「……………ここは…」
穏やかな日差しに当てられ目を覚ますと見知らぬ天井が目に入った。使い込んだ畳や襖からはそれなりな生活感がある。有り得ない、私の目覚めは決まって自室の筈、しかしここは違う、机もテレビも何もない。とにかく身体を……
「痛ッ!!」
「あら、目が覚めたみたいね、おはよう。身体は無理に動かさない方がいいわよ。多分骨が逝ってるから」
首筋には鋭く、胸や足首全身から鈍い痛みが走り悲鳴を上げてしまった。私に気が付いたのか、襖から1人の女性が入ってきた
「えっと…………」
「貴方、リリィよね?こんな誰も近寄らない辺境で1人、いったい何してたの?」
「ごめんなさい…状況がよく…」
「ああごめん、そこからだったわね、先ずここは私の家、何だか外で変な気配が漂ってたもんで様子を見てみたら貴方が倒れてたって訳」
「………ありがとうございます…」
ここは安全な場所で私はこの人に助けられ匿われたらしい。それだけでも気持ちがだいぶ軽くなった気がする、私は何故ここに居る?何故そんなところで気を?早く思い出さなければならない、けど緊張の紐が切れたのか眠気が押し寄せてくる。
「話は後で聞いてあげるから今は寝てゆっくり整理しなさい」
「はい………すみません…」
「それじゃおやすみ」
「やあああ!!」
バシン!バシン!と竹刀を打ち付け合う音が響き渡る。彼女の倍を超えるであろう屈強な大人に少女にも満たない身体を震わせ飛び掛る。結果は一目瞭然、幼子の振るった渾身の一撃は軽く受け流され隙だらけの胴に振り込まれた。経験、体格、技量全てに劣る幼子は大人に敵うはずもなくこの様に何度も敗北を喫している。しかし何度倒されてもその闘志は潰えることは無く立ち上がり剣を取る。
守る為、強くある為、生きる為に前を歩き続ける彼女を遠くから眺めて私は思う。何故立てるんだろう、何故戦えるんだろう、生きると言うことはそんなにも苦しいものなのか。
解る訳がなかった、期待も願いも背負った姉とは違う、私は姉の期待に羨むただの傍観者でしかなかったのだから
「話せる所からでいいわよ、私は
「桜華義塾女子3年、
「桜華義塾、桜ノ杜の下部組織ね。制服からそっちの子だとは思ってた。まああそことは付き合いあるし察しがつくけどさ、桜華生がこんな陥落地域の辺境に何の用?」
「先輩達の護衛でした」
私達の作戦は陥落地域静岡の現地調査、湯河原のアルケミラ女学校、鎌倉の桜ノ杜を筆頭に静岡の奪還を掲げている。陥落といっても全域にヒュージが広がっている訳ではなくヒュージの支配地域は点々としていて人類が付け入る隙が無い訳では無い。来たる静岡奪還作戦に備え各ガーデンの部隊が現地に赴き情報を集めているのが現状の方針となっている
「桜ノ杜が着いてて全滅したなんて事あるのかしら?ヒュージがウヨウヨしてる都市部でもあるまいし…」
「……………………」
「作戦行動中にヒュージの襲撃に合い部隊は分断、気が付いたらここに居たって感じ?」
「…………多分…」
「多分ってまた歯切れの悪い…まあいいわ、ここまでにしましょう。これ以上は答えたくないって顔してる。」
「ごめんなさい …」
「で、貴方これからどうするの?」
恐くまだ任務は続いている。1度拠点に帰り状況を確認する必要がある。まだ皆無事かもしれない、今の状況を先輩方に報告しなければならない。神無木さんの言ったように一刻も早くここから出て連絡を取るべきなのだろう、報連相は何よりも大切だ。絶対に帰らなくてはならない。
「………分かりません…どうすればいいのか…」
「応急処置もしたし私としてはさっさと帰って貰いたいんだけど………あーごめん、ちょっと待っててね」
