勇敢な乙女と臆病な乙女。
緋影という人間は、基本的に何もできない。側から見れば真面目に見えるかもしれないが、宿題やら課題はやるけど、テスト前だろうと何時間も勉強したりしないし、高得点も目指していない。
運動も、割と苦手な方だ。今日の体育の授業はプールだが、その時間もかなり憂鬱に感じていた。泳げないわけではないが、単純にしんどい。
別に、胸が小さいからとか、その癖背が高いからとか、色気がない身体を見られるのが恥ずかしいとかではない。
ただ……周りが楽しそうにしているのを見るのがしんどい。だってあいつら、口では絶対「つまらない」「寒いだけ」「しんどい」とか言うから。
楽しいなら楽しいって言えば良いのに、何のプライドなのだろうかそれは? 男女共通で言えることだが、何故か素直に「体育を楽しい」とは言わないのだ。……本当に楽しめない人間がいることを差し置いて。
だから、正直ムカつく。楽しいなら、素直にそう言え。
「はぁ……なんで水泳にツンデレしてるのどいつもこいつも……」
そんな事を呟きながら、とりあえず一人、黙々と遠泳する。そう、これはここ最近になってからできた唯一の利点だ。
プールの時間は、雛菜と小糸と近くにいる必要がない。教室にいると、席が近いこともあって話が聞こえてくる。何故かゲーセンにいる自分の話ばかりするから、正直いづらいが……プールの時間はそんな必要がない。
「……ふぅ」
流石に疲れたので、一度身体をプールサイドに上がろうとした時だ。背中にごすっと硬い何かが直撃。振り返ると、自分より小さい少女が慌てた様子で顔を上げた。
「ぷはっ……ぴえっ⁉︎ ご、ごごごめんなさい……!」
げっ、と漏れそうになる声を抑える。まさか、そっちからこっちにくるとは。いや、考えられない可能性では最初からなかったが、それでもこう……ちょっと、気恥ずかしい。
いや、それより、だ。なんか怯えさせてしまったし、とりあえず距離をおかなければ。
「ごめん。大丈夫?」
「い、いえいえ……! す、すみませっ……わ、私っ……そ、その……」
ヤバい、目立ってきた。なんでそんな涙目になるのか……まぁ、とりあえず落ち着かせなければ。このまま立ち去れば、本当に自分が泣かしたみたいになってしまう。
なので、とりあえず小糸の目元の涙を指で拭った。大丈夫、この子はゲーセンのお兄さんに惚れているわけでもないし、何より帽子とゴーグルもつけているから自分である事は周りにバレやしない。
「落ち着いて、福丸さん。自ぶ……私がぼんやりしてたのが悪かったね」
「っ……」
それだけ告げて、少し崩れてもみあげを耳にかけてあげた。
さて、あとは目立たないうちに立ち去ろうとした時だ。ふと、いつの間にか自分達の横に雛菜が立っていたことに気が付いた。
小糸の様子を見に来たのだろうが……少しだけ雛菜は目を丸くして自分を見ていた。
……マズい、慰めるつもりで言ったわけだが、この子は自分のゲーセンの姿を見ている。勘付かれるかも……。
「じゃあ、トイレ行くから。私」
「あ……うん」
「大丈夫〜? 小糸ちゃん〜」
「だ、だいじょぶだよ、雛菜ちゃん……!」
「あの人……何処かであった〜?」
「え、そ、そりゃ体育同じだし、どこかでは会ってるんじゃないかな……?」
「あ〜……そっか〜〜〜♡ それより、一緒に泳ご〜?」
危なかった……こんなことをしていたら、自分は少しずつ一人ではいられなくなってしまう。
とりあえず……次から気をつけよう、そう決めて緋影はプールを後にした。
×××
ここ最近の雛菜の日課に、新たな物が加えられた。それは、仕事がない日はゲームセンターに立ち寄る事だ。
欲しい景品の有無や、ハマっているゲームをしたい・したくない、ではない。店員さんに会いに来ているのだ。
入口からチラリと中を覗く。雛菜がここに到着する頃、ちょうど出勤時間になる店員さんを待っているのだ。
