ナリタ攻防戦の後、浦城京介は一人トウキョウ租界の中を彷徨っていた。黒の騎士団のジャケットは何処かへ脱ぎ捨てて、ただ只管にある場所を目指している。それは母親と継父の住処で、京介も少しばかり身を預けていた家だ。戦争が終わって母が再婚するまでの間、京介は暫くの間父の親戚の家に預けられていた。二年もの間だ。幸い親戚は先のブリタニアとの戦争でご子息を亡くしたばかりで、京介にはよくしてくれていた。最も父の親戚であることから、その妻であるブリタニア人の母には裏で嫌悪感を露にしていたが。その申し訳なさが、二年の間に京介に親に対する無条件の愛情を渇望させる原因になっていた。そして少年にとっては長過ぎる時が過ぎ、連絡も寄越さないということは、自分は恐らく捨てられてしまったのだろうと京介自身も心の何処かで思い始めていた頃、とっくの昔に再婚していた継父と共にノコノコと平気な顔をして会いに来たのが母だ。平然と生んだ権利を口にして、戦争が始まるまでは日本で暮らし、日本人になろうとしていたはずなのに、戦争が終われば戦勝国民として昔の交友関係も全て従属関係へとシフトし切り捨てていった女だ。
だが幼かった京介にしてみれば、居なくならなかった唯一の肉親に必要とされたことは嬉しかった。だから親戚の止める声も聞かず、母と継父がトウキョウ租界に建てた醜い肉欲の館に飛び込んでしまった。その親戚も、気が付いた時には軍に殺されてしまっていた。継父は異物である京介を最初から嫌っていたが、母に嫌われないために表面上は良くしようとしていた。引き取られて初めて迎えた十二歳のクリスマスには、ブリタニア語の歴史書を渡されたのを京介はよく覚えている。その本を子供の感情に任せて無駄に広いリビングの暖炉に投げ込んで、よく燃えていた光景は今でもはっきりと思い出せた。裏で鉄拳制裁を受け始めたのも、その事実を継父が知ってからだ。
京介が捨てられなかったのは、偏に継父の種に問題があった点だろう。夫婦の間に子供が出来ないのだから、その社会的ステータスを維持するために残されたのだ。母は貞淑では無かったが、一度に複数の男を誘い込んで姦淫するような淫売でも無かった。メイドを数人抱えながらも、自らも家事を熟し夫を支えていた。そしてその裏でアッシュフォード学園に入学するために、粗末な継父の欲望を受け入れた肉壺の家庭教師共に知恵を押し付けられたのが、ケイス・ユーラックとさせられた少年なのである。全寮制の学園になんとか入学できたものの、京介は自宅からの通学を強要された。どの道自宅通学という手段を取ったことが、後の抵抗活動に繋がったのだから、皮肉でしかないが。
兎にも角にもナリタでの激戦を父親の自爆を持って終結させてしまった京介の精神は、ズタボロだった。自分の半分を生み出した存在があっさりと消えてしまったのだ。それも、自分の生き方に多大な影響を及ぼし、尊敬する存在が。だから自分のもう半分を生み出した存在の顔を、肉体を育てた胎を、吸った乳房の感覚を思い出したかったのかもしれない。例えそれが、自分を愛していなかったとしても。
トウキョウ租界でも外れの方にある住宅地の中に、ユーラックの家はある。門構えばかりが豪華な、屋敷とも言えない二階建ての家屋だ。門と屋敷の玄関までの間に庭があり、そこには小規模なプールがある。金ばかり掛けていても格式が伴っていないのだから、家には警備も居ない。かつて設置すると言っていた監視カメラも、まだ置かれていないようだった。京介はその懐かしい外観を見上げながら、門から柵に沿って家の周囲を歩く。そうして夜の帳が下りた中、プールサイドのベンチに動く人影を見ると、京介は柵に手を掛けて中へ侵入した。侵入者防止とクラシックなデザインを兼用した槍のように尖った部分に掌を傷つけるも、それを気にするようなことは無かった。柵の内側に生い茂る草木の陰で音を立てないように動きつつ、京介はプール近くの倉庫の陰に隠れた。その視線の先に居る人影、二つあるその人のような何かが自分が思っている通りなのかを確認する為に。
