ひょんなことから担当ウマ娘とデートすることになりました【短編集】   作:キビタキ

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思い出の場所でサイレンススズカとデートすることになりました

「トレーナーさん、いきなりで申し訳ないんですけど、お願いしたいことがあるんです…」

 

 眩い白光によって照らし尽くされた、トレセン学園の広大なトラック。その外縁柵の内と外を挟んで、ルームメイトとの併走から戻ってきたサイレンススズカは、何の前触れもなくそう切り出した。

 クールダウンの軽いランニングだったとはいえ、その肩は少しばかり上下に揺れている。

 

「あっ、スペちゃんはもう少し走ってから帰るそうです」

 

 やおら振り返って、未だ草色の絨毯を駆けるルームメイトの姿を、彼女は目で追っていた。迫る門限に、生徒たちの姿はまばらだった。

 やがて、彼女はこちらへと向き直って…。

 

「それで、お願いしたいことなんですけど…今お話ししても大丈夫ですか?」

 

 きょとんとしていたこちらの顔を見て、彼女は再度そう尋ねていた。

 柵に片手を置きながら、そわそわと何とも落ち着かない様子に見える。

 

「すみません…突然過ぎてびっくりしますよね。でも、今じゃないと、多分お願いできないので…」

 

 その物憂げな表情と改まった雰囲気に、並々ならぬ覚悟を感じて、おそるおそる首肯する。

 

「ありがとうございます。えっと、実は…」

 

 そう口走りながら、柵をゆっくりとくぐってみせる彼女。朱色のストレートロングヘアがさらさらとなびいて、その直後、真正面に向き合う。

 

「今度のお休みの日、静かなところにお出かけがしたいんです」

 

 身構えていた割には、何の変哲もない内容。確かに、彼女の方から率先してお出かけを提案するのは珍しいことではあるが…。

 せっかくだし、スペも誘おうか…と、今なお走り続けているその少女を見やりながら答えると…。

 

「スペちゃんですか? あの、できれば…あっ、できればじゃなくて…二人きりが良いんです」

 

 とつとつとした口振りながらも、これまでよりはっきりとした意志が込められている…不思議とそんな気がする言葉だった。

 

 実は、スペシャルウィークの担当トレーナーが、わけあって一ヶ月ほど入院している。そこで、入院期間中だけ臨時的にスペのトレーニングを見ることになっていた。

 元々ルームメイト同士で仲の良いスズカとスペ。自分が受け持った方が何かと都合が良いだろうという判断だった。

 その期間はトレーニングもほとんど一緒に行っているし、休日には三人で過ごすことも多かった。なかなかないシチュエーションに、スズカ自身、とても楽しそうにしていたと思うのだが…。

 

 そんなことを考えるこちらを気にする様子もなく、彼女は真っ直ぐな視線を送っていた。だらりと下げた右腕を自身の左手で掴みながら…それは、彼女の見慣れた立ち姿だった。

 

「場所は私に任せてほしいんです。ちゃんと門限には間に合うように予定は組むので…」

 

 お出かけを切り出す前までの気後れ感はどこへやら。決して誰にも先頭を譲らないレースの時のような気迫が、そこにはあった。

 

「ですから、二人きりで構いませんか?」

 

 スカイブルーの双眸がこちらを穿つ。その真剣な表情は、どこか助けを求めているようにさえ思えるものだった。

 担当ウマ娘の切なる願いを断る理由なんてありはしない。迷いなく首を縦に振った。

 

「ありがとうございます。詳細はまたご連絡しますね」

 

 そう答えるや、やにわにトラックの方を向いて手を振り始めた彼女。その視線の先で、ルームメイトが小さく手を振り返しているのが、確かに見えた──

 

 

