何の前触れもなしに突然降り始めた大雨が、都会のアスファルトやコンクリートに覆われた地面を強く叩く。思わず耳を塞いでしまいたくなるほどの騒々しい雨音が、この世界全ての音をかき消してしまうかのような勢いで響いている、光さえ見えない夜。
そんな果て無き暗闇の中に、一人の青年の姿があった。
「はあっ、はあっ……」
青年は闇の中をただひたすらに走っていた。そのさまはまるで何かを探しているかのようであり、また何かから逃げているかのようでもあった。
(大丈夫、きっと大丈夫だ……。あそこには、アイツらが残っているはず……)
混濁する意識の中、目的の場所に近づけば近づくほどに聞こえてくるのは何者かの怒号や騒音。おそらく周囲ではまだ誰かが戦いを続けているのだろう。次第に音の方からもこちらへと近づいてくる。
「チッ、奴らはいったいどこに行った!?」
「おそらくまだそこまで遠くには行ってないだろう、追うぞ!」
「ああ……。――おいっ、誰だ!?」
その手にアタッシュケースと“得体の知れない武器”を持つ、白いスーツを着た集団と鉢合わせてしまう。刹那、彼らを見た青年の心臓が早鐘を打つ。決して抗うことのできない、理性を凌駕した本能が囁きかけてくる。
――何をためらう必要がある? 迷う必要はない、さぁ……さぁっ!!
(そうだ、別にこの人たちでもいいじゃないか……。――違うッ!! 駄目だ駄目だ駄目だ!)
自身の頭の中から聞こえてくるその甘美な囁きに正気を失いそうになる。だがすんでのところで踏みとどまり、何とか“その欲求”を押し殺すことに成功する。
「まさか……生存者か! 君、大丈夫だったかい?」
スーツの集団が駆け寄ってくる。しかし、これ以上この場にて足止めを食らうわけにはいかない。青年はおよそ人とは思えないほどの驚異的な跳躍力で、彼らの頭上を飛び越える。
「な――」
彼らは青年がとった行動に呆気に取られ、ほんの一瞬動きが止まってしまう。その隙をついて、青年は疾風のごとき速度でさらに先へと進んでいった。
――ほどなくして青年は目的の場所にたどり着く。その目の前にある光景は、まさに地獄と呼ぶにふさわしいものであった。血と泥と降り続ける雨が混ざったそれはどす黒い赤色をしており、そこにはかつて人だった“なにか”が無数に浮いている。文字通りの血の海。想像を絶するほどの激しい殺し合いが行われたのだろう。
雨はまだその勢いを殺さずに降り続いている。絶えず降り注ぐそれは、青年の身体を、頭を冷やし、彼に平常心を取り戻させつつあった。
「はあっ、はあっ……、動くな! 貴様は何者だ!?」
先ほどのスーツの集団が青年に追いついた。青年の速さゆえにかなり距離が開いていたはずなのだが、その彼はこの惨状を前にかなり長い時間立ち尽くしたままでいたらしい。
「…………」
次の瞬間、今まで激しく降っていた大雨がぴたりと止む。雨雲が去り、隠されていた月の光がスポットライトのように、青年を中心に周囲を照らす。
都会の路地に一陣の風が舞い込み、青年が着ているコートのフードがめくられる。その下にはまるで血に染まったかのような“赤い髪”。月下に映えるそれは、風になびいて怪しく揺れている。
騒々しい雨音も吹き荒ぶ夜風も消え、新たにしんとした静寂が夜の闇を支配する。それを切り裂くかのように、この場に放たれた一言。
「――――腹、減ったな」
青年はその言葉を最後に、意識を手放した。