「ヒカル、入るわよ?」
部屋にノックの音が響き、次いで美津子の声が部屋の外から聞こえた。ヒカルの返事を待たず、ドアが開かれる。
「学校には連絡しておいたからね。それと、リンゴ剥いてきたから食べなさい。まぁ、食欲はないかもしれないけどね」
「……。ありがと」
近くの机の上に、リンゴの載った皿とお茶の入ったコップを置く美津子。ヒカルはベッドの上で微動だにせず、お礼を口にした。
そんなヒカルの様子を特に気にすることもなく、世間話をするように美津子は言葉を続ける。
「それと、あかりちゃんーー」
「っ!?」
先ほどまで考えていた少女の名前を聞き、ビクッとなるヒカル。
幸いにも、その様子を美津子に見られることはなかった。
「ーーのお母さんにも、今日はヒカルが一緒に学校に行けないって伝えておいたわよ」
「……。そっか、ありがと」
美津子の言葉に、そう返すヒカル。
そういえばこの時期はあかりと登校してたんだっけ、とヒカルは思い出した。明日から学校に行くなら、この時代のあかりと一緒にということになるだろう。
(かたや、幼馴染みと結婚した記憶のある、中身35歳のおっさん小学生。かたや、そんな記憶が全くない純真な小学生。……うまく振る舞える自信ねぇな。だいたい、小学生の頃って何の話してたっけ?)
「でもね……」
複雑な心境で考え事をしていたヒカルだったがーー
「あかりちゃんも、今日学校休むそうなのよ」
「……えっ?」
美津子の言葉に、ヒカルの思考が止まる。
先ほど電話で聞いた内容を、美津子は続けて話した。
「なんでも体調が良くないんですって。昨日までは普通だったそうなんだけれど、急に。あかりちゃんのお母さんも心配してたわ。熱もないそうなのだけど。……ヒカルの症状と似てるのかもしれないわね」
美津子は何ともなしにしゃべっているが、その一方でヒカルは自分の動悸が再び速くなっていくのを感じた。
(あかりも休み? オレと同じ、このタイミングで? 熱とかじゃなく? ……。……いや。いやいや。そんな都合のいい展開、あるわけないだろ普通。そんな……)
「ねぇ、母さん。その……あかりのお母さん、他に何かあかりのこと言ってなかった?」
急にベッドから起き上がって尋ねてくるヒカルに、美津子は一瞬きょとんとした。それから少し考えるようにしーー
「えっと。学校を休むって言い出す前はかなり慌ててたみたいで、落ち着かない様子だったみたい。あかりちゃんらしくないというか。それと……」
言おうか言わまいか迷っている様子の美津子だったが、ヒカルの真剣な表情を見て先を続けた。
「その、かなり泣いたみたいなの。理由はわからないけど、あなたの名前を呼びながら。……ねぇ、ヒカル。何か心当たりないの?」
前の世界で、あかりが泣いている姿をヒカルはほとんど見たことがなかった。結婚する前もした後も、辛いこと悲しいことがあっても。気丈に振る舞い、笑顔で励ましてくれる女性だった。
そんな、自分の愛した女性が泣いたのだという。
「ーーねぇ、母さん」
自分と同じように、過去に来たあかりかもしれない。そんなことはなく、何の記憶もないこの世界のあかりかもしれない。そうかもしれないという希望も、違うかもしれないという恐怖もある。
けれどーー
「……ちょっと今から、出かけてきてもいい?」
今すぐあかりに会いに行く、という選択肢以外、ヒカルにはなかった。