海外のエージェント・ジョニーが去った翌週。
塵子はつかの間の平穏を享受していた。
「ぐでー」
塵子が伸びているのは、事務所近くの公園だ。
ここ最近は、みのりの訓練ばかりで休みがなかったのだ。訓練の成果もあって、みのりの盾はソコソコ使えるようになった。
鼻血を出し続けた甲斐があったというべきだろう。
(……鼻血の分くらいは、なんかくれよぉ。まったくー)
塵子は内心で嘆いた。ぶっちゃけタダ働きだったのだ。師弟制度的に、仕方のないことではあったが。
塵子は、不満があるとすぐに此処でサボるのが常となっていた。
しかし、以前ここで大声を出してしまい、普通に警察を呼ばれた前科があった。そんなこともあり、今では愚痴も叫ばず大人しく寝転んでいる。
(悲しい事件だったね……)
事件をフラッシュバックした塵子は、アンニュイな顔になった。
仮にアイドルの名前を全裸で叫んでいたら、社会的に死んでいるところであった。
そんなことを考えながら、いつものサボり場所で、芝の上にイモムシ状に伸びているのだった。
格好はいつもの魔改造したセーラー服だ。頭脇二箇所で結った紫色の髪には、枯れた芝が無造作に刺さっている。しかし、塵子は全く気にしていなかった。
本日の日差しは緩く、珍しい疎ら雲をした空。木陰であれば、気温も丁度いい。
ただし、セミがうるさかった。
「ねぇ、あの子」
「最近いなかったから、なんか安心しちゃった」
(働け)
ブランチタイムに駄弁っている会社員たちが、塵子を噂した。何名かは、数珠と手を擦り合わせている。
この手入れの良く行き届いた公園は、少々土が盛られており、通りからは死角となっている。
(でも、偶にジュース置いていってくれるから良いか。温いけど)
塵子を見つけた日に馬券やスクラッチくじを買うと、よく当たった。
本人の知らぬ所で、当たった人達からは、現人神のように崇められていた。
(餌付けでもしようとしてんのかな? 絶対に媚びんぞ! 貰うけど)
当事者は勘違いしていたが、ジュースは塵子へのお供え物のようなものだ。と言っても、近くの自動販売機の当たりくじで、無駄によくダブるヤツだけであったが。
尚、余談ではあるが、この自販機は塵子がジュースを買おうとすると、何故か百円玉を漏れなく飲みこむ。
(最初見たときは、誰か死んだのかと思ったけど……)
公園の片隅。
雨風の当たらない場所ヘ、謎の花束や真新しいジュースの缶が積まれているのだ。そう思うのも仕方のないことであった。
(ま、いっかぁ〜。Relaxぅ〜)
芝に落ちた木陰に、そよ風が吹いた。
「でもあちー。ぐあー」
雲が偶に日差しを遮ってくれるとは言え、都会のコンクリートを浚った熱風は、やっぱり暑かった。
「いた」
そんな塵子に近付いてくるやつがいた。
前髪を上げた赤い頭は、髪留め代わりにゴーグルを着けていた。艷やかな髪は、肩口までで切り揃えられており、勝ち気な顔をしている。しかし、150cm未満と背は低かった。
最近何故か流行っている、戦う女子を体現した肉食系ファッションだった。
炎上系Vtuberの装いから火が着いたそれは、カジュアルと言うには少し格式張っていた。というよりは、角張っている。
この少女も、塵子と同じ碧色のセーラー服を着ていたが、外側につけた金属質の軽鎧が違う印象を与えていた。
そして、何故か自転車系配達員の鞄を背負っているのだった。
「チリ先輩! またサボってる!!」
「んぁ? だれぇ〜」
「ア・タ・シです! 弟子の
腰に手を当てた桃城は、塵子を叱りつけるように言った。
2年程前に、独り立ちした塵子の弟子だ。
既にDCPの第一線で活躍する同僚となっている。
「あんなちゃんか〜。どう? 稼いでる? アイス奢ってぇ〜」
