ひゅーっ、ひゅーっ。掠れたような音が、かすかに耳に響く。
それが人間の声だと思えなかった。だけど、それは秀隆の喉から確かに漏れている声だった。ぎぎぎ、と体がきしむ音が聞こえる気がした。
姉の居城から出てきてから。何をしていたか。思い出すこともできない。どこまで歩いてきたかもわからない。何も考えなかった。泣き叫びながら、ずっとふらふらと何処までも歩いて行った。途中から、声が枯れて何も言えなくなった。
「――」
意識が朦朧とする中でも、一歩、一歩、歩みを進める。どこかに向かっている訳ではない。ただ、止まってしまったらいけないような気がした。必死に歩いて、必死に向かっているのだ。辿り着くこともできない所に向けて。
ぐわん、ぐわんと割れそうな音が鳴り響く頭の中で、どうしても思い返す事があった。
『織田信長。第六天の魔王……そして織田信勝、かの魔王を目覚めさせし存在。その物語の今は、始まりにすぎん』
『貴様の母が生み出したこのうねりを、果たしてお前一人で止められるのか。楽しみに見させてもらう』
あの物の怪の言葉。
流れ。時代のうねり。
兄が、姉のためにと全ての膿を道ずれにするため、自滅へと続く反旗を翻し……姉は反旗を翻す者共全てをまとめて、討ち果たす。
魔王等というものを目指す理由は、いったいどれだけのモノだろう。
自分の姉弟を……家族を自分の手で打ち取る事は、その理由にはなり得ないだろうか。
『後はお任せします。姉上』
信勝は、ここで死に。
『是非も無し、か』
信長は、何時か炎の中で息絶える。
それは憎みあっている故ではない。
互いへの思いより生まれたこのうねりを、信長は愛という物の『本質』と呼んだ。であるなら、互いの事を思いやることが、一体どれだけの悲劇を生むというのか。
想像もしたくない。
母を思いやる事。姉弟を思いあう事。それは、衆生誰でも抱く感情だ。それがこの様な地獄を生むのならば。この天下は、文字通り修羅の巷ではないか。
母が、兄が、姉が。このような事になるのは、自明の理だったとでも、言うのか。
自分を救ってくれた、大恩ある三人が、互いに相争い潰し行くなど。そのような事が。
秀隆には、それを許容するだけの、器量も何もない。母一人を切る覚悟をするのにすらも、時間と多くの準備が必要であったというのに。
だからこうして、出来るだけ遠くに逃げてきているのだ。必死になって。現実と向き合いたくもなくて。
「……あ……ぅ」
しかし、それも限界だった。ずっと歩き続け、何処かもわからない所まで来た結果はこのザマ。血まみれだった足は最早、爪は砕け、足の指はどこも裂けて血まみれ。履物はとっくに使い物にならないような状態になっている。
痛みすら最早感じない程だというのに、しかし……それでも、勝手に足の動きが止まってしまった。
地面に無様に転げ……しかし、それでも秀隆は、這うように進む。止まりたくない。今止まったら。自分は現実に追いつかれてしまう気がしたから。ざり、と地面の小石に肌がこすれ、余計に血が溢れ出しても、もう一歩、もう一歩と。ともかく、先へ。
「ぐ……ぉおっ……! ぎっ……ぐぅ……」
痛みも、荒い呼吸も、苦しみは、それ以上に辛い現実から目を背けさせてくれる。何ともありがたい事だとすら秀隆は思っていた。だから、まだ、まだ止まれない。さらに先へと進み――
『――目を背けるか。それも人類の一面だ』
「……お……まぇ……」
しかし、彼が必死にその行く先に……立ち塞がる者がいるのに、彼はふと気が付いた。
