私と二人のブライアンが白い廊下を歩く。
会話は一切無く、ひたすら足を運んでいる。
先頭を歩いていたブライアンオブライフが
扉の取っ手を掴み、開きかけた時。
声が聞えてきた。
聞き慣れた三人の明るくて楽しそうな声。
突然、私の後ろにいたナリタブライアンが
菓子折りが入った紙袋を床に置くと、踵を返し始めた。
「ナリブちゃん……!」
私達は彼女が置き去りにした
お見舞いの品を回収しつつ、彼女を追いかけて
病院の出口付近でライフがその腕を掴んだ。
「離せ」
「今、会わないと後悔するから……!」
「本当に送るべき物を勝ち取れていない
今の私が小宮山に会ってどうなる」
治療を終えたナリタブライアンが復帰戦にあたる
秋の天皇賞まで約2週間前に控えていた時
小宮山トレーナーが事故で全治4カ月の怪我を負ってしまった。
相棒の不在がブランクへの復帰と重なる中でも
ブライアンは本番に向けての調整を続け
小宮山の代役としてライフも手助けをした。
さらにドリームトロフィーへの調整を進めていた
メジロマックイーン。ウイニングチケット。ライスシャワー。
彼女達も練習相手になってくれた。
それに加えて
誰よりもナリタブライアン自身が復活しようと足掻いている。
いなくなった理想の為にも。
そして、秋の天皇賞において
彼女たちの努力は12着という結果で返された。
いつもそうだ。
「小宮山に伝えておけ。
勝てないウマ娘は見捨てろ。とな」
敗北が当たり前だった私には
力を失う苦しみを理解できない。
できないけど。
今のブライアンには救いが必要なのは解る。
サニーの時みたいな後悔はさせたくない。
いや、私がしたくない。
私も彼女の腕を掴んだ。
「逃げないで」
「逃げているつもりは無い。
無意味な事をしないだけだ」
「無意味なんかじゃない。
小宮山は貴女のトレーナーだ。
どんな事をしてもキミを救いたいと願っている」
「救いはいらない。私は一人でも走り続ける。
これ以上アイツらを巻き込む必要は無いだろう」
彼女は軽く腕を振り払い私たちの腕から逃れる。
力自体はまだ充分残っているんだ。
だから、ここで救わないといけない。
「まって!」
私はブライアンや小宮山の為に
彼女を引き留めてるわけじゃない。
もう、上らない太陽を見たくないだけなんだ。
自分の後悔を埋め合わせたいだけのエゴ。
こんな事しても
サニーは私を赦してくれないし。
赦されるべきじゃない。
それでも私は――
「Hey!ブライアン!」
「えっ……?」
「なんだ……」
馬鹿みたいに大きくて、耳障りな高い声。
ブライアンの背中から誰からの顔が現れる。
まるで山の隙間から昇る太陽の様に。
「やっぱりキミがブライアンのブライアンなんだ」
「お前は誰だ」
イラストに描かれた太陽の色をした髪。
夕焼け空に星を宿した瞳。
常に上がったままの口角。
私の、私達の青春が目の前にいた。
「サニー……!」
「やっほ。オベイ。ブライアン」
サニーは軽く返事をすると
ナリタブライアンの両脇に手をやり
抱っこする形で持ち上げる。
「何をする。やめろ」
「すごい力だね!さすが!
オベイ!ブライアン!両脚持って!
はやく!はやく!!」
「え!?…うん……!」
私とライフは言われたままに
ナリタブライアンの足を脇に抱える形で持ち上げる。
「よし!いくよー!」
私達三人はナリタブライアンを運んで行く。
彼女は「ふざけるな」と口では抗議はしているけど
激しい抵抗はしなかった。
色んな人から驚きの目を向けられながらも
私は小宮山の病室への扉を開ける。
そこにはタマモとオグリ。
そして、ベッドで療養中の小宮山が
ギョッとした顔をこっちに向けた。
「ブーちゃん!?」
「な、なんやねん!いったい!?」
「オベイにブライアンとブライアン……
それと、君は……?」
そんな彼女達のリアクションを気にも止めず
サニーはナリタブライアンを抱えたまま喋り出した。
「ミーの名前はサニー!
