鉞を受け止めた塵子は、山賊のような大男と相対していた。
頭部からの出血は、既に癒えた裂傷によるものだ。明るい紫色の髪は、血に濡れて階下でホコリを被ったのか黒く染まっている。
(
暗く睨みつける表情とは裏腹に、塵子は大男の状態を冷静に観察していた。
男の首元にチラリと見える赤い刺青。蠢くそれは、感情の変動によって、肉体に強化を施す類の施術だった。
とある世界では、死にかけた常人に一騎当千の力を与え、強者であれば万夫不当の力を得るとされる外法だ。
「ぐぅ……っ!」
「……」
大男は塵子が掴んだ鉞を外そうと、腕に血管を走らせた。
吹き出る蒸気。
しかし。
不動。
どんなに強く掴もうが、小娘の体くらい軽く片腕で持ち上げる男の怪力を持ってしても、ビクとも動かなかった。まるで、床に足が吸い付いているようだ。
どうしてそうなっているのか、頭に血が上った大男には、理解が及ばなかった。
御影の自爆の光を浴びた塵子の身体は、平行世界に降り立ったばかりに受けた荷電粒子砲の恐怖を思い出し、最高のコンディションでその異能を遺憾なく発揮していた。
異能で強化され、無作為に引き出された魔法は多岐に渡る。
――
――
――
――
――
――
――等々。
現在の塵子の身体は、言わば、
「グウァア!」
大男は唸る様に歯を噛み締めると、空いた手で拳を握り、振り上げて塵子へ殴りかかった。
「塵子さん!!」
塵子の頭のサイズを二回りほど上回った男の拳が、塵子に迫った。
しかし、塵子は表情を変えず、みのりの呼び掛けがあっても、まったく避ける様子を見せなかった。
衝撃の瞬間、塵子が立っているコンクリートの床に亀裂が入った。
だが、塵子はいまだ無傷でそこに立っていた。
「……?」
理解が及ばずに固まる大男に対して、仰け反った塵子は切れ気味で、拳にヘッドバッドをかました。
「なんかしゃべれ!!」
「ガァッ」
その理不尽なインパクトによって、男が握っていた拳の指がひしゃげた。薄い雲を同心円に残し、威力を吸収しきれなかった男の両足が離れた。
あまりの衝撃に、降っていた雨が空中で居場所を失って、一時的に雨が止んだ。
そのまま飛び出した男は、御影の自爆を経ても未だ残っていた建物の太い柱へ埋没した。
「……」
何が起きたかわからずに、みのりは目を見開いた。
「塵子さん……あの」
「みのりん、大丈夫? あとは任せてね」
「あ……」
何か言おうと逡巡したみのりへ、塵子は背中越しに優しく声をかけて、男の方へ歩き始めた。
静寂の中。
塵子が履く、こげ茶色のショートブーツが床と擦れて甲高く鳴った。
コンクリート内の赤錆びた鉄筋が、ゆりかごの役目を果たして、大男が建物外へ飛び出すのを防いでいた。
「……っ」
そんな威力でも気を失わなかったのか、大男が首を振って瓦礫から出て来た。しかし、膝が抜けたのか、大きな音を立てて座り込んだ。
塵子の攻撃を受けた左腕は、既に使い物にならないのだろう。力なくぶら下がっている。鉞はどこかへ消えていた。
大男の身体の赤みが引き、元の肌の色へ徐々に戻っていく。
ダメージが超過し、呪いが引き出していた身体へ強化魔法が切れかけているのだ。
大男の5歩前に、塵子は腰に手を当てて仁王立ちして言った。
「あー、一応
「ぐっ……。その強さ……この世界の
顔を
「オリエンタル? なんだそれ。……収容所に行っても、適当にしゃべらないほうがいいよ? あそこのおじちゃん怖いよぉ?」
真面目モードは終わったのか、塵子の顔の険が取れた。
塵子の異能は、既にこの男を脅威とみなしていなかった。
「…………。クク」
ところが、項垂れたまま塵子の話を聞いた大男は、肩を揺らした。
「「運がない……。まぁ、いいでしょう。今日は良き日です」」
「む?」
男とも女ともつかない不思議な声で、男の身体から声が漏れ始めた。
先ほどまでの男の雰囲気は鳴りを潜め、異界の空気を纏っている。
「「彼のお陰で、44の同胞がこの地に降り立つことができたのですから」」
「おいィ、何の話だ?」
甲高い音が響く。
まるで常温のグラスで茹でられた氷のような音だった。
それは、男の身体から発せられていた。
「「くくく。異世界、約束の地! 満たされたとこしえの国!」」
「オーイ」
まるで酔っているように、男とも女ともつかない不思議な声は、朗々と歌いあげた。
