夕食を食べ終え、ほっと一息つきたくなった俺は、旅館の庭の隅っこでタバコをふかしていた。
普段からよくタバコを吸う習慣があるわけではないが、何かやってられんことがあると咥えながらぼーっと地面の石とかを数えていたりする。
「いい感じになれとか……」
夕食時の婆ちゃんの言葉が頭をぐるぐるする。
女を見繕ってやる、なんて手紙に書いてあったが、まさか自分の男友達を女にしてくっつけさせようだなんて、そんなこと普通するかよ。というかそんなことできるのがおかしいんだよ。
できてもやるなよ! できないでくれよ!
吸い終わり、火種が消えきったタバコを無限にトントンしながら、ヌ゛ーヌ゛ーと唸り声をあげる。
世の中理不尽は多いと聞くが、こんなことがまかり通るだなんて俺は許容したくない。
こんなことってないよ! たぶんこれは、口からも漏れ出ていたと思う。
「悩めるキョウくんに問題です。私は誰でしょう」
怒りが有頂天になり、しゃがみ込んで石を積み重ねていると、急に視界が真っ暗になり、目元が柔らかい感覚で覆われた。
ほんのり香る石鹸のようなコロンの香りが、俺に触れる人肌から感じられる気がした。
「…………樹」
「おおさすがキョウくん。幼なじみのことはちゃんとわかるんですね」
振りほどきながら斜め後ろに首を向けると、緑帯びた黒く綺麗に流れる髪を片方耳にかける仕草をしながら、少しいたずらっぽく微笑んでいる樹の姿があった。
「お前がわかりやすいだけだ。だーれだなんてやるなら、口調くらい変えろ」
「ああ、それは盲点でしたね」
片手を顎の下にあてながらクスクス笑っている美女樹。
そんな仕草は前から当たり前に見ていたはずなのに、女になった樹のそれは、とても色っぽく見えてしまった。
何か後ろめたい気分になり、さっと庭の池に目を移す。
「……キョウくん。たぶん今キョウくんはとても混乱していますよね。私達が原因だというのもわかります」
「そーだな」
「突然周りが変わってしまって、辛くなっちゃっているかもしれません」
「…………ああ」
「でも、うまくは言えないですけど、私達は私達ですから。今まで一緒に笑ったことや喧嘩したこと、そういうことがなくなったわけじゃない。今までもこれからも、そうしていきたいです」
優しい声色で、さらっとそういうことを言う。逸した目線が、自然と樹の方に戻る。優しげな眼差しの中に、真剣な思いが込められている気がした。
「やっと目を合わせてくれましたね。キョウくん、この島に来てから誰とも目を合わせようとしていませんでしたから、ちょっとだけ寂しかったんですよ?」
樹は眼鏡のフレームを正しながら、こちらを少し覗き込むような素振りを見せる。
こいつは昔からこうだった。押しつけがましくならないように気をつけながら、相手を気遣いながら、自分の想いを率直に伝えようとしてくれる。
人のことをよく見て考えてくれる。
俺は樹のそんなところを、結構気に入っていた。
「悪い。態度、悪かったかもしれないな。なんか、お前がお前だって、今やっと納得できたかもしれない」
「ふふっ、いいんですよ。私達の仲じゃないですか。そういえばキョウくん、昔の約束を覚えていますか?」
「約束?」
唐突な質問を受け、頭の引き出しを色々開け締めしてみたが、ピンとくるものは特に出てこなかった。
虫を投げない? 傘で殴らない? 樹が作った泥団子を壊さない? ショートケーキのイチゴを奪わない? 屁でラップを奏でない?
いや、なんかそういうのじゃなさそう。
「まあ、忘れてますよね。それなら、これは私からの宿題です。この夏の間に頑張って思い出してみてください」
遠慮のない、屈託のない笑顔で言い放つ。
「夏の終りに、答え合わせしましょうね」
樹はそう言い残すと、手をひらひらさせながら建物の中に消えていった。
その後ろ姿を見送った俺は、先程まで抱えていた怒りなどの行き場のない気持ちが、風に流されたかのように薄れているのを実感する。
この離島から見える星空がとても綺麗で、こんな空の下にいるのは気持ちがいいんだということに、今気付いた。