新潟ウマ娘ステークスでの惨敗。しかし、プロシュートはこの敗北から問題点――その勝負強さに欠ける点を洗い出した。このライスシャワーの気性的な弱点を克服するには、どうすればよいか。それはただひとつ。とにかく勝負に慣れさせることだ。
練習メニューを併走トレーニングや模擬レース中心に切り替え、彼女にとにかく経験を積ませる。特に、たとえそれが本番でなくてもバチバチと勝ちに来るような相手が望ましい。つまり、今の彼女にはライバルが必要なのだ。が……
この点については、ブルームスそのものの構造的弱点も足を引っ張っているとしかいいようがなかった。
ライスシャワーとプロシュートのみしかいないブルームスは、ほかのチームと協調しなければ、件の併走や模擬レースをする機会に乏しい。しかし、プロシュートは周囲とあまり関わろうとしなかったため他のトレーナーから避けられており、ライスシャワーも同年代にさほど友人が多い方でもない。だが、八方ふさがり、というわけでもなかった。
「ちょっとちょっと、頭上げてよ……
こまったな、いや、こちらとしては別段断ることもないんだけど……」
沖野トレーナーは困惑した。自身のトレーナー室に出勤したところどこからどう入ったのか、すでにプロシュートトレーナーが自身を待っていたからだ。いや、それだけではない。彼は沖野の姿を認めるや頭を下げて頼み込んできた。ライスシャワーをメジロマックイーンの調整トレーニング相手として、自由に使ってやってくれないか、と。
「無理は分かったうえでの頼みだ。あんたに頼りすぎてるのも重々承知のうえでな……
だが、ライスを……あいつの夢を叶えるにはどうしてもあんたのところのマックイーンの力が必要なんだ」
沖野は、顎を擦りながら思案する。メジロマックイーンは京都大賞典、ひいては秋の天皇賞を控えた大事な時期だ。ライスシャワーは実力をつけてきているとはいえ、結局まだメイクデビューを勝っただけの新人に過ぎない。調整に万全を期すためには情報を外に漏らさないためにもチームスピカ内での調整で十分、そもそも、そこまで面倒を見てやる義理もない。ないのだが……。
「……あんた、本当にあの子を信じてるんだな」
「……そうかもしれねえ。あるいは過去から逃れられてねえのかもしれねえが……。
どちらにしろ俺の頭ン中はこのナリで『夢いっぱい』らしい。ハンフリー・ボガードでもあるまいに。だが、現実ってのは非情なモンで『夢』だけじゃ勝てねえのさ」
ふぅん、と沖野は息をひとつつき。
「そこまで言われちゃ仕方ない。分かった。マックイーンの方には俺から話しておく。
だが、今の彼女についていくのは相当にキツイのは覚悟しておいてくれ」
「……恩に着る」
こうして、ライスシャワーはメジロマックイーンの調整相手として、彼女につくことになった。
「……いいか、ライス。今日からお前はメジロマックイーンの影だ。
練習時は四六時中、彼女に貼り付け。とにかくついていくんだ。ワカルな?」
「うん、お兄さま……マックイーンさんについてけばいいんだね……!」
しかし、言うは易く行うは難し。実際にメジロマックイーンについてみて、ライスシャワーは彼女の実力を実感することになる。
「はぁっ……はぁっ……」
「ライスさん、次は併走トレーニングをお願いします。
全力で来てくれて構いません。勝ちますので」
完全にスピードが違う。スタミナが違う。パワーが違う。筋肉のしなやかさも、バネも、頭の中に叩きこまれているレース理論さえも別格だ。
既に結果を残しているG1ウマ娘と、デビューしたての新人とはいえ、これほどの差がある物か……ライスシャワーは、まるでその開きが永遠に縮まらないもののように思えて、打ちのめされそうにすらなった。
「ぶはーっ……ぜはーっ……はぁーっ……!!!」
大の字にターフに倒れ、ひゅうひゅうと息を切らせて胸を上下させるライスシャワー。かろうじてここまでメジロマックイーンと同程度のメニューをこなしたが、これでも今日のメニュー半分程度を消化したに過ぎない。
「……いったん、休憩にしましょう。水分だけでなく塩分の補給もお忘れなきよう」
「いえっ……げほッ……もう一本、もう一本だけお願いします……ッ……」
その光景を遠くから見ていた他のスピカメンバーは、その光景に舌を巻いた。阪神大賞典の勝利はまず当然の前提として、その後……メジロ家にとって意味のあるレースである天皇賞の春秋連覇を目標とするマックイーンの練習量は普段のものより格段にきつく、量も増えていたからだ。その練習量など、体の出来上がり切っていないクラシック戦線に突入する頃のウマ娘が耐えられるものでは通常ないのである。
「マックちゃんもよくやるなァ……ありゃライス、このまんまじゃおかゆになっちまうぜ」
練習を眺めていたゴールドシップは、頭を掻きながらぼやく。しかし、その隣でストップウォッチ係を務めていたトウカイテイオーがふと、呟いた。
「……たぶんだけど、あれはね――」
今まで恐れから勝負との距離を置き、逃げてきたライスシャワーは前回の敗北で――そして、今の絶望的なまでのメジロマックイーンとの差に、不思議な感覚を覚えていた。別段、マックイーンが嫌いなわけではない。むしろ尊敬しても尊敬しきれないほどの大先輩だ。だが……
(負けたくないっ……あんな、あんな、感覚はもう二度とごめんだ。
自分の心の奥底が崩壊していくような、あの感覚は……!)
