イタリア語はエキサイト翻訳なのでヘンだと思う
ウマ娘。それは人の体にウマの耳と魂を宿した存在。
彼女たちは概して高い身体能力と闘争心を持ち、特に『走ること』に対して強い執着を持つ。
――東京都府中市『日本トレセン学園』。
ここは日本中から優秀なウマ娘を集め、最先端のトレーニングを施し、
URAと呼ばれる団体の主催するレースに送り出すウマ娘のための学園である。
「本日の選抜レースはこれにて終了しました
トレーナー、ウマ娘各位はお忘れ物などないように撤収準備をしてください。
また、スカウト契約を午後5時までに結べない場合は、日を改めてお願いいたします」
今日は、ウマ娘とトレーナーにとって大切な日である『選抜レース』の日。
ウマ娘育成のプロである『トレーナー』と契約できていないウマ娘は、
ここでトレーナーにアピールし、専属スカウトを勝ち取る。それが叶わなければ、
学園所属講師の無難な『集団トレーニング』の日々を過ごさなければならない。
当然、トレーナー側にとっても未知の才能をここで発掘し、ウマ娘と契約を勝ち取るためのぎらついた場――であるはずだった。
「………………」
「……」
しかし、そんな熱気に満ちた会場の雰囲気とは裏腹に、二人の男がターフ上のベンチに座って沈黙していた。一人はこの学園に所属するトレーナー『沖野』であり、もう一人は今年の4月にこのトレセン学園にやってきたばかりの新人であった。
「……どうだったね?」
その沈黙を破ったのは沖野トレーナー。
「non ne sono sicuro」
「……え~っと、やっぱまだ無理か……うん……」
対する男は鮮やかな金髪に上等なスーツを胸元まではだけたモデル顔負けの外国人。
名前は『プロシュート』といい、イタリアから日本のトレセン学園に留学にやってきた……そうなのだが。その身にまとった近寄りがたい雰囲気と、何より日本語が話せないという事実は、最初こそトレセン学園の女子生徒を沸かせた彼を早々に周囲から孤立させるに十分であった。
「とりあえず、早いところ日本に慣れりゃいいんだが……
といっても、あんたもそんな顔に皺ばっかり寄せてないでさ……こう……」
そんな中、唯一彼と打ち解けようとしたのは『チームスピカ』のトレーナーである沖野トレーナーのみ。彼は持ち前のコミュニケーション能力を駆使し、どうにか彼に言葉――いや、最低限の周囲との付き合い方を教えようと苦心している最中であり、今日の選抜レースにも、渋るプロシュートを半ば強引に連れてきていたのだ。
「Sei soddisfatto?」
だが、残念ながらその成果は芳しくなく、
プロシュートは眉間に深いシワを寄せたまま黙って立ち上がり、その場を去ろうとした。
「きゃ……!?」
と、観客席から立ち上がった時、ばしゃあと水音がして
彼の紺のスーツにスポーツドリンクがぶちまけられた。無言で水滴をぽた、ぽたと垂らす
大柄なイタリア男。
「ひ……あ……ご、ごめんなひゃ……ごめんなさい……
ライス、前見てなくて……」
それを見て、声にならない声をあげたのは、
立ち上がったプロシュートにぶつかり手持ちのドリンクをこぼした小柄な黒毛のウマ娘。
「Sei ferito?」
「ご、ごめ、ごめんなしゃ……あう、あうう……」
プロシュートは何か言いながら、手を差し伸べようとしたが
その少女はそのまま、背後にバタリと倒れ意識を失ってしまったのだった。
――少しだけ、時間はさかのぼる。
「はぁ……」
その日、トレセン学園所属のウマ娘『ライスシャワー』はほとんど
死刑台に向かうかのような面持ちで、選抜レース会場へと向かった。
早い時間に会場入りしてアップに時間を費やすのはウマ娘なら当然の事であるが……
ライスシャワーは学園指定のレース用体操服にも、アップ用ジャージにも着替えず、
ただ、スポーツドリンク片手にぼうっとしたまま観戦席に座る。
眼下では、必死の形相のウマ娘たちがターフを駆け抜け、
ある者はその結果に溌溂とした笑顔を爆発させ、ある者は悔しさから泣き出す者までいる。
観客席に座ったトレーナーたちが、手帳やチェック表などに評価を書き込んだり、
さっそくという風にレースを終えたウマ娘に声をかけに行く者も見かけられた。
「――ライスは……」
ライスシャワーは、その光景を見ながら過呼吸めいて荒くなっていく自分の息を意識して抑えた。別段、熱いレースに興奮しているわけではない。むしろ逆だ、必死にレースに挑んでいく
ウマ娘たちを見るたびに、自分の心胆が冷えていくような感覚を覚える。
走りたい、走りたいのに――!