それは、まるで陽炎のように揺らめきながら、立ち上るようにその姿を少しずつ、現し始めている。鋭い爪を持つ、三本足。屈強な体……それは紛う事なき、あの怪物だった。
災厄を告げる化生が、そこに立っていた。
まるで、現実から逃げる事を許さぬかのように、彼は余裕をもって笑顔を浮かべながらどっしりと立っていた。
秀隆の体に、力が入ってくる。活力が戻る。しかしそれは……どす黒い、ひどい見当違いな殺意によって。
「わ、たしを……わらいに、来たというのか」
『そう見えるか?』
「おまえ、がつげた、ことばどおりになった……兄も、姉も……皆、あらそう、ばかりだ」
『それが歴史の流れだ』
「ふざけるなっ……!!」
誰の所為で、何の意味で、引き起こされたのか。秀隆がそれを理解していないのなら、そもそもこんな所で這いつくばって等いない。それでも。感情が、荒れ狂う感情が、冷静な判断させなかった。
目の前の怪物の言葉が、この因果を引き寄せたのだと、見当違いな怒りは、どうしようもない程に荒れ狂う感情から零れ落ちた淀みそのものだ。
八つ当たりなどしている場合でもない。現実逃避をするのならば、少しでも……何かをするべきだ。そんなことは、秀隆だってわかっている。
だが……それを喜んで受け入れて、問題なく兄と姉の戦いに向き合う事なんて出来るわけがないのだ。
「わらえ……この、ザマだよ。私、ひとりでは……このうねりを、止める事、最早叶わない……未熟な、この、私を! 笑えばいいだろう!」
皮肉にも。
そんな八つ当たりじみた燃え上がる感情が、秀隆の言葉に力を取り戻させている。地面に伏せた体を、上半身だけでも起き上がらせ、睨むだけの活力を与えている。
だが……この化生は、その様子にニマリ、と笑いを浮かべて見せた。
『――お前ひとりでも、変えられるとも』
「……なにっ?」
『お前は、ゲッター線の旗印だ。貴様が旗を掲げれば、その気になれば世界一つすら変えることも出来る』
蜥蜴の化生は、そういって大きく腕を広げた。
その背後、天空にて、翠の輝きが一層、その勢いを増した気がしている。その光が秀隆を包むと共に……体に、活力が戻ってくるような気がする。
……否、実際に活力が戻ってきている。先ほどより、しっかりと地面に手を付ける。足の痛みが、少し引いてきている。呼吸が楽になってきている。
秀隆は、目を見開いた。ゲッター線という物を感じた事は、今まで一度しかなかった。アレは自分を侵略するような悍ましさと、悪意を自分に感じさせる、悍ましい力であったがしかし……今、この力は、自分に活力を与え、あまつさえ立ち上がらせようとすらしているように思える。
「なんだ、これは……」
『ゲッター線は貴様に力を与えよう』
「――俺一人で、このうねりを止められるというのか! それだけの力があるというのか」
『そうだ。ゲッター線の力は、無限にも等しい』
「ならばそうだと示してみろ! 俺に……ゲッター線の真実とやらを、見せろ!」
――それは、かつて、目の前の存在に告げられた言葉をなぞるが如く。
ゲッターの力を求めるならば、
今、秀隆は、ゲッター線の力を確かめるために、自ら真実を求めている。かつて告げられた言葉通りに、である。
『ならば見せよう……ゲッター線の真実。お前は、悠久にも思えるゲッターの歴史をその身で知る事になる。さぁ――』
天を指さす蜥蜴の化生。その鋭い指先に従って、その先を見つめる。
そこにあるのは……天上にある、巨躯。その瞳。無機質なような瞳から、しかし今……秀隆は、明確な、意思を感じるような気がしていた。
初めて、その存在という物と、目が合った気がした。
その奥に……秀隆は人影を見た。