「それにしても、お仕事は大丈夫なんです? 最近は黒の騎士団の活動も活発になっていると聞きますし、貴方の管理している港湾倉庫の近くでも活動があったみたいじゃないですか」
気だるげな甘ったるい声、母だ。その声を聞いたのは一年以上も前だと言うのに、京介にはすぐに分かってしまった。
「何、連中は正義の味方なのだろう? 私はあくどいことは何一つしていない、善良な一市民だよ」
酒焼けした野太い声、継父だ。二人はプールサイドのベンチに水着の上からガウンを着て寝転がりながら、酒を片手に言葉を交わしている。家屋の方にも電気は付いているが、庭を一望出来る窓には全てカーテンが掛かっていた。
「子供を売り飛ばした男が、善良とは世も末ですわね」
母の言葉に、京介は思わず心臓が飛び上がりそうになった。言葉だけを聞けば、継父のやったことに納得の言っていない様子に見える。だが京介は、それ以上会話を聞いてはいけないような感覚に陥った。浮つくような声色から判断した直観的なものだったが、結果としてその感は間違っていなかった。
「何を言うか、元々あの男の証拠を見つけたのはお前だろうに。私はその情報を然るべきところへ通報しただけだ。他人は子供を売っただの血も涙も無いと言うだろうが、所詮アレはイレヴンの血が混じった紛い物だ。偽善者面をして誰かに取り入った訳でもないだろう? このエリア11で事件を起こそうとした人間を通報し、捕まえさせる。善だよ、我々は良きことをやっている」
二人してショットグラスに注いだ酒を煽りながら交わしていく言葉に、京介は目の前が真っ暗になった。自分と抵抗組織との繋がりを示す証拠を見つけたのは継父だと思っていた。だがそれは違い、実際は母親も一緒になって、自分を売ったのだ。自分の腹を痛めて生んだ子供を、容赦無く。それは京介側から見た一方的な感情であって、母親側の立場を考えていないものだった。けれど、子供と言うのものは良くも悪くも意固地で視野が狭いものなのである。傷心していた今の京介にとっては、猶更。
「それに今日はコーネリア殿下がナリタに巣食う害虫共を一掃したそうではないか。貴様の前夫もこれで終いだろう? とっくの昔に死んでいなければの話だが」
「そうでしょうね……馬鹿な人ですよ。娘でなく息子を連れて行って貰えれば、まだ婿養子を取って後に繋がったものを」
「それを言うでない。私と貴様の間に子が無いのは私の責任だ、養子は取る。飛び切り優秀な子をな。ハハハハハハ!」
父に対する侮蔑の言葉を、姉の尊厳を無視する言葉が耳朶を打った時点で、京介はもう何も考えられなくなっていた。ズボンに差し込んでいた拳銃を引き抜いて、音を立てるのも構わずズカズカとプールサイドの二人へと近づいていく。その音に気づいた二人が振り返り、継父が立ち上がって、その顔が、暗がりの中に浮かび上がった京介の顔を見たその目が驚愕に歪むのをハッキリと見た瞬間、京介はその眉間に銃弾を叩き込んでいた。発砲音の後に鮮血が飛び散り、趣味の悪いブーメランパンツを履いた小太りの肉体がガウンをはためかせながらプールへと落下する。重い水音と共に母の甲高い悲鳴が響き渡り、飛び上がった水飛沫が京介の足元に跳ねていく。
「ケ、ケイス……? ど、どうしてここに? 貴方は死んだはずじゃあ------」
「俺をその名前で呼ぶな!!!」
困惑した様子の母を怒鳴りつけ、京介は母に銃口を向ける。その背中越しに見える家屋の中で、誰かがこの騒動に気づいた様子は無かった。京介は恐怖する母を前に一歩踏み出し、喰いしばっていた歯を無理矢理開いて言葉を紡いだ。
「母さん、父さんは今日死んだよ。ナリタで、俺達を逃がす為に!」
「な、何を逃がすの? そんな事、今更言われたって……。それにどうして貴方が知っているのよ! 大体貴方は裁判抜きの極刑だったって話じゃあ無かったの!? あの時私が受け取った骨は誰のものなの!? 折角大金を出して引き受けたって言うのに……」
「アンタの大好きなブリタニアってのは軍が腐ってるからよぉ、そっから更に売っ飛ばされて色々あったのさ。……今じゃあ黒の騎士団でKMFに乗ってるんだぜ、俺」
