「――末森、か」
「はい。末森城のある方向にて、目撃情報が」
「その付近は調べさせているのか?」
「勝家や何人かの家臣を向かわせています。何かが見つかるかは……」
「見つかるだろうよ。そんなものを態々、此方に向けて、これ見よがしにチラつかせているのだからな」
呆れたように信長がそういうのも、流石に信勝には分かる気がした。
あの異様な姿の鋼の怪物が、弟とまるで関わっていない――等と。そんな間抜けな結論を誰がこの状況で出すだろうか。否、寧ろ。彼は此方に『自分の仕業だと分かる様に見せつけている』のだろうと。信長は当然のように口にした。
信勝にはそれが。些か場違いな感想になるやもしれないが……まるで『遊んでいる』ようにも見えているのだ。
「――奴は楽しんで居るよ。それは油断しているだとかそんな甘い意味じゃない。楽しんでいるからこそ、油断はならん。その意味が分からんわけはあるまい、信勝」
好きこそ物の上手なれ。
『楽しむ事』と『集中し最高の結果を出す事』は矛盾しない。遊ぶくらいの気持ちで楽しんで、気負わずに自分の『野望』を目指す。
まるで――子供が天真爛漫に、縦横無尽に、遊ぶかのように。
もしそんな風に野望を追えたならば。それは一体どれだけの『脅威』だろう。
天衣無縫。
自然に美しいもの――転じて完全な物を表す。必死に目指さない。楽しんで遊んで心の底から目指すからこそ。何者にも縛られない全ての力を存分に振るう事が出来るという事である。
「それを踏まえ――お主から見て、その化け物は、どれほどの物だ?」
「……」
「奴が態々、楽し気に見せびらかしてくる玩具だ。油断ならんと見ておるが?」
「……あくまで、僕の私見で、宜しければ」
玩具、という信長の皮肉染みた言い方に、信勝も少し笑えてしまう。
見せびらかすだけの力は、あったのは間違いない。
末森の方向に向けて逃走した鋼の怪物を追わせていた細作の報告によれば。馬以上の速さを以て街道を横切って行って、田んぼの上を、足を埋めずに、跳ねるように走り抜けていったのだという。
足腰の力は、最早言うまでも無く。
「それに、木の幹に易々と突き刺さる程の槍の硬さと鋭さも。業物、というしか」
「あー、細かい事はいらん。俺が聞いているのは――俺らと、そ奴との力の差だ」
しかし。
そのような詳しい話を聞きたい訳ではないらしい。であれば、と信勝は直ぐに意識を切り替える。
「……恐らく、下手に足軽をそろえてぶつけたところで、壁にもならないかと」
「文字通りの『怪物』か。はっ、厄介なモノを味方につけたものだ」
「と、とはいえその戦力をこちらに向けて来たわけではないので、あくまで相手がどの程度の物なのか、等と……本当に、只の……僕の私見でしかないですけれど」
そして、口には出さないが。
その私見は特別真実からは外れてはいないのではないか、と信勝は思う。根拠はどこにもない、ないが。あの肌で感じた感覚が頭から離れない。
アレをただの幻覚とは到底思えなかった。
そんな事を思っているなど、信長が知る由もないが、しかし。目の前で明確に顔を顰めている彼女を見ると、自分がそう思っている事などもう全て見抜いているのではないかとそう思ってしまう。
「人など最早障子紙、か――かかかっ! 愉快愉快」
だが。
悩む素振りを見せたのは、本当に一瞬の事で。その直後には、その表情を――笑顔へと変えた。それはまるで、思い悩んでいた事など綺麗さっぱり忘れてしまったかのようで。
「――うむ、まぁならば、そうもなるか」
「姉上……?」
「奴の住処を見つけ次第、今持てる全軍を持って向かう。大規模な賊の根城を見つけたとでも言えば、怪しまれもしないだろ」
「は? あ? えっ?」