「……あっ」
「き、来たね……!」
来た、と小糸と二人でゲーセンに入る。さて、この前にもうパーカーは取ってしまったし、今日は何をするか? それは、メダルゲームである。それくらいしか興味あるゲームがない。ここ最近は、メダルゲームくらいしかしていない。
「ひ、雛菜ちゃん……今日は、何するの?」
「メダル〜」
いつも通りの返事。ゲームセンターにいれば、いつかまた話が出来ると思うから……なのだが、その雛菜に小糸がしれっと声を掛けた。
「ひ、雛菜ちゃん……前から思ってたんだけど……ここのゲーセンでメダルゲームやってても、あの店員さんとは話せないと思うよ……?」
「……え〜っ?」
平静を保ってるようなリアクションをしてしまったが、内心は焦ってしまっていた。え、そ、そうなの? みたいな。その雛菜に、小糸はさらに畳み掛ける。
「ていうか……わ、分かってるよね……? ここ最近、オフの日は毎日来てるけど……一回もお話しできてないし……」
「……」
それもそう。ゲーセンに来れば良い、というものではない。目的の人とお話できないと意味ないのだ。
そんな事、もう本当はだいぶ前から分かっていたのだが、それでも雛菜は目を逸らしていた。
「……だ、だって〜……こっちから話しかけるのは、恥ずかしいし……」
「……」
らしくなく、胸前で両手の人差し指をぶつけ合っては離したりする仕草をする雛菜が、何だかやたらと可愛らしく見えて。
だが、雛菜にとっては大惨事。結局、時間とお金を使っても、碌に会話も出来ないんじゃ意味がない。
「な、何か……景品とか取ってみなよ。また教えてもらえるかもよ?」
「で、でも〜雛菜、欲しい景品とかもうないし〜……いらないものにお金を使うの、勿体無いかな〜って〜……」
「め、メダルゲームでは、お金使うのに……?」
「……う〜」
それはその通り。メダルゲームはやると割と楽しいのだが、それでもただの時間潰し。お金の浪費であることは変わらない。
……でも、またあのイケメンさんに声を掛けるの……気恥ずかしい。
「ほ、ほら、雛菜ちゃん。せっかく、自己紹介したんでしょ……?」
「……そ、それはそうだけど〜……」
……いや、そうだ。落ち着かないと。このままでは、いつまで経ってもお近づきになんてなれない。
「……分かった。頑張ってみる……!」
「うん。じゃあ、頑張っておいで……!」
それだけ話して、雛菜は店員を探しに行った。このままじゃ、そもそも来ていたことも気付かれていないかもしれない。ここは一つ、しっかりと存在をアピールしなくては。
「……雛菜ちゃん、ちゃんと何話すのか考えてるのかな……」
不安になった小糸は、ちゃんと後を追った。
×××
ふぅ、と店員はほっと胸を撫で下ろしながら、お店の中を進んだ。ここ最近、言われた通りしょっちゅう雛菜はお店に来るが、何だかメダルゲームにハマったらしく、小糸と遊んでいる。
まぁ、でもそれならそれで良い。関わりたくないわけではないが、売上にもなるし自分も楽……でも、ちょっとつまらなかったりするわけだが。
さて、まぁでも平穏が戻ったと思えば悪くない。そんな風に思いながら、とりあえず仕事をしている時だった。
「……あ、あの〜……」
「っ、は、はい?」
市川雛菜と福丸小糸が後ろにいた。ヤバっ、と思いつつも、平静を保つ。これは……名前を呼んでも良いのだろうか? いや、良いはず……前に、自己紹介されたのだから。
「あ……い、市川さん。こんにちは」
「〜〜〜っ! お、覚えてくれれたんですか〜〜〜⁉︎」
「勿論。ご丁寧に、自己紹介をしてくださりましたから」
「あ、あは〜〜〜♡」
よ、喜ばれている……! 幸せに満たされた顔をされている……。何が困るって、アホほど可愛いことだ。照れが残っていて、喜びながらも頬を朱に染めたままなのが、もう直撃している。
