ひょんなことから担当ウマ娘とデートすることになりました【短編集】   作:キビタキ

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超高級レストランでメジロパーマーとデートすることになりました

「トレーナー、ちょっと頼み事聞いてくんない? 散々考えたんだけど、これ頼めるのやっぱトレーナーしかいなさそうでさ…」

 

 心地良い春のぽかぽか陽気に包まれた校庭の、何ら変哲のない昼休み。いかにも神妙そうな面持ちで、メジロパーマーは何の前触れもなくそう切り出した。

 悩みの相談役として定評があり、気遣い家として知られる彼女。そんな彼女が頼み事をしてくるのはなかなか珍しい。力になれることがあるなら何でも…と、耳を傾ける。

 彼女は揚々と指を鳴らした。

 

「さっすがトレーナー、ありがとっ! 今度のお休みの日にさ、ディナーに付き合ってほしいんだよねー」

 

 何だ、そんなことか…と、答える直前。彼女の言葉は、こう続いた。

 

「セレブ御用達の超高級レストランで♪」

 

 承諾の言葉が喉元で急ブレーキをかける。一体どういうわけなのか、すぐさま問いかけていた。

 

「うーん、まー、そこは"色々"あってさ…要は男の人と二人で行きたいんだよね。いわゆるデートってやつ? でも、こういうの頼める身近な人、トレーナーしかいないっていうか…だってここ、女子校っしょ?」

 

 にこにこと理由を話す彼女。その"色々"に隠されたものを知りたかったが、そこを詮索するのは何となく野暮に思えた。困っている担当ウマ娘を助けてあげるのは、トレーナーとして当たり前のことだからだ。

 とはいえ、セレブ御用達の場所…上流階級とは無縁の自分が、そんなところで食事しても良いものなのか。まずそこが不安だった。

 

「そーだね。ドレスコードはインフォーマルだから、男の人はスーツがあれば何とかなるよー。できればテーブルマナーも知っててほしいかな。まー、当日レクチャーしてあげてもいいし。あっ、もちろん食事代は実家持ちだから安心してねっ」

 

 実家持ちという言葉に何か引っかかりのようなものを感じたものの、それはすぐさま安心感へと変わる。超がつくほどの高級レストランなのだ。普通に考えたら、ディナー二人分ならば数万円は下らないはずだ。

 

「それじゃあ、決まりってことで! 場所とか時間はメールするから…って、ヤバっ! もうこんな時間じゃん!」

 

 自身のスマホに向かって叫ぶ彼女。

 「とりま授業戻るねっ!」と、言い終えるが先か、駆け出すのが先か。栗色のポニーテールを揺らして、担当ウマ娘は校舎の中へと去っていった──

 

 

 約束の日。これまで縁もゆかりもなかった建物に、多少びくつきながらも、おそるおそる足を踏み入れていた。

 

「メジロパーマー様のお連れの方ですね。どうぞ、こちらへ」

 

 乱れ一つない高貴なスーツを着こなす男性ウェイターは、こちらを見るなり、全てを察したようにそう発した。

 案内されたのは、ドラマなどでよく見る、いかにも社交パーティーでも行われそうな広々とした空間だった。煌々と琥珀色を灯すシャンデリアに、様々な絵画やアンティークが飾られたシックな内装。優美なクラシック音楽が会話を邪魔しない程度の音量で流れている。いくつかのテーブルでは、既に何人かの先客が優雅にディナーを楽しんでいるようだった。

 

「メジロパーマー様、お連れの方がお着きになりました」

 

 周囲に奪われていた視線が、その声の放たれた先へと向けられる。そこにいたのは見慣れた担当ウマ娘…のはずなのだが、その姿には目を疑うしかなかった。

 両肩を露わにする純白のミディアムドレスに、七色の宝石をあしらったきらびやかな耳飾り。その栗色の髪は、いつものポニーテールではなく、シンプルに下ろしただけのストカール。これまで感じたことのないあでやかさを、ありありとまとわせていた。ただ一つ、癖のついた後れ毛だけが、彼女の面影をどことなく残していた。

 

「こんばんは。今日は来てくれてありがと」

 

 目が合うやいなや、彼女は立ち上がりながら淑やかに一礼した。

 いつもなら軽い口調で「遅かったね。待ってたよ〜」とでも言いそうなところだが、この時ばかりは借りてきた猫のように楚々としていた。

 改めて見る彼女の全身。その婉麗且つ華やかな姿に、思わず見惚れてしまう。

 