幻音さんは席を立ち部屋を離れた。訪れた静寂、重い痛みが走る。これが怪我から来る痛みなのか良心から来る痛みなのかは分からない。彼女にただ一言「帰る」と答えればそれで良かった。それなのにその言葉が紡げない。
「おまたせ水無月さん、はいこれ」
「私のcharm……ありがとうございます…でもなんで…」
「何故って貴方もリリィでしょう?立ちなさい、ヒュージ退治よ」
「この辺はあまりヒュージが出る事無いんだけど一体大物が迷い込んで来ちゃったのよねぇ…あれは多分ラージ級」
「わ、私に倒せって言うんですか!?」
「当たり前じゃない!何の為のリリィよ。そもそもこんな所にその大物が来たのもあんたが原因なんだからね!あんたが連れて来たのよ!」
「ご、ごめんなさい…」
世界が茜色に染められる夕暮れ時、痛みに軋む身体を無理やり動かし幻音さんに神社から近くの森に案内された。彼女の示した先にはふらふらとうろついているヒュージが居た。群がる木に並ぶ程のサイズ的にラージ級だと思われる。四肢がついてて二足歩行、人間みたいで気持ち悪い……無理だ。一般的な銃火器でも応戦可能なスモール級、ミドル級ならともかく歴戦のリリィにしか太刀打ち出来ないラージ級なんて…前線に出た事さえない私が倒せなんてやれる訳がない。
「レアスキルは?」
「ファンタズムです…」
「そう、ならデュエルで行けるわね。頼むわよ」
「私なんかより神無木さんの方が」
「私の能力はあくまで撹乱、正面立ってやれるタイプじゃないの。囮が居ないと精々弱小校のリリィ程度よ。こんな所まで逃げてきたんだもの、得意でしょう?逃げ回るのは」
神無木さんは私1人でこの巨体と戦えと言う。私には出来ない。お姉ちゃんみたいな闘志も死に行く勇気も私には持ち合わせて居ない。
「ッ……」
「あら、痛い?そりゃそうよね、打撲に切り傷、多分骨も逝ってるものね」
「なら…」
「だめよ、戦いなさい。貴方が殺るの」
「……出来ません…」
「はぁ……理由がなんであれ貴方は人を守る剣を取った。貴方は責任を放棄するの?あぁ別にいいのよ逃げたって、その結果がこいつ、安全だったこの地域も踏み荒らされ数少ない村人達も蹂躙されるでしょうね。おめでとう、貴方の軽率な行いで人類がまた一つ不幸になりました」
「………や、やめて……下さい」
「なら行きなさい。戦って死んで来なさい」
「嫌ァ!」
ヒュージの振り上げた腕を寸での所で回避する。神無木さんに背中を押されヒュージの前に顔を出したはいいが私が出来るのは逃げるだけ。ただ来た攻撃を当たらない様に回避するので精一杯だった。私の何倍もあるラージ級、そんな化け物を前にして打つ手がない。
「効かない……どうして……!」
私のcharmは日本刀と銃の可変型高機動兵器・布都御魂、射撃は散弾でスモール級ミドル級を倒し易い様に造られている。けど相手はラージ級、私の砲撃じゃ良くて目眩し程度にしかならない
「え?」
足が縺れ無様にも転倒してしまう。脳裏に走る死のビジョン、それは転倒した胴を巨体によって潰され悲鳴を上げる暇なく頭をすり潰される私の未来。恐い、痛い、死にたくない、全身を無理やり動かし転がる事で何とか躱す。追撃は来ない、神無木さんの不意打ちで体勢が崩れたのだろう。何とか立ち上がって立て直すが相手も体勢を持ち直してる
「ハァ……ハァ……もう……」
こんな事をあと何回やればいいんだろう…身体も痛い、心も折れてる、もう嫌だ、私には出来っこない。逃げよう、逃げて逃げて誰も来ない所まで逃げてしまおう。ヒュージに背中を向けて走り出す、追ってこない訳がない、解ってる。けど逃げないと身体がもう動きそうになかった。
