全てが唐突だった。
少しばかり風に当たろうと――ついでに、少しばかり父から話された『当主』についての事を考えようと――外に出た。
室内でぐちぐち考えるよりも、こうして外に出て考える方が性に合っていたから。
その最中だった。何者かを問いかける間もなく。風体からして浪人だろう男共。
「吉法師、だな」
しかし、自分の名前を呼んだことで、即座に意識を切り替える。恐らく自分を殺す為に雇われた刺客だろう。
喰うに困った浪人共に、護衛も付けずに外に出たうつけが襲われて死んだ。考えてみればしっくりとくる筋書きだ。
誰がそれを仕掛けたのかも、凡そは察しが付いた。そこ迄自分が恨まれているとは、想像の外ではあったが。
とはいえ。そのように意図が分かっても抵抗できるかは話が別だ。
相手は大人が数人。此方は子供が一人。吉法師で無くてもそれがどれだけ絶望的なのは分かる。
力の差、数の差。その二つが揃った時点で、勝つ事は土台不可能であることは吉法師にも分かり切っていた。故に――逃げ遂せる期を探っていた。
別に真っ向から戦ってやる必要などない。上手い事逃れ、家にまで戻れば此奴らも捕らえられるし。そして、絵図を描いたあの方にも、釘を刺す事も出来るだろう。
吉法師には、凡そ全てが察しが付いていたのだ。だからこそ、先ずあっさりと抵抗を諦めてから、その次につなげようとしている。
――母を殺さぬように抑えるには、それが一番だろう、と。
「ったく、ちょこまか逃げやがって……ま、一発当たって足が竦んじまう辺りは、やっぱりガキだな」
男の刀を観察する。
襤褸の刀だ。一発派手に当たっても、さして肌が切れていないのがその証拠。出血こそしているが、見た目ほど傷は浅くない。
逃げるのに支障なし。であれば、今は身が竦んでいる様に見せて……一瞬の隙をついて逃げ出すが重畳。吉法師の頭は、危機の中であっても酷く冷たく、覚めていた。
一歩一歩、刀を構えた男が近寄ってくる。
先ほどは、殆どあえて食らった。一割位は避けようという積りではあったが、残りは喰らう積りだった。それでも避けられるようならば、最早自分一人でも処理できると、そう思っていたが。喰らった時点でそのわずかな可能性は無くなった。
だが、次は問題無い。避けられない訳じゃないなら、手負いと油断した所を吐いて逃げ出せば――
「――■■■■■■■■■■■ッ■■■■■■■■■■■ッ!!」
そう、思った時だった。
轟いたそれは、声、だった。いや、聞いた吉法師すら自信は無い……獣の咆哮とも、古びた扉が軋む音ともとれる。そんな、叫び声だった。つんざくような、それは悲鳴にも近く、しかしながら、怒号のようでもあった。
振り下ろされそうな刀が動きを止める。
そして……呆然としていた暴漢の顔面を、突如飛び込んで来た木刀が、殴り飛ばしたのだ。
吉法師は、呆然としていた。
誰も味方は呼んでいない。そもそも、一人で考え事をする前提で外に出た来たのだ。
想像だにしていなかった景色に先ず思考を一瞬止めて……そして、飛び込んで来た存在を見て、珍しく疑問を浮かべてしまう。
「――喜六郎?」
勘十郎より高い背丈も、着物も。間違いなく喜六郎の物で間違いない。しかし。
後ろに括っていた、自分と同じ母譲りの黒髪を、ざんばらに広げて、上体を倒し、頭をだけを暴漢に向ける様に立っていた。
自分の前に立つその背中は……自分の記憶にある弟のそれとは、まるで似ても似つかなかった。
「おい」
その一瞬の疑問を解決する前に、目の前の少年は、低い、低い声で問いかけた。弟の子供らしい声とは思えぬ、野太い、耳に届くような声だった。
「……な、なんだコイツ」
「何処を
「は?」
「言わないのか? 言わなければ……俺が勝手にカいてやる」
それに応えるか、応えないか。
それを相手が判断する前に、喜六郎はその手にした木刀を――
バギィッ!
