夢宙
朱く。朱く。朱く。そこは熱気巻き上がる死地。地獄の底かと間違えよう焔の海。壁も床も朱く嘗め尽くされた出口無き袋小路。四方八方より聞こえる剣戟の音と、命の潰える音。悲鳴。掛け声。
そんな中心に、座して笑う白装束の女が一人。否、将が一人。
『是非も無し』
女は、そうなんて事の無いように呟いて。
渦巻く焔は、その女を風の如く連れ去ってしまう。その後には、何も残らなかった。
そして。
紅い。紅い。紅い。まるでつららの如く、その細い体は冷え切って、命の息吹という物を感じさせない。ぴちゃり、ぴちゃりと命を繋ぐはずの血潮は、静かな室内で、刃を伝って床へと零れ落ちていく。
男は、余りにも穏やかに腹を割って死んでいた。
『後はお願いします、姉上』
男は、当たり前のように言い残して。
当然の様に自ら死を選んで。温もりは、もうどこにも残ってやしなかった。
死んだ。死んだ。死んだ。
なんて事の無い様に。大切な人が、二人死んでいた。
力が抜けて、蹲って、地面を見つめる。
いつの間にか脈動する何かの上に居た。生き物の様な鼓動が耳に届く。それはしかし生き物には到底見えなくて。見た事もない様な管、金属で作られた部品、そして――顔、腕、足。人ではない、人型で埋め尽くされた、灰色の地面の上に。
二角の角を持つ物。
巨大な槍の様な物が腕の代わりについている物。
異様に長い腕を持つ物。
ここは人ならざる者達の、死骸によって、作られていた。
いつの間にか、立っている足に管の様なものが絡みついて、少しずつだが、ズルズルと這い上がってくるのが見えた。
天を見上げれば、此処は、何処までも広がる虚空の中にある事が分かる。
夜空にも似た暗さ。紅い巨躯が住まう、あの黒い孔の如き色。
天上に星が瞬くその空間には、星が瞬いていた。巨大な流星が、この大地を嘲笑うように天を飛び、そして、その流星の落ちる先を追って行けば、巨大な白い何かが、はるか遠くを闊歩しているのが見えた。
一歩踏み出すごとに震える大地。それに合わせ、ギギギ、と何かが擦れる耳障りな音と共に、投げ捨てられた腕が動いている。首が震えている。足が踏み出そうと不格好に足掻いている。
「――」
ナニカ共の終わりの上で、喜六郎は、天を見つめた。
その先に、白とは違う、巨大な影があった。
三つの顔が埋め込まれたその異形は、どこか空の向こうのアレに似ている気もしていた。
だが、その色は赤ではない。灰色だった。崩れ、文字通り灰になって散っている様にすら見える。その影も、周りの大地のモノたちと同じく『終わり』を迎えた後の様に見えていた。
白い巨人は、それに向けて歩みを進めていっている。
「――なんなんだ、お前らは」
質問に答える事もなく。
大地の終わったモノ共は何も答えはしない。それどころか地面から延びる管は、もう既に体の半ばまで覆い尽くしている。
最早動けない自分の周りには、翠色のホタルの如き輝きが漏れて、辺りを漂っているではないか。まるで自分を取り囲んで、逃がさないかのように――
はっ、と目を覚ました。
着物は汗で酷く冷たく、そしてじっとりと湿っていて、肌にべたり張り付いている場所まである。酷く不快な事この上ないが、しかし、それでもこの着物に、今は縋りつかざるを得ない程に、心は不安だった。
嫌な夢だった。人が凄惨に死ぬ夢など。
だが、それだけでここまで取り乱してしまうのであれば。彼はとっくのとうに潰れているだろう。それでもなお。
あの夢は、それだけ心を乱されるのに十分な力を持っていた。
灰色の大地。その後ろに聳え立つ朽ちた巨体
アレに、喜六郎が見覚えが無いわけもない。間違いなく天より覗く『アレ』に連なるものだろう。大きな違いがあるとすれば。あれら全ては最早残骸でしかない事であろうか。
砕かれ、ばら撒かれ、そして最早、大地を埋め尽くすのみ。天の彼方にあるだけで、人一人を狂わせ得る存在とは、文字通り天と地ほどの差があった。
彼自身の感性で物を言うのであれば……どうしてもなくあそこにあった全ては『
あの異様な光景を誰が見せたのか。それは最早、考える必要すらない。
問題は、なぜあの光景を見せたのか。そして。
その直前に、どうして別の景色を挟み込んだのか。
「――ただの夢だ。そうに決まっている」
燃え盛る焔の中で、少し寂しげに笑う女。己の手で腹を裂いて、しかしながら笑った男。
その二人は、揃いの濡れ羽色の髪を揺らし。とてもとても紅い、滾る焔よりも、滴る血よりも、なお輝く紅い目をしていて。
まるで、自分とそっくりな。そんな。
――喜六郎が夢に見たものは。
何よりも愛しい。誰よりも離れがたい家族。
姉と、兄の。非業の死の姿であった。
「――喜六郎!」
ふと、名を呼ばれ振り返った。
屋敷の廊下、その向こうで、大柄な男――側近である、柴田勝家を供に付けた華奢な姿の男が此方を見ている。多少背丈が伸びても、些かと武家の男としては色々と頼りない様に見えてしまう。と言うより些かと、顔つきが可愛らしいので、むつけき、とまでは思えぬのである。