まるで、人が変わったように。すっくと淀みなく姉は立ち上がり、窓の外など眺めながら実に淡々と、冷静に口を開いて言葉を紡ぐ。
これからどうするかを、とても滑らかに。当然。間違いなし。この方針で行く。その言葉は実に『果断』に満ち溢れ。当主として頼り甲斐のある姿と言える。
もしそれだけなら、信勝も素直に頷いていただろう。
だが。そのやり方は。余りにも全力に傾けすぎている。
「――姉上、お待ちください、そのように全軍をぶつけるなど、それは些か過剰では」
「阿呆。過剰なわけがあるか。こちらから仕掛けても襲ってこなかった辺り、その一匹は恐らく哨戒。その為に態々すべての戦力を一体出す訳がない。最低でも同等の戦力二体程は奴の傍についていると思え」
姉は、当主となってから弱兵と侮られる尾張兵の改善を目指し、様々な工夫を凝らして来た。今や、その練度は以前の尾張兵とは比べ物にはならない程に育っているのは間違いない。
そう、織田郡の戦力は、文字通り『国』を相手取れる程の『力』だ。それをたった一人の個人に向けるなどと。
確かに可笑しな様子であった。恐るべき怪物を味方につけているやもしれないという話は分かるのだが。だが、それだけでまるで弟を、討伐する様な。
「ま――待ってください、姉上……」
「なんだ? 言った筈だぞ。正体不明の敵戦力と、秀隆を討つのだ。何ら不足ではないだろう?」
「不足、等ではなくて……!」
信勝にとって。
喜六郎は、『まだ何もしていない』事に変わりはない。
たとえ怪しげなモノと通じていようとも。家を出たとしても。
直接信長に逆らうような真似をしたわけではない。領内を荒した訳でもない。周辺の国にも襲い掛かったという、報告も無い。
本当に静かなモノなのだ。尾張の領内で暴れる賊などよりも実に、実に大人しい。彼が織田家にとっての『脅威』とは、今の所なり得ない。そう信勝は思っている。
得体の知れない存在を味方につけている。それに警戒するのは、分からないでもない。だがしかし、全軍を持って、というのは正直予想の外で。しかも、まるで敵を殲滅するつもりかの様に振舞う、等と。
「――偉くなったもんだな、信勝」
「っ!?」
思わず、息を呑んだ。
睨まれている。
信長に。
「俺が間違ってると、そう言いたいのか? 面白い、言ってみろ。何がどう違うのかを」
「あ……」
赤い瞳が、此方の目をしっかりと捉え――その鋭さに、眼球が潰されそうだ。一挙手一投足を見つめられ、観察されている。自分の全てが見つめられている――否、既に把握されている。そんな幻覚を覚えるほどだ。
初めての経験だった。姉に睨まれる事など。
秀隆と会った時とは違う。思わず、首を垂れたくなる様な、圧倒的な存在感。
自分の上位に位置する者だと、明確に示してくる。
信勝は、信長を半ば崇拝している。それは自分でも自覚している。彼女は何れ何物にも触れられぬ、王者になり得る資質があるのだと思っている。自分を担ごうとする無能共を排除しようとしたのも、姉の足を引っ張る奴らを生かしてはおけないと思ったからだ。
彼女にこのような目で見られて、口答えの言葉など、思い浮かぶはずがない。
そう、信勝当人が、思っていた。
「――あ、姉上は捕えて終わりにする、とおっしゃっていました」
だから、そんな状況でもなお口を開いた時。誰よりも驚いたのは、彼自身だった。
「状況がそれを許さなくなった」
「なぜ、ですか。喜六郎を、脅威だと?」
「そうだ。お前が言う通りの化け物を味方につけたとなれば――」
「その力は、此方に向けられておりません。領内で、あの化け物に襲われたという報告は今の所、上がっておりません」
いつも以上に、口が回る。