オベイとブライアンの親友だよ!よろしくね!」
「は、はい……」
小宮山達が思わずお辞儀をしている間に
「オベイ。ブライアン。降ろしてあげて」
とサニーが指示して、私達はそれに従った。
「じゃあ、”ミズイラズ”ってことで」
ブライアンが文句を言うよりも先に
サニーは病室から素早く抜け出した。
「じ、じゃあ、私達もこれで……」
私とライフも逃げる様に病室から廊下へ飛び出すと
そこにはやっぱりサニーがいた。
夢じゃなかった。
「改めて、久しぶり!オベイ!ブライアン!」
彼女は何も変わらない。
私を置き去りにしたままゴールして
私に振り返った時から
少し同じレースに出ただけで
鬱陶しいほど距離感を狭めた時から
ジャパンCから帰国した私を
空港でいきなりハグしてきた時から
2度目のジャパンCを負けて帰ってきた時も
その翌年の引退式の時も
私が無駄に足掻き続けた時も
貴女の笑顔は変っていない。
「ど、どうしてこっちにいるんですか……!?」
「まぁ、色々あってね……」
変わっていない。
そう思い込みたいのに。
私はあのメッセージが頭に残り続けている。
「学園の人に二人はどこにいるのって
聞いたら、ココを教えてくれたんだ」
「連絡くださいよー……」
「キャプテン曰く
”みんなサプライズは嬉しいもんだ”」
「キャプテンの言う事はいつも
いい加減じゃないですか……」
私は貴女にどう話かけるべきか分からない。
久しぶりだね。
会えてうれしい。
こっちでも楽しく過ごしてるよ。
浮かぶ言葉はどれも嘘臭くて
口にする事ができない。
「とにかく、二人が楽しそうで安心したよ。
またねー」
私の困惑を他所にサニーは歩き去って行く。
その背中を見た瞬間
蓋をしていた後悔がまた漏れ出した。
「サニー!いかないで!」
私の叫びに貴女は応えない。
足並みを早めて私から逃げて行く。
「ライフ!早く追いかけ――」
「オベイさんだけで行くべきだと思う」
ライフは、あの夜――
晩酌した時と同じ顔をしていた。
「もう一度、私たちの太陽を灯してください。
オベイユアマスター」
ライフに背を向けながらサニーを追いかける。
私が望むままに。
比較的人混みの少ない道をサニーは
早歩きで通り抜けている。
私も危険だから走る事はできない。
だから、人々の進路を確認しながら
少しでも早く歩いて追いつこうとした。
サニーの背中がどんどん近くなる。
やっぱり、おかしい。
あの時と違う。
なんで、こんなに簡単に
追いつけそうなんだ。
あの時はどんなに追いかけても
追いつける気がしなかったのに。
太陽を追いかけているみたいだったのに。
どうして、もう貴女に私の手が届きそうなんだ。
「あはは。捕まっちゃった」
ふざけないで。
どうして連絡してくれなかったの。
送ったメッセージも返しれくれなかったの。
悲しいなら、悲しいのを隠さないでよ。
肩を掴んでこっちに振り向かせたサニーを前に
どうしようもない言葉が口元まで昇っては消えていく。
そうだ。
私が言いたいことはそんなことじゃない。
私は、私は――
「ごめんなさい……」
私はサニーを抱きしめ泣いていた。
「謝ってもらう事なんか無いよ」
「勝てなくて。ごめん……
ジャパンCもう一度勝てなくて
ごめんなさい……」
私は勝手な謝罪を
自分の弱さを
サニーに押し付けている。
「ミーね。一度目より二度目のジャパンCの
オベイの方が好きだったよ」
「え……?」
あの時、私は信じていた。
伸びる二条の灰色の閃光。
その狭間を駆け抜けた先で
太陽が待ってくれていると。