「それでは、失礼いたします。どうぞ、ごゆっくり」

 

 ウェイターのその一言で我に返る。慌てて彼女に丁寧な挨拶を返すが、その言動がよほどおかしかったのか、彼女は不意に笑顔を浮かべて小声を漏らしていた。

 

「ふふっ、そんなにかしこまらなくていいよ。肩の力は抜いて気楽にどーぞ。さ、座ろ」

 

 その気さくな口調は、間違いなく普段通りのそれだった。ようやく知っている彼女が戻ってきた。そのことに、ほっと溜息をついた──

 

 

 白のテーブルクロスの上に、食器が規則正しく並べられた二人用サイズのテーブル。そこに供される典麗な料理の数々は、まさにこれ以上ないほどの美味だった。

 ナプキンやフィンガーボウルなど、ついぞ関わり合いのなかった人生。ある程度予習してきたとはいえ、初舞台でいきなり上手くいくはずもない。その都度、彼女は丁寧にエスコートしてくれた。

 彼女が名門メジロ家の生まれであることは百も承知だったが、こういったノーブルな場をそつなくこなす姿を見るのは、紛れもなく初めてだった。

 

「トレーナーのスーツ姿って、何だか新鮮だね」

 

 メインディッシュを控えた頃合い、彼女はそんなことを口走った。

 トレセン学園の面接を受けた時以来となるスーツである。違和感ばりばりなのは承知の上だった。ただ、新鮮さで言うのなら彼女も相当なものだ。はっきり言って、めちゃくちゃ似合っているのだから。

 そう伝えるや、彼女はあからさまに苦笑いした。

 

「あはは…そんなことないよ。社交場でしかこんなの着ることないんだけど、何かこう、そわそわするっていうか…私のいる場所じゃない感じがするし…」

 

 両耳をぴくぴくと震わせて、彼女は小さく溜息をついていた。確かに、こういった衣装や雰囲気は彼女の好みではない気がする。

 ただ、辺りを見渡しても、映るのは身なりの良い人たちばかり。ここが庶民とは縁遠い世界であることは間違いなかった。

 

 しばらくして、運ばれてきたのはウェイターいわく『ブランド和牛ロースのグリエ 特製ソース添え』だそうだ。それはまさに、豪華絢爛なフルコースの主役に相応しい一品だった。

 しかし、それを前にしても、不思議と気分は高まらない。その原因はきっと、この何とも言えないよそよそしい空気のせいだ。

 

「おいしそうだね」

 

 当たり障りのない言葉を彼女は口にする。そこには違和感しかない。本来なら「おいしそ〜♪ マジでヤバみなんだけどっ!」くらい言うはずだ。

 終始こんな調子ゆえに、意識しなくとも弾むはずの会話も全くはかどらない。この物理的に絶妙な距離感と、あまりにもフォーマルな雰囲気が、自然と二人の口を重くしているようだった。

 かちゃかちゃと、食器と皿が触れ合う音だけが響き渡る中、唐突に彼女の声が響いた。

 

「あのさ、一つ聞いていい?」

 

 すぐさま首を縦に振ると、彼女はナイフとフォークを静かに置いた。

 

「ここで聞くのもあれだけど、トレーナーは気になってる人っているの? あっ、もちろんこういう意味で」

 

 こちらにしか見えないよう、隠すように小指をひっそりと立てる彼女。こんな場所にしては挑戦的な言動に思えたが、この空気感に痺れを切らしたからかもしれない。

 その不意打ちに対して、今はいない…と、正直に答える。単純に仕事が忙しく、そもそもそんな時間がないということもあるが。

 

「あはは、そうだよね。トレーナーの仕事って傍から見てもマジで…じゃなくてホントに激務だし、たまの休みにも私に付き合ってくれてるし…」

 

 他愛のない気軽な話し方もここでは憚られるのだろう。一つひとつ言葉を選びながらしゃべっているように見えた。

 そんな堅苦しい彼女へと、パーマーこそ気になってる人はいないの?…と、少しからかうように同じ質問をぶつける。「私もそんな暇あるわけないっしょ〜」…的な言葉を笑顔で返してくれるのを期待してのことだったが、彼女は真顔のままじっくり考え込む様子を見せた。

 

「んー、そのことなんだけどさ…」

 

 再び食器を手に取り、それをロース肉にあてがいながら彼女は続けた。

 

