なんで俺だけTSしないんだよ!   作:yoshida

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8話:鍋の寄せ鍋、鍋敷き鍋

 窓から入る風が俺の前髪を揺らし、その感触で目が覚めた。

 寝たままの姿勢で壁の時計に目をやると、午後一時を指していた。思いの外長く二度寝してしまったようだ。

 若干寝ぼけ頭のまま上体を起き上がらせようとすると、胸から左肩、左腕にかけて柔らかな重みがあることに気が付いた。

 

 

「をッ」

 

 

 視線を向けるとそこには、青みを帯びた黒髪の、子猫のようなかわいらしさがある少女がいた。俺の胸の上に頭を乗せてすやすやと寝ている。

 一瞬誰だなんだこのシチュエーションは!? と思ってしまったが、そうだった、こいつはTSした憂だった。まだ脳がちゃんと慣れていないせいでいちいち混乱してしまう。

 

 そういえば憂は、俺を気遣って側にいてくれたんだったな。姿が違うせいで驚いてしまったが、寝顔の表情は男の時とさほど変わらない気がする。

 それにしてもとても気持ち良さそうに寝ている……そろそろ起き上がりたいが、起こすのも悪い気がしてくる。

 

 どうしようか悩みながら、しばらく身動きせずにそのままの状態で寝転んでいると、俺のお腹がグゥ~と大きな音を立ててしまった。

 

 

「ん……おはよう」

 

「もう昼の一時過ぎだぞ、おそよう」

 

 

 安らかな眠りを、俺のお腹の音が妨害してしまったようだ。少々恥ずかしいが、そろそろ起きなければとは思っていたのでまあ結果オーライとしよう。

 

 

「結構寝ちゃったんだね。先輩、体は大丈夫?」

 

「おう、もうすっかり大丈夫そうだ。心配かけたな」

 

「お腹も元気いっぱいだったね」

 

「めちゃくちゃお腹空いてるからなぁ!」

 

「わぁっ、ちょっ起きるから撫で回すのやめて」

 

 

 しっかりお腹の音だったことを認識されていたことへの恥じらいを誤魔化すように、憂の髪をこれでもかとわしゃわしゃにしてやった。憂は嫌がりながらも笑っていて、口元がゆるんで表情が綻んでいる。こいつがリラックスできている時の顔だ。

 そのままふたりでけらけら笑いながら起き上がり、布団を畳んだあとに食堂へ向かうことにした。

 

 

「よし、飯だ飯! 腹減った~」

 

「よくお腹空くね。ボク、昨日の夕食で結構いっぱいいっぱいだったから、まだそんなにお腹空いてないや」

 

「たしかに昨日のアレは異常なほど多かったな……でも色々あったからか、不思議とすっかり腹ペコだわ。今ならなんでも食えそう」

 

「砂田先輩みたいだね」

 

「悔しいが、あいつの大食いにはまだ負けるけどな。いつか追いついてやる」

 

「競うところなのそれ……?」

 

 

 食堂へ向かいながら他愛ない話をしていると、食堂の方から色々なものが混ざった臭いが漂ってくる。

 空きっ腹に刺さる、食欲をそそる香りなのだが、何の料理なのかはわからないほど複雑な香りだ。

 食堂の暖簾をくぐると、その正体がわかった。

 

 

「起きたか、丁度いい。そろそろ呼びに行こうかと思っていたところだった」

 

「うわぁ……」

 

「えっと大河さんや?? この大量の鍋は何事なのでしょうか」

 

 

 食堂には古風なエプロンとミトンを装着した大河がいて、大きな土鍋を抱えていた。前髪をオールバックにし、赤みを帯びた黒髪をポニーテールにしてまとめていて、美人陶芸家か何かかな? と思ってしまった。

 その奥のテーブルの上には、これでもかと言うほどの量の土鍋が並んでいる。

 

 もしかしたら土鍋の工房に迷い込んだのかもしれない。

 

 

「ああ、これはスタンダードに水炊きだな。こっちはキムチ。もつ鍋もあるぞ。あとはすき焼き鍋とカニ鍋と……」

 

「いやメニューを聞いてるわけではなくてですね」

 

「む。なんだ、足りなかったか? これでも遠慮した方なんだがな。これは調理場を使わせてもらって中居さん達と一緒に用意したものだ。お前が早く元気になるようにな……」

 

「お? おう、そっか〜〜え〜っと、すまんなありがとうな。でもちょっとこの量は多すぎるんじゃないかなぁって……いやそんな悲しそうな顔しないでくれ、俺腹ペコだったから嬉しいなぁ!!」

 

「うそでしょ、東先輩。ちょろすぎだよ」

 

 

 諦めろ憂、お前も協力するんだよ。

 多すぎると言った瞬間に一瞬でわずかにしょんぼりした顔になった大河を見て、食べ切れないなんて言えないと思ってしまった。

 情けないが、あまり感情を表に出さない大河の悲しげな顔は心にくるものがある。これは女体化していようがしていなかろうが関係なくだ。

 