あの感覚は、レース直後はふわふわとした高揚感めいたものもあって、まだマシだった。だが、時がたつにつれて。自分の体ごとバラバラになってしまいそうな、昏く、激しい情動となって、ライスシャワーを責め苛んだ。そして今も。メジロマックイーンに大差をつけて敗れるたび同じような物がぐるぐると心の中に渦巻いてしまうのだ。
「……あなたは存外物分かりが良いようで、安心しましたわ」
「は゛いっ……すぐ、準備しま――」
ライスシャワーは体を引きずるようにスタートラインに立とうとするが、マックイーンが、とん、とライスシャワーの胸をつめたいスポーツドリンクのボトルで軽く叩くように差し出した。
「……鈍感なのか、物分かりが良いのか。
一瞬でわからなくするのはやめてくださいまし」
言外に休め、と指示するマックイーン。ライスシャワーは、ボトルを受け取りベンチにつく。
「……それが、『悔しい』という感覚です。ライスさん」
「……『悔しい』」
ライスシャワーは今も己の心の中に渦巻く、どこか仄暗い感情の名を始めて知った。『勝ちたい』『勝ちたい』『勝ちたい』と本能が言っているに、己のふがいなさからそれを成せなかった無念の叫びの名を。
「先ほどもう一本と言った時のあなたの瞳――
その中にわたくしは『覚悟』そして『漆黒の意思』を見ました
何者に代えても、自分の意思を貫き通すがごとくの――」
「きっとあなたのトレーナーもあなたの中にそれを見ている。
本能的にか、あるいは感覚的にか。おそらく理論とかそういったものを超越した何かで」
「ですが、ライスさん。追い詰められなければそれを表に出せないようでは、
ウマ娘としては二流であることは前回のレースで思い知ったかと思います。
……今後はもっと。わたくしを、レースで殺す気で来てください」
そう言って、マックイーンは先に練習へと戻っていく。
「『悔しい』……そうか、ライス『悔しかった』んだ……」
ライスシャワーはその背中を見ながら彼女を『殺す』ことを誓った。
それから、秋のG1シーズン。ライスシャワーはひたすらにメジロマックイーンに食らいついていき、マックイーンもそれを全力で叩き伏せた。
「結局ライスの奴、マックちゃんにも多少はついていけるようになったなー……
ちょっと嫉妬しちまうぜ。マックちゃんの相方といや私だろォ?」
ターフの向こう正面を駆け抜けていく芦毛と小柄な黒毛。おっしゃ、一丁私もあいつらと併走すっか!と駆け出していくのはゴールドシップ。その他スピカメンバーも、ライスシャワーのひたむきさに押され、刺激を受けているようだった。
「ライス、次走が決まったぜ……」
「お兄さま」
と、汗を拭きにいったん戻ってきたライスシャワーにプロシュートが声をかけた。彼女はタオルで汗をぬぐいながら、神妙な面持ちで近づいてくる。
「といっても、来年の春と少し時間が空くがな。『スプリングステークス』――『皐月賞』のトライアルレースだ」
トライアルレースとは、皐月賞や日本ダービー、菊花賞といったクラシック3冠あるいは桜花賞、オークス、秋華賞のトリプルティアラ路線などの名誉あるG1レースの出走権を上位入賞バが優先的に獲得できる、いわば前哨戦。
「当然、このレースには『ミホノブルボン』も出てくるだろう。既にミホノブルボンは3戦3勝。ついこの間G1のフューチュリティステークスですら勝ちを上げた」
「………………」
ミホノブルボン。ライスシャワーと同期の超大型新人。
当初こそ、短距離・マイル向きとみられてスタミナを不安視されることもあったが、超人的なまでのトレーニングでそれを克服しつつあり、フューチュリティステークスを制したことから中距離クラシック路線への期待が一気に高まっている最中のウマ娘。
「……大丈夫だよ。お兄さま。ライスは逃げない。逃げたくない……ッ!」
「当然だ」
この数か月で、ライスシャワーは大きく成長した。メジロマックイーンと比べると、まだまだ至らない点・足りない点はたくさんある。しかし、精神面での成長は著しく思えた。
「私は……マックイーンさんを倒します。だから、ブルボンさんだって……倒すんだ」
「……ふふ、言ってくれますわね。ですが、その意気ですわ。
その大胆な宣言、真正面から受けて立って差し上げます!」
「ひゃ、ひゃわ! あ、あの、これは、その……!」
真剣につぶやくライスシャワーの背後には、マックイーンも戻ってきており、その言葉を聞いてにやりと笑って少し意地悪に言葉を返した。ライスシャワーにとっては、意図せぬ宣戦布告となってしまって。
「ほら!トレーニングの続きを始めますわよ!
ライスさん、わたくしについてらっしゃい!倒すのでしょう!」
「わ、わああ~ん!」
年の瀬の空の下にライスシャワーの困惑の声が響いた。
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