 お出かけ当日の朝。待ち合わせ場所である学園の最寄り駅で、彼女がやって来るのを待っていた。

 決して大きくもなく、小さくもない通い慣れたその駅。休日には多くのウマ娘が改札を通り抜ける光景が見られる。言わずもがな、そのほとんどは学園所属の生徒たちだ。

 この日もご多分に漏れず、私服のウマ娘たちがひっきりなしに訪れている。その中に、朱色の髪の少女を見つけたのはすぐだった。

 少し背が高めの彼女。たとえ人混みにまみれても、ちょこんと見える緑色の耳カバーですぐに分かってしまう。

 手を振ってこちらの存在をアピールすると、彼女はそれに気づいて足早に駆け寄ってくれた。

 

「おはようございます。ちょっと遅かったですか?」

 

 そう言って、自身のスマホを取り出す彼女。

 まだ待ち合わせ時刻の十分前…全く問題ない時間だ。お互い几帳面なのか、待ち合わせをするとだいたいどちらも早く着き過ぎてしまう。

 だが、無事に合流できた安堵に勝る事態が、そこにはあった。そう、見慣れぬその姿に目を奪われてしまったのだ。

 

「この服装、変ですか…?」

 

 こちらの視線に気づいたのか、彼女はおそるおそるつぶやいた。その要因が自身の衣服であることは、彼女自身、自覚があるようだった。

 涼しげな真っ白いシャツに、カフェオレ色のショートジャケット。アッシュグレーの膝上スカートは、短過ぎず長過ぎず、彼女の透明感と可憐さを際立たせるその中間点。そして、その下に広がる健康的な肌色は、スニーカーに至るまで連綿と続いている。

 見知らぬ女の子がこの服装をしていても、別に何とも思わなかっただろう。ただ、何より違和感を感じたのは、季節や場所に関係なく着用していた、彼女のトレードマークといってもいい黒タイツを、この日封印してきたことだった。学園の制服やトレーニング用水着は仕方ないとしても、それ以外で彼女が素足をさらけ出すことは、かなり稀なのだ。

 こちらの心を読み取ったように、彼女は足元に視線を落としながら切り出した。

 

「やっぱり気になりますよね。私も慣れてなくて、足がスースーします。実は、スペちゃんがおすすめしてくれたデートコーデなんです」

 

 デートコーデ…そんな言葉を彼女の口から聞いたのは間違いなく初めてだ。意外過ぎて、思わず復唱してしまう。

 

「えっ…あっ、はい。デートにおすすめの服ってことですね」

 

 その言葉を真に受けた返事。いかにも彼女らしい。

 なるほど、今日はデートなんだ…と、いたずらっぽく茶化してみる。こういうことに"お堅い"印象がある彼女を、少しからかってみたかったからだ。

 

「はい、デートです」

 

 しかし、返ってきたのは生真面目な回答。ふふっと顔を綻ばせてはいるものの、その顔に恥ずかしさの類は一切なく、朱色の尻尾が静かに揺らめいているだけだった。

 

「デートだと困りますか?」

 

 それどころか、畳みかけるように飛んできた二つ目のカウンターパンチ。それも、純真無垢な上目遣いと共に。

 そんなことないよ…と、反射的に答えることしかできなかった。それは間違いなく心揺さぶる所作だった。

 

「ふふ、良かった」

 

 口に手を当て、彼女は柔らかく微笑んでみせる。

 いつもとどこか違う雰囲気に驚かされながらも、今日の担当ウマ娘はとても可愛らしく見えた──

 

 

 電車に揺られること約一時間。辿り着いたのは、秋の色を帯び始めた山々を臨む小さな駅。周辺は人家もまばらで、いわゆる田舎の光景が広がっていた。

 

「トレーナーさんとここに来るのは、二回目ですね」

 

 耳カバーをしたそれを上機嫌にぴくぴくさせながら、澄んだ空気を全身に取り込む彼女。

 そう、ここは以前、彼女が別のトレーナーと契約していて、その指導から走りに精彩を欠いていた時、気分転換のため連れてきた場所だった。誰もいないまっさらな世界…見たことのない景色を求めて、心が空っぽになるまで走り尽くした場所だ。

