-ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン
2024年8月19日。
ロシノの戦いに勝利したフィンランド軍はサンクトペテルブルクに侵攻。(サンクトペテルブルク攻防戦)
南からはドイツ・バルト連合軍もソスノヴイ・ポールを突破。
ドイツ軍のジェット戦略爆撃機Me500がサンクトペテルブルク上空に飛来し、5発のナパームを市街地に叩き込んだ。
ウクライナ戦線においてもキーウ防衛に成功し、ショストカまで押し返した。
一方で極東においても帝國空軍の爆撃機<富嶽5型>がイルクーツクに飛来し、5発のナパームを叩き込んだ。
そして、2024年8月17日。
ついにサンクトペテルブルクは陥落した。
北ではフィンランド軍がムルマンスクに侵攻。
しばらくの間、川を挟んだ戦闘が行われていたが、フィンランド軍はムルマンスクにナパーム弾やサーモバリック弾を20発ほど叩き込み、燃える火の中をヘリボーン部隊が侵攻。
さらに、南からはドイツ軍爆撃機も飛来。
マスタードガスをロシア軍陣地に叩き込み、ガスマスクを装備したフィンランド軍はその中を前進。
ムルマンスクは3日ほどで陥落した。
コーカサス戦線でも、ドイツ・コーカサス連合軍がロシア軍をコーカサス領内から駆逐。
ウクライナ領内のロシア軍を背後から攻撃するため、ロストフ・ナ・ドヌーに侵攻した。
ロシア軍はドン川に防衛陣地を構築しており、ドイツ軍の侵攻は滞ることとなった。
3日間の戦闘の後、ドイツ軍は同都市にミサイル60発を打ち込んだ。
それと同時にドイツ軍のヘリコプター部隊が侵攻。
要所に降下した空挺兵は直ちに周辺を確保。
2024年9月13日にロストフ・ナ・ドヌーは陥落した。
そのまま、ドイツ・コーカサス連合軍はウクライナ南東部に進軍。
マリウポリで戦闘中のロシア軍を東と西から挟撃した。
結果、2024年12月20日にロシア軍はウクライナ領内から撤退。
同時にモスクワではレオニード・スルツキー大統領が暗殺された。
これを共産主義者の陰謀と断定したオレグ・サリュコフ司令官は独自に戒厳令を発令。
民主派を次々と処刑した。
地方ではこのクーデターに反発した少数民族が武装蜂起。
共産主義者やSSの残党なども次々と蜂起し、ロシアは内戦状態に陥った。
我々は良かれと思ってやったが、いつもと同じような結果に終わってしまった。
-ヴィトクル・チェルノムイルジン
その後、新政権はドイツや日本と講和。
キーウ条約により、西ロシアにはEU諸国軍による共同統治を目的とした条約委員会ルスラントが設置され、極東シベリアは関東軍の軍政下となった。