顔を上げた大男の顔には、先の呪印の様なイレズミが蠢いている。
質問して呼びかける塵子の声は、まったく届いていなかった。それどころか、狂ったように笑い始めた。
「「あーっはっはっは!!」」
「おーぃ。ぁー……」
(これあれだわ)
塵子は、げんなりとした顔になった。
塵子の脳裏に、物凄くめんどくさい過去の事件の数々が浮かび上がったからだ。
これは、塵子が思い浮かべたある一例ではあるが。
かつて、日本から異世界に
しかしながら、そのペアは、よくありがちな異世界もの冒険譚に則って、武功を上げる楽しいサクセスストーリーを歩んでいた。
ところが、どこで踏み間違えたのか、異世界での闇に打ち負けてしまった。人間の闇だ。
そこで脳をいじられ、魂の根源を辿られてしまった彼らは、
男女の記憶を読み出した闇の組織は、とある野望を抱くことになった。
異世界の闇組織が魅せられたのは、平民ですら飢えることのない……様に見える、約束の地。その
簡単に言えば、手付かずの土地の植民地化である。
しかし、先も言ったように、これは一例であり既に終わった事案だった。男女ペアは逆召喚によって無事に連れ戻され、記憶を消されて平和な生活を送っている。
当然、異世界を闇で牛耳っていた組織も
その世界では、旧約聖書にある天からの火の様に、『そんな国あったと言えばあったけど、なかったと言えばなかった』みたいに語り継がれているのだった。
このように、転移者の記憶を読み出す技術を持った異世界の支配者層は、偶に勘違いし、一時期は核兵器で
(うわー。めんどくさ)
男の身体が放つ不思議で陽気な声とは裏腹に、塵子のテンションは氷点下まで下がっている。
塵子の思う美味しい仕事ランキングは、次の通りだ。
ぽっと出の異界原生生物なら百点。次点で
このような危険な思想家の
尚、
「「あぁ、ああ! これが異界の匂い。水に満ち満ちた……スゥー。……すぅー、ゴホッ。え? 錆と埃と煙くさっ???」」
(そりゃ……それなりに臭うよねぇ)
その場で深呼吸した男は咽た。
環境問題意識も高まり、ピーク時よりは多少空気も綺麗になってはいるが、都会の空気は臭かった。
また、雨で流れきれなかった御影の自爆による粉塵もまだ舞っている。
この哀れな侵略者のことが、塵子は段々と可哀想に感じられてきた。
「とりあえず、収容所に送るよ。アンタとその大男もね」
「「ゴホッゴホッ」」
咽た大男から響く氷の音は未だ続いている。
塵子は警戒しながらも、指先に集中させた魔力を解きを放った。
「
「「え?」」
魔封圏。
魔法やそれに類する力を閉じ込めてしまう、魔法の檻だ。
塵子の指先から放たれた魔法は、大男を飲み込み、緑色の光を発しながら空にフワフワと浮き上がった。
「ん? あれ? なんか変だぞ?」
いつもと手応えが異なるのか、塵子は怪訝な顔になり、辛うじて残ったマヨネーズを先に詰める動きで魔法を振った。
「「うわぁぁあ、あぁあ」」
魔法の中から絶叫が聞こえるが、無視して振りまくると何かが出た。
「あ、出た」
青いツナギに黄色い安全ヘルメットを被った男だった。左腕がズタズタになっている。
魔法を見上げれば、ゴーストのような二体が魔法の中で漂っていた。
「………………。憑依タイプとかマジかぁ……」
憑依タイプ。
取り憑いて存在を上書きしてくる厄介なタイプの
「とりあえず、
魔法を受けて痙攣する黄色いメットのおっさんに、塵子はひたすら回復魔法を唱えた。
(治らねぇ……)
しかし、螺子曲がった腕は元に戻らなかった。
その後、みのりに声を掛けられるまで、塵子は滅茶苦茶
◇
『速報です。本日正午頃に発生した小規模な地震により、解体途中のビルが一部崩落する事故がありました。この崩落により、1名が重傷を負いました。また、地面から空へ向かって登る雷、雷樹の目撃情報があり、警察が関連を調べてい――』
応接間に置いた点けっぱなしのテレビから、ニュースが流れている。
掃除屋に後を任せ、そそくさと現場を離れた塵子たちは、ホームである事務所に帰って来ていた。
いつもの様に、霧島照子のデスクの前。
安っぽいパイプ椅子の上に座らされた塵子は、少々不機嫌そうにしていた。
「44。確かにそう言ったんだな?」
「ほんとだってばぁ。照ちゃん」
「信じていないわけじゃない。まぁ、あとで端末に聞けばわかる話だ」
(全然信じられていないんだが?)