それでも顔に出さないようにしながら、微笑みながら声をかけた。
「それで、何か御用ですか?」
「あ、は、はい〜。そ、その〜……」
「……」
「……」
……あれ、なんだろう。何も言わない。
「……こ、小糸ちゃんどうしよう……何も考えてなかったよ〜……」
「や、やっぱり……どうしてそんなポンコツに……」
「あ〜! 小糸ちゃんが雛菜のことポンコツって言った〜〜〜!」
「す、拗ねないで雛菜ちゃん……!」
丸聞こえである。最初こそヒソヒソ話だったのに。
「そ、それより雛菜ちゃん……早く、何か話さないと……!」
「むぅ〜……急に言われても〜……!」
……要するに、何も考えずに声をかけてきたのだろう。実際、雛菜はとてもゲームセンターでの遊びに興味があるように見えない。ユアクマの景品が無ければ、ゲームをしたがるとは思えない。
やがて、雛菜はどうしたものか悩み始めてしまう。まぁ……お客様に楽しんでもらうのが自分の仕事だ。ならば、声を掛けてやらないと。
「もしかして……また、お友達のために景品を確保したいのですか?」
「……え? あ……いや〜……その……」
思ったよりテンパってしまっている。可愛い……ちょっと、意地悪したくなってしまった。
その、雛菜の髪を耳に掛けてあげながら、微笑み掛けた。
「落ち着いて下さい。……どんな景品でも、市川さんが納得するまでお付き合いします」
「やはっ……!」
頬を赤らめてしまう雛菜。ヤバい、アホほど可愛い……と、一瞬だけ惚れそうになってしまったが、冷静に考えれば自分は男だと思われているのだし、あまりこういうことはしない方が良い。
そう思い、謝ろうとした時だ。
「じ……じゃあ〜……その〜……」
「はい」
「……お、お兄さんの名前……教えていただけませんか〜?」
「え……」
しまった、やり過ぎた、と少し悩んでしまった。可愛さのあまり、つい下手な真似をしてしまった事を後悔する。
「そ、それは景品ではないので……」
「え〜……だ、ダメですか〜……?」
そのきゃるるんとした涙目……ゴフッ、と吐血しそうになってしまった。本当にこの子可愛い。
だが……名前を教えて良いものか。何せ、同じクラスにいるわけだから少し困ってしまう。バレた時……怒られるじゃ済まないかもしれない。
偽名……いや、これ以上、嘘を重ねるのも……大丈夫、下の名前は珍しいかもしれないけど、苗字は割といるから大丈夫だ。
「浅沼です。よろしくお願いします、市川さん」
「……浅沼さん〜……浅沼さん〜……えへへ〜……」
はにかむなー! と、心臓の高鳴りがとんでもないことになる。本当、アイドルやってるだけあって可愛い人だ。……ちょっと、アイドルとしての活動の様子も見てみたくなってしまったほどに。
「で、では……自分はこの辺で……」
「あ、あの〜……」
まだ何かあるのか、と焦りが強くなる。ボロを出さないうちに逃げたいのだが……。
「なんでしょう?」
「その〜……い、一緒に遊んでもらえませんか〜……?」
「……」
直球! と、また困ってしまった。だが、流石に無理だ。仕事中だから、仕事に関係ないことは出来ない。
「申し訳ありません……お仕事中ですので、景品を取るヒントは教えて差し上げられますが……」
「ええ〜……」
「……」
この子、意外と喜怒哀楽が出てる。だから……しょぼんとされると、少しこちらにまで罪悪感が……。
でも……そろそろ、仕事しないと……と、思っている時だった。雛菜は、ふと何かを思いついたような表情になると、鞄の中からルーズリーフを取り出す。
そして、そこにサラサラとペンを走らせた。
「……はい、これ〜」
「? ……え、これ」
「電話番号です〜」
これ……チェインのIDとかではない。本当の電話番号だ。この子……自分を男だと思っているのに、少し危機感がなさすぎるのではないだろうか?
