ソード・ダンジョン・ワールド2.5 作:魔剣(槍)ちゃん
名前。
あらゆる事象を分類するために与えられる言葉。
対象識別のための記号。
自と他を分けるボーダーライン。
究極的には『己』そのものを現すもの、なんだとか。
他者から与えられるべきそれを自分で名付けることになった私はどうすればいいだろう。
フロムは本に何事かを書き付けながらこう言った。
「……名前とは願掛けである。自論だけどね」
無作為に選んだ名前を付けようとした人間から出たとはとてもじゃないが思えなかった。
思いの他まともな返答だったので、そのまま続きを促してみる。
送られた視線に気がついたのか、変な名付けをしようとしたお詫びだよと記憶の中のフロム・ヘルは言葉を続けた。
「優しい子でいて欲しい、強い子でいて欲しい。基本的に親と呼ばれるものはそのように……なんというか、子どもに『かくあれかし』と名前をつけるんだ」
傲慢だろう?と彼は口元を綻ばせて言葉を続けた。
「けれど、君は自分で自分にそれを付けることができる」
幸運かどうかは分からないけど得がたい経験じゃないだろうか、などと訳知り顔をしていた。
「……そうだねぇ。この後どうなりたいのか、どんな自分になりたいのか。そういった祈りを名前に込めてみるといい」
「私がどうなりたいか?」
思わず聞き返すとフロムはうむ、と頷いた。
「世界平和とか、お金が欲しいとか、強くなりたいとか、なんでも。多少ひねったり、過去と組み合わせたりするとより思い入れができるし、願掛けの意味も強くなる」
「じゃあ、『フロム・ヘル』にはどんな意味が?」
名前にそうなって欲しいという願望が込められているならフロム・ヘルは不吉が過ぎた。
表情はみるみるうちに曇っていき、今それ聞いちゃう?と彼は眉を八の字にする。
「額面通りに答えるなら“地獄より”って意味になるけど、もちろんそうじゃない。こんな大層不吉な名前を付けたのは、『地獄からでも這い上がって生きてみせろ』、そんな願望──なんだそうだ」
小っ恥ずかしいのか、人差し指で頬を掻いていた。
私がこれからするように、自分で名付けたわけじゃないだろうに。
『さ、僕の名前についてはここまで。さ、行った行った』と追い出されるようにして、私はギルドの図書館にやって来た。
人の背より高い本棚は見たことはあるが、ここは個人ではなく組織が管理する書庫。
天辺まで本が収まった棚が整然と並ぶ空間は、さながら神殿のようであった。
この時点の私にとって名前に相当する言葉は“
これまでずっとそうで呼ばれてきたから、馴染み深いと言えばそうだ。
しかし彼らはそれでは困ると言う。それは蔑称で、礼を欠くからと。
幾つか民話の本を小脇に抱えて端のテーブルへ。
文字は読める。問題ない。
ぱら、と頁を捲り、捲り、捲る。
数冊、そうして同じ行動を続け、ようやく指が停止する。
ある鳥の伝承がまとめられたページだった。
故意か誤りか、太陽神への告口が起こした悲劇の責任を負い、黒く染められたもの。
ガアと鳴けば死を招く、忌むべき凶兆として扱われたもの。
神が差し伸べた手を払い、秩序を乱し、世界を黒く焼き焦がしたもの。
それらは誂えられたように自分に符号した。
贖罪という名の喪に服し、母に死を運び、父の
己を示す記号としてはあまりに出来すぎていて、苦笑する。
この名ならば私がどんなに変わってもその咎を忘れることはないだろう。
そこまで考え、私は図書館を後にした。
行き先はギルドのエントランス、その窓口。
「冒険者登録を頼む」
差し出された書類にゆっくりペンを滑らせ、紙を返した。
自分の
それが私の名前にかける祈りだ。
「『レイヴン』さん、ですね。ようこそ、迷宮都市オラリオへ。私達ギルドは貴方を歓迎いたします」
⚫
夕刻真近、夜の足音が迫り道沿いに光が灯る時間帯。ふらつく足でフロムは通りを歩いていた。
朝は訓練、昼は
自分で組んだスケジュールに文句は零しても意味はないのだが、愚痴のひとつも漏らしたくなるのが人情である。
目的の場所に辿り着くと目当ての神物も彼に気がついたようで微笑みを浮かべた。
