっと彼の顔を見上げた。

 

「大体の流れは見えてる。負けないよ」

「アレは使わないんだ」

「後で使う。タイミングを見計らった方がいいだろ」

 

 なるほど、と悟ったリョーマは全てを聞かずとも理解していた。

 ねじ伏せる。

 完膚なきまでに勝利するのならば敢えて相手を泳がせることも必要だろう。試合の流れを手中に収めるためならばゲームカウントを相手へ与えることさえ躊躇わない。

 

 悠介の作戦に乗ることを決め、リョーマは素直に頷いた。

 やはり変化は如実であり、練習の時とはまるで違う。大会での影響が大きいに違いない。その変化を良しとするリョーマは多くを言わず、珍しいほど素直に従った。

 

 ゲームを支配する。

 理想図はすでに頭の中にあり、対戦相手の突然の覚醒を見ても微塵も崩れなかった。

 

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