「え……い、いや……これ……」
「暇な日があったら〜……その、連絡してくれると嬉しいです〜」
「え、暇な日って言われても……ぷ、プライベートって意味ですか?」
「は、はい〜……」
自分で聞いといて「他に何があるんだ」と思ってしまったが、それくらい狼狽えてしまっていた。
どうしよう、なんて答えるのが正解なのか……というか、陽キャラの誰にでもある番号渡せてしまう特性がすごい。
「……い、嫌ですか〜……?」
まずい……そのショボンとした顔はインキャには引く。インキャがインキャとなる1番の原因は空気である。重たい空気が自分の所為で流れるのを必要以上に恐れてしまう。
だから……つい、甘くなってしまった。自分も電話番号を仕事で使っているメモ帳に記して、手渡してしまった。
「わ、分かりました。ですが、お忙しいのは自分より市川さんの方でしょう? なので、市川さんからのご連絡を、待たせていただきますね?」
「っ……〜〜〜っ! は、はい〜〜〜!」
言ってから後悔した。この人、普通にいつでも電話してきそうだ。仕事中は出ない言い訳が立つけど、他の日はどうしよう……と、悩みはさらに大きくなっていった。
「では、そろそろ自分、仕事に……」
「は〜い。ありがとうございます〜」
その日はそのまま別れたが、正直かなり胃が重かった。
×××
翌日の夜。今日は残念ながらお仕事だった雛菜だが、ちゃんと頑張って終わらせて、そろそろ帰宅の時間だ。
帰り際、他のメンバーより先に更衣室から出て、プロデューサーに声を掛ける。
「ね〜、プロデューサー」
「ん、どうした?」
「来週の雛菜の予定ってどんな感じ〜?」
「何か用事があるのか?」
「う、ううん〜。ただ、最短のお休みを知っておきたくて〜……」
らしくなく頬を赤らめ、歯切れの悪い様子の雛菜を見て、少しプロデューサーは怪訝に思ってしまったが、特に何か余計な口を挟む事なく答えた。
「休みが欲しいなら、希望の曜日とか教えてくれるか?」
「……う〜んとね〜……金曜日と土曜日かな〜……」
「分かった。じゃあその日は空けておくよ」
「やは〜、ありがと〜」
助かる。それならば、その日までにさまざまな準備をすれば良い。
さて、あとは早めに帰って約束するため、電話をかけるだけ……と、思っているときだ。
「あ、雛菜いた」
「ひ、雛菜ちゃん。帰ろう……!」
「早くして」
「あ、うん〜」
とりあえず、怪しまれないためにも電話は家に帰ってから……と、思っていると、その雛菜にプロデューサーが声をかけた。
「あ、雛菜。もしあれだったら、透達の週末も空けておこうか?」
「「え?」」
「ぴえ……」
「……あは〜?」
全てが台無しになった。透達と遊ぶから週末空けてほしい、と勘違いされたのだろう。
お陰で「雛菜がわざわざ前もって休みを取った。それもノクチル以外の用事で」と速攻でバレてしまった。
「何々、何の話?」
「雛菜、どこか出掛けるの?」
「あ、あ〜……ふ、二人とも。早く帰らないとだよ?」
「これだけ聞いたら」
「ね。これだけ」
円香もほんとこう言う時ばっかりノリノリになられるのは困る。だが、まぁ言い訳くらい簡単にこなしてみせる。ほんわかした笑顔を浮かべて誤魔化した。
「うん〜。実は……」
「もしかして、たまにいってるゲーセン?」
「え〜⁉︎ 透先輩、雛菜がゲーセン行ってるの知ってるの〜⁉︎」
「え、うん。見たことあるし、前に」
「私も」
割とバレていた。コソコソしていたつもりなのだが……まぁ、仕方ない。
「そ、そう〜。ゲーセン行くんだ〜」
「わざわざ休み取ってか……?」
「プロデューサーは黙っててくれる〜?」
「お、おう……」
この人の所為で無駄な苦労を背負いこまされた。ため息をつきながら、雛菜はすぐに答えた。
「それより、早く帰ろ〜?」