まぁ彼がそうは思えなかったのが、自分がそもそも背丈に置いて兄も、姉も、越しているから、と言うのもあったが。見下ろす形、というのは予想以上に相手への見方に影響してくるものだ。
「……兄上、もう私も元服したのですよ。何時までもその名前で呼ばれるのは」
「なにおー。お前は何時だって僕の弟の喜六郎だ。呼んで欲しけりゃ、そう呼んでもらえるだけの働きをして見せろー」
「しても絶対呼ばないでしょ……全く」
いよいよ元服を迎え。
喜六郎が秀隆と名を改めて。
されど、勘十郎――信勝との関係が変わる事はあまり無かった。相変わらず秀隆に兄貴風を吹かせ、何時だって幼い弟を構うままだ。
背丈が頭一つ違うというのにこうして自分をかがませて、頭をわしわしとするのをやめない辺り絶対に、元服した、と言う事実を気にしてはいない。武家の子として大切な儀を迎えたというのに、と少し複雑な気持ちにもなる。
そこ迄可愛がってもらえている、というのは嬉しい事なのだが。
「の、信勝様! 秀隆様ももう立派な武士なのです、その様に子供をあやす様な……」
「別に構わないだろうが。コイツは何時だって僕の弟なんだから、弟扱いをして何が悪い。変に背伸びするのは相変わらずだしな」
「しかしですなぁ」
「大丈夫ですよ勝家殿……もう慣れておりますが故」
こうして家臣に見られる事が、些かと気恥ずかしいのもまた事実。
一応、一人前の武士として認められた歳なのだから、兄上もその辺りを気にして頂きたい――等と……まぁ間違っても口には出したりしないが。
「それで、如何なされました」
「あ、そうだ! 聞いてくれ! 僕、姉上と一緒の城に行くことになったんだ!」
「――それはそれは、良かったですね。兄上」
このように。一人前となった証として、領地を守るための為の任に付く様な年なのだ。流石に弟扱いが恥ずかしい、等と取り乱したりは出来ない。それこそ、周りの失笑をどれだけ買うか。
……正直な所、そう言う反応をすると、兄が凄まじく不機嫌になるので、兄の前では特に抑えている、というのも無いでもないがそれは兎も角。
「姉上を兄上がお支えする、正に隙の無い布陣ですなぁ」
「当然。まぁそもそも姉上が居れば全く問題はないから、僕は暇を持て余す事になるだろうが……それでも、姉上を侮る馬鹿共を見逃すわけにはいかない。姉上は寛大でも僕はそうはいかないって事をしっかり見せて行かないとな。そうだろう、権六」
「はっ」
姉――信長がここ、清州の地より別の城に居を移し、領地の経営に携わるようになってから、それなりに経つ。いよいよ領地の運営を任されたというのに『退屈そうだ』とぼやいていた姉の様子を思い出す。
兄も最初の方は姉を応援していたものの、姉に会えない期間が長引けば、分かりやすく寂しそうにするようになって。その代わりと言わんばかりに、こぞって秀隆に構って来た。
幼い日の如く、とは行かずとも。やれ修練に付き合え、絵を描け、姉上の絵を描け、散歩に付き合え、仕事を手伝え……下手をすれば、側近である勝家以上に、彼の側近的な役割を負っていたかもしれない。お陰で勝家とも大分仲良くなった気がする。
秀隆自体、それが嫌だったかと言えば……まぁそんな事は無い。
兄弟仲良く、と言うのは彼も望むところだ。姉にも欠かさず毎月手紙を送っている秀隆が、構ってくる兄を鬱陶しく等思う訳もない。
姉に関しては、暇を紛らわせるための極上の絵も一緒に送れ、と言われているというのもあるが。お陰で昔以上に絵に気合を入れる事が多くなった。
「ま、僕は向こうの城で姉上と楽しく過ごすが……お前は大丈夫か。喜六郎」
そう言われ、笑いが零れる。
こうして構われるのも、暫し無くなると考えると、少し寂しい気持ちにならないでもないが。流石に心配される程ではない。
「聞かれずとも問題はございませぬ。最近任された仕事も問題なく……」
「そんな訳ないだろう。僕が知らないとでも思うのか」
僕が来たのは、その為だぞ。
そう言いたげな顔……先ほどの楽し気な顔とは、一転している。この兄に隠し事は不可能かと、思わずして笑ってしまった。
「僕が居なくて、大丈夫か」
「……お気遣い、ありがたく。しかしながら俺ももう立派な武士。この程度の事でそう凹んでいても居られませぬよ」
「程度、じゃあないだろう」
視線がより鋭く自分を射抜いているのを見てしまうと……余計な事を口から漏らしてしまいそうになった。それを、グググっと堪えて見せる。
兄が居なくて寂しくないのか。
信勝は、そんな事を秀隆に対して聞いている訳ではない。
秀隆とて、自覚をしていない訳ではない。今、この城に置いて。彼に明確に味方する存在は居ない。文字通り、秀隆は一人なのだ。
ゲッター線の設定が膨大過ぎで虚無る。