「気に入らないね……」
そう呟いたヒシアマゾンの視線の先に
5人目の三冠ウマ娘ナリタブライアンが居た。
最高の栄光を掴みながら彼女は走り続けている。
フォームも速度もいつも通りの規格外だけれど
その獰猛さはいつも以上の――
歴史を作った菊花賞の時以上の迫力を見せている。
まるで、獲物を取り上げられた獣じみた形相。
彼女の言葉を求め群がった記者たちでさえ
恐怖で怯ませるほど彼女の餓えは深過ぎた。
この場で恐れずブライアンに向き合えているのは
小宮山トレーナーとヒシアマゾンだけだ。
「アンタの相手は一人だけかい……?」
ナリタブライアンは夢の背中を追い続ける。
その幻影に勝利しても止まる事は無く
最初の夢との決着に挑もうとしていた。
それなのに、運命というものは変わる事無く
無情かつタチの悪いエンターテイナーだった。
「ひゃひぃ!?」
「あ、笑ってくれた」
ヒシアマゾンに変な声を上げさせたのはフジキセキだ。
彼女はいつの間にか現れて、ヒシアマの脇をくすぐっていた。
「フジ!!アンタねぇ!!」
「ごめん。どうしてもヒシアマの笑顔が見たくなってね」
「これがG1バのやることかい!?」
「ヒシアマを笑顔にするためなら私は何でもするよ」
ヒシアマは呆れながらも
普段の優しい笑みを取り戻していた。
「アンタ。何でもするって言ったよね」
「タイマンがご所望でしょうか。お嬢様?」
「ああ!ご所望だね!
ほら!いくよ!」
ヒシアマとフジはそのままの勢いで併走を始める。
お互い歩む道も、辿り着きたい先も違うけど
抱いている想いの強さは同じだから分かり合えるんだ。
「ケッコウなことデスねー。
来年の冬が楽しみデスよー」
突然、聞こえてきた声の方向へ振り返ると
いつものスーツを着たドリフターハートが立っていた。
フジも、この人も、音も無く近寄るのが得意なのだろうか。
「怪物ナリタブライアン。
女傑ヒシアマゾン。
どちらもイキの良い餌に育って嬉しい限りデス」
露悪的な発言をする彼女に対して
愛想笑いで受け流す。もしくは
無視を決め込むのが正しい反応だとは思う。
でも、私はまっすぐ彼女を睨んでしまった。
フジ達の――
私達の想いをまた笑い飛ばしたのが許せなくて。
分かっていても、ドリフターが最も喜ぶ反応をしてしまう。
「食いモノにされるのはフジキセキの方かもしれませんよ」
「右の頬を食い千切られたら
左の頬に噛み付く女ですヨ。
本当の彼女はネ」
安いスプラッタ映画の殺人鬼のようにケタケタと笑う。
サニーとは正反対の汚い表情。
「そうだ。アナタにプレゼントがあるんデス」
彼女は懐から一枚の紙きれを取り出し
ペラペラと上下に動かし挑発する。
「新しい生徒を仕入れにドサ回りしてた時にですネ
レースのチケットを頂いたんデス。
でも、アナタと違って忙しくて行けないんですヨ」
「貴女から物を頂く理由はありません」
「理由は…ワタシのオヤジの一人が”治療”で不在の際に
アナタの学園長サンが代役をして頂いたお礼ということデ。
それではサヨウナラ」
ドリフターは何も手渡さないまま去って行った。
不信に思いつつも、私は走り終えた二人に
スポーツドリンクを差し入れに行く。
「お、先生。悪いねぇ……ん?
上着の左ポケットになんか入ってるよ」
ヒシアマの指摘で手をやると紙の感触がした。
急いで手に取り確認する。
それはとあるレース場の優先観戦チケット。
いつの間に入れたんだ。
「ちょ、ちょっと。大丈夫なのかい……?」
ヒシアマが心配してくれるくらい
私は酷い表情をしているのだろう。
それでも、フジは”しょうがないな”という表情を浮かべる。
入学式の時と同じ顔。
「あの人もみんなに見て欲しいだけなんだけどね」
「やり方は考えるべきだとは思う」
「もっと柔らかくできたらいいんだけどね……」
フジの笑みに影が生まれる。
諦めと憐れみを含んでいる。
「あの人は自分らしい自分を演じ過ぎたんだと思う。
いつもの道筋を変えるのは難しい事なんだろうね……
私も自分らしさを演じ過ぎてしまう事があるから……」
フジの悲しい声を聴いて
私はドリフターの誘いを受け入れることに決めた。
有給なら余計に一つ使うくらいのストックはあるし
鬼と蛇が出た時は、出た時に考えたらいいのだから。
※
オグリキャップとナリタブライアン。
彼女たちと同じくらいイナリワンの顔が
ここ大井には溢れていた。
ドリフターハートが招待されていたのは
大井レース場だった。
NRU(地方ウマ娘全国協会)管轄内で最も活気ある舞台。
ダート競争のレベルに関しては中央以上とも言われ
今では当たり前のスターティングゲートや写真判定等も
中央に先駆けて導入したらしい。
元芝のウマ娘だったのもあり私は
東京大賞典やジャパンダートダービーといった
主要レースしかダート競争は目を通していなくて
”いつもの大井”を見るのは初めてだった。
いつもの大井のレースを大井の娘が走り
大井の人たちが応援している。
まるで自分の子どもの様に。
小さな頃から親しんできた娘が
成長を重ねて地元の大舞台に立つまでを見守られる。
中央とは違う繋がりがここ大井にはある。
新鮮な体験をしているせいか
時間は瞬く間に過ぎた。
時計はまだ16時前を指しているのに空は暗闇に包まれている。
今は12月下旬な上に天気は曇りだから当たり前ではあった。
厚着を出来る観戦者はともかく
体操着姿の娘にはこの寒さは辛いだろう。
そんな心配をしながらパドックを覗くと
プレゼントの正体が分かった。
あの娘だ。
3年前の夏。
私の命を繋いでくれた存在。
彼女の名前をアナウンスで聞いた私は
すぐさま携帯で彼女の事を調べた。
彼女は今年の7月末に大井でデビュー。
6着に終わってしまったが、次走は4着に入り
続けて2着を4回連続で記録していた。
未勝利のまま彼女は今回のレース。
東京ジュニア優駿ウマ娘。
初めての重賞に挑む。
その顔付きは3年前とは全く違う。
彼女の表情は勇ましく飢えていた。
負けてもいいから挑戦したい。
記念として走っておきたい。
そんな気持ちは微塵も含まれていない。
彼女は勝つ為にターフに立っている。
管楽器の音色が止み、11人の優駿がゲートへ歩む。
5番人気の彼女はその小さな体に
ゼッケン5番を携えて5枠に収まる。
そして、ブザーと共にゲートが開いた。
※
彼女は踊り歌う。
バックダンサーじゃない。
勝者を左右で賛美する役でもない。
宿敵たちの中心で彼女は喜びを全身で表現している。
あそこは自分を証明した者だけの特等席。
稲妻、怪物、巨人が私を讃える私が主役の舞台。
私だけの宝物を私は再び噛みしめている。
初めての宝物を手にした彼女は感謝の言葉を届ける。
支えてくれた人々へ
共に競い合った宿敵達へ
自分を産み育てくれた家族へ
私に宛てられていない言葉なのに
私は満ち足りた気持ちになる。
彼女は、一人じゃない。
その事実に安堵しながら私は私の道へ帰る。
三角の虹に照らされた彫像に背を向けながら。