あの子たちはあんなにも懸命なのに、どうして自分はこんなにも情けないのか。
そう、彼女の心に渦巻いていたのは、自己嫌悪と焦燥感。自分なんかがここにいてもいいのだろうか?
走るのが怖い――そう感じてしまっている、今の自分が。
「やっぱり、だめなんだ……」
……結局、ライスシャワーはその日、エントリーしていた選抜レースに出なかった。
既に日も傾き、会場のスピーカーからはレース場から出るようにという旨のアナウンスが聞こえてくる。ライスシャワーは、すっかりぬるくなったスポーツドリンクを片手に寮へと戻ろうと歩き出す。
「……ライスシャワー、来ませんでしたね。光るものがある子だと聞いていたのですが」
と、その時聞こえてきたのはトレーナーたちの会話だ。
ライスシャワーはとっさに、柱の陰に隠れ、思わずその話に耳を傾けてしまう。
「いくら光るものがあってもレースに出る気がないのではな……気性難というやつかもしれん。
それにやはり、今年の注目はミホノブルボンだろう。聞いたか?
10人以上のトレーナーから声がかかってるらしい」
「ですねぇ……やはり、彼女ですか。
それ以外だとマチカネタンホイザという子、今回ではなかなか光ってましたね」
「その通り、スター候補はいくらでもいるんだ。
それに彼女は小柄でバ体から力強さをさほど感じられない。いいところ中堅の――」
それ以上、話を聞いていられなくなったライスシャワーは、闇雲に走り出した……はずだったのだが。
「きゃ……!?」
不意に、誰かとぶつかった。当然だ、目の前は涙で何も見えなくなっていたのだから。
「ひ……あ……ご、ごめんなひゃ……ごめんなさい……ライス、前見てなくて……」
咄嗟に自分の非を詫びる。
しかし、目の前の男――大柄な高級そうなスーツを着た外国人は、びしょびしょに濡れていて。
それが自分が手に持っていたスポーツドリンクであるということを理解するまでライスシャワーは数秒を要した。
(え? ひゃ? 海外の人? ずぶぬれ!? ライスのせいだ! あわ! あわわわ……!
それにスゴク怖そう! 服も高そうだし……えっと、えっとえっと、
その前に学園の人なのかな!? とりあえず謝らないと!)
「Sei ferito?」
「ご、ごめ、ごめんなしゃ……あう、あうう……」
目の前の男が手を伸ばす。しかしふいにその手がぐにゃりとまがって、とおく、とおくに遠ざかっていった。極度緊張と混乱からライスシャワーはその場で昏倒し、硬直して背後にバタリと倒れて意識を失ってしまったのだ。
それから、1日が経って。
あの後、保健室に担ぎ込まれ異常などはなかったものの、
念のためにそのまま保健室で一夜を過ごしたライスシャワーはため息をつきながら、
トレセン学園の廊下をとぼとぼと歩いていた。
「やっぱりライス、ダメな子だなぁ……」
人とぶつかって気が動転し、まともに謝りもできずに気を失ってしまうとは。
さすがに失礼が過ぎる。あの外国の男の人は気を悪くしてしまっただろうか?