完全に脱力系となった塵子に、杏奈の言葉は届かなかった。
「はぁ」
腰に手を当てて嘆息する杏奈へ、塵子は間延びした回答を返した。
「そして、これはサボりではなくぅ。立派な待機ですぅ〜」
(まったく、この人は……)
杏奈が塵子の弟子だった頃と、全く同じやり取りだった。
口元が緩んだ。
杏奈は懐かしんで、行動を反芻していたのだ。
「で、どったの?」
塵子は話を聞こうと、うつ伏せに寝そべった姿勢から起き上がった。
「はしたないです。止めてください」
無意識に熱の籠もったスカートを仰ぐ塵子へ、杏奈がまた注意した。元はプリーツスカートだった飾り布だらけの何かが、フワリと芝に落ちた。
「だって暑いじゃんよ」
「じゃあ、涼しいところに行けばいいじゃないですか!」
「だって、お金ないしぃ」
「……」
年々酷くなる塵子の金欠具合に、杏奈は片眉を上げて閉口した。
いずれ自分自身もこうなる可能性があるため、杏奈は配達員として、
「杏奈ちゃんは……凄いやる気だねぇ」
鞄を見た塵子がポツリと言った。
恥ずかしくなった杏奈は、小さな体で背中の箱をなんとか隠そうと身じろぎした。
そこで、ふと思い出したかのように、服と同じように金属質にデコレートされた端末を取り出した。
「こほん。応援要請です!」
咳払いし、端末を塵子の眼前に押し出した杏奈が言った。
この要請は、本来単体での評価が成されるDPCに於いて、一定期間中のリザルトが共有されるというものだ。規模の大きな異界災害等で、よく利用されるシステムだった。
もっとも、やりすぎて赤字を出しまくる塵子と、組みたがる人間は極めて稀であったが。
「お、おう」
「場所は端末に送ります。もうアラートで知っていると思いますが、正午からエリアT-4の
特殊端末を塵子の眼前に示した杏奈は、先程までと打って変わった澄まし顔で淀みなく告げた。実はここに来る前に、少し練習していたのだ。
力場を計測した分布図によって、天気予報のように危険度を知らせる物である。
当然、付近のDCPによる対策優先度は高いはずのものだった。
「あー……。置いてきちゃった」
「は?」
「ごめん。端末……煩いから置いてきちゃった」
「えぇ……?」
空気が凍った。
朝からビービー煩い端末に嫌気が差した塵子は、何を思ったか、端末を事務所の冷蔵庫に放り込んで逃げ出してきていた。
エージェントなのにそんなことある? と、虚を突かれた杏奈は、端末を取り落としてしまった。
その構図を傍から見れば、配達先を間違えた間抜けな配達員のように見えた。
◇
場所は変わって、空調がよく効いたリノリウム張りの廊下。
「がるるるるるる」
「…………」
赤いライオンに睨まれたみのりは、冷や汗を垂らした。
黒髪ロングのみのりは、塵子の忘れ物を届けに来ただけだったのだが、先程からこの赤毛のライオンに睨まれているのだった。
とある商業施設ビルの授乳用多目的室付近だった。平日の閑散時間帯ということもあって、利用者は塵子達以外いない。
「ねぇ安奈ちゃん~。みのりんきたぁ?」
「はい、チリ先輩! 今着ました! トロいですねコイツ! 今着きました!」
「え~、嘘ぉ。みのりん、めっちゃ動き早いよ? 50m3秒切る勢いだよ。控えめに言ってバケモンだよ」
塵子は声だけ響かせていて、みのりからは姿が見えなかった。部屋の中に居るようだ。
訓練ではどうあがいても地獄の鼻血コースだった。塵子はみのりを少しだけ恐れていた。
(ば、バケモン……。言いすぎじゃないでしょうか。私……バケモンなのでしょうか……)
何気ない褒め言葉で傷付いたみのりは、ズーンと肩を落とした。
「ヒヒ。バケモンはお前だ。また置いていきやがったな、チリ」
「うわぁキモッ! ……って御影さん?」
