ブルグント体制というのは、戦後の欧州において最も普遍的なイデオロギーとなったナチズムの中でも最も先鋭的なものである。
第二次世界大戦後、西ロシア戦争でドイツの運が尽き始めたとき、ハインリヒ・ヒムラー親衛隊全国指導者を筆頭とする、ナチ党の一部の狂信的で異端な構成員は国家社会主義の優越性の確信と、目の前に広がる暗くなっていく現実と折り合わせようとした。
やがて、彼らはナチ党が自らの目的を見失って退廃しており、自分たちだけが真に構想されたアーリア人の為の国家社会主義を実現できるという結論に至った。
彼らは第三帝国の暗い政治機構から静かに距離を取り、並行してそのオオカミを育てていった。ヒムラーが親衛隊騎士団領ブルグントの長になると、そのオオカミはガルムに似るようになっていった。
ライヒの多くのイデオロギー的目標がますます不規則となっていくヒトラーの発言を中心に展開されているのと同様に、ブルグント体制の教養はむしろ不定形なものである。
それを理解することは何よりも不可能なことである。
もし、ブルグント体制を読み解こうとするのであれば、ヒムラーのますます不可解になっていく行動と信念を分析するほかない。
その行動と信念には多くの矛盾が含まれていることは誰もが理解できることである。
農業主義と超工業化という曖昧で一見矛盾した理想から、新異教主義的ゲルマン国家宗教の構築とオカルトの探究にまで及んでいる。
しかし、彼の政権が本国の政策を極端に実行していることは確かだ。
国家社会主義理論は生活の至るところに意図的に取り入れられ、退廃や自己満足を完璧なまでに破壊しようとしていた。そのために国民には比類ないほどの全体主義を課していた。
これが成功することがないというのは後々になってわかったことであった。
なぜなら、秘密は川のように騎士団領に流れ込むが、決してそこから出ることを許されなかったからだ。
この政治思想が現代において大いに警戒されているのはこの特徴によるものである。
(<戦後ドイツとナチズムの崩壊> j-stageより)
現在、ドイツ含むほとんどの国々では親衛隊の旗を掲げることは民衆扇動罪*1で処罰されるようになっている。
これは北フランスでの悲劇が再び蘇ることのないようにするための処置である。