「黒の騎士団……そう、結局貴方はあの人の息子ってことね! 噛みつく事しか知らない野蛮人! どうして今更私達の前に現れたの!? あの人も殺してしまって、そんなに自分の好きに生きていきたいの!? だったら好きにして頂戴! 二度と私の前に------」
パンッという乾いた銃声と共に、京介は母の眉間に銃弾を叩き込んだ。何の躊躇いも無かった。鈍い音と共に母の頭がプールサイドに跳ね、眉間に空いた両穴から鮮血が散り、鉄の臭いが塩素の香りと混じって異臭となる。肉の塊となった母の姿を見下ろして、張り裂けそうになる心臓に苦しみながら京介は叫んだ。
「余りにも身勝手じゃないか!!! アンタらは自分の都合だけで俺達を好き放題に言って、上から見下して……馬鹿にして! だったら何で父さんと結婚したんだ、最初からブリタニアで好きに生きていれば良かったんだよアンタは! 掌返して寄生する事しか出来ない阿婆擦れだったのなら、異人の血なんて欲しがるな!」
眉間に穴を開けて目を見開いた母だったものに叫びながら、京介は傍にあったテーブルの上のウォッカの瓶を勢いのままに取り上げた。封の空いているそれを一気に仰ぎ飲んで、そのままベンチに倒れるように寝転がる。そして震える手でポケットからレッドアップルを取り出して、一本を勢いのままに吸い切った。そこからの行動は完全に狂気の沙汰だった。テーブルの上にあった酒瓶を全てプールサイドに撒き散らし、特に母の遺体には念入りに振り掛ける。そして少しだけ火の残った煙草を遠くから投げ捨てると、プールサイドを中心に一気に燃え上がった。京介はその燃え上がる炎の中で母の遺体が焼けていく臭いを鼻腔に嗅いでから、その場を逃げ去るのだった。
一方黒の騎士団の拠点では、姿を消して数日が経った京介について様々な噂が飛び交っていた。その殆どは新入り達の間で臆病風に吹かれて逃げたというのが主流だった。幹部達はゼロからこの件について団員に話すことを固く禁じられており、更にゼロを含めた幹部がキョウトからの呼び出しに応え一時不在の状況があったこともあって、それが一層新入り達の陰口に拍車を掛ける形となってしまっていた。しかし、その新人達の間でも真っ向から反論する者も居た。
「はぁ……はぁ、次に浦城隊長の事悪く言ってるの見たらぶっ殺すからね! アンタ達覚悟しときな、仲間だって容赦しないんだから!」
自分より大柄な男の前歯に肘を打ち込んで叩き折ってから、永瀬はそう吐き捨てる。隣に並ぶ竜胆共々肩で大きく息をして、足元に転がって呻いている仲間達を見下ろしていた。その透き通るような白い肌の頬には、誰かの反撃を受けたのか大きな青あざが浮かんでいる。
「けっ、けど実際浦城さんが居なくなったのは事実だろう……!? 帰って来てすぐのことだし、それにナリタ山を地図から消しちまった日本解放戦線の将校が父親だった話じゃねえか! 怖くなって逃げ出しちまったって思われても仕方ねえよ!」
「まだ言うかァ!」
床に倒れている団員の言葉に永瀬が足を上げて踏みつけようとするも、それを背後から肩を掴んで止める者が居た。件の存在、浦城京介だった。ボロボロのジャケットを肩から掛け、感情の欠落したような表情を浮かべて永瀬の顔を見つめている。煙草と僅かながらのアルコールの臭いを漂わせ、その上から男を主張する汗の匂いが永瀬の女の部分を打つ。
「浦城隊長……っ、ご無事で!」
「隊長は止せよ。ゼロは居るか?」
「ここに居るぞ」
しゃがれた声で問い掛ける京介の背後から、エコーがかった声が響く。その場に居た全員の視線が向けば、そこにはゼロが立っていた。その周囲には、扇や軌道を始めとする幹部達も揃っている。
「よく戻ってきた、浦城。極秘任務の遂行、ご苦労だった」
ゼロの言葉に、新入り達が一斉に押し黙る。極秘任務、当事者であるゼロと京介以外には分かりようがない、真っ赤な嘘だ。だがそれをそうと感じさせる間もなく、ゼロは言葉を続ける。