 

「砂田先輩はりきりすぎ、でしょ。あと、暑いのに何でこんな鍋だらけ……」

 

「しっ、憂。そんな呆れた反応をするな。大河の優しさが爆発しただけだ。元はと言えば俺が倒れたりしたのが悪いんだ、責めるなら俺にしろ……!」

 

「ほんと先輩って……ボクだけじゃなくて、みんなに甘いんだから……。そんなふうにしちゃ、砂田先輩のためにもならないと思うけどな」

 

 

 う、それはそうなんだが。

 嬉しいなぁ!! と言ってしまった瞬間にほのかに顔色が明るくなる大河の様子を見たら、尚更あとに引けなくなってしまった。

 守りたいこの笑顔。

 

 

「そこの座敷席に座っていてくれ。鍋はそちらに運ぶ」

 

「俺も手伝うよ」

 

「いや、お前はじっとしていろ。仮にも病み上がりだろう。憂、京一を座らせておけ」

 

「はぁい」

 

 

 やる気なさげな憂に腕を引っ張られ、お座敷席の中ほどに座らせられる。

 俺が動かないようにか、憂は腕を掴んだまま隣に座りこんだ。

 なんだか過剰に気を使われている気がしてちょっと落ち着かない。

 

 

「待たせたな。鍋の寄せ鍋だ」

 

「鍋の寄せ鍋ってなんだよ……って、思ったより小さい?」

 

 

 てっきり目の前にドーンと大きな鍋を並べられるかと思ったら、一人前の小さめな鍋を五個並べられただけだった。

 

 

「いきなりだと体に響くかもしれないからな。少しずつ食べろ」

 

「大河……!」

 

「いやどう考えてもそれでも多いから……」

 

 

 俺は大河の気遣いに感動した。憂が何かぼそぼそ言っているが、まあ気にしないで大丈夫だろう。

 それに、これくらいならいつも大河と学校の食堂で競って食べている量からしたらかなり少ない方だ。

 大河ならおやつ感覚で食べる量。俺も負けてられない。

 

 まずは手前にある鍋の蓋を開ける。ぶわっと蒸気があがり、昆布や鰹のいい香りが湧き上がる。

 御椀と匙を手に取り、白菜と鶏肉、にんじんなどの具を汁と一緒に掬う。

 

 

「ありがたく、いただきます……!」

 

 

 フーフーと息を吹きかけ少し冷ましたのち、白菜を口に入れる。……美味い!

 

 

「昆布と鰹の合わせ出汁が最高に優しくて、空きっ腹に沁みる……! 旨味が染み込んだ白菜やネギがとろけて、いくらでも食べられそうだ!」

 

「! そうか、よかった。どんどん食え。まだまだたくさんあるぞ。憂もどうだ」

 

「ボクは、この一個でいいかな……キムチ鍋だけにしとく……。というか、宮間先輩と陽はどこいったの? みんなで食べればいいのに」

 

「ああ、ふたりは先に昼食を済ませていた。何やら用があるとかでどこかに行ったぞ」

 

「え〜……逃げたのかな……。まあでも、味は結構、すごく、美味しい……」

 

 

 俺が鍋を掻っ込んでいると、引いていた憂もやっと鍋に手を付けはじめた。

 こわごわと食べ始めたがかなり美味しかったようで、だんだん食いつきがよくなっていった。心なしか尻尾がピンと立っているご機嫌な猫のように見えてきたな。

 キムチ鍋の酸っぱめの香りが横から漂ってきて、俺もキムチ鍋の蓋を開けて口に運ぶ。

 

 

「魚介の出汁が効いててしっかりとしたコクがある……! 辛さの中にも食材の甘みがしっかりあって、これはご飯が進むぜ……!」

 

 

 次はもつ鍋。

 

 

「もつのこってりと醤油がめちゃくちゃうまい! スタミナついちゃう〜!」

 

 

 次はすき焼き鍋。

 

 

「肉うめぇ~!! 肉!!」

 

 

 次はカニ鍋。

 

 

「カニは昨日これでもかってくらい食ったけどうめぇ~〜〜!!」 

 

 

 カニ鍋を食べ終わり、ふと横を見るといつの間にか憂がいなくなっていた。

 

 

「ふぅ〜食った食った。美味かったよごちそうさ……」

 

「京一、おかわりを持ってきたぞ」

 

「ま?」

 

 

 油断していた。そうだった。小さい鍋を食べ終わったら終わりな気がしてしまっていたが、向こうのテーブルには大きな鍋がたくさんあったのだった。

 あそこからよそっているのだから、まだあの大きな鍋にはたくさん残っているわけで……。

 

「憂はあとは先輩に任せますと去っていった。あいつは少食だから仕方ないな」

 

 少し残念そうな顔をした大河を見て、はっきりとごちそうさまとは言えなくなってしまった。あと、大河からこの程度で終わる男だと思われたくないというちっさいプライドが、ここで諦めることを許さなかった。

 

 鍋の寄せ鍋、二周目、いっきまーす!

