よかったらお付き合いください。
プロローグ
2022年某日ーー
「……ありません」
「っ! ありがとう、ございましたっ!」
幽玄の間において、本因坊戦第七局が執り行われていた。
三勝三敗で迎えた本局、投了の声をあげたのは緒方精次本因坊。いや、元本因坊というべきか。悔しさを顔に滲ませ、頭を下げる。
そして、たった今本因坊の座を奪取した挑戦者ーー
「うっ……ぐっ……!」
進藤ヒカルは涙をこらえきれず、嗚咽を洩らした。
(やっと。……やっとだ佐為。お前の、お前と虎次郎のタイトルを。オレはついに取ったんだ……。随分待たせちまったけどな)
心の中で、己の碁の師匠にそう報告をする。
そしてその瞬間、二人を眩いフラッシュが襲った。
「進藤先生、おめでとうございます」
「緒方先生、今の一局を振り返られてどうですか?」
新本因坊の誕生に報道陣は沸き、各々言葉を口にする。
「進藤プロに粘られ、押し切られましたね。特に中盤ではーー」
緒方も悔しさを浮かべながら、先の一局の感想を述べ始めた。それに合わせて、ヒカルと緒方で碁石を並べ始める。
戦いが始まったところからお互いの好手、妙手、勝負手、最後のヨセまで。関係者を交えて検討をする。
異様な高揚感に包まれながら検討をしているヒカルだったが、実はある一つのことが頭の中を占めていた。
(佐為にはもう報告した。だから、早く。今はただ、早くあかりに会って報告したい)
「ただいま、あかりっ!」
「おかえりなさい、あなたっ!」
玄関の扉を開け、その場で抱き合いクルクルと回る進藤ヒカル35歳と藤崎あかり36歳。完全にバカップルである。
ヒカルとあかりは、お互いが20歳のときに籍を入れた。幼稚園からの幼なじみで、互いに憎からず想っていたこともある。そんなわけで、あかりが高校を卒業するときにヒカルが告白し、そこから2年の交際を経てゴールインしたのだった。
ちなみに『あかりが高校生のときに囲碁部に入り、そこにヒカルが何度も教えに行っていたこと』や『ヒカルが大一番の手合いの前に、緊張をほぐすためにあかりを家に誘って碁を打っていたこと』もあり、親含め周囲からは公認バカップルとなっていた。知らぬは本人たちばかりである。
「おめでとう、あなた。ついにやったのね」
「あぁ! ありがとう、あかりっ!」
そう言って、あかりを強く抱きしめるヒカル。
結婚して長い年月を共にしたあかりには、本因坊にかける想い、そして今は亡き彼のことを話していた。
「佐為さんには報告できた?」
「……できたよ。きっとどこかで見守ってくれてると思うしな」
小学六年生の頃から始まった、嘘のような不思議な話。変に思われてもおかしくないヒカルの独白を、あかりは微笑みながら聞きーー
「私は信じるよ。そして感謝してる。あなたに佐為さんが碁を教えたから私も碁に興味を持つようになった。そして、あなたとーーヒカルと今もこうしていられるのも、佐為さんのおかげだと思うから」
照れながらそう語るあかりを見て、ヒカルはあかりへの愛情をさらに深めたのだった。
話は戻り現在ーー。
ヒカルとあかりは二人で小さな祝勝会を開いた。普段はあまり飲まないお酒を飲み、あかりの作った料理に舌鼓を打つ。
そして日が変わりそうな時間に二人でベッドに入った。結婚当時から変わらず、手を繋いだままである。普段飲まないお酒を飲んだあかりは、すでに眠りに就いているようだった。
そんなあかりを愛おしく想いながら、ヒカルも目を瞑る。
(オレは今、幸せだ。愛している人がそばにいてくれて。約束のタイトルを手に入れて)
意識が遠くなりながら、いろいろな想いが溢れてくる。そしてその中に、ほんの少しだけ、小さな願いが。
(でも、できればーー)
「佐為……」
ヒカルのその言葉は、誰に聞かれることもなく、届くこともなかった……はずだった。
ーー物語はここから始まる。
ここまでプロローグです。
……文章書ける人本当にすごいと思います。