「報告は私の部屋で受ける、先に行って待っていろ。……諸君、我々黒の騎士団は常にブリタニアに対し常に策を張り巡らしている。その内容によっては仲間にでさえ詳細を明かすことは出来ない。時にはその行動から謂れの無い中傷を受けることもあるだろう、今回の諸君らのように------」
ゼロが新入り達に向けている言葉を背後に受けながら、京介はトレーラーに向かう途中で軌道達と顔を合わせた。怒りや困惑と言った表情様々だったが、代表としてか、軌道がズイと一歩前に出る。
「大規模作戦の直後に、お前一人で極秘任務だって?」
「……ああ」
「無事に戻って来てくれて嬉しいけどよぉ……もうこれからはダンマリは無しだぜ、京介。俺達の間で、嘘は無しだ」
「分かってる、すまない」
「なら良い。……行きなよ」
トンッと肩を小突かれてから、京介は軌道達の間を通ってトレーラーへと乗り込んだ。途中カレンとも視線が合ったが、特に言葉を交わすようなことは無かった。トレーラーにあるゼロの部屋、そこで暫くの間呆けていてから、彼奴はやって来た。
「今回の件については団員の間にも不満はあるだろうが、説得はしておいた。だが今後無許可での離脱は許すことは出来ない、契約違反だからな」
部屋に入ってくるなりゼロはそう言葉を掛けて、自らの椅子に座る。そして足を組んで息を吐くと、そのまま京介に言葉を続ける。
「それで、この数日何をしていた?」
「母親を、殺してきた」
「何?」
聞き返すゼロの仮面を真正面から見据えて、京介は返す。その顔には、何の感情も浮かんではいなかった。ゼロの仮面に、虚無な男の表情が写っている。
「母親と継父を殺して、母の遺体を焼いてきたんだ。薄汚れて、穢れていたから……焼いて綺麗にしたんだ。連中は父さんを侮辱して、姉さんの尊厳を踏み躙ったんだよゼロ。あの世に送るには、汚れ過ぎている」
「……だから殺したのか?」
「肉親だからって殺しちゃいけないってことはあるか? ゼロがどうかは知らないが、殺してやりたい程憎い肉親が居るってのは、悪いことか?」
「いや、私にもその気持ちは分かる、痛いほどな。……今日はもう休め、シャワーも浴びろ」
「ああ……すまない」
そう言って部屋を出ようとした京介を、ゼロは再び呼び止める。そうして京介が振り返ると、ゼロはただ、御父上の事は残念だったと言葉を掛けるのだった。
夜中、京介はコンテナの積まれた隅で一人煙草をふかしていた。ゼロの話で自分を奇異の目で見る団員は居なくなり、軌道達も思うところはあっただろうが特に言及はして来ず、皆彼を一人にしてくれていた。母と継父を殺した事がニュースになっていた事は、トレーラーのテレビモニターでも確認出来た。皆そのニュースに特に反応することは無かったが、軌道達や扇と言った一部の連中は何かを察している様子を見せていた。それに対して京介は有難いと思うと同時に、いっそのこと怒りに任せて制裁してもらった方が楽だったのにとも思っていた。
「ねえ」
と、ふいに声を掛けられて振り返るとそこにはカレンが居た。何処か暗い顔をして、京介の顔を覗き込んでいる。薄暗闇に浮かぶ青い瞳が、ジッとこちらを見つめてきていた。
「ちょっと良い?」
「……ああ」
吸い殻を足元の空き缶に入れて、京介は胡坐を組んで床に座り直す。カレンはその隣に両膝を立てて座ると、その上で腕を組んで口元を伏せた。暫くの間沈黙が流れていたが、やがてカレンの方が小さく口を開く。
「ナリタの時はごめんなさい、私……しつこかったでしょう?」
言われて、京介はナリタからの帰りに彼女の言葉を拒絶したことを思い出す。
「いや、俺に余裕が無かったんだよ。紅月……カレンは悪くない」
「それでも、お父さんを亡くしたばかりって言うのに……。私ね、紅蓮でナリタを崩したことで友達のお父さんを殺し掛けていたの」
「え?」
「山の麓で仕事をしていたらしくて、避難が間に合わずに土石流に巻き込まれたって聞いたの。奇跡的に怪我で済んだけれど、私……もしかしたら取り返しのつかないことをしていたかもしれない」
震える声でそう告げた後、カレンは京介に振り向いてその顔を覗き込んだ。青い瞳が揺らいでいて、それはまるで波紋の広がる水面のようだった。