 

「あの時は春でしたけど、秋の景色も見てみたくて…」

 

 言われてみれば、以前見た時と印象が少し変わっている気がする。そもそも、こうやって彼女と遠出するのも、遠征を除けば随分と久々だった。

 頭上に広がる水色と白のまだら模様と、秋らしく過ごしやすい気候に、自然と高揚していく気分。それはおそらく彼女も同じだろう。

 

「前回は山の方に登っていきましたから、今日は川沿いを下っていきましょうか」

 

 そう言って、彼女は静かに歩き出した。

 ひんやりとした微風が朱色の髪をあでやかに揺らし、心地良い匂いを運んでくる。

 

「秋の風って本当に気持ち良い…何だかうずうずしますよね」

 

 走りたい衝動を抑えられないのか、尻尾が軽やかに波打っている。

 この前みたいに走ってみる?…と思わず言いかけたが、さすがに走りに適した服装ではないと判じて、開きかけた口をつぐむ。

 それを感じ取ったように、彼女はにこやかに笑う。

 

「ふふ…今はトレーナーさんと一緒に歩きたい気分なんです。ゆっくり話しながら行きましょう」

 

 その視線の先には、陽の光を浴び、きらきらと輝いている清らかな渓流。絶えず奏でられる水の音は美しく、心を癒やしていく。

 

「スペちゃんの故郷って、あんまり人の住んでない山の中って言ってましたよね。多分、こんな感じなのかしら…」

 

 唐突に飛び出したルームメイトの名前。彼女がスペの話をすること自体は珍しいことではなかったが、それはなおも続いた。

 

「スペちゃんって凄いですよね。愛嬌たっぷりでいつも周りを元気にしてくれるし、気遣いができて、本当に気さくで、友達もたくさんいて…」

 

 止まらない褒め言葉。確かにその通りだが、そこまで並べ立てられると、語る本人が卑屈にさえ思えてくる。

 

「トレーナーさんも、スペちゃんを受け持ってから楽しそうにしていますし…」

 

 その言葉には控えめに肯定しつつも、何となくばつが悪かった。スペの明るさに笑みをこぼしてしまうことは、何度となくあったからだ。もちろん、スズカがつまらないとか、そんなわけでは決してないが。

 

「それに、色んなことを知ってるんです。美味しいお菓子屋さんとか喫茶店とか…私の方が先輩なのに、私は走ることしか知らないんですよね。だから、凄く尊敬してて…」

 

 やたらスペの話ばかりしてくることに、さすがに違和感が勝ってくる。

 話したいことというのは、もしかしてスペ本人やスペを受け持ったことへの不満なのか…そんな疑念を抱えたまま、ここにスペはいないよ、何か思うところがあるのなら言ってごらん…と、おそるおそる話しかけていた。

 

「あっ…」

 

 口に手を当て、本当に「しまった」という顔をする彼女。先ほどまでの言葉に他意はなく、無意識に口をついてしまっていただけ…そんな表情に、少しばかり安堵した。

 一呼吸置いて、彼女はひっそりとした声で尋ねていた。

 

「トレーナーさんは…スペちゃんのこと、どう思ってますか?」

 

 ストレートな質問に思わず困惑する。単純な問いかけほど、答えるのは意外と難しいからだ。とっさに無難な答えを探る。

 臨時でスペのトレーナーをしているゆえ、可能な限り気にかけているのは事実だ。クラシック路線を走り抜いたウマ娘だけあって、その素質と実力には驚かされてばかりだし、スズカとは全く違うタイプの力強い走りには一目置いている。

 だが、案の定というか、それは彼女の求めていた答えではなかったようで…。

 

「すみません。その…競技者としてじゃなくて…一人の生徒としてです」

 