「あ、うん」
「帰り道はたっぷりあるし」
「ぴ、ぴえ〜……」
何となく嫌な予感がしている小糸が声を漏らしながら、とりあえず事務所を後にした。
×××
とりあえずしれっと追撃をいなした雛菜は、無事に家に到着した。
シャワーを浴び終えた雛菜は、ベッドの上で真顔のままスマホを部屋で握りしめ、眺めていた。
そう……昨日、ついに手に入れてしまったのだ。好きな人の携帯番号を……。
今更になって、何故交換するものをチェインにしなかったのか、とか色々と後悔はあるが、とりあえず今は電話番号で満足しておく。こっちの方がレアだと思うし。
そんな事よりも、だ。これから……連絡をする。
「……ふぅ、よ〜し……」
落ち着かせるように深呼吸して、声を漏らす。大丈夫、ちょっと電話するだけ。そして、遊びの約束をするだけ……と、言い聞かせるのはこれで3回目。
大丈夫、落ち着かないと。電話するだけ……ちょっと遊びの約束をするだけ……そう言い聞かせながら、スマホの画面をつけてスワイプする。そして、電話番号のボタンを押っ……押す……!
「……っ!」
押せずに、枕の上に頭を埋めた。ダメだ〜……恥ずかしい。そもそも、よくよく考えたら働いているゲームセンターの店員さんに連絡先聞くとか、相手は自分をビッチのように思ってしまうのではないだろうか?
最近は、男の人もガードが硬い人が多いって雑誌で読んだし、ガツガツいきすぎると……。
いや……いやいやいや、大丈夫。向こうから電話を待っていると言ってくれたのだから。……だから、勇気を振り絞れ!
そう強く思いながら、またどうやって会話をするかを考えずに電話をかけてしまった。
「……っ」
は、早く電話に出てくれないかな……と、胸が高鳴る。何せ、このコール音……聞けば聞くほど余計なことを考えてしまう。
そんな中、ようやく声がした。
『はい……』
「あ……ひ、雛菜です〜!」
『どうも。……夜なのに、元気ですね?』
耳元から……耳元から、クールな割に少し高めな素敵ボイスが流れてくる〜……! と、少し泣きそうなほど感動してしまった。
「は、はい〜! ……お、お兄さ……浅沼さんの声が、聞けたから……」
『あ……あはは、ありがとうございます……』
幸せだ……大変なことに、大変幸せだ……。ハワハワと胸の奥が躍る中、声をかけてきた。
『それで、今晩はどう言った御用件ですか?』
「え〜? ……あ〜……」
そ、そうだった、言わないと。えっと……そ、そうだ。デートの約束だ。
「ひ、雛菜がデート出来る日、来週の金曜と土曜日だから……あ、遊びに行って下さい〜!」
『え、で、デート?』
「っ……!」
しまった、つい本音が出てしまった。デートのつもりではあるが、それを言うつもりはなかった。
「あ、い、今のは、えっと〜……!」
『あはは……遊びに行く、って意味ですよね』
「っ、は、はい〜……」
良かった、そう受け取ってくれたのなら何よりだ。変な空気にならないで済んだ。
『金土なら……土曜日なら空いていますよ』
「っ……!」
つまり……休日丸一日一緒にいられる……! それが嬉しくて、すごく幸せそうな顔になってしまった。
「じ、じゃあ……その日に、ゲームセンターで遊んで下さい〜」
『分かりました。ただ……うちのゲーセンは勘弁して下さい。行くなら、別のゲーセンでお願いします』
「他で良いんですか〜……?」
『はい。あまりバイト先の人に自分の存在、知られたくないので……』
それは〜……周りにアイドルを認知されまくっている雛菜にはよく分からない。気にする事ないだろうに……。
でも、彼がそう言うなら仕方ない。従おう。
「分かりました〜」
『では……来週の土曜日ですね』
「は、はい〜!」
そこで通話は切れた。とりあえず、良かった。受け入れてくれた……!