「ぎゃっ」
「鼻だっ」
思い切り相手の顔面に……それも、鼻っ柱に向けて、叩きつけた。
不意打ちだった。猿叫の如き声と、乱入で度肝を抜かれていた男にとっては、相当の一発で合ったろう事は、男がその一撃であっさりと倒れてから吉法師も遅れて理解した。
同時に、驚いている。自分は、今。目の前の少年――喜六郎の動きに、呑まれていたのだ。間違いなく。目の前の男達と同じように。
「――っ!? こ、コイツっ」
「耳だぁっ!」
「えっ、ぎぃっ!?」
自分より、一歩、二歩遅れて正気を取り戻した男が近寄ろうとする前に、一歩踏み込んだ喜六郎が、相手の……耳を、抉った。殴ったのではない。木刀の先で、耳の穴に真正面から無理矢理に突き入れた。
無理矢理なその動きに、やられた男の耳は半ばから、ぶちりと半分に千切れていた。耳たぶが、ではない。耳が、耳穴も含めた耳が、である。
「良いじゃないか。良くカけているよ。キレイだよ」
「ふざけんなぁッ!」
二人がやられて、漸く他も戦意を取り戻した……と言うより、感情に振り回されたのだろうか。後ろから喜六郎に襲い掛かる。
吉法師は。その一撃が、当たるとは思えなかった。
それは、男が大したことが無い刺客だと、分かっていたからか?
そうではない。それ以上に、今の弟から溢れる異質な気配が、そんな小物にやられる訳がないというのを……
「お前は指かッ」
「ぎっ!? い、だっ……」
「指だっ! 指だっ、指だっ、指だぁっ!」
「あぎゃっ!? やめ、やめてっ、ひぎっ、ぐれぇっ!」
確信、させていたのだ。
結局後ろから襲い掛かった男は、目の前で、振り上げた拳を木刀によって強かに打たれ怯んだ。
その大きな隙に付け込む様に、くるり、堂々と振り向いて、更に手にもう一発。そして、もうしゃがみ込んでしまった所に、さらに何度も何度も、木刀を振り下ろす。
殴られて、男の指はもう何本か曲がる筈の無い方向に曲がってしまっている。
仕留める、というやり方には、到底見えなかった。
「なんだ……なんだってんだ……チクショウっ!」
「――あっ、ちょ、ちょっと待て!?」
その様子に気圧されたのか。最後の一人が逃げ出してしまう。吉法師が止めようと思ったが、しかしもう既に、男は背中を見せて逃げ出している途中。止まる訳もないと、一つ溜息をついた。
喜六郎が乱入したせいか、予定が狂ってしまった、とため息を一つ。
助けて貰ったのは確かだが、と一つ眉をひそめながら振り向く。
「全く……喜六郎、お前なんで付いて――」
「もう片方もだ、さぁ。折角指をカくんだから、だせっ、もっと出せ」
その先で、喜六郎は、再び木刀を振り上げていた。
は? という言葉が頭を埋め尽くす。
殴っていた男の片手は、完全に折れて……否。二、三本、欠けている。男の周りは、振り回された木刀から飛び散った血で真っ赤に染められていた。男は悲鳴どころか、恐怖で声も出せていない。
「やだっ……! ゆ、るじ、て……!」
「隠すな、出せ。足りないだろう。紅が」
襲って来た相手を返り討ちにするのでもない。弟は、人間を破壊するのを楽しんでいる様に見えた。
幾らなんでも、残虐に過ぎる。襲ってきたとはいえ、何をしても良い訳ではない。傷を抉って痛めつけるような真似は、武士として些か以上にマズい。
「オイ喜六郎、もういい。止せ」
完全に男は戦意どころか、正気を保っているかも怪しい程だ。一旦やめさせようともう一度声をかけて……ふと、その横顔を見た。
その顔に走る、翠の線を見た。
目を疑った。凡そ、人間が……いいや、生き物が象る筈もない、幾つにも枝分かれした直線が、顔をびっしりと、するするするするする這いまわっていたのだ。
何かに、侵されている様だった。
その顔が、見た事もない異様な、満面の笑みを浮かべていた。
楽しんでいる、笑顔ではない。ただただ、純粋に何が可笑しいのか、笑っていた。
血の付いた木刀を、まるで子供の様に振り回して。血が、地面にびちゃびちゃと飛び散らせて。それを見て……笑っていた。
「出せっ、カいてやる。俺がカく! カかせろ、カかせろぉ!」
マズい。