その巨大な存在の中、その人影は顔すら見えなかったがしかし、秀隆は、見つめられているのが、分かった。
「う、ぉおおおおおっ!?」
そこに。自分が、連れていかれる。
否……違う。自分の意識だけが体から引きはがされて、そこへと吸い込まれていくかような。そんな感覚がしている。
遥か向こう。ゲッターエンペラーのいる、その先へと。
――降り注ぐゲッター線が、地上を跋扈する者共を駆逐していく姿を見ている。
太古、ゲッター線は、宇宙から地上に降り注いで、旧き地上の支配者であった竜を駆逐し、そして猿を現在のヒトの姿へと変えたのだ。
それがゲッター線の意思なのかの如く、ヒトは、嘗ての支配者であった存在から地上の支配者の座を奪い返し、短いときの中で、それ以上の繫栄を極めた。
ヨーロッパ。アジア。オセアニア。アメリカ。多くの大地に人間は栄えた。それは、日ノ本も例外ではない。
『――チェェエエエエンジ! ゲッタァアアアア! ゥワンンッッ!』
その遥か未来の日ノ本で。
一つの絡繰が産声を上げた。
それは文字通り、ゲッターの意思をその身に宿した、無敵にも等しい巨人だった。三つに分かれ、赤に、白に、黄に、三つに変形して、天を、地を、海を、自由自在に駆け抜ける無敵の存在。
圧倒させられる。
それを繰るのは……若き三人の武者。
どんな傷を負っても気丈に戦う豪快で人情深い男達。
狂気と知性でゲッター線という物に迫る男。
そして、類稀なる克己心でゲッター線にすら屈しない男。
太古より蘇った地球の覇者たる竜の軍団と。
圧倒的な化学力を誇る百鬼の帝国と。
かつて地球に存在していた文明の超兵器と。
未来から襲い来るゲッター線を滅ぼす一団と。
形を変えて。さらに強く進化し。そして次の敵へと挑む。彼らは無限に戦い続ける。
引き裂くッ! 貫くッ! 引き千切るッ! 砕くッ! 焼き尽くすッ! 破壊するッ! 破壊するッ! 破壊するッ!
敵対するモノと戦い、戦い、戦い抜いて……彼らは永遠に進化し、さらなる新たな形へと育っていく。進化を、進化を続けるッ!
そして――辿り着いたその先は。
ビッグバンをも超えるエネルギーを発する、強大なるゲッターの姿。
そう、それこそゲッターエンペラー! 星をも破壊する機械の悪魔! 遥か先の未来にて永劫の戦いを繰り広げるゲッター線は、未だ進化の果てなど見えない!
――そう、ゲッター線は、無限に進化する。
様々な進化の形を模索する。多くに形を変えて。何時か、使命を果たすための進化へと至るために……彼らは、無限の戦いの果てに、様々なものを観測する。過去、未来、何処までも……そして。何時かの事。
彼らは、観測した。
ゲッター線の満ちない宇宙。
『――ダメですッ! ゲッター線指数、想定値まで達しません!』
『攻撃が通用しません! バリアーでもない……未知数の防御が展開されています!』
『この世界には、我々の法則が通用しません!』
『て、敵艦接近……! ダメだっ、『白い巨人』も接近してきます!』
彼らにとっては信じられない光景。その未知へと彼らは尖兵として一部のゲッター艦隊を差し向け。しかしながら、信じられない光景を目撃する事となった。
ゲッター線の出力が、想像以上に上がらない。
攻撃が全く通用しない。
そして……自分たちの法則とは違う、
彼らが居た『ゲッター線の満ちる宇宙』において、彼らはまさに無敵だった。しかし。観測した別宇宙……否、『別世界』において、ゲッター線は確かに強力なれど、絶対強者とはなり得なかった。
敗れたのだ! 無敵の進化を遂げた筈のゲッター線が!