「アンナかぁ? ヒヒ。久しぶりだなぁ」
口の稼動部から嗤うような異音を鳴らしながら、御影は懐かしそうに片手を上げる。
「また人形代わったんですね」
「お前ン時から、8体くらい代わってるよ」
「ブラックですねぇ」
「ヒヒ。全くだ」
楽しそうに昔話に発展しそうな中。みのりは御影に声を掛けた。
「あの、どなたなんですか?」
「ヒヒ。こいつは、お前の姉弟子だよ。桃城杏奈ってんだ。こっちは源口みのり、な?」
御影が勝手に二人の紹介を行った。杏奈の性格的に揉めそうだったからだ。
「ねぇってば」
何度か問い掛けたのだろう。扉の向こうから、髪の毛が草まみれの塵子が半裸で出てきた。
半裸というか下着姿だった。
「塵子さん!?」
「チリ先輩!?」
そこそこ背のある均整の整った肢体が、惜しげもなく晒されている。公共の場だ。驚いたみのりや杏奈は声を上げた。
「ん? どったの? あぁ、これ? 歩いたら暑くてさ〜。洗濯してたの」
何を驚かれたのかサッパリわからない塵子は、とりあえず状況説明を行った。
ここには、備え付けの小さなコインランドリーがあり、30分で乾燥までしてくれる優れものだった。
塵子はヘビーユーザーだったりする。本来はベビー用品用なので、見つかったら先ず出禁になること請け合いだった。
塵子達のセーラー服は、異世界産の技術がふんだんに使われている。
水で掻き回されたり、火で炙られたりしたくらいでは、シワ一つ出来ない優れものだった。
「ここいーよねぇ。おっぱいボロンスポットだから。カメラないし。涼しいし」
「えぇ……」
(赤ん坊来たらどうすんだ?)
一同が同時に思ったが、誰も答えを持ち合わせていなかった。
今までエンカウントしていないということは、恐らく、塵子が視界に入った時点で生存本能が働いて別の階に行くのだろう。
「あ、みのりん! 端末端末!」
「あ、ええ。いや、あの服を……」
みのりが戸惑いながら取り出した端末を、塵子はひったくった。
「……。ぅーん……? 杏奈ちゃん! 申請ないよ?」
しばらく弄り回したあと、塵子の端末から渋い演歌が流れ始めた。
「えぇ!? チリ先輩ちょっと貸して下さ……って煩!?」
杏奈が端末を握ると、急にこぶしの効いた歌の音量ボリュームが上がった。
「あれ? ホントに無い!? ……ぇーと、version5.1!? 何時のやつ!?」
ちなみに今のパージョンは、39.8。
塵子の端末は、特殊端末の中でも特殊だった。
「えー、マーさんやっぱゴミなの?」
「いや、ゴミってわけじゃないんですが……」
小首を傾げた塵子に、杏奈は説明しようとしたが言葉に詰まった。
(なんでマーさんなんですか……。というか、マーさんって何なんだ!?)
突然湧いて出てきた名前に、杏奈の思考がフォーカスされショートしたのだ。
まったく役に立たないAI。
略してマーさん。
塵子のネーミングの無さが光った。
「あの、前のバージョンの参加要請はこっちみたいです」
「え? あ、あそうなの……?」
自分の端末を見つめたみのりが、硬直した杏奈が持つ端末を少し触ると、杏奈が送った応援要請にたどり着いた。みのりの画面上では、デフォルメされたAIが、昔のマニュアルをサルベージしている様子がアニメーションで表現され、操作フローがマップ化されていた。
「みのりん、すげぇー」
「いや、このくらいはまぁ……」
みのりは完全に使いこなし、塵子から尊敬の眼差しを向けられることとなった。もはや、どちらが先輩か分かったものではない。
「ま、まぁ、弟子なら当然よね」
「……」
教えてもらったのにも関わらず、急に姉弟子感を出す杏奈を、御影の人形が半眼で眺めた。
受託を押すと同時に、甲高い電子音が鳴り響いた。
塵子の洗濯が終了した音だった。