「実はね…今度」

 

 その時だった。

 今から話そうとすることに集中し過ぎたのか、はたまた単純に力を入れ過ぎたのか、皿の端の方でナイフの力が加わったことで、皿ごと大きく傾いてしまった。その拍子にソースが飛び散ってしまい、一部は純白のドレスにも降り掛かっていた。

 

「あっちゃ〜…やらかしちゃったね、これ…」

 

 大丈夫か…と問いかける直前、彼女はそれを遮るようにこちらを見やった。

 

「大丈夫、大丈夫だから。ごめん…こんなヘマして」

 

 そうは言うものの、椅子の後ろで不安げに跳ねた尻尾は隠し切れていなかった。皿をひっくり返しただけではない、別の何かに怯えているような…そんな姿に見えてならなかった。

 次いで、濡らしたナプキンでドレスを拭いながら、彼女はささやくように言った。それは多分、自然と口をついた独り言に違いなかった。

 

「ダメじゃん…メジロの娘がこんなんじゃ…」

 

 両耳を折り曲げ、あからさまに落胆する彼女。

 真っ白なドレスには、ほんの小さなシミが残っていた──

 

 

「ふー、今日はおつかれ」

 

 レストランから少し離れたところにあった公園の一角。心許ない街灯が、辺りをひっそりと映し出している。

 木製のベンチに両隣で深く腰掛けながら、彼女は紺色の空を仰いだ。

 

「やっぱ慣れてないところに行くもんじゃないなー」

 

 ディナーを終えるや、逃げるように訪れたこの場所。レースを走り抜いた直後のような、そんな疲労感さえ漂わせて。

 

「メジロ家生まれでこんなこと言うのもあれだけどさ…やっぱりああいう場所って、肌に合わないんだよねー」

 

 そして、ふと、顔と視線を真正面に戻す。

 

「でも、あれが私の住んでる世界なんだ…」

 

 ぴんと逆立った両耳と、いつになく険しい面持ち。その青い瞳には、どことなく悲哀が満ちているような気がした。

 思い返せば、ディナー中ずっと退屈そうにしていた彼女。料理はとびきりおいしかったが、食事を楽しむという点においては、息苦しさが勝っていたのは確かだった。

 

「まー、さっきのが"本番"じゃなくて良かったよ。メジロ家の看板に泥を塗るわけにはいかないし」

 

 "本番"という言葉に思わず反応する。今日のディナーは何かの予行演習だったのだろうか。

 

「あ、それ。さっき言いそびれたのって、そのことでさ…」

 

 弱々しく語尾をすぼめて数秒、彼女は意を決したようにこちらを見た。

 

「もうすぐ、お見合いがあるかもしんないんだよね」

 

 さらりと言ってのけたようで、決して軽くはないその一言。お見合いなんて今時なかなか聞かない話だが、メジロ家ではそれが当たり前なのだろうかと、ただ頷くことしかできなかった。

 

「お相手は多分、良家の御曹司になるのかな…場所はさっきみたいなとこって相場が決まっててさ。恥ずかしい話、堅苦しい席は苦手だし…今日トレーナーをデートに誘ったのは、その練習っていうか、リハーサルっていうか…そんな感じ」

 

 彼女らしからぬしんみりとした声が、無人の公園にとつとつと舞う。次いで、足を組み替えながら、彼女は再び夜空へとこう言い放った。

 

「これまで色んなことから逃げてきたけどさ。さすがに今回はダメだろうなって、正直覚悟してる。だって、お見合いはママのお願いだし、『あなたもそろそろイイ人を見つける年頃よ』…って」

 

 年頃…といっても、彼女は未成年で、競技者として現役だ。さすがにまだ早過ぎる気がするが…。

 

「うちはけっこー特殊だからね〜。現役の時から交際を始めて、レース引退後にすぐ…なんてのはよくあることだから」

 

 言い終えて、ははっと小笑いする彼女。まるで他人事みたいに軽く。

 その言葉が本気なのか冗談なのか、時折分からなくなる時があるが、大抵前者であることを、長いトレーナー生活の中で知っていた。答え合わせはすぐだった。

 

「ホントのこと言ったらさ。お見合いなんて…したくないよ。だって、旦那さんってこれからの人生をずっと過ごす大切な人じゃん? そんな人を誰かに決められたくないっていうか…」

 

 綺麗にまとめられたヘアスタイルに構うことなく、彼女は勢いよく髪をかき上げた。

 

