「――勝家殿、お世話になりました」
「頭をお上げください、秀隆様。拙者も、無為な血が流れる事は避けたいのですから。お力添えが出来て何よりです」
「本来仕えるべき兄上の事を無視させてしまっている事、申し訳ないのですが。今しばらく、母上の企みを砕くまでは……どうか」
勝家は、その言葉に黙って頷いて、自分の部屋の前から去っていく。後は、勝家が土田御前に特に何もなかった、と伝えてくれれば、無事に事は終わる。後は……自分が情け容赦を捨て、母を切れるかどうか。
未だ、秀隆には確証は無い。彼に出来るのは、寺の中で只管に心を鍛え、そしてもう一つ……母を切る為の、理由を探す事だけ。
秀隆は、強い人間ではない。
もし、この凶行を止めるならば、恩ある母を、それでも切るだけの強い理由が居る。例えばそれは、倫理であり、人としての良識であり……そういった物を、母を止めるだけの強い理由にする。
「……」
彼は、菩提寺にて出来る限りの事を学んだ。この寺の僧は特別仏教の知識に詳しいという訳でもなかったが、多くの事を学べたのは、事実だ。仏教の思想などは、彼に母の凶行を止めさせるための、理由付けの一部になった。
だが、多いに越したことはない。
仏教の思想を学び、そこからさらに思索を深める……そこから、多くの理由を探り出すのに、仏画はうってつけのやり方だ。仏の姿をなぞり、彼らの教えを思えば、多くの事が頭に浮かぶ。
民草の事、誰かを愛するという事、親子の事。その全てを『切らねばならぬ理由』として積み重ねる。
そうして一つ、一つ、理由を積み重ねて、半ば誤魔化すようにせねば……秀隆は到底母を切る事等、出来やしない。
「……もう何枚か、描いてから寝るか」
『――全く見事な腕だ』
「っ!?」
……とはいえ、理由は、それだけではないが。
耳に聞こえた声に、思わず周りを見渡す。
しかし、刀は掴まない……もう、刀がアレに通じないことは、よくよく知った。
「私に、落ち着いて絵も描かせてくれないのか。貴様は」
『フフフ……ワシはお前の力になりたいだけだ。さまよえる若人を導くのも、先人の役割という物だろう』
暗闇の中、最後に見詰めた方向、その先に浮かび上がる大柄な影。
鱗に塗れたその姿には、秀隆には嫌と言うほど見覚えがある。
ゲッター線、という存在を自分に語りかけた、あの蜥蜴男。こうして、一人の時だけ、コレは秀隆の前に姿を現す。仏画を描いている時、座禅を組んでいる時、写経をしている時、何れの時であろうと構わずに。
それが再び姿を現したのが何時だったか。秀隆には定かではない。アレが自分の周りに現れている、と認識したのは、ごく最近の事だがしかし。それ以前にも現れていた様な気がしないでもない。とはいえ、何時から現れていたのか、等とは正直気にもしない。何時現れていたにせよ……秀隆は、この怪物を歓迎はしなかっただろうから。
「先人だと? ほざくな。怪物風情が。貴様の様な先祖を持った覚えはない」
『我らも、お前たちと同じ。ゲッター線という大いなる存在の元に集う同胞。そういった意味での、同胞よ』
「下らない事を……そんな曖昧な理論で丸め込まれる程、私は間抜けではない」
何時だってその余裕を持った笑顔は、何時だって此方を不愉快にさせる事しかしない。
……座禅や写仏の最中に出て来たなら、邪魔があっても集中できるようになるための訓練、と考える事にはしている。成果を出すには、あまりにも手ごわい相手ではあるが。
「……貴様らに頼らず、俺一人でも乗り越えて見せる。答えはそれだけだ」
時々、一人で見ている幻であれば、どれだけ救われるか、と何度も思ったが……この世なそんなに優しくないことを思えばこれも、どうせ現実だろうとは思う。
だが、大事の前の小事。これは、あくまで自分一人の問題だ。結局の所、感化されるか否かは自分次第なのだから、如何に自分が心を強く保てるか……寺での修業は、この現れた存在の前で、平静を保つのに十分に役立っていた。