姉に盾突いているという事は分かっている。こんなのは、自分がやる事ではない。姉は凄い。自分如きが、そんな真似をするなど許されない。
だがそんな姉への強い思いですら、今の言葉を見過ごすことは出来なかった。
だって、秀隆が一体何をしたというのか。
「――信勝」
「織田家当主たるもの、もっと堂々とせねば。そうでしょう姉上。そんな国一つ動かすなんて、弱気通り越して狂気の沙汰ですよ。弟のたかが家出一つくらい、笑って見逃す位の器量が無ければ、乱世なんてやっていけないじゃないですか!」
別に喜六郎は一人で出ていっただけだ。
それの何が悪いというのか。武家から出ていった一人の武士が、仲間を伴って諸国を旅する程度、よくある話ではないか。
とはいえ、彼の様子が異常だったから、そのまま放っておくのが嫌だったから。姉に相談して。『連れ戻す』事に力を貸してもらっていたのだが。
とはいえ、あくまで個人と家族の間で済む、その程度の話なのは間違いない。そんな国の総戦力を動かす様な話じゃないのは、信勝にだってそれは分かる。
「あ、もしや僕を揶揄っておいでですか? 意地悪ですねぇ姉上。」
「……」
「お気持ちは分からないでも無いですが……幾らなんでも、今、ただ一人に向けて全戦力を向けるなんて、些か以上に愚行です。それくらいは分かりますよ」
姉に愚行、等と。先ず間違いなく、普段なら絶対に言わない。そんな事を姉がするなんて、あり得ないと頭に思い浮かべた事も無かった。
だから、こうなった時何を言えば良いのかもわからなくて取り敢えず……真っすぐに言葉を言った。誤魔化す様な事はしなかった。
別に喜六郎に戻ってきてもらって。今まで通りに過ごしてもらうのが一番いい、と思うからで。そんな呑気な、等と、誰にも言って欲しくはない。
まだ。まだ喜六郎は何もしていないから。まだ何もしていないその段階で。こちらから余りにも過剰なやり方で叩き潰すなんて。それは、あんまりではないか。たかが家出に対する罰には、あんまりにも。
「我々は四方に敵を抱えていますし、下手な事だけは――」
自分たちの守るべき弟にするような仕打ちでは、到底ないではないか、と。
「――との事らしいが?」
「いやぁ、流石は兄上。アレでこそ兄上ですなぁ」
「お主が『やるなら全力で』とかいうからだろ。見ろ勘十郎ってば、変な方向に弾けよったではないか」
「その割には嬉しそうですな、姉上」
「戯れるな。んで、どうする」
「――分かりました。お二人と、後は勝家殿と精鋭数人くらいはお通ししますかね。護衛は必要でしょうし」
「気前がいいな」
「その代わり、こっそり全軍を回しても、『此方の精鋭』が阻みますので、その辺りはご理解いただければ」
「それは『やるならバレずに上手くやれ』と言っておるのか?」
「えぇまぁ。兄上を悲しませたくないですし」
「……やらんわ。いくら数があってもどうせ無理だろうし」
「全く、姉不孝な弟に育ったな、お前も」
「何を言います。こうして姉上には全て話しているのですから、信頼していますとも、えぇ。えぇ」
「嫌な信頼だなお前……日時は追って伝える。決着をつけようではないか、そろそろ」
「そうですね。ご招待させていただきましょうか。我が舞台へと」
信勝サイドから見ると、可愛い弟がちょっと家から出ていってちょっとヤバそうなのとつるんでるだけなのに国一つ傾けて討伐されそうになってる。流石にちょっとやり過ぎでは、と思うのは当たり前だと思う。
ノッブへのクソデカ感情があるにせよ、ずっと一緒に過ごして、ノッブに及ぶかは分からないけど大切な弟いるこの世界戦では、消極的にでも信勝が反発するだけの『強い意思』を得ているのは間違いない。
尚その意見正しいかどうかは兎も角として虚無る。