 鋭さを帯びた声を突きつけられては、嘘をつくわけにもいかない。正直に今感じていることを告げる。

 ひたむきに夢に向かって努力し、それでいて笑顔を忘れない天真爛漫な少女。何でも美味しそうに頬張る姿も、たまに飛び出す方言も可愛らしい…そんな女の子だと。

 

「そうですよね…」

 

 どこか寂しげに、彼女はぽつりと漏らしていた。さっき彼女が述べたこととさして変わらないとは思うのだが、なぜか不安のようなものを隠し切れない様子だった。

 

「スペちゃんからよく聞くんです。トレーナーさんはとても良い人で、飛び入りの私にも優しく接してくれるって…」

 

 次いで、彼女の口がほんのわずかに動く。それはきっと、心の声が漏れてしまったもの。

 

(このままじゃ、スペちゃんに差されてしまいそうで…)

 

 言い終えるや、唐突に数歩先へと駆け出した彼女。その重々しい空気によって、いたたまれなくなったかのようだった。

 

「あの、ごめんなさい…少しだけ走ってきていいですか…」

 

 そこに拒否権はない。彼女の物憂げな眼差しを前にして、引き止められるはずもなかった。

 こちらの返事を待たず、彼女は走り出していた。規則的に揺らめく尻尾が、徐々に遠のいていった──

 

 

 川辺のなだらかな草っぱらに、並んで座り込む一組の男女。

 夜空という紺色のパレットに乱雑に描かれた濃紫の雲と、ぽつりぽつり散りばめられた明色の星々。少し遠くに見える人家の明かりが、心の片隅に眠るノスタルジアを密やかに想起させる。

 秋の夜長は、しずしずと幻想的な光景を作り出していた。

 

 走り出してからしばらくして戻ってきた彼女。その口から、スペの話題が出てくることはもうなかった。その意志を汲んで、こちらからも話さなかった。

 それ以降交わされたのは、普段と同じ、何ら取り留めのない会話だけ。しかし、決して居心地が悪いなどということはなかった。いつもと変わらない混じり気のない笑顔が、それを証明してくれていたからだ。

 途中で昼食や休憩を挟みつつも、その日は歩いたり話したり、こんな時間までのんびり過ごしていた。

 

「今日は楽しかったですか?」

 

 すぐ隣で涼やかな声がした。

 もちろん…と、すかさず頷く。

 

「ふふっ…それを聞けてほっとしました。私、デートに全然詳しくないから、こんなところしか思いつかなくて」

 

 人が多い場所が苦手な彼女。いかにも彼女らしいチョイスだし、下手に人が多いところより良い選択に思えた。

 

「私にとって、ここは思い出の場所なんです。トレーナーさんが私を導いてくれた、とても大切な場所…」

 

 清流のせせらぎをバックに、秋の演奏家たちが忙しなく美しい音色を奏でている。まるで、二人のリラックスした心を体現しているようだった。

 

「大事なお話…してもいいですか?」

 

 ふわりと舞う尻尾。それは彼女の背中と地面を順に叩き、また同じ位置に戻っていた。

 

「今日、トレーナーさんをデートにお誘いしたのには、理由があるんです。実は、どうして伝えなくちゃいけないことがあって…」

 

 ふっと真正面を向いて、彼女はあからさまに目線を逸らしていた。その横顔は、どこか自信なげでいじらしくさえある。

 

「えっと、その…」

 

 口ごもる彼女がもどかしい。そんな思いが心を満たしていく。

 スペの件もあったし、彼女が伝えようとしているそれが重大なことであることくらい、さすがに察しがついていた。あんなに控えめで、どちらかといえば不器用な彼女が、懸命に自らの思いを伝えようとしている。

 その背中をどうやったら押してあげられるだろう…思い悩んだ末、一番大事に思ってるのはスズカだよ…と、口にしていた。それは、走り出してしまった彼女に伝えそこねた一言だった。

 

「えっ…」

 