それは、ゲッター線の満ちる宇宙には存在しなかった、別世界の法則。
『神秘』というたった一つにして、あまりにも大きな法則の壁に……否、『別世界』という存在そのものを、ゲッター線の力では超えられなかったのだ。
……別世界へ送り込む故からか。ゲッター艦隊の全てを送り込むことも出来ない。戦力の逐次投入は、余計に戦力を消耗するばかりだ。
しかし、この法則を克服し、この宇宙での進化を遂げれば、さらに目指す進化へと近づけるやもしれない。故に……彼らは、ある策を講じた。
ゲッター線が、先ずかの世界にしっかりと根を下ろすためのビーコン。旗印。それを探すことにした。現地の人間を、協力者としてこちらに引き込み……そこを起点に、ゲッター線をこの世界に満たす。
ゲッター線は、その可能性を……人々が相争う戦国の世の、一人の子供に見た。
目を覚ます。
体をゆっくりと起こす。腕の傷も、ボロボロになった足も、全てが綺麗に、治っている。だが驚かない。ゲッター線であれば、この程度は造作もないだろう。
「……」
『見たか』
「あぁ。見たとも」
『であれば、今こそ空の彼方より、我らの同胞を導く時だ。この世界に、ゲッター線を満たせば、全てを変えることも叶う……分かるだろう』
「そうだな。ゲッター線の無限の進化は、それを果たすに十分だろう」
信勝も、信長も、土田御前も。三人の諍いなど、まるで当然の如く止める事も叶うだろう。それがゲッター線だ。全てを飲み込み、さらに進化する。一つの形へと。
「進化か……」
秀隆には、見える。
一つの形へとなり、そしてその先へと進む人類の姿。
ゲッター艦隊の一つに変わる、この世界の変異が。
いつの間にか、目の前には紙と、筆が一式そろっていた。ひたり、と右肩に
それに従うように、右手に筆を取った。
『形を成すのだ。一つの形を。この世界におけるゲッター線の形を。この世界に形を成せば我々も、神秘に風穴を開ける事も叶うだろう』
「――」
『さぁ、描き上げるのだ。我らゲッター線を。この世界へと下すカギを!』
「お断りだ」
『――何?』
だが。
それは従った故ではない。
秀隆は、先を見たのだ。ゲッター線の満ちる宇宙を。ゲッター線の力で全てを書き換え、終わらせる。それは容易いことだろう。
しかし、それは彼の望む形ではない。
永劫に戦い続ける生命。
全てを飲み込み、進化し続ける形。
それこそがゲッターの本質。
だが秀隆は、それを望みたくも無い。争いを止める為に、さらなる争いと悍ましい進化を遂げる存在を引き入れるなど、本末転倒ではないか、と。
「――貴様らの魂胆は分かった。この世界で敗れ去ったゲッターの力を私に今一度かき集めて、この地へと貴様らを下ろす……ビーコン、だったか? そうするのだろう?」
『……』
「そうすればゲッターの力は、私の僅かな問題など解決するだろう……だとしても!」
紙に筆を、振り下ろす。
まるで亡者の如く、救いを求める手を。滅びた亡者共の腕を。絡繰りの腕が、天へと向けて伸びているように、描く。無数に。
その中心に……描くのは。自分だ。
些か面はゆい部分はある。しかしそれでも、出来るだけ……仏画の仏を意識するようにして描くのだ。自分が、彼らの救い主であるかのように。
「させぬよ。貴様らの思うとおりには……!」
『――ほう?』
「進化をするのもいいだろう。だが、その手綱は俺が握る。
自分に向けて伸びる腕。それは、絡みつくように。されど、届かぬように。光に寄り付く蛾の如くに。そんな者共に、慈悲の笑みをくれてやるように、秀隆は悠然と天空に座すのである。
そして……最後、腰に備えた刀を抜き放ち……腹へと、突き刺した。
「――ぐっ」
『何ッ!?』
「……くくく、突き刺して尚、死ぬ気配すらしないか。なるほど、私はいよいよ貴様ら側になったわけだな。だが、それでいい!!」
引き抜いた刀から、滴る血は……錆臭さと共に、何処か、油のような匂いもしている。その血を、指先に垂らして、最後。絵に描かれた自分自身の瞳に塗りこんだ。達磨の目を入れるが如く。赤い瞳を描き入れた。
どくん、と絵から鼓動が聞こえた気がした。
「貴様らの宇宙において、俺は
体に力が満ちていく。
それは、あの時。刺客を相手にした時の感覚……しかし、あの時以上の感覚だ。そして侵食していく、というよりは……なじんでいく、という方が正しいだろう。
今や、ゲッター線は、誠に形を成したのだ。
秀隆の描いた絵の如く……秀隆に向けて救いを求める、地獄の亡者の如くに。この世界に於いての形へと。
秀隆は、天上を睨む。そこにゲッターエンペラーは居る。こちらを見つめている。怒っているのか、それとも……察することは出来ずとも、それでも秀隆は改めて、その両目をにらみ返した。
「人間を、舐めるなよ……ゲッター線! 貴様らに私は負けぬ! お前たちを率いて私がこの世界の、全てを変えるのだ!」
ゲッター世界ではまさに無敵レベルで強くてもFate世界にはその世界の別法則がある以上好き勝手は出来ない、という話で虚無る。