さて、そうと決まれば……今からやるべき事は一つだ。
「よーし、私服……今から選ぶぞ〜!」
そう言いながら、雛菜はとりあえずタンスを開けた。まだ残暑の時期……薄着でも問題ないが、秋らしさも残したスタイルでいく。そういうの、雛菜は一番得意だ。
×××
一方、その頃。浅沼家では。
「し、死ぬ〜……」
緋影は、顔を真っ赤にして枕に顔を埋めていた。死んじゃう、恥ずかしすぎて。なんか……もう、色々とぐちゃぐちゃになる。
本当にデートすることになるなんて……どうしよう、何も考えてなかった。なんなら、いよいよまずいことになっている気がする。デートという言葉を使われた以上、本当に自分に恋をしているのかもしれないが、だからこそまずい。バレた時が、怖い。
「……ていうか、そんなにカッコ良いのかな、わたし……」
よく分からないので、一度バイト先モードになってみた。マスクをつけて、パーカーを羽織り、フードを被る。当日は帽子にする予定だけど。
そして、鏡を見た。……やはり、カッコ良いのかは分からない……というか、カッコ良いとは思えない。自分の顔なのだから当たり前なのだが……一目惚れしたことがない緋影にはわからないことだった。
「ん〜……」
……ポーズとか、とってみたり? と、いうわけで、鏡の前で姿勢を低くしたスパイダーマンのポーズを取ってみたが……。
「……あ、なんかそれっぽいかも……」
特に、自由な感じのカジュアルなスタイルが……なんて思っていると、部屋の扉が開いた。
「姉ちゃん、ゲーセンで欲しい景品あんだけど……何してんの?」
死ぬほど見られたくないところを弟に見られてしまった……こうなった以上「イケメンかどうかを確認してる」なんて言うよりは、いっそのこと頭おかしくなったことにしてバカな答えを言うのが一番だ。
「私……実は、スパイダーマンだったりしないかなって」
「あーうん。マイルズ版っぽい。で、明日ゲーセンでスパイファミリーのアーニャのフィギュア取ってきて」
クソほどの興味もなかったのか、適当に流した中学生の弟は自分の要件をぶちまけた。良い性格をしている。
「良いけどお金出してよ」
「俺が出せるのは300円までだから」
「ふざけんなー。かかった分は貰うから」
「ケチ」
「500円までで良いよ、あんたが出すのは」
「マジ? ラッキー」
それだけ話して追い出した後、とりあえず緋影はやはり自分はイケメンではないことを理解する。
……いや、今はそんなこと考えても意味ない。とりあえず……もう、遊びに行く事が確定してしまったのだ。ならば、必要なのは服装だ。
少なくとも、デートの間は男だと思われなければならない。だから、服装はきちんとしないといけない。
大丈夫、実を言うと緋影は男装は得意なのだ。菅谷明里という、今年の一月に急に雑誌に出てきた高校生モデルのファンな事もあって、彼が着た服を好んで買っている。
それを着た上で、帽子とマスクをつければいつもの顔だ。
「……よしっ」
キュッと手を強く握り締め、決心するととりあえずその日は眠ることにした。ボロを出せば、刺されるどころかイジメが始まってもおかしくない。
上手い事、その日は切り抜けないと……そう思いながら、とりあえずその日に身につけるユアクマグッズを選び始めた。
多作品のキャラは出さないつもりでしたが、名前だけ出てしまいました。菅谷明里とはモデルをやってる二股のイケメン野郎とだけ覚えておいて下さい。