 

 

 どのくらい時間が経っただろうか。

 途中からもう大食いチャレンジのわんこそばのような勢いで食べていた。一人前の鍋をゆうに三十人分くらいは食べたはずだ。

 さすがにもうギリギリだ。いや、正直に言うとギリギリというのは強がりが過ぎた。限界はとっくに突破している。意地になっていたが、そろそろ弱音を吐いてもいいのではないだろうか。

 

 

「そ、そろそろお腹いっぱいになってきちゃった? かも? な〜って……」

 

「む、そうか。ならばこの一杯で最後だな。残りは俺が食う」

 

 

 大河はそう言いながらおかわりの鍋を俺に差し出し、自分用に大きな鍋を持ってきて俺の前に座った。

 まだ小鍋一杯は食べねばならぬ……しかしこれで最後だ。頑張れる、頑張れるぞ俺。気合いを入れ直している俺を置き去りに、大河は大鍋をがっつきはじめた。

 

 ふと、勢いよく食べ始める大河を見て、そういえば、こいつは料理が好きではあるが、食べることがもっと好きで、今まで食べたいのを我慢していたのかということに気がついてしまった。

 

 

「あーーー!! そうだ。もっと早くに一緒に食べようって駄々を捏ねればよかったな!!」

 

「ん? お前のために作ったのだから、お前が堪能するのが先だろう?」

 

「いやさ、俺的には食事って人と一緒に食った方が美味いんだよ。鍋なら尚更だよな。だから、こうやってお前と顔つき合わせて鍋つついている今が、一番美味いかもしんない」

 

 

 ちょっと臭いことを言ったかも。照れくさくなって、誤魔化すように小鍋の中の紅葉型をしたにんじんをつつく。

 チラリと大河の反応を伺うと、食べる手を止め、少し驚いたような顔をしてこちらを見つめている。

 慌てて取り繕おうとしたが、大河がゆっくりと口を開け始めたので、言葉を待ってみることにした。

 

 

「……そうか、そうだ。そうだったかもしれない。俺も、お前と一緒に食べたかったことに……お前と一緒が、好きだと。今気付いた」

 

 

 数秒の沈黙の後に出てきたのは、なんとも天然らしい言葉だった。思わず笑ってしまう。

 

 

「なんだそれ、今気付いたのかよ」

 

「ああ、今だ。気付くのが遅かった」

 

 

 今日はずっと神経が少し張り詰めていたような様子だったが、一気に柔らかい空気に変わった。

 

 

「美味い。ああ、美味いな」

 

「美味いよそりゃ。中居さん達に手伝ってもらったとは言え、お前が作ったんだもん」

 

 

 心なしか喜んでいるような、明るい雰囲気になった大河を見ながら、俺も最後の鍋を食べ進める。

 憂もいる時に砂田を誘ってやればよかったとちょっと後悔したが、大河のこんなレアな反応をひとり占めしてしまえたのは、悪い気分ではないなと思ってしまった。

 

 なんだか微笑ましいような気分で眺めていて気付いたら、大きな鍋がみるみる空になっていて、横にどんどん重ねられていっていた。俺が食った分の三倍くらいあるぞ……?

 TSしたことにより、男の時より少しだけ小柄になったにも関わらず、どこにそんなに入っていくのか。

 ビジュアルだけを見ると長身のカッコいいお姉さんがたくさん食べてる様子、フードファイター界で超絶人気になりそうだな。ファンになってたかもなとか考えていたのに、なんかもうそろそろそんなことを考えられる余裕はなくなってきた。

 ものすごい吸引力で食べ物が吸い込まれていく錯覚が見えてしまうほどの光景だった。

 

 数分後。

 

 

「ふう。美味かった。お前のおかげだな」

 

 

 いつもより明るい表情の大河が、スッキリした顔でごちそうさまと箸を置いた。

 横には大量に重なった空鍋のタワーができている。鍋が鍋敷きになっている。鍋敷き鍋の連鎖。何いってんだ俺。

 

 

「悔しいけど俺、お前に勝てる気しないわ……」

 

 

 腹ははち切れそうだし、圧倒的な敗北を痛感させられたが、可笑しそうに微笑む大河の顔を見ていたらそんなことはどうでもよく。

 俺も最後の一口を飲み下し、俺は俺でやり切ったという思いを込めてこれを言う。

 

 

「本っ当に、ごちそうさまでした!!!!」

 

 

 その日は遊べるわけもなく、当たり前だが夕飯も食べられるわけがなく、動けもしないので朝まで部屋で寝込んだ。

 

 大河は樹から少し怒られていたらしいが、怒るならはっきりしなかった俺を、ちっさいプライドで張り合おうとした俺を怒ってくれ、樹……!




だいぶお久しぶりですがちまちま再開していくかと思われます。修正はかなり入るかもです。※11/6名前を変更しています※
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