 小さな声を漏らしながら、彼女はこちらを向いた。戸惑いを顔一面を張りつけて、やがてそれは一抹の嬉しさを帯びていく。それは本当ですか?…と、その顔には書いてあった。

 確かに、スペはとても人懐っこく、活発的で明るい性格だ。スズカよりも人に好かれるタイプだとは思う。しかし、スズカにしかない魅力もたくさんある。それは彼女の担当として、誰よりもよく知っているつもりだ。そう、スズカはただひたすらに純粋で、何事にも一途なウマ娘なのだ。

 その言葉に安心したのか、彼女は大きく息を吐き出し、目を細めていた。

 そして、とつとつと、話そうとしていたことを吐露していた。

 

「実は…少し前にスペちゃんに謝られたんです。『スズカさんの担当トレーナーさんと、私ばっかりたくさん話してごめんなさい』…って」

 

 言われて思わず目が点になる。

 思い返せば、トレーニングやプライベートに関係なく、そんなシーンは多かった気がする。とはいえ、スズカを完全に差し置いてまで話しっぱなしだったわけではないし、謝るほどのことには思えないが…。

 

「スペちゃんは何も悪くないです。いつも通り明るく振る舞ってただけだから…悪いのは私なんです。自分が愚図なのを棚に上げて、そんなことでへそを曲げてしまったんですから…」

 

 額に手を当て、彼女は心底うんざりしたようにかぶりを振った。その儚げな表情は深く沈み、あまりにも見るに忍びなかった。

 

「私…妬いてたんです。トレーナーさんとすぐに打ち解けて、楽しそうに話してたスペちゃんに。それで、自分でも気づかないうちに冷たくあたったりしてたみたいで…だからスペちゃんが謝りに来てくれたんです。それを聞いて、自分がとても情けなくなってしまって…」

 

 半分に折れ曲がるほどしょげた両耳。

 まさかそこまで思い詰めていたなんて…などとは口が裂けても言えなかった。トレーナーとして、担当ウマ娘の苦悩に気づけなかったことは、ただただ愚かしくてならなかった。

 

「どうしてこんなことになったんだろうって、二人で納得行くまで話し合いました。お互いの気持ちも伝え合って…それで、自分の気持ちにも整理がついたんです。スペちゃんは親友だから、本当に親身になって私の話を聞いてくれました。しかも、私がちゃんとトレーナーさんを誘えるよう、背中まで押してくれることになって…」

 

 刹那、その耳は静かに天を衝いた。

 

「だから、決めたんです。今度のお休みの日、トレーナーさんにきちんと思いを伝えるって。レースでは逃げてばかりですけど、今日はもう…逃げたりしません」

 

 凛々しさを帯びた声が響く。

 二人きりのお出かけを提案してきた時の真っ直ぐな眼差しは、親友の後押しがあったがゆえのものだったのだろう。

 あの時と全く同じ目をして、彼女はしかつめらしくこちらを見た。お互いの顔は三十センチメートルと離れていない。濁りなきスカイブルーの瞳が、その思いの丈の深さを物語っていた。

 

「トレーナーさんと出会った頃は、レースのことでずっと頭がいっぱいでした。誰もいない先頭の光景が見たくて…そのことだけを考えていました。でも、気づかないうちに、見たいものが少しずつ変わってきてたんです。私が本当に見たいもの…それは先頭の光景の、さらにその先にありました…」

 

 不意に自身の髪に触れ、彼女は逡巡する。入念に手入れされた尻尾が、間を持たせるようにふわふわと波打って、目線を奪う。

 そして、それは静かな一声によって引き戻される。そこにあったのは、気恥ずかしさを秘めた薄紅の頬。彼女が初めて見せた、一人の少女としての素顔だった。

 

「私は…私を導いてくれた大切な人…トレーナーさんの笑顔が見たい。そのことに、やっと気づいたんです…」

 

