ドイツ8月クーデターは新統一条約の締結を翌日に控えた1991年8月19日に発生したナチス保守派によるクーデター未遂である。
新統一条約の締結で統一条約加盟国の民主化を推し進めようとした改革派のアルベルト・シュペーア総統に対し、条約締結に反対するテオドール・オーベルレンダー副総統ら保守派がクーデターを起こすが、ヘルムート・シュミット外務大臣を中心とした市民等の抵抗により失敗に終わり、ナチ党の権威失墜と解散を招いた。
現在のドイツ連邦共和国の成立に至ったため、ドイツ8月革命やドイツの春とも呼ばれている。
シュペーアの前の総統アドルフ・ヒトラーの死去に伴って発生したドイツ内戦(独:Führerkrieg)に勝利したシュペーアは正式にドイツ総統に就任。
学生の支持を得て改革を推し進めたが、その段階でテアドール・オーベルレンダーの反発を買い、最終的には保守派が国防軍と結託。クーデターに発展した。
衝突勢力
| 政府側 | クーデター側 |
| 大ゲルマン帝國 | 大ドイツ國国家非常事態委員会 |
| 大日本帝国(後援) | 親衛隊 |
| アメリカ合衆国(後援) |
これに伴い、ウクライナではクーデター側と民主派の小規模な武力衝突が発生し、内戦の危機となった。(第一次ウクライナ危機)
条約委員会ルスラントにはロシア軍部隊が侵入し、全域を掌握した。(西ロシア危機)
同様のことはベラルーシやバルトでも発生し、第一次ウクライナ危機、第一次ベラルーシ危機、第一次バルト危機、西ロシア危機の4つを総称し、一般的には第一次東欧危機と呼ばれる。
同様の事態はドイツ影響下のフランスにも波及し、パリ(南パリ)では大規模な暴動が発生した。これに乗じて、条約委員会フランクライヒ内のクーデター部隊が北パリ市から南パリ市内に侵入し、フランス現地軍と衝突。(フランス危機)
この騒動の最中にクーデター部隊によって南パリ市民が虐殺される事件も発生した。(パリ虐殺)
ゲルマニア市内も同様の状況が広がっていた。
シュミットはシュペーア総統がドイツ国民の前に姿を見せること、臨時議会の招集などを要求、自ら戦車の上で旗を振りゼネラル・ストライキを呼掛け戦車兵を説得、市民はフォルクスハレ周辺にバリケードを構築した。
また市民は銃を持ち火炎瓶を装備、クーデター派のドイツ国防軍や武装親衛隊に対し臨戦態勢を整えた。
このニュースは諸外国にも伝わり、大日本帝国とアメリカ合衆国はシュミットとシュペーアの改革派を支持した。満州国の愛新覚羅溥傑皇帝と中華民国の李登輝総統も同様だった。