16箇所で一斉に闘いの火蓋が切られた若獅子戦一回戦。
始まる前に冴木から気になる情報を手に入れた緒方であるが、まずは同じ門下の芦原の碁を見ていた。相手はツインテールの少女ーーあかりである。
(この少女、なかなか打てるな。相手が芦原でなければ、勝ち進むこともできただろうに)
緒方が碁から感じたあかりの印象は、他のプロの低段者くらいの力はありそうというものである。今年のプロ試験では上がってくるかもしれないな、と思いながら次の対局へ目を移す。
(……これも院生側が善戦している。というより押してるか?)
院生である黒髪の少年ーー伊角の対局を見て、緒方は感心した。
(今年はアキラくんがプロ試験を受けると言っていた。正直な話、アキラくんの相手になる者はいないと思っていたが……。なるほど、院生にもおもしろそうなヤツらがいるみたいだな)
その後も緒方は他の対局をチラッと見ながら、もう一つの目的の場所へと移動していった。進藤ヒカルはわからないが、倉田ならどこにいるかわかる。というか、一目瞭然であった。
一番奥の席に、例の巨体の背中が見えた。ついでに院生だろうか、少年少女達がギャラリーとして集まっている。その中には、週刊碁の記者である天野の姿もあった。
(天野さんが対局を?)
不審に思いながら、緒方は近づく。そして近づくと、天野が食い入るように対局を見ているのがわかった。
(いったい何が……?)
釣られるように、緒方も盤面を見る。
そして絶句した。絶句するしかなかった。
対局開始前。
勉強させてくれと目の前の少年に言われた倉田は、一瞬で機嫌が良くなった。厳しい手を打つというのも、倉田からしたらサービスの意味合いが強い。しっかり勉強させてやるということなのだから。
さて。そんな倉田であるが、ヒカルの挨拶と打たれた第一手を見てそんな甘い考えを吹き飛ばした。自分の勝負勘が警鐘を鳴らしている。コイツはヤバいヤツだと。
倉田は碁を打つとき、何よりも勝負勘というものを大切にしている。勝負所、攻め所。大事な場面での決め手はそれに従って打ち、そしてこれだけの成績を残してきたのだ。
(……進藤ヒカル、ね)
運営からもらったトーナメント表を見て、自分の前に座る少年の名前を確認する。そして、自分の頭の中の要注意人物のリストにその名前を書き入れた。
(全力で打たせてもらう!)
倉田は碁笥から白石を摘まむと、盤面へ打ち付けた。
話は戻り、緒方がヒカルと倉田の碁を覗いた場面。
(こんなことがっ……!)
緒方は局面を見て絶句した。
緒方は倉田の力を認めている。まだ自分には及ばないが、若手棋士の中なら実力はトップであろう。自分を追いかけてくる者の中では、一番怖い存在であった。
そんな倉田が。盤面の白が。
(白がこんな一方的に攻められるとはっ……!)
苦しそうに打つ倉田に対して、前髪が特徴的な少年はノータイムで、だが的確に打ち込んでいる。
緒方も、対局者の二人も、周りのギャラリーもわかっている。中央の白には、もう生きがない。数手後には倉田から投了の言葉がかかるだろう。
(これが……。これが進藤ヒカル……。これで院生とは、いったい何の冗談なんだ?)
緒方から乾いた笑いが溢れる。
アキラを間近で見てきて、囲碁界に新しい波が来ることはなんとなく予感はしていた。それがまさか、自分達を簡単に飲み込むかもしれないほどの大きな波とは予測していなかったが。
「……ありません」
「ありがとうございました」
倉田の投了の言葉は、静かな会場によく響いた。その声を聞き、他で対局中のプロ達の動きが止まる。
15人のプロ達の視線が、一斉に同じ方向を向いた。そして、多くのプロ達が驚きで目を見開く。それはそうであろう。倉田は今回参加のプロの中では、一番の実力者である。そんな彼が負け、一回戦で姿を消したのだから。心中穏やかではいられない。動揺を隠せない。
逆に院生側は落ち着いたものだった。ヒカルならそれくらいやるかもしれないという予感があった。そして彼が倉田に勝ったとわかり、自分もそれに続いてやると静かに闘志を燃やす。やる気を漲らせる。
それが、その後の対局に影響した。
その日。
一回戦を突破した院生は、16名中8名。
これは、若獅子戦が始まって以来の快挙であった。