吉法師は、直感的にそう思った。故に――
「喜六郎! 貴様、俺の言う事が聞けんのか!!!!」
先ほど以上の大声を出して怒鳴った。怒鳴る、なんて何時ぶりだろうかと吉法師は間の抜けた考えを抱いた。大きな声を出す事はあった。威圧の為に。だが、誰かに心乱されたのは、そう無い経験だった。
その言葉に、漸く喜六郎の動きが止まる。
振り上げていた木刀を、ゆっくりと下ろして……見える横顔からは、いつの間にかあの可笑しな模様も消えていた。
ふぅ、ふぅと呼吸は荒く。困惑した様な顔をして。
それから、周りを見回した。鼻が折れて倒れている男。耳が抉られて蹲っている男。そして自分の手の惨状を見て、笑っているのか、泣いているのか。分からない表情を浮かべている男。それぞれを。
「――」
「喜六郎、お前……」
先ほどまでの異質な様子。それを問いかけようと、最初は思った。だが……しかし。
「……あね、うえ」
「――!」
しかし、それを思い留めたのは。
振り返った彼の顔が、必死だったから。
助けを求めようとしているようだった。瞳はゆらゆらと揺れていた。しかしながら。それでも歯を食いしばって。必死に声を出さぬように、耐えていたのだ。
どうして助けを求めないのか。吉法師には分からない。だが、その表情を見て、喜六郎がどんな状況なのか、察せない訳がない。寧ろ……察せられてしまう。
今にも悲鳴を上げそうな顔だった。金切り声が、今にも耳に届きそうな。そんな悲痛な顔だった。
「おーい、喜六郎! ちょっと言い忘れ……て、た……」
そんな時聞こえてきた声に、振り返る。
道の向こうから勘十郎が駆けてきているのが見えて……そして、此方の惨状を見て、その顔を歪めたのがはっきりと分かった。
「――姉上!? どうしたんですか!?」
「……刺客だ。いきなり襲い掛かってきよった」
「し、刺客……そんな、いったい誰が……えっと、ち、違う! それよりまず姉上の手当しないと! えぇっと……」
そしてその時だ、勘十郎の顔が、ある一点で止まる。
「……喜六郎? どうしたんだ?」
「あ……」
視線の先に居るのはやはりと言うべきか、様子のおかしい喜六郎であった。
「あにうえ……」
「なんで木刀なんかもって……って、うわっ!? なんだ此奴ら!? えっ、えっ、もしかして此奴らが刺客……!?」
「――っ!」
その直後だった。
喜六郎が、勘十郎に駆け寄って。この腰に縋りついたのは。
「……はっ、えっ、なに!? なんだよ一体!?」
「あにうえ、あにうえ」
絞り出された声は、震えていた。かすれていた。
「……な、なんだよ」
「あねうえを、ははうえが……」
「!」
勘十郎に向けて告げられたその言葉は、凡そ吉法師には想像できていた事だったが、しかし勘十郎には想像だにしない言葉だったのだろう。分かりやすく顔を驚きで染めているのが丸わかりで。
「あにうえ、わたし……わたし、どうすれば」
その言葉を……吉法師は、些か酷な問いだと素直に思った。
母が、姉を殺そうとしている。それを勘十郎は分かっていないのだから、そこから先ず一つ、彼は考えなくてはならないというのに。
その上で、どうにかしてくれ、等と。
理解の外だ。今の勘十郎には、答えられないだろう。そう、吉法師は思っていた。
けれど。
勘十郎は……先ず一つ、息を吸った。そして……ぎゅっと目を閉じて。口を引き結び……もう一度、目を開いた時。そこは一つ、此方の目に飛び込んで来る細に強い光が宿っている様にも見えて、吉法師は驚いたのだ。
自分に何やら色々言っている時の、あの思考を停止した目では、到底あり得ないモノ宿したまま、喜六郎の体を抱き締めた。
「だ……大丈夫だ」
勘十郎は、喜六郎よりも、ハッキリと。声に出して。言い聞かせるように。
「お前は、弟なんだから。兄の、僕がなんとか、してやる」
「あにうえ……」
「弟の癖に、変に考えるな。馬鹿」
そう、言った。
その時。吉法師は、今まで『聞こえて』いなかった勘十郎の言葉を、初めてハッキリと『聞いた』気がしたのだ。
ゲッタ―的な狂気の暴走を書くのに苦しんで虚無る。