『相変わらず、血気盛んだな。此度の操縦者は』
「やかましい……兎も角、お前らの手は借りん。失せろ……!」
この蜥蜴男も永遠に存在できる、という訳ではないようで。ある程度無視するか、さもなくばきっぱりと『否』という意思を示せば割とあっさり消えていくのも知っている。その態度に余裕が現れているのも、いつも通りの事だ。
あの蜥蜴男にとって、秀隆が拒否の意を示す事など、さして大きな問題でもないのだという事を嫌と言うほど思い知る。
当然ではある。
あの天の存在は、自分を見ているだけで邪魔も助けもしたことはない。つまり、その程度なのだ。アレにとって秀隆というのは。
その使者にしても、さして自分が何を言おうと気にしないというのは納得だ。
『……』
「なんだ。いつも通り消え失せろ。もう問答することはない」
『一つ、訂正しておこう。運命の時は、想像するよりも遥かに近いぞ』
「何?」
――だが、しかし。
蜥蜴男の口が、チパァ、と開き、いつもの薄笑いとは違う明確な笑顔を浮かべている。奇妙な事に、此度、この物の怪はまだ消えようとしない。
「どういう意味だ」
『織田信長。第六天の魔王……そして織田信勝、かの魔王を目覚めさせし存在。その物語の今は、始まりにすぎん。古き世界を否定し、新しき世界を紡ぐ革新者の物語は、今のお前に止めきれるものではない』
「……貴様、姉上と兄上について、何を知っている!」
『愚問だな! 貴様も見たであろう、ゲッターの終わりの景色、そして……お前の姉兄達の終わりの景色を!』
――その言葉に、背筋が冷える
あの夢の出来事は、やはりアレが見せたものだったのか。今、明確に向こうが言葉にして肯定してきたという事は。あれは、意味があるのものなのか。
思わず、蜥蜴男の方に、体ごと向き直った
こうして向き合うと、未だに体が竦む。
あれからの使者という物を、秀隆は侮る事が出来ない。当然だ。化け物じみた存在から遣わされた存在も、当然の様に化け物染みていておかしくはない。
その言葉には、嫌な迫力があるのだ。
『あれは遥か未来と、近い未来……
「世迷言を……!」
『ふふふ、仏の教えに縋り続けるのも良いだろう。だが、時間はないぞ……貴様の母が生み出したこのうねりを、果たしてお前一人で止められるのか。楽しみに見させてもらう』
それだけ言い残し、遂に大柄な姿は空間に溶けていく様に消え失せていく。それを止める手段はない事は分かっている。だがそれでも、今回ばかりは、秀隆もまだ行くな、とでも言いたげに手を虚空に伸ばすも……やはり、止まりはしなかった。
手を思い切り握りこむ。
あの夢を見せ、姉の事をただ一言、『魔王』と呼んだ。彼らは、何か秀隆には知り得ないことを知っているのやもしれない。
母が生み出したうねりが関係している様なその口ぶりは、どういう意味なのか。
「――いいや、心乱されるな」
今気にするべきではない、と頭を振る。
それらも全て、母の企みを止められれば、済む事だ。
むしろ、奴らが言っている通り、母の起こした事が何かに繋がっているのなら、ここで母を止めれば問題なく終わる。
結局の所、自分が事を成せるか、そこにかかっていることに変わりはない。
「……」
だが、という思いを抑えきれない。
本当に、アレが言う通りどうしようもないうねりが、来ているとして。自分一人がどれだけ抵抗した所で止めきれるものなのか、と。
――はっ、として、頭を振った。
こうして迷っている内は、母を切り、計画を止めるなど夢のまた夢。心乱されず、心静かに事を成せないといけない。秀隆は、筆と硯の前に腰を下ろし、目の前の紙に向き合った。乱れた心を静めねばならない。
墨を擦りながら。
此度、描く仏の姿を頭に思い浮かべる。
今日は、一体何枚、思い浮かべる事になるだろうか。この乱れた心を落ち着けられるまで何枚……描くことになるだろうか、と。
秀隆は、弱弱しく、歯を食いしばった。
ゲッターロボの設定が膨大過ぎで虚無る。