でも、私は二人に近寄る事すらできなかった。
そんな私をカッコイイなんて
どの口が言っているんだ。
慰めないでよ。
攻めてよ。罵倒してよ。捨て去ってよ。
貴女を救えない私なんかを――
私なんかを抱きしめ返さないでよ。
「最後まで諦めずに追いかけるオベイが
一番かっこいいよ」
「結果が出ない努力なんて意味無いよ……」
「そんなことない。オベイの走りから
色んな物を貰った娘は沢山いるはずだよ」
突然、あの娘――ゼッケン5番5枠5番人気の娘。
彼女が中央で踊り歌う光景が私の中で蘇る。
「ミーが自分の力を超えられたのは
オベイと一緒に走れたからだよ」
「私がいなくても、貴女はきっと――」
「走れてないよ。オベイが居るからミーが居て
ミーが居るから今のオベイが居るんだよ」
「そんなの……
お互い傲慢すぎるよ……」
「でも、ホントの事だよ」
今まではサニーのトンチカンな言葉に
口をしかめていた筈なのに
今は逆方向に歪んでしまっている。
サニーと同じ向き。
「今まで一人にして、ごめんね。
ただいまオベイ」
「おかえりなさい……サニー……」
日本に来たのに、ただいまなんて
おかしいじゃない。
そんなくだらない指摘も
懐かしい温もりで溶け切っていた。
※
『またサクラだ!
またサクラが満開になる京都レース場!
サクラが満開だ!サクラローレル!!』
復活した怪物ナリタブライアンを抜き去り
不屈の優駿サクラローレルが先頭でゴールを駆け抜けた。
彼女が振り返り手を差し伸べると
ブライアンは彼女の手をしっかりと握りしめた。
その表情は飢えながらも笑っている。
かつての満たされない苦しみを背負った顔じゃない。
今の彼女は己の渇望すらも楽しんでいる。
「やっぱり、ブライアンの子はすごいね……」
隣で呟くサニーも、同じような顔を浮かべていた。
日はゆっくりとだけど、また昇り始めてくれている。
「ブーちゃん……!」
怪我を乗り越えた小宮山は泣きながら拍手を送る。
その涙には勝たせられなかった悔しさ以上に
新たな力を模索しながら自分を待っていてくれた
相棒の感謝が含まれている気がした。
大勢の人々から祝福される二人を
負けてしまったマヤノトップガン達も拍手を送り
さらに会場は熱狂に包まれていく。
たった数分にかけた自分を証明する為の戦い。
そこへ至るまでの道から
次なる栄光へと向かう道まで
それ自体は一本の道でしかない。
だけど、その歩みは優駿の原石たちに
既に走り終えたと思い込む者たちに
彼女らを見守る全ての人々に
新たなる道を示してくれた。
「また、あそこで走りたいな……」
自然に出た私の独り言に
サニーは静かに頷いてくれた。
※
EX:バック・トゥ・ザ・フロント
その名の通り
ドリームトロフィーは夢の舞台。
数多の優駿たちと共に
ナリタブライアンと彼女の宿敵と先駆者たちも
フジキセキとドリフターハートも
このターフに立っている。
私も彼女たちと肩を並べられている。
サニーと一緒に。
「今回はミーの姿で走らないんだね」
「本物がいるからね
それに、サニーとは素顔で戦いたいから」
「いいね。ミーは素顔のオベイに追われると
とっても笑顔になれるから嬉しいよ」
「追い抜かれても
笑ったままでいられるの?」
「うん。笑えるよ。
すぐ抜き返してあげるからね」
今日はそのままの自分でいるつもりだったのに
サニーみたいに口角が勝手に吊り上がってしまう。
「ここでは貴女に負けるつもりは無い」
「ココでもキミに勝ってみせるよ」
聞き慣れたブザー音と共に
未踏の道へと誘うゲートが開かれた。