「けど、これが私の選んだ道だって言い聞かせて、正しいんだって信じて、このまま進むしかないんだって! だからっ、だから……」
青い目からポロポロと涙を零すカレンの顔を見て、京介は右手をその顔に沿わせて人差し指で涙を拭った。何とも言えない感覚が背筋を駆け上がり、京介は自分の欲望が隆起するのをズボン越しに感じる。自分の煙草の臭いと何度も嗅いだカレンの甘い女の匂いが鼻腔の中で混じり合って、目の前の少女を滅茶苦茶にしたいという肉欲を下半身に抱えながら、京介はまたカレンの唇を奪った。今度はすぐには離さず、両手でその柔らかい顔を包みながらグッと引き寄せる。両肩に置かれたカレンの手に一瞬力が込められて引き離そうとしたものの、結局彼女はその腕を京介の首に回して受け入れた。
一度唇を離して目を合わし、また何も言わずに身体を重ねて倒れ込んだ。固い床に身体をぶつけながら、互いを滅茶苦茶に求め合った。冷たい床で熱を持った身体を冷やしながら、京介もカレンも自分の受けた心の傷を曝け出し、舐め合って、失ったものを他人の膿で補完し合う。姉の事、兄の事、両親の事、仲間の事、思いの丈を舌先の動きで曝け出し、何も言わず、ただ受け止めて、相手の唾液を飲み込んだ。長く醜く、抑えの効かない感情に身を任せた道化芝居のような青年同士のペッティングが終わった後、カレンは息の上がった身体のまま倒れ込むように眠りに落ち、京介はその身体に自分のジャケットを掛けて少し離れたところでレッドアップルを吸っていた。
工場内を駆け抜ける夜風が汗で身体に張り付いたTシャツを冷やし、喉は煙草の煙で煤けたように熱を放っている。心臓はまだ高鳴っているが、頭の中はこれまで以上に冷静だった。母殺しの事を、京介はカレンに口にしなかった。言うのが怖かったのか、その必要も無いと思っていたのか、今となっては自分自身でさえ分からない。ただあの柔らかい肢体に触れられるのが嬉しくて、互いの気持ちの良かった頃の記憶と実際の行為を置換して、未熟にもそれで満足した。セックスをしようとまで気がはやらなかったのだ、最中には散々自己の硬さと熱量をアピールしていたソレも、今では落ち着いている。
(父さん、俺……馬鹿な息子かもしれない。現状は自業自得で、明日には死ぬかもしれないのに、こんな事をやってしまっている)
ナリタで聞いた父の最期の言葉がフラッシュバックする。父と共に抵抗運動に身を投げた姉・浦城夏希、父の口ぶりを考えれば、あの時点で唯一の肉親はまだ死んでいないように思えた。
(せめて姉さんだけには生きている内に会いたいよ……。母さんも殺しちまったんだ、知られていても誰にも言えない。言える訳無い……)
ジーンズ越しの内腿に落ちた灰の塊をジッと見つめながら、京介は何度目かも分からぬ紫煙を吐く。最後の見た姉の姿は、ボロボロでアイロンも糊付けも出来ていない陸軍の制服に身を包みながら、短く茶色い髪を下ろしたものだった。当時18歳という若輩ながら前線に立っては負傷して帰還し、その度に家に何てことの無い内容の手紙を寄越していたのを覚えている。日本の敗北が決定した日、父と共に最後の別れをして、その華奢な手で頭を撫でて貰ったのが最後だ。軍に入る前から豪快で、京介が喧嘩をしていれば相手が小学生であろうと喧嘩相手ごと全員をぶちのめして説教を垂れ、戦争が始まった直後にはブリタニア贔屓だった教師を叩きのめし、それで停学になればそのまま退学届けを校長の禿げ頭にメンコのように叩きつけて軍に入隊するような人だった。今にして思えば、周囲の人間からしてみれば碌な姉弟では無かったと思う。ただそんな碌でもない姉でも、碌でもない弟は懐かしさを感じてその存在を欲していた。あの時のように、何時かの時のように。
「誰か……俺を叱ってくれ……」
内腿の上に落ちていた灰の塊が、上から落ちてきた水滴のぶつかった衝撃で崩れ、生地に僅かに溶け込んでいく。それが汗なのか涙なのか、それを確かめることが出来る人物は、その場には居なかった。京介が眠り扱けるカレンの身体をトレーラーに運んだのは、それから一時間程経過してからだった。