「…………分かってたわよ、そんな奴だって事は…ま、逃がさないけどね」
「ハァ…ハァ…なんで、なんで私ばかり…!」
木の間を駆け抜け迫ってくる脅威に逃げ惑う、今何処に居るかなんて分からない。計画性も未来もない最低な私の逃走劇
「何が、行けなかったのかな」
そんなの分かっている、私は戦場から逃げ出した。そんなことあってはならないならない。士道不覚悟は死だ、いかなる時も敵に背を向けてはならない。皆がそれを習いそれを望んで戦場へと赴いた。私はそんな彼女達を裏切ったのだ。私たちはリリィの道を選んだ時点で逃げるなんて選択肢は選んではいけない。その時点で私の道は
「グェ!!」
森を抜け開けた一般道に出たが途端虚空に弾かれた。前から鈍い衝撃が押し寄せ情けない悲鳴をあげてしまう。痛い、痛い、痛い、なんで?ここには何も…
「何これ…壁!?」
正面は崖、気付かずに突っ込んでいたらしい。既に頭がおかしくなったのかもしれない。脅威の足音が近付いてくる。ダメだ、逃げ場がない。私のファンタズムが告げてくる、間に合わないと
「死んじゃうのかな…」
観念した私は脅威に身を委ねようと思った。これから何が起こるんだろう、四肢をもがれ半身はぐちゃぐちゃ、骨は粉砕し内蔵は破裂、顔面は原型を保てずミンチのようになるのだろう。
「痛い…恐い…苦しい…嫌だ、そんなの嫌だ!!」
見ていられない、ファンタズムが導き出す無惨な死から必死に目を背ける、迫ってくる恐怖から逃げる方法を考えよう、早く楽になりたい…
「………あった…うん…そう、そうだよね…」
逃げ場のない袋小路、止まらない脅威を前にした私は未来を夢見て刃を振るった
「ガハッ!!」
「はぁ!?ちょ、あんた嘘でしょ!?」
「………お姉…ちゃん?」
堪らない痛みに気が付くと紅白の装いを纏った少女が目に入った。彼女に包帯みたいな物で巻かれ背負われているみたいだ。
「違いますー姉じゃなくて悪かったわね…ていうか血塗れなんだけど!どうしてくれんのよ!新調したばっかりだったのに…」
「ご、ごめんなさい……あのすみません、ヒュージは…?」
「倒したわよ、貴方がね」
「そう…なんですね……私が…私でもやれ………ッ!」
「黙ってなさい、傷、拡がるわよ」
神無木さんの懐から電子音がなりだし携帯を取り出した。誰かと通話するらしい。私でも戦えるんだ…ボロボロにはなっちゃったけど私もリリィに……
私も早く皆に連絡を取らなきゃ、まだ皆もいるかもしれない、私も戦えるんだって皆に言いたい、そして皆に謝りたい。逃げ出しちゃったこと、困らせちゃった事、沢山謝らなきゃ。そうすればまた……あれ?けど私が逃げ出さないで戦ってたら…
「こちらは無事です。そちらはどうですかお姉様」
『良かった……こっちもみつけた。桜ノ杜生と桜華生、結構離れてる、7キロくらいあるんだけど、よくもまあこんな離れたところから……』
「部隊はどんな感じか分かりますか」
『聞き取れた限りになるけどこの辺も割とヤバかったらしいよ。特型とラージ級達の群れに遭遇、不意打ちに合いながらも桜ノ杜は特型を撃破、そんでケイブ破壊に残党の殲滅。負傷1名、初見で特型を落とすってなに?』
「…………」
『中学生も良くやったって、ラージ級含むヒュージの群れに応戦、殲滅に成功、けど損害は正直擁護できない。死者3名負傷者2名、MIA1名と散々。まあ崩壊のきっかけはあの子の逃亡なんだろうけど』
え?今なんて?死者?負傷?きっかけは私?全身から血の気が引いてくのが分かる、もう身体の痛みなんて分からない。私が勝手な事をしたから?