そんな考えがとりとめもなく、頭の中でぐるぐると回り続け。自己嫌悪自己嫌悪。
「絵本でも読んで、気分を変えよう……」
さすがに、気がめいってきたライスシャワーの足は自然に学園の図書室へと向かっていた。
図書室の本はスポーツ校の性質が濃いトレセン学園だけあって、古今東西のトレーニング教本や
スポーツ医学書などが多いが、その一角に娯楽としての書籍エリアがあることをライスシャワーは知っていた。
「……えっと、『シンデレラ』……『走れメロス』……
大体どれも読んじゃったな……」
といっても、手の届く範囲の絵本や児童書はすでに大抵読破済みだ。
自分以上に図書室のことを熟知しているゼンノロブロイなどがいれば、
おすすめ本を勧めてくれるかもしれないが、生憎彼女も今はいないようだった。
「……『幸せの青いバラ』は……」
そうこうするうちライスシャワーはほとんど無意識に自分の最も好きな絵本である『幸せの青いバラ』を探し始めた。数分かけてそれを見つけはしたが、どうやら整理か何かされた際に本棚の上の方に入れられてしまったらしく、小柄なライスシャワーにはとても届かない。
「困ったな……あっ……」
周囲を見回すと、ちょうどおあつらえ向きに小さな脚立があり
ライスシャワーはそれを持ってきて、上段にある『幸せの青いバラ』を手に取ろうとした。
その時だった。
「あっ……」
がた、と軽い音がして脚立が傾く。
床が傾いていたのか、あるいは留め具が緩んでいたのか。
ライスシャワーはバランスを崩し、後ろに投げ出される。
「きゃああああっ!!!!?」
危険な浮遊感と共に、視界がゆっくりと動いていく。
自分の悲鳴が後から遅れてくるかのように響いた。とっさに手を伸ばしたが、
その手はどこにも届かず、取れる手段はない。こんなところで怪我などしてしまったら、もうレースどころではない。それどころか、この角度はまずい。危険な落ち方だ。もしかしたら――
鈍化した時間の中、ただ恐怖に包まれていたライスシャワーは床にたたきつけられ――なかった。
「あれ……?」
(なんで? 怪我一つしてない?)
それどころか、ライスシャワーはその二本の足でしっかりと地面を踏みしめ、立っている。
その小脇には取ろうとしていた絵本『幸せの青いバラ』。
「オイ」
困惑するライスシャワーに掛けられたのは、男の声だった。
そちらを見やれば、そこにいたのは昨日、選抜レース場でぶつかり水濡れにしてしまった外国人が立っている。
「ひゃ、ひゃい!」
「ぼーっとしてたんで頭でも打ったかと思ったが……
その返事なら大丈夫だったようだな。久々だったが、間に合ってよかったぜ」
男は流暢な日本語でライスシャワーに話しかけると、
落ちていたライスシャワーの帽子を拾い上げ、ぶっきらぼうに差し出す。
(この人、選抜レースの時の……た、助けてくれたんだ!
どうやったのかはわからないけど……!)
ライスシャワーはまだ、驚きが抜けずほとんど上の空で思わず帽子を
無言のまま受け取ってしまったが、男はフンと鼻を鳴らし踵を返す。
「次は気をつけろよ。毎回俺が居合わすとは限らねえからな」
「あっ、待っ……みぎゃ!!!」
ライスシャワーは声をかけられてようやく我に返り、
昨日の詫びも兼ねて、礼をしようとしたが、躓いて顔面から盛大に地面にずっこける始末。
なんと情けないことか。既にあの男は本棚の列の影に消え、戻ってくる気配もない。
「あぅうう……」
今思えば、この時からライスシャワーの『奇妙』なトゥインクルシリーズは始まった。
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