「初めましてだね、フロム君」
「こちらこそ初めまして、ヘスティア様。ベルにはいつもお世話になっております」
「そんな堅苦しくなくていいよ。ボクの眷属の命の恩人にかしこまられちゃむず痒いし」
無事連日
『あの時のお礼をさせてください!』
『じゃあ美味い飯屋知らないか?』
本人としては教えてくれるだけでよかったのだが、あれよあれよのうちにいつの間にか本日の晩御飯を奢られることになっていた。
【ヘスティア・ファミリア】としては【ニュクス・ファミリア】の他の面々分も出す予定だったそうだが、『死にかけたのはフロムだけだし』とのことで彼女たちは辞退している。
向かう先はベルがよく利用しているという酒場『豊饒の女主人』だ。
目的地に足を向けた一人と一柱。会話を切り出したのはヘスティアだった。
「ありがとう、君のおかげで大切なベル君を失わずに済んだ」
「買い被りですよ。もう聞いたと思いますけど、【ロキ・ファミリア】の人が来なかったら全滅だったみたいですし。それに、全滅より一人でも生き残ってた方がベターでしょう?」
「いやにドライだねぇ君」
「ははは。経験則ですよ」
乱戦エリア崩壊しそうなら後衛は前衛置いて逃げた方が復活費用安くて済むからお得だし。
などと算盤を弾いているとはつゆ知らず、いたたまれなくなった女神は話題を変えた。
「そうだ、ニュクスは元気かい?」
「初めて会った頃よりは生気が戻ってきてると思いますけど……え、お知り合いだったんですか?名前出してもなんの反応も示してくれなかったんですけど」
「モチロンさ!……と言いたいところだけど、そんなに深い関係ではなかったんだ」
ギリシャ神話の括りではかなり系図の位置が離れていた二柱だが、遠い親戚ではなく単なる近い知り合い程度にこの世界は収まっているらしい。
自分よりも随分と長く引きこもって姿を見せなかった彼女が下界でファミリアを立ち上げていたことにヘスティアは心底驚いた。
彼女が姿を隠した理由と経緯も正しく理解していたからこそ、なおさらに。
「でも良かったよ、フロム君みたいな眷属に恵まれたみたいで。塞ぎ込んでた時期に何度か訪ねたんだけど『貴方もどうせ私を見ない』なんて言ってさ」
「そんなこと言ってたんです?」
「言ってた言ってた!その時ニュクスの神威でちょっとブルっちゃってね。面会資格ナシって判断されて放り出されちゃった」
「いやーアレは怖かった、めのまえがまっくらになった」と思い出しては寒がるヘスティア。
炉の神の名はきっと泣いている。
「そんなに怖いですかね、ニュクス様」
「
「畏怖こそすれ恐怖はしませんよ。黒髪幼女はただただ可愛いに決まってるじゃあないですか」
「結構関心してたボクの心を返してくれ」
ニュクスの神威が降臨にあたって根こそぎ没収されたことを知らないまま話は続いた。
そうこうしているうちに目視できる距離まで酒場が近づいてきている。
「さて、もうすぐ入店だけどこれだけは伝えておかなきゃいけないことがある」
「なんです?改まって」
「……ベル君はフロム君を目標の一つとしている。単純な強さじゃないぜ?自分を迷いなく捨ててまで誰かを選べる、その精神をだよ」
ヘスティアとしてはあまり喜ばしい心構えではない。
ベルが何かを解決する選択肢として『自分の命』を賭けてしまうことを彼女はとても危惧していた。
「君の献身的精神にどうこう言うつもりや権利はボクにない。その心意気に助けられたわけだからね。けど──できれば君には無事でいて欲しいんだ」
「会う人会う人に言われるんです。同じようなこと」
「全滅よりマシだなんて言えば当然だよ!」
もう入口は目と鼻の先。
奥のテーブル席に座ったベルが手を振っている。
フロムは自分が彼の目標になって良かったのだろうかと思うが、なってしまったものは仕方ない。
「安心してください。たとえ火の中水の中、奈落に足を滑らしたって帰って来ますよ、僕は」
「──うん、期待してるぜ!」
今回の前半はAC6始まる前に書いてたんです!信じてください!