こんな未来は見ないだろうと記憶の奥底に押し込んだ苦痛と死の可能性が引き出される。私があれを回避したのでは無い、あの恐怖を仲間に押し付けていた事に気付いてしまった。
「極限状況下に起こる敵前逃亡は部隊の士気に甚大な被害を与えますものね…ありがとうございましたお姉様。あとは神社で……それで、聴いてた?水無月さん」
『え?ちょっと待ってそれスピーカー!?沙夜花ちゃん聞いてた?ヤバ、ごめん今のな』
これ以上聞き出すことはないとばかりに通話を終え私に問い掛けた
「番号知ってるでしょ?今電話をかければまだ間に合うけど、どうしたい?」
「でも私は……皆を…」
「そうね、部隊がお通夜な今戦犯の貴方がノコノコと帰ってきたらお仲間はなんて思うでしょうね?」
こんな私を暖かく迎えてくれるだろうか?絶対にない。この惨状は私が招いた物、彼女達を殺したのは私なんだ。私が皆に顔向け出来る資格なんてありはしないんだ。
「貴方に与えられた選択肢は2つ、1つは仲間達の元へ帰り仲間に、己の罪に向き合うこと。然るべき罰が下されるし険しい道よ。けれど乗り越えられれば貴方はきっと強くなる。人間として正しい道だとも思う」
「もう1つは彼女達から逃げる道。雑用さえしてくれれば最低限は養ってあげる。けど貴方の未来はここで終わり、亡霊の様に惨めな余生を過ごす事に他ならない。選びなさい」
皆の所に帰らなきゃ……迷惑かけた分頑張って働いて取り返さないと……多分凄い怒られる…軽蔑される……お姉ちゃんにも嫌われる……けど……けど帰らなきゃ……強くなって皆を守る、それがリリィとしてやるべき事なんだから…………
「………………………寝かせて………下さい…」
「そ、いいのね…じゃあおやすみ」
ごめんなさい。私、皆みたいに強くないんです。私が間違っていました。私なんかがリリィになろうとしたのが間違いでした。
「ごめんなさい…」
皆を裏切った事、仲間に謝りたい、先輩に謝りたい、友達に謝りたい、お父さんお母さんに謝りたい、お姉ちゃんに謝りたい。その想いは届かない。それでも言葉に出して赦しを乞う
「ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい……」
「ごめんなさい」
「……………」
誰に向けた言葉なのだろう、少女の繰り返される謝罪を背に月夜を歩く。リリィの敵前逃亡、ヒュージを前に背を向ける事は重罪に当たる。しかもこいつは武士道精神を礎にする桜ノ杜系列、到底許される訳がない。
「ごめんなさい…」
だから思った、ここで殺してやろうと。私のレアスキルはユーバーザイン、在るものをないと偽り、無いものを在ると信じ込ませる誤認の能力。私の幻で彼女を袋小路へと誘導しヒュージに始末させようとした。ヒュージと戦い生を終える、それがリリィの在り方だ。せめてリリィとして死なせてやる、それが私に出来る裏切り者への手向けだと信じて
「ごめんなさい…」
そうはならなかった、今にもなって彼女は剣を取ったのだ。己が助かりたいとするその一心で。他人の命を売っておいて逃げ場ないと分かったら剣を取る。他人の為ではない、ただ己が生き延びたいとするだけに、どこまでも自分の為の命でしかない。その信念、浅ましく醜悪だ。
「ごめんなさい」
それが何だとも思う。どんなに間違えていようがどんなに醜かろうがそれは彼女が選んだ未来、そこに恥じる必要も罪悪を感じる道理なんてある訳が無い
「ごめんなさい」
誰にでもあるはずの良心、私には無かった良心、彼女にはそれがある。だから今こうして苦しんでいるのだと思う。
「ごめんなさい」
私は彼女が分からない、私は彼女を癒さない。何に苦しみ何に赦されたいのかなど分からない。だから私はこう答える
「ごめんなさ
「うるさい」
「………………」
「聴いてたんかい………」
月が闇夜に欠ける十六夜の空。痛みと罰に恐怖し故郷を捨て、仲間を捨て、全てを捨てた憐れな少女、その子の涙を私だけが知っていた。