 胸に手を当て、どこか苦しそうに、それでいて嬉しそうに、彼女は言う。まるで、高鳴る鼓動を必死に抑え込むようにして。

 

「トレーナーさん…好きです。どうかこれからもずっと、あなたの隣にいさせてください」

 

 それは紛れもない告白だった。透明感にあふれたその声が鼓膜を吹き抜ける度、心臓がどきどきと脈打つのを感じた。

 

「私じゃ…ダメですか…?」

 

 その答えを待って、いつまでもこちらを見つめ続ける彼女。目を逸らすことなんてできはしなかった。そんなことをしたら、彼女が悲しんでしまう…それは分かりきっていたからだ。

 しかし、すぐに頷くこともできなかった。彼女を導くのは、あくまでトレーナーとして。一人の男として彼女を導くには、荷が重過ぎる気がしてならなかったのだ。

 彼女がこの迷いを察したのかは分からない。少なくとも、先に目を伏せたのは彼女の方だった。

 

「すみません…やっぱり、無理ですよね…生徒からの告白なんて…」

 

 否定することも肯定することもできぬまま、ただただ彼女の虚ろな声が容赦なく突き刺さる。

 

「でも、悔いはありません。トレーナーさんに気持ちを届けられただけで、私…満足していますから…」

 

 いつしか目を閉じていた彼女。気がつけば、透明な雫が頬を伝い落ちていた。それを拭ったり、顔を手で覆ったりしないのは、彼女なりの最後の意地に見えた。

 俯いたまま、暗夜に吸い込まれていくすすり泣く声。とても聞いてなどいられなかった。それを止めることもできないで、何が担当トレーナーなのか…そう覚悟を決めた。

 意を決して口を開く。スペに感謝しないとな…と。

 

「スペちゃんに…?」

 

 おずおずと顔を上げ、潤んだ目を見開いた彼女の顔は、まさに寝耳に水の様相だった。

 それに向かってこう伝える。あの娘のおかげで、お互い本当の気持ちに気づくことができたんだから…と。

 続けざま、彼女の体を引き寄せるように、肩に腕を回した。スズカの笑顔をずっと側で見ていたい…ただ一言、そう告げて。それ以上の言葉なんて、必要なかった。

 驚きの声が一瞬だけこぼれて、彼女はまた顔を赤くした。泳ぐ目線がこちらを捉えるのにしばらくかかったが、その時にはもう、あの見慣れた笑顔を浮かべていた。

 

「嘘じゃ…ないですよね…?」

 

 未だに信じられないのか、今にも消え入りそうな問いかけを彼女は口にしていた。

 嘘なものか…そう心の中でつぶやいて、肩に回した腕に力を込める。

 今思えば、彼女をここに連れてきたあの日から、こうなる運命だったのかもしれない。そんなお決まりのフレーズが無意識に胸中を駆け巡り、少し恥ずかしく感じた。もしかしたら、彼女も同じことを思っているのだろうか…いや、思っていてほしい。

 そして、涼やかなささやきが耳に届く。

 

「良かった…トレーナーさんに出会えて…本当に…」

 

 重力に身を任せ、彼女は全身をこちらへと預けていた。心地良い香りが鼻をかすめ、やがて、お互いの温もりが伝う。

 その小さな白い手は、薄暗闇の中でこちらを優しく包み込むよう、そっと体に添えられていた。

 

「他の娘を担当に持っても、私のこと、ちゃんと見ててくれますか…? ううん…そうさせてみせます。必ず…」

 

 愛くるしい声で、どこかいたずらっぽくささやく彼女。その言いつけを破ると果たしてどうなるのか…そんなことを考える余裕を与えないほど、自信たっぷりに。

 

「誰にも、邪魔させません。誰にも、譲りません。トレーナーさんと二人で見る景色は…誰にも…」

 

 目の前に広がるノスタルジックな光景。それは二人だけの思い出だった。そう、どれだけの時が経とうとも、永遠に…。

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