「そりゃー、実際会ってみたらとってもイイ人ってこともあるとは思うよ? 私のママとパパもお見合い婚だったけど、めっちゃ仲良いし。でもさー、メジロ家のお見合いって、ちょっと政略結婚的なとこもあるんだよね、やっぱ。まー、別にそれは仕方ないことだし、メジロ家がここまでなったのも、ご先祖様がそうやって家系を繋いできてくれたおかげなのは、よーく分かってる。でも、何ていうのかな…」

 

 不安でもなく、焦燥でもなく、怒気でもなく、ただただ無機質さだけを含ませた声が響く。

 しかし、次に発せられた言葉には、間違いなく感情が込められていた。

 

「私は…メジロである前に、パーマーでありたいんだよね」

 

 そう、そこにあったのは、一人の少女としての純然たる思いだった。

 

『逃げたい。メジロっていう看板から』

 

 契約を結んで間もない頃、彼女は微笑しながらそう言った。周りからどう見られるかなんて気にせず、自分らしく生きたい。だって私は私だから…と。

 しかし、それでいて、責任感が強いのもまた彼女の性格だった。逃げたいと言いつつも、メジロ家の一員として責務を全うするための努力を惜しまない。メジロ家としての自分と、個としての自分…その葛藤に苛まれていたことは察していた。

 だからこそ、さっきの言葉はこちらに向けたSOSに思えてならなかった。もし、彼女の導き手として、何か助言できることがあるとしたら…。

 彼女の物憂げな表情を真っ直ぐに見つめ返しながら伝える。自分に正直に生きるべきだ、苦しい時はこれまでのように逃げたらいい…と。

 

「…それ、マジで言ってんの…?」

 

 明らかな怪訝を浮かべる彼女。ふわふわと揺らめく尻尾に促され、こちらの見解を述べる。

 ただ単に、お母さんはパーマーの幸せを願ってお見合いを提案したのだと思う。たとえそれを断ることになっても、パーマーの意志ならばきっと分かってくれるはすだ。

 

「そうかもしんないけどさ…そんな自分勝手なことできるわけ…」

 

 そっと俯く彼女へと、それがパーマーの良さじゃないか…と、告げる。現に彼女は、その自由奔放な振る舞いで、自分にしかないものを手に入れた。メジロ家の殻を破り編み出した、彼女を代表するレースプランだ。

 

「それって…"爆逃げ"のこと?」

 

 そう、"爆逃げ"という、一見するとあり得ない走り。邪道だの、無茶苦茶だの、当初は散々な言われようだったその走りも、今では観客を魅了し、確かな結果を残している。

 生き方はレースと同じだ。周りに何と言われようとも、自分だけのスタイルを貫けばいい。胸を張って堂々としていれば、きっといつか認められる時が来る。

 

「自分だけのスタイル…か。そういや、それってトレーナーが最初に教えてくれたことだよね」

 

 いつしか、彼女はほのかに顔を綻ばせていた。

 彼女の逃げはネガティブなそれではない。いわば、未来へ羽ばたくためのルーティン。逃げたその先に、彼女は必ず突破口を見出してきた。それこそが彼女の生き方なのだ。きっと変わることはない。これまでも、これからも。

 

「そか、そかそか。結局いつも通りでイイのかもね。はは、そう考えると何だか悩んでたのがバカみたい。人の悩みを聞くのは得意だけど、自分の悩みってホント、自分だけじゃどーにもなんないや」

 

 どこか恥ずかしげに、頭の後ろで手を組む彼女。その顔からはもう、かげりは消え去っていた。

 

「えーっと、それじゃあ…人生の大博打に打って出るのも、案外悪くないかもね」

 

 不意に、彼女はカバンからゴム紐を取り出し、ロングヘアを手慣れた動きでひとまとめにした。言わずもがな、それはいつものポニーテールだった。

 

「"ガチ"の相談していい?」

 

 こちらの目を穿つように、彼女は一瞬だけ真剣な表情をした。すぐさま、穏やかなそれに戻りはしたが。

 

「実はね、前からずーっと気になってる人がいるんだ。その人をママに紹介したいなって思ってるわけ」

 

 意外な事実に目を丸くする。別にそのような相手がいても何ら不思議ではないが、どこか嬉しいような寂しいような…不思議な気持ちがするのは確かだった。

 そんなこちらを気に留める様子もなく、彼女はすらすらと続けた。

 