塵子の証言は、照子の中でAI以下のヒエラルキーに属していた。
「なんにしても、今回全国で捕らえたのは39人だ。5人が漏れたということか。日本からの行方不明者の照合が急がれるな……」
結局のところ、取り逃がしたエリアは、北海道・長崎・鹿児島であった。
常員で配属されているエージェントに対しての、
「あー、御影さんが吹っ飛ばしたけど……。取り巻きが変な動きしてたみたいだよ?」
御影の自爆によって吹き飛ばされた
あの爆発の瞬間、目を覚ました塵子の重力制御魔法によって、転落を免れていたのだった。
従業員達は、あの大男と同じように異界からの憑依接続対象にされていた。帰り際に塵子によって解呪され、全員が無事に解放されていた。
捉えたゴーストのような思念体は、全て収容所へ送られている。
「動き……か。それと、先程言っていた憑依接続する魔法を、もう一度説明してくれ」
「だからぁ、バビャッとしてポ~ンとなったら、上書きされちゃうんだってばぁ。何回言わせるの?」
「…………。ちょっと、もう一回――」
OL風の長官、霧島照子から尋問の様な質問を受ける塵子を尻目に、みのりは背負った安奈を事務所にある仮眠スペースへと運んだ。
杏奈の事務所と調整を取っていた為、部屋に入るのが遅れていたのだ。
「よい……っしょ」
(汚れは目立つけど、傷一つない……。どうなってるんでしょうか?)
安奈を簡易ベッドに置いたみのりは、観察を止めてシーツを掛けた。
仮眠スペースから顔を出すと、パイプ椅子に座った塵子が見える。その向こうでは、霧島照子が苦い顔で頭を押さえていた。
その時、玄関のチャイムが鳴った。
「……(クイッ)」
「(コクコク)」
照子に顎で合図され、近くにいたみのりが扉を開けることになった。
「はい」
「こんちゃーす! ハセガワ急便でーす。!?」
「あ」
(着替えていませんでした!)
配達員のリアクションで、みのりは自分の服が掠った銃撃や爆発でボロボロになっていることに思い当った。帰りの道中は、塵子の認識阻害魔法で消えていたため、完全に失念していた。
「……Dソリューションズさん宛です。ここにサインお願いします」
「……」
配送員の男は、プロ根性を発揮して、みのりのそんな姿を見なかったことにしたように見えた。ただ単に、そんなことに構っているほど、暇じゃなかっただけかもしれないが。
若干の居心地悪さを感じながらも、みのりは対応を終えた。
「おもい?」
受け取った荷物は重かった。
(遺物か何かですか……?)
30cm四方の箱に対して、微妙に重かった。
「あのー。これどこ……ってうわっ!?」
ガムテープで止まった箱の口から、短い腕が生えた。
みのりは驚いて箱を反射的に投げ、開いた箱から梱包材が吹き出した。
「ヒィヒ。手間かけさせやがって」
箱から飛び出て来たのは、鷲鼻の魔女の様な恰好をした不気味な人形だった。ご丁寧に、顔にはリアルな皺が刻まれている。
「御影さんはっや。ってかこっわ」
パイプ椅子の上で振り返った塵子が、御影が操る人形の顔を見て言った。
「夏仕様だ」
「いや御影さん。それ十月用じゃん?」
「ぶっ……御影……。心配で焦ったのね。……あっははは!」
ツボに入ったのか、照子が笑い始めた。
しばらくは何をしても笑い続けるため、尋問の様な聴取はお開きとなった。
「……ちげーヨ」
事務所に御影のやたらと平ぺったい声が響いた。
黄色ヘルメットのその後。
塵子が他人の手当てが苦手なことが災いし、黄色メットの男の左腕は完治しなかった。しかし、悲惨な工事現場事故にもかかわらず、奇跡的に腕一本犠牲にして助かったラッキーボーイとしてメディアに引っ張りだこになった。
さらに数年後、リハビリすると何故か完全に治った上に、アームレスリング大会で優勝した。