「でもさ、問題があって、それをしたらこれまでの関係ってか、距離感っていうの? その人と積み上げてきたものが一気に壊れるんじゃないかって不安で、二の足踏んじゃうんだよね。しかも、ママが許してくれるかどうかも分かんないし、もしダメってなったら、その人との関係…もうぐちゃぐちゃになっちゃいそうでさ…」

 

 不規則に動き回る耳と尻尾。見るからに落ち着かない様子のまま、彼女はやおら眉をひそめた。

 

「トレーナーはどう思う? そんなリスクを負ってまでその人を紹介するのって、ぶっちゃけあり? まー、そもそもママに紹介する前に、その人からドン引きされちゃうかもだけどさー…」

 

 消え入るような語尾に呑まれたのか、二人の間には当然のように静寂が訪れていた。

 さすがは"ガチ"の相談だけあって、なかなかに重々しい内容だ。もしかしたら、彼女の将来を大きく変えてしまうかもしれないくらいに。

 とはいえ、ドン引きのくだりに関しては杞憂に思えた。そのお相手とどれくらい親しいのか分からないゆえ、確実なことは言えないが、パーマーが本気でそう思っているのなら、きっとその人は誠実に応えてくれるはずだ。少なくとも、真剣に将来を考えてくれるだろうし、もしそれで断られてしまっても、その人がパーマーを嫌うことはないように思う。

 

「うんうん、そっかそっか。めっちゃトレーナーらしい答えだね。聞いててすっごく安心したよ。男の人って女の子から切り出されるのがイヤだったりするのかな〜…とか思ってさ」

 

 それはさすがに偏見のように思う。将来に関わる大切な話を切り出すのに、男も女もないはずだ。

 彼女はあごに手を当てて頷いた。

 

「ふんふん、な〜るほど。だったらヘーキかな。トレーナーのおかげで、やっと踏ん切りがついたよ」

 

 満足げに含み笑いする彼女へ、どういたしまして…と、一言。

 こうして何でも話し合える関係は、担当トレーナーと担当ウマ娘という繋がりを超えて、人として素直に心地良かった。

 

「それじゃあ、また次のお休みの日、会う約束取り付けちゃおっか」

 

 そんな言葉が不意を突く。何が"それじゃあ"なのか、全く分からなかったが。

 続けざま、出し抜けに両頬をぱちんと叩いてみせた彼女。突然の所作に驚く間もなく、どことなく緊張した表情をこちらに向けた。そこにあったのは曇り一つない、青色の力強い双眸だった。

 

(パーマー…あんたなら言える…今しかないっしょ…!)

 

 それは声にならない声…ただ、確かに彼女の唇はそう動いたように見えた。

 そして、次の瞬間。

 

「今度さ…実家に招待したいんだよねっ…!」

 

 気がつけば、取り込んだ息を一気に吐き出し、彼女は声帯を大きく震わせていた。夜の公園という薄闇の中でも、はっきり見えるほどその顔を紅潮させながら。

 突然の言葉に思わず目が点になる。いや、正確には体中がフリーズしてしまったと言うべきだろうか。

 彼女の目は紛れもなく本気だった。その言葉が意味することが分からないほど、さすがに無粋ではない。

 それでも、何かの間違いではないかと、愚問と思いながらも問い返す。彼女は凛々しい眼差しと共に即答した。

 

「マジに決まってるっしょ…! 何も知らない人と付き合うくらいなら、トレーナーの方が絶対イイ…! だって…『パーマーのトレーナーになれて良かった』って言ってくれたじゃん…! 私、知ってるから。トレーナーが毎日寝る間も惜しんで、私のために一生懸命してくれたこと。それくらい当たり前って思ってるかもしんないけど、マジでパないことだから、それ…! なのに、いつかトレセンを卒業したらもう会えなくなるなんて、そんなのありえないじゃん…だからさ、そうなる前にママに紹介したいんだ…私の一番大切な人なんだよって…!」

 

 彼女の一言一言にドキリとする。今までは何とも思わなかった目の前の微笑が、急に愛しさにあふれたはにかみに見えてきて、自然と恥ずかしさが込み上げていた。

 彼女を異性として意識したことが全く無かったわけではないが、あくまで指導者と生徒の関係。よくて友人同士の仲だと思っていた。まさか、将来を共にしたいと考えるほど、好意を寄せてくれていたなんて…。

 

「えっと、その…ビックリさせてホントごめんっ…! でも私、ホンキっていうか、マジのマジだから…! それでも、やっぱ、ダメ…?」

 

 何も言えないでいるこちらに、おそらく無意識の上目遣いを送る彼女。純粋な気持ちで言えば、彼女の希望を叶えてあげたい。

 だが、あまりにも突然過ぎる事態。嬉しさと困惑が荒波のように押し寄せ、そもそも頭の整理が追いつかない。少なくとも、即座に首肯できるほどの覚悟は、まだ持ち合わせていなかった。

 そんな無言の逡巡を否定的なものに感じたのだろう。ふと、戸惑いといたたまれなさを半々に含んだ吐息を、彼女は気まずそうに漏らした。

 

「…うーん、やっぱムリだったかー」

 

 いつになくおちゃらけた声。そのにんまりとした面持ちは、大きなショックの裏返しに違いなかった。

 そんなつもりじゃない…と、目で訴えかけるも、それさえ拒むように、彼女は顔の前で手を左右に振った。

 

「いーの、いーの、わかってるから! もうっ、恥ずかしいな〜。なーに、期待してんだかって感じだよね。いきなり告ったらそりゃドン引きなの当たり前じゃん。しかもママが許してくれるかも分かんないのにね。いやー、失敗失敗」

 

 取り繕いの言葉が、次々と紡がれては消えていく。

 刹那、そこには作り笑いを失った顔。しゅんとした空気に耐えかね、打ちひしがれるように。

 

「ホント、何やってんだろね…私…」

 

 やにわに立ち上がって、純白の衣をまとう少女は数歩前に出た。ここからでは見えないその顔に、そっと片手を添えながら。

 

「マジでごめん。こんな夜遅くまでワケ分かんないお調子に付き合わせて…さっき言ったことは綺麗さっぱり忘れちゃってよ。無理かもしんないけど…お願い。私もそうするからさ…」

 

 平静を装おうとする震え声に、心が締めつけられる。今そこに想像したくもない表情がある…そのことが、ただ苦しくてならなかった。

 トレーナーとして…いや、一人の人間として、彼女に悲しい思いなんてさせたくない。それは彼女の担当として過ごすうち、自然と芽生えた気持ち。そう、最後まで見守りたいという決意だった。それに気づいた時、体は自然と動いていた。

 こちらに背を向け、寂しげに尻尾を揺らす少女の名を、立ち上がりながらそっと口にする。さっきの話、喜んで受けるよ…そう伝えながら。

 途端、勢いよく振り返った彼女。少しばかり濡れた目尻に、これ以上ない眩しさをまとわせて。

 

「…それってマジ…? ホントのホントのホント!?」

 

 彼女らしい反応に頬を緩ませつつ、ホントのホントのホント…と、迷うことなく返す。

 たとえ彼女のお母さんがどう思うとしても、誠心誠意臨みたいし、許されるために必要なことは何だって試したい。パーマーが自分のことを一番大切な人と言ってくれたように、自分にとっても、パーマーはかけがえのない、一番大切な人なのだから…そんな思いの丈を、余すことなくぶつけていた。

 

「あー…あああー…!」

 

 声にもならない声を上げながら、彼女は口を手で覆う。そして、いつしかこちらへと飛び込んでいた。

 歓喜の涙がとめどなくあふれ出し、瞳を、頬を、スーツを、順に湿らせていく。胸元で子供のように泣くその姿がいじらしくて、純粋に守りたくてたまらない。そんな彼女を、今はただ優しく抱き止めた。

 

「ヤバい…マジで涙止まんない…これからもずっと、ずーっと…私の側にいてくれるんだよね…」

 

 そう口にしながら、静かに顔を上げた彼女。目と目が合った瞬間、あどけない笑みをふっと浮かべてみせた。

 

「もしママが許してくれなくても…私、添い遂げたい…その時は地の果てにだって逃げるから…」

 

 こちらに身を委ねるよう、彼女は再び顔をうずめた。

 目の前でそわそわと色めく両耳と、夜風に揺れるつややかな髪。気づけば、そっと触れてしまっていた。

 

「トレーナーと一緒なら、どこだっていい…」

 

 くすぐったそうな…気持ち良さそうな…そんな甘い声。それが聞きたくて、何度も何度も優しく撫でた。

 そのふんわりとした触り心地は、とても柔らかく、最高に心地良く、そして、何よりも愛おしかった。

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